第2話 どうして人は働くの?
「ステラも、おなかすいたとか、眠いとか、寒いとかいう概念はあるよね?」
「……?」
「そ、そこからか」
タロは丘の家から、眼下の町に向かってのんびり歩きながらステラに説明を始めた。
「いいかステラ。人が生きてくためには衣食住の三つが必要だ」
「衣食住……」
「そう。一つめは、衣。着る物のことな。獣人は毛がもさもさだからそんなに必要ないんだけど、俺たちヒトは毛があまりないから、こうやって服を着ないと寒いときに体調を崩してしまう」
「着る物は、必要。OK」
ステラはマントやチューブトップをさわさわと触って確認した。
「ヒトにはあまり毛、ない。でも、どうしてここだけ毛、あるの?」
「うん? うーん……? そんなこと考えたこともなかったなぁ……」
ステラは髪の毛をいじりながら、腑に落ちないと言った顔をする。
彼女に落胆されるのは何だか凄く嫌な気がした。タロは意地になって考えた。
(考えろ……考えろ、俺! 何か……何かそれっぽい記憶は……)
「あ! そうそう、そうだった。進化論だ、進化論!」
「進化論?」
「昔、習ったのを思い出したよ。便利な考え方でね、”そういう種が生存競争で勝ち残った。”その一言で何でも片付くのさ」
「生存競争……」
「つまり、毛がやたらと伸びると何が起きるか? って考えてみるんだ。まず、毛を作るためにエネルギーを使う。これが食料のない過酷な環境では不利に働く。寒い時に暖かいのはいいけど、暑い時に邪魔、っていうのもある。ヒトはせっかく二足歩行して指先が器用に進化したんだし、寒けりゃ他の動物からとった毛皮を着こめば事足りたんだ。たぶんその流れで、毛が薄い奴が生き残っていったんだ」
「ここの毛は?」
「う~ん、そうだな……髪の毛は、あれだ。頭には直射日光をモロに受けるから、そこだけは毛で守らないといけなかったんだよ」
「おぉ~……タロ、すごい。何でも知ってる」
「へへ、何でもは知らないよ」
ステラは羨望の眼差しでタロを見た。やったぜ。
石ころを蹴りながら次の説明に入る。
「二つめは、食。さっきステラもシチュー食べたろ? 生き物が生きてくためにはモノを食べてエネルギーを補給することが必須だ」
「補給しないと、どうなるの?」
「死ぬ」
「死ぬって?」
「えーっと……全ての活動が停止して、二度と動かなくなる」
「今、補給してない。でも、動いてる」
「あはは、さっき食べたばかりじゃん。一、二週間程度なら無補給でも死ぬまではいかないよ」
「食はときどき必要……OK」
「うん、まぁそういうこと」
「三つめは、住。つまり住むところ。今出てきた俺の家もそうだけど、寝る時なんかの無防備な時間を安全に過ごすため、雨風をしのぐためなどなど、とにかくいろんな意味で身を守るために住むところは必要だ」
「寝る?」
「人は一日に一回寝る……つまり、半分活動を停止して体を休めなきゃ、疲れがたまって何にもできなくなっちゃうんだ」
「半分死ぬの?」
「はは、面白い表現するなぁ、ステラは。半分死ぬ、か。でも大丈夫、数時間でまた動き出すから」
「人は一日に一回寝る……そのために住が必要。OK」
「よしよし、ものわかりがいいな、ステラ」
タロはポンポンとステラの頭を叩く。そうこうしているうちに草木ばかりの街道はいつしかとぎれ、文明の香りが一面に広がるレンガ造りの建物の森にたどり着いた。
「住。住。住」
ステラが建物をあっちこっちと指さす。まるで子供がはしゃぐようだ。
(かわいいのぅ)
思わず緩む頬をペチンと叩き、タロはステラの手を引っ張った。
「よし、じゃあタロ先生の特別授業を始めるぞ! ステラ、こっちだよ!」
*
