慟哭

「それだけではない、それだけではないのだ……」

 何かに怯えるように、許しを請うように老人は体を震わせる。

「新鮮な脳などそう簡単には手に入らない。だから連中は生きた人間の脳を使うことに決めたのだ。「人さらい」の連中の目的はそれよ。奴らはいなくなっても騒がれない人間を集めて人間の脳を調達していったのだ。私はそんな軍警に嫌気がさしてこうして隠居を……」

「待て、待てよ爺さん!」

 次々に語られる情報を整理しきれずに、ククは頭を抱える。あるいは理解したくないのかもしれない。こんなことなんて、こんなことがあってたまるか。

「嘘だろ、生きた人間の脳……? 調達? 何言ってんだ、それじゃ、俺たち、俺たちは……」

 これまでに「人さらい」に引き渡してきた「兄弟」たちの顔が脳裏をよぎる。あいつらはどこに連れていかれた。上の層で仕事にありついてるんじゃなかったのか!

 殺されて、脳を取り出されて、自動人形になって、壊れたら、捨てられて――

 「ゴミ捨て場」に捨てられた「兄弟」たちに、俺たちがとどめを刺してたっていうのか!

「俺は……今まで……」

 どうして気付いてやれなかった。体が機械に置き換わっているだけだった。顔が隠れているだけだったのに。ずっと一緒にいたのに、仲間だったのに、どうして!

 叫びだしそうになるのをこらえ、ククは老人の胸倉を掴みあげた。

 老人の途方に暮れた子供のような顔が、怒りに、悲しみに、眼光燃え上がるククの顔に近づく。

「爺さん、俺はテメエを許さない。……だけど今は殺さないでおいてやる。作り方を知ってんなら、Vの心臓も直せるな?」

 横たわるVを顎で指す。胸には大穴がぽっかりと空き、緑色の瞳は今は瞼の向こうに閉ざされている。

「Vを直せ。そいつは俺の「兄弟」だ」

 老人は目を伏せ、頷いた。

「……わかった。それが私にできる償いだろう」

 ククは老人を掴んでいた手を緩めた。老人は床にへたりこんだ。

「だが材料がいる」

「材料? 何の材料だ?」

「心臓だ。あれだけはここでは作れない」

 心臓。その言葉を聞いてククは固まった。

 自動人形の心臓の調達なんて、自動人形から抉ってくるしか方法はない。だが、自動人形の動きを止める唯一の方法はその心臓を破壊することなのだ。他の部品は数多く売りさばいてきたが、心臓だけはこれまで一つも回収できていない。

「……Vを直すのは無理ってことか?」

「いや、方法はある」

 老人はちらりとチビを見た。

「ヴィクターの心臓を作ったとき心臓の材料として使われたのは、騎竜の卵だった。その代替品が、必要だ。補給を受けなくても継続的に熱を発し続ける、生体部品が」

 チビはまっすぐに老人を見返し、言われている意味を理解したのか、すぐに頷いた。

「分かった。オレが心臓になればいいんだな」

「チビ!」

 続いてククも理解した。

 チビの体は体内で炎を生成できる。その力を心臓の動力に利用しようと言っているのだ、この老人は。

「どうせこの体じゃ、もうろくに飛べやしないさ。一思いにやってくれ」

「待てチビ! それじゃあお前が死ぬことになるだろうが!」

「いいんだよ。オレが死んだってVが生き返るんならその方がずっといい」

「駄目だ! ……お前も俺たちの「兄弟」なんだぞ!?」

 ククは叫ぶ。もう何も失いたくない。そんな思いで。チビは一瞬言葉に詰まった後、へへっと小さく笑った。

「ありがとな、クク。そう言ってくれるだけで十分嬉しいぜ」

 チビは老人へと向き直る。

「やってくれ、爺さん。多分オレはそのために生まれてきたんだ」


  *


「すばらしい。自動人形相手にここまで粘るとは」

 急に降ってきた声に見上げると、天井にへばりつくようにして、ラッパのような形の伝声管が設置されているのに気がついた。伝声管は天井を這い、壁の一部に備え付けられたガラス張りの部分へと繋がっている。

