怒涛

 ――式典当日。空は車内の空気を映しとっているかのように灰色に曇り、中層もまた蒸気機関由来の白い霧に覆われていた。式典に賑わう中央通りを、一台の馬車が走っていく。馬車の中には所長の男とクク、それに密かに武装した「兄弟」二人が座っている。変装のため、ククも「兄弟」たちも下層では考えられないほど小奇麗な服に身を包んでいた。

 ククたち「兄弟」に三方から囲まれ居心地悪そうにしていた所長の男は、何度もちらちらとククを見て、それからおそるおそるといった風に尋ねた。

「きみは、あの時の女性の娘なのか?」

 あの時。

 何を指しているのか、すぐ分かった。もう何年も前のあの日、この男が母を殺した日のことだ。忘れもしない、あの日のことだ。

 ククは窓の外を眺めながら、ぶっきらぼうに「ああ」と答えた。所長の男は体を縮こまらせ俯いた。

「殺すつもりじゃなかったんだ。ただの威嚇射撃のつもりだった。それがあんな」

 ぽつりぽつりと男は語り始める。ククも「兄弟」も無言でそれを聞いている。

「謝って許されることではないのはわかっている。でもどうか謝らせてくれ。……すまなかった」

 深く頭を下げる所長の男。流れていく景色をしかめっ面で眺めていたククは、しばらくの沈黙の後、口を開いた。

「……ククだ」

「え」

「俺の名前はククだ」

 所長の男は一瞬泣きそうな顔になって、それから手を差し出した。

「アランだ」

 握手を求めるその手を見て、ククはそっぽを向いた。

「フン。あんたの名前なんてなんだっていいさ。計画通りに動いてくれればなんだってな」

 ガラガラと音を立てて馬車は進む。歩道を歩く市民の数も増え、式典会場が近づいていることをうかがわせる。

「そろそろ市庁舎だな。……あれが噂の拡声管か」

 群衆の向こう側。真鍮製の巨大なラッパのようなものが、塔の前に置かれている。

「ああ。通例通りなら市庁舎の塔の……あのバルコニーから演説は行われるはずだ」

「じゃあ計画通り市庁舎に潜り込めばいいってわけだな」

 ククはにやりと笑い、柔らかな背もたれに背を預けた。

 市庁舎の程近くで馬車は止まる。着なれない服のせいで四苦八苦しながらも、ククたち「兄弟」は馬車から降りた。所長の男、アランも緊張した面持ちで地面に降り立つ。

「それじゃあ手筈通りに頼むぜ、オッサン」

 アランの背を軽くたたくと、ククたちは雑踏の中に身を滑らせた。

 市庁舎の付近は人で溢れていた。かっちりとした服に身を包んだ紳士もいれば、新聞を売り歩く少年も、労働者然とした精悍な男もいる。皆、式典と式典の後に行われるパレードのために集まってきたのだろう。浮かれた様子でゆるゆると歩みを進めている。

 ククたちは人の波に流されながらも、市庁舎に近づく。市庁舎の周りには当然ながら衛兵が陣取っている。入口を固める衛兵にアランが近づいていき、何やら話し始める。その隙に植木を乗り越え、ククたちは市庁舎の庭に飛び込んだ。

 姿勢を低くして走り、衛兵たちからは死角になった窓の近くに伏せる。そのまま十数分、自分たちの息と心臓の音だけが聞こえてくる中、ククたちは動きを止めて待ち続けた。

 がたん、と頭上の窓が動く音がする。ややあってアランがおどおどと窓から顔を覗かせた。ククは無言でにやりと笑い、あとの二人に手を借りながら窓の中に飛び込んだ。残る二人もククを追って窓枠に足をかけて飛び込んでくる。

