第5話 眠るってどういうことなの?

「オッスアニキ、お疲れ!」

 鉱山の通路でホロの姿を見つけたタロは、すれ違いざまにパァン、とハイタッチを交わした。


「なんだい、ずいぶん早くに来ちまったんだな。彼女とうまくいかなかったか?」

「ちげーよバカ! なんだかんだでリリィの家に預けることになったから、その足で来ておいたの! ちと仮眠してくる!」

「今日は寝坊すんなよ」

「うっせ!」

 そんなやりとりを数語交わし、タロが仮眠室へと入って行くのを見送ると、ホロはやれやれと肩をすくめた。

「……あのおてんばクソ猫の家にねぇ」


 ――日付が変わった。


「ふぅ……ようやく寝かしつけられたわ」

 イアとアーシェを寝かせた部屋からぐったりとしたリリィが出てくる。

 ステラは不思議そうに部屋の中を覗き込み、疑問を投げかけた。

「動かなくなった」

「寝たのよ」

「寝た?」

「体を休めて体力を回復させるの。私たちも寝るわよ。私の部屋来なさい」

「……ジッとしてればいい?」

「まぁ……そうね」

「いつまで?」

「普通は、日が昇るまでかな」

「OK」


 やれやれ。本当に何にも知らないんだから。

 部屋に入ると、リリィは床に布団を敷いてやった。

「ほら、そこに寝なさい」

「こう?」

 ステラは大人しく従う。

「そうそう、じゃ、明かり消すよ」

 フッと息を吹きかけ、蝋燭を消す。部屋の中が完全な暗闇に包まれた。


 兎姉妹と違って、こっちは大人しくて扱いやすいから助かる。

 静寂の中、リリィはすぐにウトウトとしだした。

(――ん?)

 ふと違和感を覚える。


 人の気配がしないのだ。まるで部屋にいるのは自分一人だけという気がする。

 夜目が効く猫目をそっと開け、様子をうかがってみた。


 ――瞬間。


(ヒェッ……)

 ドキンと心臓が跳ね上がり、眠気が覚めてしまう。

 ステラはぱっちりと目を開けたまま真顔で、リリィの方を見つめていた。

「……ス、ステラ。寝るっていうのは、目も閉じるのよ」


 *


 一階の夫婦の寝室では、リリィの父と母が床に就いていた。

 ふいに、コンコンと戸を叩く音に目が覚める。

「……ん? なんだい、こんな時間に」

「タロちゃんが戻ってきたのかも。あんた、見てきておくれよ」

「えぇ~……君が見てきておくれよ。僕は明日も朝早いんだから……」

「なんだい、文句あんのかい?」

 ギロリとかーちゃんに睨まれた親父さんは、蛇に睨まれた蛙のようになった。

「……チェッ。面倒なことはいっつも僕だよ。うー、さむっ」

 親父さんはぶつくさ言いながらガウンを羽織り、部屋を出ていった。


 のそのそとゆっくり廊下を歩いていると、だんだんノックの音が大きくなってくる。

 コンコン、コンコン。コンコンコン、コンコンコン。ゴンゴンゴン、ゴンゴンゴン。

(おいおいおい、夜中に何やってんだい。子供たちが起きちまうだろ)

「はいはい、今開けるから静かに」

 親父さんが扉を開けると、そこには――


 真っ黒なスーツに身を包み、シルクハットを目深く被った、7つの影。


「なっ……? なんだい、あんたた――」

 親父さんが言い終わらないうちに、その中でも最も大きな個体が彼を押しのけ、強引に家の中に押し入る。

「ちょっ!? 何すんだっ……!」


 ――ピクン。


 ドカドカと階段を駆けあがってくる音にリリィは獣のカンで身構えた。

(えっ、何!?)