 ガラス張りの壁越しに、こちらを冷たく見下ろす人影に、クリフは見覚えがあった。

「マクディーン中将……」

 どうして、とは言えなかった。

 どうしてここに。どうして俺をこんな目に。本当は聞きたいことは山ほどあったが、聞かずとも一つだけはっきりしたこともある。

 この人は俺をハメたのだ。俺をあの場で見捨てただけでなく、こうして口封じをしようとしている。

 急に頭が冷えた。

 ポケットを探り、あの装置を探し当てる。使い方は分からないが、おそらく電源だろうと思われる箇所を引いた。

「すべてあなたが仕組んだことだったんですね、マクディーン中将」

「そうだ。すべて私の企みだよ、クリフ・オルコット二等兵」

 穏やかに微笑んで、マクディーンは腕を広げた。その隣では研究員らしき人影がこちらを見下ろし、記録を取っていた。

「冥途の土産だ。いいことを教えてあげよう」

 これまでこちらを襲って来ていた自動人形は沈黙している。クリフは油断なく自動人形に向かって腕を構えながらも、こちらを見下ろす人影たちをちらりと見上げた。

「きみの目の前に立っている自動人形はね、厳密には完全な蒸気機関の産物というわけではないのだよ」

 クリフは自動人形に視線を戻し、眉を寄せた。

 どういう意味だ。自動人形は蒸気機関を組み込まれたただの人形じゃないのか。

 困惑するクリフの脳裏に、先ほどの違和感がよぎる。

 駄目だ。気付いてはいけない。理解してはいけない。全身が警鐘を鳴らしている。

「我らが偉大なる蒸気機関をもってしても、どうしても再現できなかった箇所が一つだけある。人体の中枢。思考を司る場所。――脳だ」

 脳。

 クリフは寒気を覚えて自動人形を注視した。その顔は上半分が頑強な仮面に覆われ、その表情を窺い知ることはできない。

「きみは幻肢痛という言葉を知っているかね?」

 急に話題が変わり、クリフは再び人影を見上げた。

「無いはずの腕が痛み、千切れたはずの足が痛むという病。人の脳はあるべきものがあるべき場所にないと誤作動を起こしてしまうものなのだよ。つまりこれを自動人形に置き換えて言えば、生前の姿を再現してやらねば伝達速度が著しく下がるということだ」

 生前の?

 まさか、まさか自動人形に人間の脳を組み込んだっていうのか。

 目の前の自動人形を見る。この身長。この体格。

 ――でもそれは誰の脳だ?

「だからひどく面倒なことだが、我々は再現せざるをえなかった。下層の人々から調達した脳を組み込み、骨格、筋肉、神経。その代わりとなるものを。あるべきものを、あるべき場所に。――そうして完成するのが自動人形だ」

 何を言っているのか分からない。いや、理解したくない。

「ああ、それからVct-01と竜に逃げられたのは誤算だったよ。計画通りなら、Vct-01にあの竜を移植して永久機関の代わりとしたものを。知っているかね? 通常の自動人形の駆動時間を。あれではまだまだ様々な作戦に使うには不十分だ。数日にも及ぶ行軍、人間に成りすましての潜入。全て永久駆動する心臓、「竜の心臓」さえあれば叶うのだ!」