 アランが窓を慌てて閉めた後、ククはアランの背中を再び叩いた。

「よくやった、オッサン」

「こ、これで私も共犯者だな……」

「ヘヘヘッ」

 怯えた様子のアランに、「兄弟」たちはひどく楽しそうに小声で笑った。ククは少しだけ不機嫌そうにつま先を鳴らす。

「で、そのバルコニーってのはどっちだ?」

 全員が顔を引き締め、部屋の出口へと向かった。

 戸を少しだけ開け、外の廊下を窺う。廊下には今のところは誰もいないようだ。

 四人は足音を殺して廊下に出ると、アランを先頭にして、廊下を進んでいった。数度入り組んだ道を曲がり進んだが、幸運にもここまでは誰にも遭遇していない。

 アランは不意に立ち止まった。

「この通路をまっすぐ行けば上に上がる階段がある」

 言いながら廊下の先を指さす。

「私が案内できるのはここまでだ。ここから先がどうなっているのかは私にも分からない」

 ククは頷いた。

「そうか。じゃあオッサンあんたは帰っていいぞ。ここからは俺たちの問題だ」

「……断る」

 震える声でアランは言い切った。ククたちは胡乱な目でアランを見上げる。

「こ、このまま帰っても、この一件は私の手柄には、ならないからな!」

 ククは目を瞬かせ、それからニヤッと笑った。

「いいぜ。じゃあ最後まで付き合ってもらおうじゃないか」




 下層の吹き抜けで仁王立ち、Vは上層を見上げていた。肩にはノッポが着ていた軍服を羽織り、目は必ず訪れるであろう招かれざる訪問者を探して、宙を睨んでいる。

 「兄弟」たちには既に「あなぐら」の奥深くへと隠れてもらっている。広場には人っ子一人おらず、常ではありえない静寂が場を満たしていた。

 ばさり。ばさり。

 重い羽音が頭上から響く。中層から飛来したそれは、一頭の騎竜だ。騎竜に乗った人影は、広場の中心に立つVの姿を認めると、まだ宙に浮く騎竜から飛び降りてきた。重い着地音を立てて、それは地面に降り立つ。

 Vct-17.

 Vの心臓を抉った張本人。

 Vは無表情のまま口を開く。

「来ると思った」

 Vcy-17は表情を変えないまま首を傾ける。

「何故動いている。心臓は抉ったはず」

「心臓はある。僕と一緒に」

 胸の中央に手を置く。熱く、脈動しているのが分かる。

 Vct-17は大剣を抜いた。

 Vは拳を引いて、自動人形を睨みつけた。

「勝負だ、Vct-17」




 塔の前、広場にはバリケードが築かれ、式典のための場所が確保されていた。霧は濃く、僅かに肌寒ささえ感じる。バリケードの周縁には軍警が整列し、その内側には何台もの馬車や竜車が乗り付けている。

 式典は既に始まっているようで、塔の前には重役であろう人々がまばらに立っているのが見えた。その周囲には武器を持った軍警、いや、軍警の服を着た自動人形が武器を携え立っている。

 厄介だな、とノッポはひとりごちた。

 軍警の長官は女王から直々に任命されることになっている。

 ノッポは女王がどんな人物であるかは知らない。だから、今ここで女王がどこにいるか判断する必要がある。ここまでは群衆に紛れて来られたが、ここから先、女王がどこで演説を観覧するかは分からないのだ。

 遠く、女王の豪奢なドレスと、マクディーン中将の姿が見えた。堂々としたその姿に、くすぶっていた感情が燃え上がる。

 あいつがエリックとシリルを!

 駆け出しそうになるのをなんとか踏みとどまり、ノッポは腕の中の「頭」を抱えなおした。ここで飛び出しても何の結果も出せないまま終わってしまう。機会を待つんだ。チャンスは必ず来るはずだ。

 雑踏の最前列で式典を睨みつけながら、ノッポは市庁舎にいるであろうククを思った。

 急げ、クク。もうすぐ演説が始まっちまうぞ!




「お、おい! ここで何してる。ここは立ち入り禁止区域だぞ!」

 前方から歩いてきた男に誰何され、ククたちは立ち止まる。

 そのまま近づいてくる男に、運がいい、とククは密かに笑った。不審な人物を見つけたというのに人を呼ばない辺り、不用心というべきか人がいいというべきか。

「ええと、道に迷っちゃって」

「まったく、今は式典で厳戒態勢中なんだ。こんなところに入ってきちゃ駄目……うわっ」

 ククたちは歩み寄ってきた男に足払いをかけると、物陰へと引きずり込んだ。

「上への階段はどこだ」

 壁際に追い詰め、ナイフを首に突きつける。哀れな職員はヒッと小さく悲鳴を上げた。

「言え!」

「か、階段はない。ちょ、直通のエレベーターが中央本部の近くに」

「そうか、もういいぞ寝てろ」

 ククは男の首に背後から腕を回すと、そのまま体重をかけるようにして頸動脈を締め落とした。アランは震えながら男とククを交互に見る。

「ま、まさか殺して……」

「殺してねえよ。気絶させただけだ。急ぐぞ」

 気絶した男を物陰に隠し、ククたちは慎重に歩みを進める。中央本部への道は以外にもすぐに分かった。迷子防止のためか、ご丁寧にも「中央本部はこちら」と書かれた看板がいくつも立っていたのだ。

