第8話 表面重力って何?
表面重力<ひょうめんちょうりょく>――曰く、それは『物質の表面に働く、付近の物質をその物質の表面に引き付けようとする力』のことだという。なるほどこの論に従うなら、星は球体である必要がない。物質を引き付けるのは物質の表面なのだから、あの星空の彼方に浮かぶ"レンヌ・ル・シャトー"が平面体であることにも理由が付く。それだけではない。
「……ということは、地底世界もあるかもしれないってこと!?」
「はい。私はその可能性もあると考えています」
タロの問いに、アドナは迷いなく答えた。
「マ……マジか……」
重要なのは表面積である、ということは、中が空洞でもよいということだ。
「やっぱり……やっぱり父さんは間違えてなかったんだ!!」
たまらず叫び出すタロに、アドナは目を丸くして聞き返す。
「父さん……?」
「はい。僕の父さんは学者だったんです。”地底世界はある”って主張していたけど、学会からは総スカンくって……結局認められないまま、亡くなってしまいました」
「まぁ、それは……お気の毒に……」
「でも、こうして父さんの正しさが証明された。アドナさん、すごいですよこの発見! アドナさんも学会で発表しましょうよ!」
鼻息を荒くするタロ。しかしアドナは対照的に冷めた様子で首を振る。
「ど……どうして?」
「……今、私が声をあげたところで、おそらくタロさんの御父上と同じ運命だから、ですわ」
「どういうことです……?」
まだ幼いタロには理解できない。
「タロさん。正しいことを言えば全て受け入れられる、というのが世の中ではありません。科学の世界も所詮は権力争い。力のない者が大きなことを言っても潰されるだけです。それに政治的な都合で封殺されることもあるかもしれませんしね」
「それって、どういう……」
「ヒトにはいろんな負の感情がある、ということです。世界に一台しかないこの天体望遠鏡を破壊しに来られてもたまりませんし、下手をすれば命を取られるかも……だから、いいんです」
寂し気に微笑むアドナ。
だがせっかく盛り上がった気持ちに水を差されたタロはこれでは納得がいかない。
「じゃあ、どうしてアドナさんは僕たちにこれを教えてくれたんですか? あまり他人に知られたくないことなんじゃ?」
「それは……」
アドナの狙い。それは、"止まった世界"に一石を投じ、波紋を起こし、波を起こし、そして抗いようもない大きな渦を発生させることだという。つまり、こうしていかにも害のなさそうな純真な子どもたちに自分の主張を教えていき、各地で噂され、それが大きくなり、やがては世界のメインストリームになることを目論んでいる、ということだ。なんとも確実性がなく、気の長い話ではある。
*
なんとなく話が終わり、タロとホロは二人、地面に座りこんでいた。少し離れて後ろでは、ステラが望遠鏡を覗き込んでいる。アドナはその近くでニコニコとあれこれ解説をしてくれている様子だ。
「フー……正直俺の頭じゃ、ねーちゃんの言ってることは半分もわかんなかったぜ」
「はは、アニキはおおざっぱだかんな」
「でも、お前のこたァわかるぜ。お前、行く気だな?」
「……」
タロは昔、父に憧れ、父と共に地底探検に出かけることを夢見ていた。しかしその父が夢破れるとともに、自身もその夢を封印し、鉱員としての生活に明け暮れた。だが再びその夢に希望の光が見えたのだ。"地底世界を探したい"。
一人だけなら迷ったかもしれない。しかし今はステラがいる。あの子の故郷かもしれないのなら、探さない手はない。
――というか、あの大穴がそうなのか? 普通に考えて、そうだよな。大冒険の始まりかと思ったが、帰ったらもう終わりかもしれない。
まずはステラを無事に帝国に送り届け、安全を確保しよう。次に憲兵さんに言って、あの大猿どもを捕えてもらおう。リリィも助けなければならない。それらが終わったら、レディエントに戻ろう。装備を整えて鉱山のあの大穴に挑戦だ。
そんなことをホロと横に並んで話していると、突如ホロとの間に青い垂れ幕がかかり視界が遮られた。見上げるとアドナの端麗な顔がこちらを見下ろしている。
「あの~……それは、やめたほうがいいと思いますわ」
「……どういうことです?」
「すみません、盗み聞きするつもりではなかったのですが。距離が近かったので、いろいろと聞こえてしまいました。聞くところによると、その悪い大猿たちは"ウロボロス"といってあの子を捕まえようとしているのでしょう?」
「えぇ、まぁ……どういう意味なのかはわかりませんけど。ステラがウロボロスを使えるから……ウロボロスを使えるヒトが珍しいから、捕まえて何かに利用しようとしているのかな。そういう意味だと、アドナさんも危ないってことになっちゃうのかな?」
「えぇ。まさにその通りですわ。私がこうして人里離れた谷底にいるのは、研究を邪魔されないため、という意味もありますが、"ウロボロス”を狙う連中から身を隠すためでもあります」
「……それって?」
