第二章 下層

兄弟

「死んだってどういうことですか」

 無残にも床が抜け隔離された詰所の前で、エリックは治安部隊に食いかかった。クリフ。つい数時間前まで笑って会話していた友人。それが死んだだって?

 実際に現場を目で見て、言葉で説明されても到底納得できる内容ではない。

 結局その日は、見てのとおりだ、危険だからと追い返され、次の日、もう一度詰所を訪れた時には、クリフの私物は全て持ち去られた後だった。まさかと思い、クリフの家族に連絡を取ってみれば、自宅にも治安部隊がやってきて、クリフの私物をことごとく押収していったらしい。

「クリフ……」

 偶然持ち歩いていたおかげで唯一難を逃れた、二人で写ったあの写真をエリックは握りしめた。


  *


 クリフ・オルコットは書類上の死を迎えた。

 死んだ。俺が? 一体どうしてこんなことに。

 ぐるぐると視界が回り、家族の顔が浮かんでは消えていく。すまない、父さん、母さん、もう二度と会えないかもしれない。

「無駄な抵抗はするなよ。ほら、連れていけ」

 呆然自失の体のクリフを両側から兵士が固める。

 タンッ!

 破裂するような音が聞こえ、足元の泥が跳ね上がったのはその時だった。背後から何者かに足元の地面を撃たれたのだと気付いたのは、目の前の兵士たちが銃を構えてからだ。

 周囲の注意が一斉にクリフのはるか後方へと向けられる。指揮官の男のこめかみに青筋が浮かび上がった。

「いつもの連中だ! 追い払え!」

 指揮官の男がつばを飛ばす。クリフを拘束していた二人が一時的にクリフから離れた。

「今だ!」

 少年は、かけられていた手錠を引きちぎると、棒立ちになるクリフを肩の上に担ぎ上げ、混乱に乗じて駆け出した。その隣を竜は滑空する。

「なんだそいつ連れていくのか?」

「うん」

「拾うなら最後まで面倒見るんだぞ」

「見る」

 広場を抜け、細く入り組んだ通路へと駆け込む。右、左、左、右。どこを通ったのか分からなくなるようにジグザグに。十分に広場から離れ、追手のないことを確認した後、少年は立ち止まった。

「お、降ろせ!」

 肩の上のクリフが暴れる。少年は少々乱暴にクリフを地面へと降ろした。クリフは自分が走ってきたわけでもないのに息を荒げ、蹲った。その頭に竜が留まる。

「……なんで俺を助けたんだ」

「オレに聞かれてもな。聞くならコイツに聞いてくれ」

 見上げる。少年の澄んだ緑色の目と目が合う。少年の顔には表情らしい表情は見られない。それなのにクリフは目を合わせていられなくなって地面に視線を落とした。

「俺はお前たちを引き渡そうとしたんだぞ。それをどうして」

 少年は答えない。代わりに竜がクリフの額をぺしぺしと叩く。

「細かいことをギャーギャー気にするもんじゃねえよ」

 細かくないだろ、とクリフは小さく呟く。

 ため息が自然と出た。

 ドスの利いた子供の声が、暗い道の奥から響いたのはその時だ。

「うるせえぞテメエら」

 闇から現れたのは一人の少女だった。分厚い布を継ぎ合わせたような服に、ボサボサの茶髪。身長は低く痩せぎすだが、髪と同じ色の瞳は猛獣のようにぎらぎらと光り、手に携えた猟銃とともにクリフたちを威圧している。

「軍の奴らに見つかったらどうしてくれるんだ、ああん?」

 少女に同調するように、反対側の通路からも続々と子供たちが現れた。少女と同じように手に手に武器を持っている。

「その銃、もしかしてさっきの銃声は」

「ああ? そうだよ。俺たちだ。だが――」

 少女は自動人形の少年を見た。

「軍の奴らともめてるから助けてみればなんだ。そっちのは自動人形なのか。仮面がないから気付かなかったな、っと」

 少女は猟銃を手慣れた手つきで持ち上げ、少年の首を至近距離から撃ちぬいた。

 少年は首を傾げる。シリコンの外皮ははがれたが、内側の合金には傷一つついていない。

「ちっ、頑丈なやつだな」

 猟銃の銃口が再び少年に向けられる。クリフは咄嗟に少年の前に躍り出ていた。

「待ってくれ。そんな、殺すことはないだろ」

「殺す? 壊すの間違いだろ」

 少女の言い放った言葉に、クリフは言葉を詰まらせた。その通りだ。俺は何を言っているんだ。

「自動人形はな、キケンなんだよ。危ないんだ。分かるか? 俺たちは、俺たちを、守らなきゃならない」

 まるで子供に言い聞かせるように少女は言う。

「キケンじゃない」

 それまで沈黙を貫いていた少年が口を開いた。銃口が一斉に少年に向けられる。少年の頭の上に乗っていた竜も尻尾をゆらゆらと揺らしながら同意する。

「そうだぜ。コイツは困ってる奴を助けずにはいられない甘ちゃんだからな。現にこの兄ちゃんの命を二回も助けてる」

 少女は銃口を少年に油断なく向けたまま、小さな竜を注視した。

「竜が喋った」

「あーあー。ったくどいつもこいつもおんなじ反応しやがって。喋っちゃ悪いか喋っちゃ!」

「キケンじゃない」

 少年は少女に歩み寄り、彼女の手を取った。

 緑色の澄んだ目にまっすぐに見つめられ、少女は目に見えて動揺した。

「キケンじゃない」

 少年は繰り返す。

 少女は見極めるように目を細め、思いのほかあっさりと銃を下ろした。

「……フン。まあいいさ。暴れだしたら壊せばいい話だ」

 言いながら手で何らかの合図を出す。少女の合図に周囲の子供たちも一斉に銃を下ろした。

「着いてきな。悪いようにはしないよ」


 彼らは、下は八歳ぐらい、上は十数歳ぐらいの集まりのように見えた。

 見えた、というのは彼らの年齢がその程度であると判断できる材料が身長以外になかったからだ。子供たちは皆一様に襤褸をまとい、痩せぎすで、それでいてまるで軍隊のように統率されていた。子供らしい屈託のなさのまるでないその様子にクリフは寒気を覚えた。

