第7話 どうして大きな球体に引きつけられるの?

 夜の静寂を切り裂き、列車と車が線路を疾走する音が響く中、タロと"ママ"は睨み合いを続けていた。


「――で、どうするつもりだい? この状況を」

「……」

 タロは答えない。いや、答えられない、のか。

「あたしには2つ選択肢がある。1つは、このまま小娘の脳天を吹っ飛ばして、小僧も吹っ飛ばして、力づくでウロボロスをいただく選択。2つは、小僧、あんただけを吹っ飛ばして、力づくでウロボロスをいただく選択」

「……どっちにしろ俺は吹っ飛ばされるのか」

「あたりまえさね。じゃあ小僧、あんたにはどんな選択がある?」

 ふぅむ、と顎に手をかけ、考え込む。


「そうだなぁ……それはともかく、あんたには2つしか選択肢がないんだよね?」

「そうだよ」

「どっちにしろ俺を殺すんだよね?」

「そうさ」

「じゃ、なぜやらない?」

「!」


 ――矛盾。


 殺すしか選択肢がないのに相手の選択肢を問いかける。脅しで相手の譲歩を引き出そうとしつつ、交渉の糸口を探っているといえよう。これは、まぎれもない矛盾だ。


「代わりに答えようか」

 タロはステラの手を引っ張り、立ち上がらせる。

「こうなると嫌だから」

「チィ……!」

 そう。タロの欲しいものは"ママ"の手の内にあり、"ママ"の欲しいものはタロの手の内にあるのだ。


「さぁどうする! 時間制限があるのはあんたたちの方だぞ! このまま俺たちが帝国へ着けば、あんたたちは獣刀法違反、その他もろもろの犯罪行為で死罪だ! 大人しくリリィを渡してこの場を去るか、このまま一緒に帝国に行くか!」

「ククッ、さすがに賢しいねぇ、ヒトってやつァ。体は弱っちょろいクセに頭だけは働きやがる」

「そいつはどーも」

「だがね、一つ間違えてるよ」

「ン……!?」

 不穏な空気。完勝を予感していたタロの額に汗がにじむ。


「この場を去るのに、この小娘を渡す理由はないってこった!」

「あ……! しまった!」

 猿たちの車にブレーキがかかり、車間距離が開いていく。


 さらに。


「これでもくらえッキ!」

 子猿が前方の進路上に何かを投げつける。

「やべぇぞタロ!! 前! 前!!」

「どうしたアニキ! 爆弾か!?」


 ――バ ナ ナ の 皮 である。


 機関車の車輪が浮き、線路上をすさまじく横滑りする。その先には、谷があった。


「なーにやってんだい、このバカ息子がッ!! 殺しちまったら元も子もないだろーがッ!!」

 "ママ"は子猿の胸倉をつかみ上げ、ガクガクと揺らしたのち頭突きをかますと、谷に向かってダッシュする。

「あぁっ……ウロボロスが!!」


 一方、ぐちゃぐちゃの車内。タロとステラが荷台から投げ出されていく。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「タロッ!!」

 機関室からホロの手が伸び、タロの手を掴む。


 ――が、機関車ともども谷底に落ちれば詮無い事である。


「NOoooooooooooッ!!!!」

 3人はまとめて谷底に落ちて行く。

「アニキ! 落ちる、落ちる! なんとかして、なんとか!」

「……」

 ホロは早くも腕を組んで胡坐をかき、目を瞑って覚悟完了モードである。

「ア゛ニ゛キ゛ィ゛……!」

 ダメだコイツは、とステラの方を向く。ステラは何が起きているか理解していない様子で、ただ目をぱちくりさせている。

(そうだ、ステラ……!!)


 ステラは、自分が教えた通りに自身の性質を変化させてきた。もしもその力が、自分が思っているより凄いものだとしたら……!!


「アニキ、俺の足に掴まっててくれ!」

「ぬ?」

 ホロはよくわからないまま、空中を泳いでタロの足にしがみつく。


「ステラ……星の話をしよう」

「ほしのはなし?」

 急降下の中、両手を繋いで話し始める。


「この星、グランデは、とぉっっっっても大きな球体です。モノは大きいほど、他のモノを自分に引き付ける力を持っています」

「ふんふん」

「今、ぼくたちはグランデに引き付けられて落ちて行ってます。普段、どこかへ飛んでいかずに、地面に立っているのは、地面に引き付けられているからなのです。その地面がなくなれば、こうやって地面のあるところまで落ちていくのです」