「つまり……帝国の中にもその力を狙う者はいる可能性がある、ということです。うっかり渡せば、そのまま永遠の別れになってしまうかもしれませんよ」
「そ……それは……嫌だ!」
唇をかむタロ。見かねて、反対側からホロが口を出す。
「じゃあ、俺たちもあんたと一緒にこの谷底でひっそり暮らせばいいってのかい、ねーちゃん」
「いえ……帝国に行くことはオススメいたしませんが、タロさんの行動全てを否定するつもりはありません」
「と、いうと?」
「地底世界、行ってみませんか?」
「!」
驚きに目を見開くホロたち。
「どういう……こった?」
夜風が谷を吹き抜け、嘶きをあげる。一呼吸おいて、アドナは言葉を紡いだ。
「タロさんも行ってみたいのでしょう? 地底世界。私も常々、同じことを考えていました。もし地底に文明があったなら、もし地底がステラさんの故郷だとするなら、そここそが私や彼女の安住の地になるのではないかと、そう思うのです」
「ま……一理あるかもな。でも、なかったら?」
「そのときは諦めて戻って来るだけですわ」
「そーなるか」
タロが声を挟む。
「いやちょっと待って。行くのはいい。それはいいんだけど、行くにしても、このままってわけにはいかないよ。リリィが大猿たちに捕まってるんだ。あいつらとの決着をつけるのが先だ」
「そらそーなるわな。でも、勝ち目はあるのかい、キョーダイ」
「うーん……相手はバズーカなんて物騒なもの持ってるからな……それに数も多い」
「ま、雑魚ばっかだけどな。多勢に無勢っつー意味だと、そうかもな」
「油断しちゃダメだよアニキ。今回は素手だったかもしれないけど、あいつらも武器を持ち出さないとは限らないんだ」
「おっしゃるとーりで」
うーむ、と唸る2人。そんな2人に、アドナが提案した。
「心強い味方が必要なのですね? では、明日"彼女"に会いに行ってみましょうか」
「"彼女”?」
「この谷底に、私以外にいるもう一人の住人にして、おそらく世界最強の獣人――”ドラゴニア”ですわ」
*
翌朝。
ヒュンヒュンヒュン、と、プロペラの回る音がする。上空から、飛行船が降りてきていた。投下されたロープを素早く登り、"ママ"を先頭に猿たちが次々と乗り込む。のしのしと通路を行く"ママ”は、出迎えの船員に怒鳴り散らした。
「えぇい忌々しいガキどもだ! お前たち、出撃準備だよ持ち場につきな!」
言いつつ、後ろ手に掴んでいたリリィを突き飛ばして船室に放り込む。倒れこんだリリィは起き上がると、ドアをドンドンと叩いて叫んだ。
「ちょっと、何するのよ! 出して! ここから出して!」
「やかましい! 小僧どもと決着がつくまではアンタはここの居候だよ。息子たちが趣味で変な服を着せちまったようだが、そんなんじゃ作業にならない。さっさと着替えな」
「作業……?」
部屋の中を振り向くと、布団の上に綺麗に折り畳まれた服があった。広げてみると、着物と、フリルのついたエプロンだ。
「な、なにこれ。これ、着るの……?」
結局のところ、ゴスロリドレスと趣味の方向性が一緒の気がする。
「早くしな!」
ドアの外でイラつきながら"ママ"が叫ぶ。
「って言われても! 私、着物なんて着たことないし。着方わかんないよ!」
「なにぃ?」
"ママ"は目を丸くすると、部屋に入ってきた。
「まったく最近の若いモンは。着物の着方一つ知らないのかい」
「きゃ! ちょっと待って! 自分で脱ぐからっ!」
"ママ"はゴスロリドレスを強引に剥ぎ取ると、テキパキと着物を着せていく。最後に思い切り腰紐を締め上げられると、ぐぇっ、と、空気が絞り出されるような声が出た。
「働かザルもの食うべからず。ウチの掟だよ。さっさと働け!」
「え……えぇ~……」
「逃げようったってムダだからね。地上50mの高さから飛び降りても無事でいられる自信があるなら止めやしないが」
"ママ"はフンと鼻を鳴らすと、ノシノシと渡り廊下を歩いて行った。
飛行船後部の発着場では、7羽の獣人がスタンバイを完了させていた。
――鶏の獣人 シャモ。
"ママ"が騎乗するにふさわしい、巨大な鶏だ。燃えるように赤い髭が顔中を覆い、厳つい顔つきの"ママ"に負けず劣らずの強面である。
「I Can Fly!!」
シャモはダダダ、と助走をつけると大空へ羽ばたいた。
後に続き、子猿たちも発進する。サルーン、ラサール、美猿、岩猿、気化猿が飛んでいき、最後に遅れて最も体格の小さな魔猿が、あまりものの小さな鶏"プリマ"に騎乗した。
「クーッ、出遅れちまったッキ! まーた余り物のお前ッキか! さっさと出るッキ!」
美しい白髪には中央に真っ赤なメッシュが入っており、後ろ髪を高い位置で結って大きなポニーテールにしている。背中には天使のような羽が生え、お尻からは背中が見えなくなるほどの毛量の多い尻尾がフサフサと茂る。真っ白なブラウスとモコモコのカボチャパンツに身を包んだプリマは、魔猿にバシバシとお尻を叩かれて、涙目でノタノタと走り出した。
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