 バタン。寝室の扉が乱暴に開け放たれる。


「――いない」

「えぇっ?」

「ママ、本当にここなの?」

 ”ママ”と呼ばれた大きな個体は、くんくんと部屋の中を嗅ぎまわると、猛然と窓に向かってダッシュし、屋根を見回すと叫んだ。

「いたァッ! お前たち、あそこだ追いなッ!」


「見つかった……ゲッ! 追いかけてくる。なんなの、あいつら!?」

 まさかとは思いつつも、とっさにステラを連れて屋根の上に逃げ出したリリィ。

 しかし本当に追いかけられるとは想定外だ。

 黒い物体がわらわらと追ってくる。なかなかに器用な動きだ。この町にヒトは、タロの他には数えるほどもいない。わかっちゃいたがあれも獣人だろう。

「ステラ、しっかりついといでよ!」

 リリィは四足歩行に移行し、目にもとまらぬ俊敏さで屋根の上を走り抜けていく。


 さっと後方に目をやると、案の定、ステラはまったくついて来れていなかった。

(あちゃ、やっぱだめか。人間だものね)

「ほら、しっかりしがみつくのよ」

 背中を差し出し、ん、と促す。追いついてきた黒服たちに捕まるすんでのところで再度猛ダッシュすることに成功した。


 本気で走る彼女に追い縋れる者など兎姉妹くらいしかいないが、さすがに人ひとり背負えばガクンとスピードが落ちる。

 だが、かろうじて建物の屋根を飛び移ることはできる。黒服たちもそこそこ素早かったが、これくらいならなんとか逃げおおせることができるかもしれない。


「ねぇ、アンタ本当に何者なの? アイツらは何? なんで追われてるの?」

 風を切って走りながらの質問攻め。だがステラは目を閉じてジッとしている。

「ってこらぁ! 寝るのはおしまい! おーわーりっ!」

「でも、まだ日、昇ってない……」

「寝ていいのは邪魔が入ってないときだけ! 邪魔が入ったら起きるの! OK?」

「OK」

 前言撤回。本当にもう、世話が焼ける。


 ――リリィ家の玄関先。


 未だ事態の呑み込めない親父さんが尻もちをついたまま茫然としていると、またもやのっそりと黒い影が現れた。

「ヒッ!? 何だ、また……ンッ? キミは……」


 *


 疾走を続けるリリィ。向かう先は――鉱山。

 なぜ鉱山なのか自分でもよくわからないが、気付いたら無意識にそこへと向かっていた。

(――やばい)

 突如、足がもつれて二階の屋根から路地裏に転げ落ちる。人ひとり背負って走るのは、さすがに体力の限界だった。

 運よくゴミ袋の山に着地し事なきを得る。

「いったぁ~……ステラ、だいじょ――!?」

 ステラはこともなげに立ち、路地裏の出口を塞ぐように前からやってきた黒服たちをジッと見つめていた。


「ステラッ! 離れてッ!」

「おおっと、そうはいかねぇな」

 叫んだ瞬間、既に黒服は彼女の腕をガシッと掴んでいた。

「は・な・れ・ろぉっ!!」

「ぐべらっ!」

 凄まじい衝撃。壁を伝いながらの全力疾走。リリィの全霊の体当たりを喰らい、黒服は数メートルもふっとんで地面をゴロゴロと転がった。


 にわかにあわてふためく黒服たち。

「い、いいいいきなりなにするんだッキ!」

「ひどいわ! YたちがなにをしたってYou Know!?」

(はぁ? なに……? 何なのコイツら?)

 みょうちくりんな喋り口に思わず眉を顰める。


「いってェ~……ゲホッ、ゴッホ、ゴーギャン」

 吹っ飛ばされた黒服が咳込みながら上体を起こす。

 他の黒服たちがその個体のもとへとあわてて駆け寄った。

「おい、大丈夫か魔猿<まさる>!」

「まったく、なんてェ女だッキ……!」


 立ち上がった個体のシルクハットがポロリととれ、その下から、落書きのような適当な猿の顔が浮かび上がった。


「さ、猿の――獣人……?」

 ”魔猿”と呼ばれたその男は、上着を脱いでネクタイをシュルリとはずすと、バキッボキッと肩や拳を鳴らしながら近づいてきた。

「いいぜ。UがYとやりあう気だってなら、まずはその元気をぶったたく!」


 ――グランデランキング 77位 猿の獣人 魔猿。


「気持ちよく眠らせてやんぜェェェェッ!!! ペヤアアアアンッ!!!!」

 叫びながら猛然とリリィに殴りかかってくる。


 敵の数は6体。

 こちらは細い通路に挟まれ、前方の出口を敵に、後方をごみ山と壁に塞がれた、絶体絶命の状況だ。


 リリィの頬を、一筋の汗が流れた。

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