「ふんふん」

「でも、一つ例外があります」

「それは……何?」

「女の子は対象外です」


 その瞬間。


 ドンッ、と重い衝撃波が岩肌をえぐる。翡翠色の光がまばゆく周囲に広がり、ピタッとステラの落下が止まった。


「どわっ!」

 凄まじいGがかかり、あらゆる関節が外れそうになる。が、気合と根性で耐える。

「な……なんだぁ!?」

 ホロが目を白黒させる。タロは笑いをこらえきれなくなった。

「ふふ……ははは……!! あっはっはっはっは! やった! うまくいったぞ! 見た!? アニキ! これがきっと、ウロボロスの力ってやつだよ!!」


 大笑いするタロにステラが疑問を呈する。

「でも、タロ先生。ひとつ、わからないことが」

「ん?」

「どうしてリリィも女の子なのに、地面に引き付けられてたの?」

「あ……えーと、それは……」

「女の子は地面に引き付けられない。なら、女の子はみんな星から飛び出して行ってしまう?」

「そんなことは、ない……かな……ははは」

「……わからない」

 ステラは眉間にしわを寄せて考え込む。


「あーでも、もしかしたら、ちょっとだけは引き付けられてるかも?」

「ちょっとだけ?」

「そう。少しずつね、少しずつ」

 すると、パラシュートのように少しずつ、ふわふわとステラも落下を始める。やがて、谷底にたどり着いた。


 ――予想外の声が、あった。


「あのぅ……これはいったい、どういうことなのでしょう……」

「!?」

 声のした方を振り向くと、ケープを羽織った妙齢のヒト女性が、ランプ片手に訝し気にこちらをうかがっていた。青いロングヘアが天の川のように美しく、眼鏡が知的。その姿からはステラやリリィとは全く異なる印象を受ける。

「ど……どうしてこんなところに人が? それも、こんな真夜中に……」

「それはこちらのセリフですわ。私の家はこの近くにあるのです。夜眠っていたら突然何かが落ちてくる凄まじい音がして、慌てて外に飛び出してみたら……なんだか足がふわふわしてとても歩きにくいじゃありませんか!」

「……えぇぇぇぇぇぇっ!?」


 想定外だ。適当に言ったあの一言が、まさか他の人にまで影響を及ぼしているとは。ステラの力――いったい、どこまでのものなのか。


「ステラ……」

 訂正しようと向き直るが、ふと思いとどまる。待てよ……自分は今、女の子は対象外だと言って、現にステラが落下するのを止めてしまった。つまり、事実としてそれは彼女の身に起きたのだ。その事実を否定するようなことを言ってしまったとき、彼女の身に何が起きるのだろうか。何も起きないかもしれないし、大変なことになるかもしれない。念のため、事実は曲げずに事態を鎮静化させることにする。

「ステラ。さっきの地面に引き付けられないって話だけど……実は、帝歴10000年――記念すべき今日、この夜、この満月がちょうど今、雲に隠れるまでの一瞬だけ起こる奇跡だったのだよ……」

 我ながらなんというデタラメだろうか。


 すると、ケープの女性もしっかりと地に足がつくようになった。

「わっ。……これは?」

 訝しむ女性。タロはへへへ、と笑ってごまかす。そこへホロが割って入った。

「目ぇ覚まさせて悪かったな、ねーちゃん。俺たちゃあの……列車”だった”モノに乗って帝国に向かう途中だったんだが、事故で谷底に真っ逆さま。で、このザマよ」

「まぁ……それは大変でしたね。それにしてもよくご無事で……」

「一晩泊めちゃくれねーだろうか。朝には出ていく」

「え、えぇ……そうですね。どうぞ」


 タロがホロに耳打ちする。

(ちょっとアニキ! いきなり無理言い過ぎじゃない!?)

(バーカ。男はこれくらい押しが強くてナンボよ。現にOKもらったじゃねーか)

(でも、迷惑じゃ……)

(相手がいいっつってんだからいいんだよ)

 ブーたれるタロの肩にガバッと腕を回し、ホロはおらいくぞ兄弟、と、のっしのっしと歩き出した。


 *


 女性の家は、洞窟の中にあった。


「いや、まぁ、こんなとこに青い屋根の綺麗な一軒家があるとは思っちゃいなかったけど……」

「シッ!」

 あけすけにつぶやくホロを諫める。しかし想像していたのと違った、というのはタロも同感だった。目の前の女性はいかにも帝都の大図書館で優雅に働いているのが似合いそうな、実にお上品で文化的な出で立ちと佇まいだ。まさかこんな文化の香りとは程遠い中で暮らしているとは。


「お茶でも淹れますね」

「あぁ、いいよ、おかまいなく。真夜中だし気にすんな。俺たちゃその辺で転がってるから、あんたも寝室で寝てきたらどうだい」

 気を利かせようとする女性を制してホロが言う。が、女性は首を振った。

「いえ、もう眠れそうにありませんので……」

「俺も仮眠済ませたとこだし、目ェ冴えてるからいいかな」

 タロも便乗する。まったくこのガキャ。気が利くんだか利かないんだか。ホロは頭をクシャ、とひとかきする。

「じゃ、一杯いただこうか」


 岩を削って作られたテーブル席に座る。尻がひやりと冷たい。これをかけてください、と女性が布掛けを差し出す。あったかいお茶をいただいて、ようやく激動の夜に一息がつけた。

