炉の番人

 猟銃を構え、息をひそめる。狙うのは軍警たちの足元。……ただの威嚇射撃だ。当てようだなんて最初から思っていない。

 ククがそうやって表で騒ぎを起こしている隙に、仲間たちが軍警の倉庫から食料や弾薬を頂戴する。ずっと前から使っている単純な手だ。

 タンッ!

 警備兵の足元に土煙が立つ。慌てた警備兵たちがこちらを探しているのが見える。簡単には見つからないはずだ。地面にカモフラージュしたボロ布を被っているのだから。

 視界の端で別働隊からの撤退の合図を確かめる。見つからないようゆっくりと這いずりククも撤退していく。

 ――不意に警備兵の銃口がこちらを向いた。

 タタンッ!

 銃声が響く。飛来した弾丸が、ククの肩を貫いた。



「……かすっただけっスね。運がいい」

 ククの肩に布を巻きつけながら、「兄弟」の青年が言う。

「でもしばらくは無茶しないでくださいよ。ククの姐さんは俺たちのボスなんスから」

「……ああ」

 青年を早々に部屋から追い出し、ククは目を閉じた。

 ボス。ボス、か。

 瞼の裏に記憶がよみがえる。あの時、あの瞬間の感情が再び燃え上がる。



 ――目を閉じればいつだって思い出す光景がある。

 まだ「兄弟」たちが盗みなんぞに手を出していなかった頃の、「兄弟」たちをまとめあげる偉大なるボスがいた頃の話だ。

 そもそも「兄弟」は、ボスが寄せ集めた孤児の集まりだ。ボスは、親の庇護もなく、職もなく、日々の食事すらままならない連中を集めては、職を与え、仲間を与え、助けあうことを教えた。

 ボスは偉大なる我らの頭領だった。優しくて厳しい人だった。かけがえのない人だった。

 だけど死んだ。あの人は永遠に俺たちから奪われてしまった。

 忘れもしないあの日。短い秋が終わり、辛く長い冬が始まろうというあの日。

 ボスは軍警を相手に、物資を援助するよう陳情していたのだ。

 それなのに軍警はそれを突っぱね、あろうことか我々に銃を向けた。

 拳銃の小さくて黒々とした銃口がこちらを向くのを、あの時の俺はただ見ていることしかできなかった。周囲の「兄弟」たちが次々に逃げていく。逃げなければ。だけど足がすくんで動かない、

 ――クク!

 ボスの声が聞こえた。男の指が引き金にかかる。

 ダンッ!

 銃声が響く。こちらに駆け寄ろうとしていたボスの胸から真っ赤な色が噴き出る。バランスを崩して、ボスの体が倒れていく。

 ――かあさん。

 かすれた自分の声がまるで他人のもののように聞こえた。

 倒れこむ母さんの向こう側に銃を持つ男が見える。地面に倒れ伏したまま、母さんは動かない。感情が燃え上がるのを感じた。

 あいつがやったのだ。あの男が!

 俺は男を睨みつけた。

 絶対に忘れない。

 震える銃口を、心底怯えきったあの男の目を、俺は絶対に忘れない。

「あ、姐さん、報告が」

「入れ」

 戸口からかけられたおどおどとした声に、ククはぶっきらぼうに返事をする。「兄弟」の少年は辺りを気にしながら、ククに駆け寄った。

「その、近々「人さらい」の連中が来るそうです。人員を集めておけと先方が」

「……そうか。選別しておく」

 耳元でささやかれた報告に、ククはしかめっ面で答えた。

 人さらい。いけ好かない連中だが、ここに来る以上はありがたく利用させてもらうつもりだ。

 誰を上に送るか思案していると、「ゴミ捨て場」に出していた奴らが賑やかに騒ぎながら帰ってきた。

「よお、嬢ちゃん、今日のアガリだぜー」

「エメ、邪魔だ。そこに置くな」

 ふんぞり返ったククの目の前に、エメはここまで背負ってきた自動人形をどさっと下ろす。ククは不機嫌そうに唸った。

「どかせ馬鹿が」

「そう言わず検分してくれよ、お嬢」

「うるせえ」

 ククは自動人形の腕を持ち上げて検分し、エメに硬貨の入った袋を投げつけた。

「……よくやった。ヴィクター爺さんのところに運んでおく」

「まいどあり」

 エメはにっと笑いながら、硬貨入りの袋を振った。

「ノッポの奴が妙な機械を拾ったからな、後で換金してやってくれ」

「おう」

「それから、クク。お前もっとガキらしい言葉使ってもいいんじゃないか? 似合わねえぞー」

「うるせえ、帰れ!」

 机に拳を叩きつける。エメはへらへら笑いながら去っていった。

「……さて、そこの三人組」

 ノッポ、チビ、それにV。つい昨日、「兄弟」に迎え入れたばかりの新人だ。

 ……なのだが、ただ仕事をこなしてきたにしてはVの様子がおかしい。昨日買ってやったばかりの服はボロボロに、シリコンの皮膚もところどころ破れ、右腕にいたっては動力系統に穴でも開いたのか音を立てて蒸気が漏れている。