 そんなことはどうでもいい。俺が知りたいのはそんなことじゃない。

 クリフは耐えきれずに叫んだ。

「これは誰なんだ! 誰の脳が使われてるっていうんだ!」

「おや、ここまで言ってまだ分からないのかね」

 マクディーンはやれやれと肩をすくめる。

「エリックくんだよ。きみもよく知っているだろう?」

 ひゅっと息を飲み込む。脳が理解することを拒絶する。だけどこの身長にも、この体格にも、見覚えがある。記憶がマクディーンの言葉を裏づけしていく。

「うそだ」

「嘘ではないとも。おい、仮面を外させろ」

「嘘だ!」

 カシュッと軽い音が響き、自動人形の仮面が落ちる。仮面の下から現れたのはよく見知った彼の顔。

 全身から力が抜け、クリフはへたりこんだ。

「嘘だ……エリック、こんなことって……」

「おや、戦意喪失かね? 困ったな、君たちは背格好も似ているから、自動人形と人間の戦闘データをとるための格好のサンプルなのだ。もっと頑張って戦ってもらわなければ困る」

 自動人形がエリックの顔をして、こちらを見つめている。どうしようもない事実を示している。

「じゃあ、まさか、さっきの子供の自動人形は」

 どうか違っていてくれ。そんなクリフの必死の願いも通じず、マクディーンはあっさりと肯定した。

「ああ、あの子だよ。きみと一緒に騎竜に乗ってきた……えっと名前は何と言ったかな」

 マクディーンは隣に立つ職員に尋ねたが、職員も首をひねった。

「まあいい。下層の子供など名前がないも同然だ」

「貴、様あああああ!」

 マスケットを拾い上げ、マクディーンめがけて引き金を引く。

 カチンッ。カチンッ。

 弾は出ない。当然弾切れだ。それでもクリフは撃たずにはいられなかった。

「くそっ、くそくそっ! うわあああああ!」

「おや。きみの相手は私ではないよ。……エリックくん、攻撃を続けなさい」

 自動人形が、エリックが、行動を開始する。右腕が振りかぶられ、クリフの顔面を襲う。続いて繰り出された左足の蹴りが脇腹を直撃し、クリフはげほげほとせき込みながらしゃがみこむ。

 エリックは何の感情も感じさせない歩調でクリフに歩み寄ると、クリフの顔面に膝蹴りをくりだした。仰向けに倒されるクリフ。しかしなんとか上体を起こすと、腕を使って後ずさり始めた。

「エリック、やめろ、もうやめてくれ」

 とん、と背中が壁に着く。もうこれ以上は逃げられない。エリックの両手が、クリフの首にかけられた。ぎりぎりと締められていく首。苦痛の涙があふれ、徐々に呼吸ができなくなり意識が遠のいていく。


「エリック……」


 ――ふと、首を締め付けていた力が弱まった。咳き込みながら覆いかぶさっている自動人形を見上げる。硬直する自動人形。ややあって自動人形の口が動いた。

「聞け、クリフ」

 声。その声にクリフは聞き覚えがあった。もはや懐かしさすら感じるこの声は。

「扉を出たところに、自動人形用のダストシュートがある。合図したらそこに走りこめ」

「エリック、お前生きて……」

 ぽん、と血の通わない手の平がクリフの頭に乗せられる。まるで子供をあやすかのようなその仕草に思わず睨みつけると、エリックは自動人形の体で、確かに笑っていた。

「さよならだ。……もしあの世があったら、またそこで会おうぜ」

 駆け出したエリックを、クリフは止めることができなかった。扉の前。エリックの体から吹き出す蒸気。過負荷をかけられた心臓が過剰な熱を持ち、エリックの全身を蝕む。エリックは振り返った。

「生き残れよ、クリフ」


 ――爆発音。


 吹き付ける蒸気から顔を庇い、ようやくのことで目を開ける。そこにはひしゃげて大穴の開いた扉と、バラバラになった自動人形のパーツが散らばっていた。

「エリック……!」

 プガー、プガー!

 呆然とする暇も与えず、警報が鳴り響く。クリフはなんとか立ち上がると、自動人形の残骸へと駆け寄った。跡形もない胴体、飛び散った手足。そして、残された頭部。

 クリフは咄嗟にその頭部を抱え上げると、扉の外へと走り出た。そしてそのまま扉のすぐ横に備え付けられたダストシュートへと体を滑り込ませる。

 急な傾斜にクリフの体はどんどん加速していく――

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