 だがそこからが厄介だった。

「あれがそのエレベーターか……」

 気付かれないよう物陰から顔だけを出して、中央本部付近の様子を窺う。付近には軍警も職員も大勢いる。皆、式典のためか忙しなく動いているが、さすがにこの一行が近づけば先ほどのように誰何されることは避けられないだろう。

「あれを使うか」

「あれ?」

「おい、出せ」

 「兄弟」が背負っていた鞄から出したのは、小さな缶のようなものだった。

「合図をしたら息を止めてエレベーターまで走れ。一、……二、……三!」

 上部の留め具を外し、中央本部の真ん中めがけてククは缶を投げる。ぷしゅ、という間抜けな音が響いた後、缶を中心にして爆発的に煙が広がった。

「うえっ、げほげほっ!」

「げほっ、な、何が起きた!」

 混乱する職員の間を縫って、ククたちはエレベーターまで駆け抜ける。素早く折り畳み式の真鍮の扉をこじ開け、滑り込み、勢いよくレバーを引いた。

 エレベーターが上昇を始める。遠ざかる中央本部は未だ混乱のるつぼにあったが、何人かは正気を取り戻し、上昇するエレベーターに向かって銃口を向けようとしていた。

「伏せてろ!」

 金網で囲まれたエレベーターの中、ククたちは床に伏せた。放たれた銃弾が何発も、エレベーターの床に当たる音がする。下の階とは十分に距離が離れ、銃弾が届かない位置になってようやく、ククたちは息を吐いた。

「さてこれからどうするか、だ」

「上にはきっと警備兵がいる」

「ああ。それなんだが……」

 ククは言葉を切り、拳銃をいじりながらアランを見た。アランはとてつもなく嫌な予感に襲われ、後ずさった。

「な、なんだ?」

 ククは銃口をアランに向け、にやりと笑った。

「――俺にいい考えがある」



「おら! こいつがどうなってもいいのか!」

「ひいいい」

「卑怯な! 人質を解放しろ!」

「そこをどきな! 人質を殺されたくなかったらなあ!」

 アランに銃口を向け、警備兵に向かって凄む。気圧された警備兵はククたちに道を譲った。横をすり抜け、バルコニーへと急ぐ。背後で、エレベーターを引き戻した下の階の連中が大挙して押しかけようとしている声が聞こえる。

「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」

 足を止めるわけにはいかない。バルコニーに辿りつきさえすればこちらの勝ちなのだ。アランも人質のふりをやめ、ククたちと一緒になって一目散にバルコニーへと駆け出した。

 その時、一発の銃声が響き渡った。

「っ、クク!」

 ククが見たのは、自分に覆いかぶさるアランの姿。全身の力が抜け倒れ伏していくその姿に、彼が撃たれたのだと気がつく。

 「兄弟」たちは咄嗟に背後の警備兵たちにむかって数度発砲する。警備兵は怯んだのか、一旦物陰に隠れ、こちらを窺っているようだった。

「オッサン、しっかりしろ、オッサン!」

 アランは息を荒げながらも、傷口を押さえ、体を起こした。

「わ、私は大丈夫だ。置いていってくれ」

「でも……」

「クク、もうもたない」

 お互い物陰に隠れての銃撃戦を行っていた「兄弟」から声がかけられる。ククは一瞬だけ泣き出しそうな顔をした後、顔を拭い、前を向いた。

 駆け出していく背中に向かってアランが叫ぶ。

「走れ、クク! 走れ!」




 誰もいない広場で、VとVct-17は睨みあう。時折吹く風が二人の髪を揺らすが、両者とも互いから目をそらすことはしない。

 先に動いたのはVct-17だった。大剣を片手に持ち、上段からVへと切りかかる。

 Vはそれを後ろに跳んでかわすと、自動人形の死角を狙って右手へと一気に走りこんだ。自動人形の腹へと回し蹴りを叩きこむV。自動人形は仰向けに吹き飛ばされ、追撃してくるVの攻撃を待つ他ないように見えた。しかし、