「また派手に壊したもんだな」

「色々あったんだよ」

「色々あった」

「あーこれは自動人形が……」

「いや、いい。大体は想像がつく」

 大方、落ちてきた自動人形とVがやりあったのだろう。怪我人の報告が来てないということは、Vが皆を守って戦ったということ。

 ククはボロボロになったVを一瞥して、鼻を鳴らした。

 ふん、こいつも一応は信用できそうだな。

 ククは立ち上がり、三人組に声をかけた。

「着いてきな。お前を直せる人のところにつれてってやる」



 少年型自動人形をノッポに背負わせて、最深部への道を行く。

「自動人形マニアの爺さんがいるのさ。市場じゃ売れない部位も爺さんが買い取ってくれる」

 カンテラに火を灯して、ククは三人組を先導する。

 「兄弟」の根城の近くは坑道のように細い道ばかりだが、少し地下に潜れば炉の光だけが頼りの大空洞に繋がっている。

 直径三十フィートはありそうな巨大な炉がいくつも連なり、接続されたパイプから町全体へ蒸気を送っている。

 旧式のエレベーターを動かして、さらに奥へ潜れば、決して火の絶えることのない中央炉がある。

 変わり者の自動人形マニア、ヴィクター爺さんが住んでいるのはそのすぐ近くだ。

「邪魔するぞ、爺さん」

 下層にしては上等な作りのドアを蹴り飛ばすようにして開け放つ。爺さんは切り離された自動人形の頭部と会話していたようだったが、こちらに目を向けた瞬間、ひどく驚いた顔をして、それから満面の笑みでククたちを迎え入れた。

「おお、おお。おかえり、ヴィクター」

 爺さんはククたちを押しのけて、Vの手を取った。

「何言ってんだ爺さん。ヴィクターはあんただろ」

「さあ中にお入りなさい。温かいスープを作ってあげようね。ヴィクター、お前は何が好きだったかな」

「だからヴィクターじゃねえよ。こいつはVだ」

「ああなんてひどい。痛かっただろう? どうしてこんな怪我を」

「オレたちを守って戦ったんだぜ! そりゃあもう快刀乱麻の大活躍だったんだからな!」

「そうかそうか。お前は優しい子だったからね」

「……悪いなお前ら。この爺さん少しボケてるんだ」

 みたいだなと、ノッポとチビが呟く。ククはノッポに背負わせていた自動人形を壁に凭せ掛けるよう指示し、がしがし頭を掻いた。

「爺さん、納品ついでにVの腕を直してやってほしいんだ」

「おお、もちろんだとも。言われなくともきっちり直そう。はがれた皮膚も完璧にね。さあおいでヴィクター」

 Vはおずおずと(少なくともククにはそう見えた)爺さんに歩み寄り、すすめられた椅子へと座った。

「爺さん、ついでにこれ直せるか?」

 ククはノッポから取り上げておいた小型の機械を爺さんに見せる。

「ほう。小型蓄音機か。直せるとも。そこに置いておきなさい」

 爺さんはこれ以上なく上機嫌のまま、工具箱を取り出した。

「いつも通りバラすのにも時間がかかる。また明日おいで」

「そうか。ノッポ、チビ、帰るぞ!」

「オレはここでVと一緒にいるぜ。Vが不安そうだからなー」

「そうかよ。じゃあノッポは来い。あとで部品回収に来るんだからしっかり道覚えるんだぞ」

 来たとき同様、乱暴に扉を開け放ち、ククたちはヴィクターの家を後にした。

 帰り道、ごうごうと鳴る炎の音、時折噴出す蒸気の音以外は二人の間に音はなかった。

 エレベーターに乗る。かたいスイッチレバーを倒すと、錆びた歯車同士が噛み合って、二人を「兄弟」たちのいる層まで持ち上げていく。

 沈黙に耐えられなくなったのか、ノッポはククの肩の傷を指さした。

「なあクク、その傷……」

「ああ。軍の奴らとやりあったときにな」

 意識した途端、忘れていた痛みがじわじわと広がっていく。ククは舌打ちした。

 エレベーターは上の層に着き、柵が左右に開く。ここから先、入り組んだ道を少し行けば「兄弟」のシマだ。

 ノッポは言うべきか否か随分と長い間逡巡したあと、ククに問いかけた。

「聞いていいか」

「なんだ」

「お前たち、どうして軍と敵対なんてしてるんだ」

 どうして。

 そんなものは決まっている。生きるためだ。

 生きるために仕事を得て、それでも足りないから盗みを働く。

 母さんを殺されたからというのもある。だけどそれ以上に、ククは「兄弟」たちを食わせていかなくてはならないのだ。

 だがそれをノッポに言う気には何故かなれなかった。

「お前が気にすることじゃねえよノッポ」

 突き放すようにククは言う。

「お前はもうじき、上に帰れるんだからな」

 ククは振り向かないまま、上を指さした。ノッポは訝しげな表情を作った。

「それってどういう……」

「うっせえ、もう寝ろ!」

 ククは今日の分の報酬をノッポに投げ渡し、自分の部屋に帰るよう促した。



 中央炉の程近くで、老人は語る。

「この炉の炎はね、この街を作った最初の竜そのものだとも言われているんだよ」

 その手はよどみなく動き、Vの腕の修理を続けている。

「今となってはその末裔たちを人間があんな風に使役している。……なんて傲慢なことか」

 暇を持て余したチビはすっかり眠ってしまった。老人の話に耳を傾けるのはVだけだ。

「きみたちの研究を始めた私が言えたことではないが……」

 Vは一切表情を変えることをしないまま、己の腕を直す老人を見つめていた。

 Vは考える。Vには記憶はない。何者かに上書きを受けたからだ。

 覚えているのは記録された行動するうえでの基本的な情報のみ。

 なのに何故だろうか。

 Vは考える。 


 この老人は、どこか懐かしい、ような。

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