墜落

「起きろ。おい、起きろって」

 チビ竜が小さな手でクリフの顔を叩く。少年はその傍らで彼の顔を覗き込んでいる。クリフは呻きながら目を開いた。緑色の瞳と目が合う。

「生きてる」

 少年はクリフに手を差し出した。助け起こしてくれるつもりらしい。

「あ、ああ……」

 クリフは戸惑いながらも少年の手を取った。少年の手は駆動熱によってほんのりと温かかったが、その感触はやはり人間とは全く違っていた。

 立ち上がり、辺りを見回す。

 狭い通路。足元には黒く湿った土。頭上には張り巡らされたパイプと導線。一応、電気は通っているようで、導線のところどころから垂れた電球がちかちかと点滅している。

「ここは……」

「蒸気都市ロンディニウムの下層の底の底ってとこじゃないか? ほら、オレたちはあそこから落ちてきたんだ」

 見上げると、遥か上方にかすかに光が見えた。

「あんな所から……」

 よく生きていたものだとクリフは身を震わせる。

 少年は肩に留まった竜に問いかけた。

「どうする?」

「ああ、これからか? とりあえず軍の奴らからは逃げられたみたいだしそうだなあ。一つ、この下層で第二の人生でも始めてみるか? オレもオマエも人間じゃないがな! わっはっは!」

 声を上げて笑う竜をよそに、クリフは自らの所持品を確かめはじめる。警邏用のポーチ。ある。ポーチの中身。回転式拳銃、手錠、警棒。ある。身分を証明するためのパンチカードもある。

 全て確認し終えると、クリフはVct-01の手を掴み、その両手に手錠をかけた。

「盛り上がっているところ悪いが、お前たちを逮捕する」

「ええっ! なんでそうなるんだよおまわり!」

「俺は軍警だ。お前たちが軍に追われているのなら、逮捕するのは当然だろう」

「なんだよ、折角助けてやったのに! Vct-01がかばってくれなきゃお前今頃、ぐちゃぐちゃのミンチになってたんだぞ!」

「元はといえばお前らが俺を人質に取ったせいだろうが」

「う……、それはそうだけどよお」

 少年の腕を引いて、クリフは歩き出す。幸か不幸かここは一本道だ。今はこの先に進むしかない。少年は抵抗らしい抵抗もせずに、クリフに着いてきた。

「なあ勘弁してくれよ。オレたちだって馬車の下から助けてくれたことには一応恩義を感じてるんだ。アンタと事を構えたくはないんだよ」

 なんとか説得しようと狭い通路を竜が飛び回る。

「駄目だ。どんな事情があるにせよ、俺はお前たちを持ち主まで送り届けなきゃならない。それが俺の仕事だ」

「そうしてオレたちと引き換えに中層に帰還するって?」

「そうだ」

「現実的じゃない話だな」

 竜はクリフの肩に留まった。

「お前、あの男に見捨てられたんだぞ? 余計なことを知っちまった下っ端一人がのこのこと戻ったところで、よくて除隊、悪けりゃ幽閉なんてこともあるかもな」

「……それでも俺は戻る。あれはやむを得ない判断だったんだ。きっと中将閣下も分かって下さる」

「おお、いやだいやだ。現実を見ない奴はこれだから」

 竜はクリフから離れると、今度は少年の肩に留まった。無駄に抵抗するのは諦めたようだ。薄暗い通路に二人分の足音だけが響く。

「……やけに素直に着いてくるんだな」

「どうせオレたちの行き先もこっちなんでね」

 そう言ったきり、竜は口を閉ざした。耳を澄ませば遠く蒸気機関の音が聞こえるような気がした。だが歩いても歩いても景色は変わらない。昼も夜も分からない地下では時間の間隔が麻痺してしまいそうだった。そうしてどれだけ歩いた頃だろうか。奇妙な三人組は、開けた場所へと辿りついた。

 そこは巨大なドーム状の空間だった。ここまでの道中には雑草の一本も生えていなかったが、ここにはところどころにだが緑が群生していた。高い天井は中層に通じているらしく、光が降り注いでいる。

 ドームの壁にへばりつくようにして、二階程度の階段があった。その上に建つあばら家につけられた紋章に、クリフは安堵の息を吐いた。

「軍警の詰所だ……」


「なんだお前。その服装は軍警か? 所属と名前は」

「クリフ・オルコット二等兵。中層三十六番詰所所属です」

 身分証明書代わりのパンチカードを差し出す。でっぷりと太った責任者の男はひどく迷惑そうにそれを受け取った。

「中層? 中層の奴がなんでこんなところまで」

「色々ありまして……」

「おい、簡易読み取り機が確か詰所にあっただろう。誰か取ってこい」

「はっ!」

 責任者の男が命じると、その部下が慌てて詰所へと走っていった。

 下層の軍警といえば、出世街道から大きく外れた人物が飛ばされる場所だという噂を聞いたことがある。そう考えれば、彼らの反応も納得のいくものだ。

 簡易読み取り機にパンチカードが通され、クリフの情報が刻印された紙がゆっくりと吐き出される。責任者の男はその紙とクリフの顔を交互に見つめた後、クリフの手に手錠をかけた。

「お前な、逮捕」

「は」

「おら、この文字が見えないのか。卑しい死体漁りめ。その服も大方、その辺りで見つけた死体からはぎ取ってきたんだろう。ん?」

 簡易読み取り機から吐き出されたシートがクリフに突きつけられる。その内容に目を通し、クリフは気を失いそうになった。


 クリフ・オルコット二等兵。落盤事故によって死亡。

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