「っ……」

 自動人形は人体の限界を超えた動きで跳ね起きると、飛びかかってきたVの首めがけて大剣を横薙ぎに叩きつけた。

 Vは大剣の一撃を両腕を使ってなんとか受け止める。大剣の刃がぎりぎりと腕に食い込んでいく。このままでは腕が壊される。Vは横に飛んで刃の勢いを殺し、自動人形から距離を取った。

 自動人形は剣を下ろした。

「何故戦う」

 高所から見下ろしながら、自動人形は問う。

「私の目的はクリフ・オルコットの始末。お前の始末ではない」

 大して間もおかずVは答える。

「「兄弟」だから。「兄弟」を守りたいから」

「「兄弟」? お前は自動人形だ。理解できない」

 自動人形は首を傾げる動作をして、大剣を握りなおした。

 でも、とVは続ける。握られた指が緩められた。

「もう一つ理由はある」

「理由」

「きみこそ何故ぼくを襲う」

 自動人形は虚を突かれたような体で言葉を詰まらせた。

 何故。自動人形は小さく繰り返す。

「ぼくを無視して標的を探せばいいのに。きみはそうはしなかった。ぼくを倒すことを優先した。何故」


「――ぼくを許せないんだろう」


 その言葉を理解したとき、Vct-17の緑色の瞳の奥に、確かに感情の炎が宿った。

 動かないはずの顔がゆがみ、苛烈な眼差しで表情を変えないVを睨みつける。

 それは激高。激しい怒り。あるいは嫉妬。

「きみはぼくが許せない。ぼくもきみを許せない」

 Vは悲しそうに目を伏せた。

「……きっと同じヴィクターだから」

 Vct-17は必要もないのに荒い呼吸をして、Vを睨みつけていた。

 ……まるで興奮している人間のように。

「それが理由。おしゃべりはおしまい」

 Vは拳を構える。Vct-17も震える手で大剣を構える。


「戦おう、Vct-17」

「戦おう、Vct-01」


「がああああ!」

 大上段から振り下ろされた刃を間一髪のところで避ける。先ほどよりも大ぶりで激しい攻撃だ。腕で受け止めれば腕ごと持っていかれただろう。

 大上段の次は左からの攻撃だ。感情的に振り回された刃は遠心力で加速し、跳び退ったVの肌、ギリギリのところをかすめていく。

 振り切った隙を突き、Vは握られた大剣の柄を蹴った。大剣はVct-17の手を離れ、がらんがらと音を立てて床を転がっていく。だがVct-17はそれを拾おうともせずにVの足を掴み、片手で投げ飛ばした。

 Vは身を丸めて着地する。Vct-17は地を蹴り、Vの顔めがけて拳を突き出した。顔の真ん中でそれを受け止めてしまうV。なんとか、ブリッジの姿勢から跳ね上がり、再び距離を取ろうとする。

 しかしそこに下から腹を抉る一撃がくわえられる。Vの体は反動でくの字に跳ね上げられ、直後、Vct-17の強烈な踵落としが後頭部に落とされた。

「フーッ、フーッ!」

 頭部にくわえられた衝撃に一時的にVの反応速度が遅くなる。

 Vct-17は荒い息を吐きながら、Vの頭部を片手で掴みあげた。

「お前の、負けだ」

 Vは脱力して答えない。Vct-17は心臓を抉ろうと、腕を大きく引いた。

 その時。

 Vの胸部が開き、中から小さなドラゴンが、

「真打登場だぜ!」

 飛び出したチビはVct-17の顔面に貼りつくと、目めがけておもいっきり炎を吐き出した。

「ガアアアアア!」

 Vct-17はVから手を離し、貼りついたチビを引きはがそうとする。

「やれ! V!」

 チビの声が聞こえる。倒れかけた体に力を込める。

 胸から心臓が離れて、体中が急速に熱を失っていく。

 でもまだやれる。まだ動ける!