 警戒心を露わにした彼らの視線に晒されながら、クリフたちは狭い通路を進む。

 通路はまるで迷路のようだった。緩やかな傾斜の道が続いていたかと思えば、突然大きく開けた道に出る。鼠なのか蝙蝠なのか、いたるところで何かがうごめく音がする。どこまでも真っ直ぐに続いているように見えていた通路が、ほんの十フィート先には行き止まりになっていたりもした。

 天井は徐々に低くなり、一定の間隔でつけられていた光源もまばらになる。クリフは頭上の配線類に頭をぶつけないように少し屈みながら進んでいった。

 そうしているうちに、一行は「あなぐら」に辿りついた。

 クリフがぎりぎり立ち上がれるほどの天井。奥には煉瓦を積んで作られた人工的な門。天然の洞窟を改造したようなその場所には至る所に光源が設置され、壁に作られた寝具を温かな光で照らしていた。

 五歳ほどの子供たちが庭と呼べそうな場所で駆けまわっていたが、クリフたちを見た途端、細い通路へと逃げ込んでいく。

 門を抜けると大きな机が一つ。机の上には硬貨の入った麻袋が無造作に置かれ、奥にはこの場所にしては豪奢な作りの椅子(それでもクッションは潰れ、傷だらけだった)が置いてあった。

 少女は椅子にどっかりと座ると、机に足を乗せてふんぞり返った。

「さてと、自己紹介がまだだったな。俺はクク。ここいら一帯を取り仕切ってる「兄弟」の頭領だ。頭を吹っ飛ばされたくないなら、この部屋では礼儀ってやつを大切にするんだな」

「あ、ああ」

 ククの背後に控えた護衛が銃の安全装置を外す。クリフは気圧され、頷いた。少年と竜もそれにならう。ククは満足そうににんまり笑い、指を二本立てた。

「これからテメエらが選べる道は二つ。俺たちの仲間になるか、さもなくば死だ」

「……死」

 少年が繰り返す。竜はククの足先に飛び乗った。

「おいおいおい、そりゃないんじゃないか嬢ちゃん。勝手に連れてきておいてよ」

「嬢ちゃんだあ?」

 銃口がクリフたちに向けられる。

「いやっ、何でもないです」

 クリフは慌てて竜の口を塞いだ。

「誤解するなよ。テメエらを殺すのは俺たちじゃあない。この街だ」

「街……?」

「どんな事情があるのかは知らねえが、テメエらみたいな上等な服を着た「お下りさん」がこの街に放り出されるのは死と同義だからな」

「ちょっと待ってくれ。俺は中層に戻りたいだけで、ここで暮らすつもりなんてないんだ」

「ああ? テメエ軍警に追われてるんじゃないのか? わざわざ中層に捕まりにいくなんて馬鹿なのか?」

「それは……、ちょっとした誤解があるだけなんだ」

「フン。どちらにせよ上に行くには軍の守るエレベーターを経由するしかない。今のままのアンタじゃ通してもらえないだろうな」

「……」

 返す言葉もない。これから何をどうすればいいのかクリフには全く考え付かなかった。

「さあどうするんだテメエら。一時的にでも俺たちの仲間になっておくか、自分の力だけで生き抜いていくか。選べ」

 ククがどんと机に片手をついて尋ねる。

 真っ先に手を挙げたのは少年だった。

「ぼくは、仲間になる」

 言い慣れていないような口調で少年は言った。続いて少年の肩によじ登っていた竜も答える。

「お前がそう言うならオレも付き合うぜ」

「そこのでかいのはどうするんだ?」

 クリフは思案した。彼らがどういう集団なのかは分からない。だが上に帰る術もない今、彼らの仲間になっておくことにメリットはあってもデメリットはない、はずだ。

「……分かった。仲間になる」

 クリフは肩を落として答え、ククはにっと笑った。

「名前は?」

「Vct-01」

「ぶいしーてぃーぜろいちぃ? 長い名前だな。Vでいいだろ。次!」

「オレ、名前ないんだよなあ」

「じゃあチビな。次!」

「……クリフ。クリフ・オルコット」

「クリフか。じゃあ今日からお前はノッポだ」

「なんでだよ! そう長くもない名前だろ!」

「うるせえ覚えやすくていいじゃねえか。おい、こいつらの手錠なんとかしてやりな!」

 巨大なペンチや針金を持った子供たちが洞窟のいたるところからわらわらと姿を現し、クリフの手錠を取り外し始めた。

「V、チビ、ノッポ」

 改めて名を呼ばれ、三人は居住まいを正した。ククは少女らしからぬ威厳をもって両手を広げる。

「これで俺たちは兄弟だ。ようこそ掃き溜めの街「イーストエンド」へ」

 あなぐらの「兄弟」たちから一斉に歓声が上がった。

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