「……アニキ、あいつらはいったい? なにがあったの?」

「俺にもわからん。クソ猫がちゃんと面倒見てるか気になったから家に行ってみたら、すでに押し入られた後だった」

「リリィ……そうだ、オヤジさんたちや兎姉妹は?」

「無事だ。兎姉妹はスヤスヤと眠ったまま。被害といやオヤジさんが腰ぬかしたくらいだな」

「そっか、よかった……」

 タロは力ない”よかった”を絞り出す。いうまでもなく、リリィが気がかりなのだ。

「そう気落ちすんな。クソ猫はあちらさんにとっちゃ交渉カードだ。無碍にゃするまい」

「そう……だね」


「しかし、この嬢ちゃんはいったいなんなんだろうな」

「わかんない。あいつらは"ウロボロス"とか言ってるけど……」

「ウロボロス?」

 ふいに、静かにお茶を飲んでいた女性が割って入った。

「なにかご存じなんですか? えーと……」

「申し遅れました。私、ここで地質調査や天体観測をしております、アドナ、と申します」

「あ、こちらこそ先に名乗らずすみません。僕はタロです。レディエントから来ました」

「まぁ、あの自由都市の」

「俺はホロ。で、こっちは……」

 振り向くと、ステラは出されたお茶を飲んでいいかどうか逡巡していた。

「……ステラ、そのお茶は飲んでもいいよ」


「……で、アドナさん。ウロボロスのこと、何か知っているのですか?」

 タロが話を戻す。

「えぇ……では一つ、やってみせましょうか」

「やってみる?」

 アドナはおもむろに立ち上がり、パチンと指を鳴らす。すると、部屋中のランプに一斉に明かりが灯った。

「え……!? ど、どういうこと!?」

 驚く一行。アドナも一瞬、自分でやっておいてあっけにとられたような顔をしたが、すぐ平静に戻って言う。

「おとぎ話のとおりですわ。大いなる星の力……ふふ、趣味で古代史を勉強したり、古文書を読み漁っているうちに、簡単なのはできるようになっていました」

「す……すげー……」

 タロが目を輝かせていると、静かにお茶を飲んでいたステラが何かに得心がいったように声をあげる。

「あ……わかった!」

 皆の視線がステラに行く。


「どしたの? ステラ」

「タロ、ホロ、さっきからアドナのお胸、チラチラ見てる。でも、ステラのお胸は全然見ない。大きな球体に引き付けられてる、ということ……わかった」

「「い゛っ!」」

 二人してギョッとする。素早くホロがポンポンと頭を叩きに行く。

「こらこら嬢ちゃん。いけねーなぁそんな適当なこと言っちゃ。全然見てねーし? なぁ、キョーダイ!」

「あ……あぁ! 見てない、見てないよ!?」

 絶対正解なのに。ステラはムッと頬を膨らます。

「見てた。ゼッタイ見てた!」


 やがてこらえきれず、アドナはクスクスと笑いを漏らす。


「あっ……大変失礼しました! 見てない、ホント見てないッスからね!?」

「いえいえ、お気になさらず。男の子ですものね」

 やめてくれ。その"気づいてたよ"は心に刺さる。

「それよりタロさん。その子には帝国物理学を教えてあげているのですか?」

「え? まぁ、教えたって程でもありませんけど……」

「質量の大きなものに引き付けられる。つまり"重力理論"ですね。それは真実ではありません」

「……え?」


 アドナは少し逡巡して、自分の中で納得するように頷くと、言った。

「外へ出てお待ちください」


 *


 タロたちが外で待っていると、アドナが大きな天体望遠鏡を、荷車に乗せて出てきた。

「お待たせしました」

「天体望遠鏡ですか、それ」

「ふふ、自慢の逸品です。どうです?」

「とても……大きいです」

 本当に大きい。タロの家にも市販しているものは置いてあるが、それとは比較にならない大きさだ。アドナはそれを適当な所に設置すると、方向や倍率を調整し、レンズを覗くように促す。最初にタロが覗いてみた。


「こ……これは……!!」

「どしたい、タロ」

「星が……めっちゃよく見える!!」

「どれどれ、俺も……おお! すげーなこりゃ。Uー77星がこんなくっきり見えやがるとは」

 U-77星は、ヒトが今の技術力で観測できる最も遠い星だ。タロたちが感動に浸っていると、アドナは少し望遠鏡の向きを変えた。

「さ、それではこちらも見てみてください」


「どれどれ、今度は何……」

 ハッ、と、息をのんだ。


 宇宙空間に、まるで切り取られたかのような巨大な大地が浮かんでいる。


「な……なんじゃこりゃ!?」

「私は、それを"レンヌ・ル・シャトー"と名付けました」

「レンヌ・ル・シャトー……?」

「タロさん。帝国物理学では、星はどうなるはずでしたか?」

 そうだ。星はその重力によって球体を形成するはず。小さな彗星ならともかく、あんな巨大な星が、あんな削り取られたままのような姿をしているのはおかしい。


「私は、これが重力理論に対する反証と考えます」

「でも……じゃあいったい、僕たちはどうやってこの星にくっついているというんです?」

「……"表面重力”<ひょうめんちょうりょく>、です」


 衝撃の新単語が飛び出した。

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