「ああああああ!」

 疑似的な肺を震わせ、Vは吠える。

 腕を振り切る。Vの指先は、肌を裂き、防壁を握り潰し、Vct-17の心臓へと到達する。

 一瞬、呆然と見開かれたVct-17の目と目が合った。

の、勝ちだ」

 ぱきん、とひびの入る音がした。




 市庁舎前は騒然としていた。いつまで経っても始まらない演説に、市民は不安を隠せない顔で顔を見合わせ、外縁を任された警備兵たちは事態の把握ができないまま市民たちを押さえていた。

 市庁舎に入れないと聞いたマクディーンは、声を荒げる。

「何事だ! 何が起こっている!」

「そ、それが市庁舎に暴漢が入り込んだらしいということでありまして」

「聞け! ロンディニウムのクソ市民ども!」

 高らかに言い放たれたその少女の言葉は、拡声管を通じて集まった市民全体に届けられた。騒然としていた市民は一斉に拡声管へと注目する。

「今、軍のトップになろうとしている男の正体はこれだ!」

 かちりと作動音がした後、ノイズ交じりの音でそれは始まった。


 ――すべてあなたが仕組んだことだったんですね、マクディーン中将。

 ――そうだ。すべて私の企みだよ、クリフ・オルコット二等兵。

 ――きみの目の前に立っている自動人形はね、厳密には完全な蒸気機関の産物というわけではないのだよ。

 ――我らが偉大なる蒸気機関をもってしても、どうしても再現できなかった箇所が一つだけある。人体の中枢。思考を司る場所。脳だ。

 ――下層の人々から調達した脳を組み込み、骨格、筋肉、神経。その代わりとなるものを。あるべきものを、あるべき場所に。そうして完成するのが自動人形だ。


「自動人形は人間を材料に作られてる! 生きた人間をだ! それをあの男は隠してたんだ!」

 少女の声はそう続ける。見上げると、遥か上方のバルコニーで声を張り上げる少女の姿が見えた。

「誰かあれをやめさせろ!」

 マクディーンは掴み掛らんばかりの形相で周囲の警備兵へ指示を飛ばす。

「何をしてる、撃て! 狙撃しろ!」




 参列していた市民は混乱していた。本当なのかと話し合い始める市民もいれば、どういうことだ! と声を張り上げる市民もいる。混乱はやがて渦となり、市庁舎前を囲ったバリケードを押し倒さんばかりの勢いになっていった。

 ――飛び出すなら今だ。

「証拠はそれだけじゃない!」

 ノッポは叫び、警備兵の間を縫って、女王の下へと走り出した。当然、何人もの警備兵や治安部隊が銃を構え、こちらに発砲してきたが、銃弾が何発体を掠めようとノッポは足を止めることはない。

 女王は幸いにもバリケードの近くの竜車の中にまで戻ってきていた。

 もつれそうになる足を必死に動かす。背後から怒号が聞こえた。

 あと少し。あと少しで届けられる。

 だが女王の竜車の周囲を固める兵、いや、自動人形たちがノッポの前に立ちふさがった。真っ白な腕が、走りこんできたノッポに伸ばされる。

 だめだ、届かない――


「おやめなさい」


 凛としたその一言で、ノッポを拘束しようとしていた自動人形の動きがピタリと止まった。声の主は考えずとも分かった。

 馬車の戸が開き、一人の女性がゆっくりと降りてくる。

「じょ、女王陛下」

 ノッポは咄嗟に跪き、頭を垂れた。女王は想像よりもずっと若々しい声でノッポに尋ねる。

「あなたは?」

「クリフ・オルコット二等兵です」

 つっかえながら答える。緊張で口の中がからからになりそうな気分をなんとか抑え、ここまで大事に抱えてきた親友の「首」と写真を差し出した。

「これを」

 女王の白い手袋に覆われた手に、「首」と写真が渡る。ノッポは緊張からすっかり混乱して、ただ感情的に思うがままに言葉を吐き出した。

「俺の友達なんです。あいつらにこんな姿にされてしまったけど、確かに人間だったんです! 俺は、俺は……」

 だめだ。これまで堪えてきたものが一気にあふれ出た。地面を見つめる視界が涙で歪む。声がつっかえ、うまく喋れなくなる。いくら止めようとしてもぼろぼろと涙は流れ続け、みっともなく鼻水まで出てきた。

 女王は無言のまま「首」と写真を検分し、ノッポに優しく声をかけた。

「顔をお上げなさい」

 涙をぬぐい顔を上げると、そこには一人の美しい少女の姿があった。年の頃はククとそれほど変わらない幼い少女だ。

「確かにこれは、追及する必要がありそうですわね」

 少し気取った風にそう言うと、女王、はひどく嬉しそうににんまりと笑った。



「スコット・マクディーンを拘束なさい。これは女王の命令です!」

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