「おやっさーん! こんちゃっす!」
「お? お~、タロか。どした昼間っから」
タロは脚立の上にまたがり、建築中の家の壁にレンガを積み上げている獣人のおっさんに声をかけた。
おっさんがするすると脚立を下りてくる。
「あぁ、ごめん。別に作業止めさせるつもりじゃなかったんだけど」
「ガハハ、細けーこたぁ気にすんな。で、なんだその子は? お前のコレか?」
「タロ、コレって何?」
おっさんは小指を立ててタロをからかう。それを見てステラも真似て小指を立てた。
「おやっさん! からかわないでくれよもう!」
「ガハハハハ!」
「ほい、これ差し入れ」
「おう、わざわざ差し入れもってきてくれたんかい、わりーな」
おっさんは豪快にタロから茶菓子を奪い取り一口、二口で食べ、飲み干した。
「ぷふーっ! 生き返らぁ~!」
「で、お願いなんだけど、今この子と社会見学中なんだ。ちょっと見てっていい?」
「ぶはっ! てめぇ食わせた後でお願いたぁ汚ねぇぞ!」
「うしし。んじゃ俺たちその辺で座って見てるから」
タロはステラを座らせ、その隣に自分も座った。
「ステラ、なぜ人が働くのかって聞いたよな。これがその答えの一つだよ」
「住を作るため?」
「まぁ……表面的には、そう。もう一歩先に踏み込んでみようか」
「人には住が必要。だから作る」
「いいね! んでんで?」
「自分の分ができたら、次は住が欲しい人にあげる」
「エクセレント! じゃあ今度は立場を変えて考えてみようか」
「立場?」
「そう。見てみなステラ、おやっさんを。あんな高い脚立に座ってすいすいと作業してさ。レンガ積むのもスゲー早いよな。あれ、真似できるか?」
「できない」
「俺にもできない」
「おやっさん、タロより、すごい?」
「えっと……」
それはそうなのだが、彼女に対してそれを認めるのはなんだか悔しい。
「ゴホン。人には専門技術というものがあるんだ。おやっさんはああやって何年も家を建てること一筋で頑張ってる。その道では人より優れているのは当然というもんだ。俺は建築家じゃなくて鉱員だからな、得意分野が違うのさ!」
「鉱員……タロ、山の中、いた」
「そうそう。こういう建物とか、家具、乗り物といった、人の使ういろんな物の材料となる、硬いものを取ってくる仕事さ」
「タロ、親方に怒られてた」
「……」
「あ痛っ!」
慣れないギャラリーに緊張したおやっさんが指を打ったらしい。
「あっ! やべぇ! タロ、危ねぇーっ!」
「ん? おっと」
タロが見上げると、レンガのブロックが落ちてきていた。ステラを庇い、右手で打ち払う。
ボゴン、と音を立て、レンガがはじけ飛んだ。
「わ、悪りぃタローッ! 大丈夫かァーッ!?」
「おーっ、心配すんなおやっさーん!」
「ホッ、なら安心」
タロが手を振って無事をアピールすると、おやっさんはしれっと作業に戻った。
「……コーボーも筆の誤り、猿も木から落ちる」
「??」
「つまり、どんなに凄い人でもミスすることはあるってこった! わかるか? ステラ」
「タロも穴から落ちる……OK」
「うまいこと言うな! ……ゴホン。話を戻そう」
「でな、あのおやっさんは家を建てるスキルに特化してるから、他の事はあんましできないんだ」
「衣、食がない」
「そうだ。じゃあどうすればいいと思う?」
「住をあげるかわりに、衣、食をもらう」
「さすがステラ! 察しがいいねぇ!」
タロは満面の笑みでわしゃわしゃと頭を撫でた。ステラも釣られて笑みがこぼれる。
(おおっ……? ステラの笑顔、初めて見た。か……かわいい……)
ステラは得意になって続けた。
「住をあげるとき、かわりにカラカラ、もらう。衣、食をもらうとき、かわりにカラカラ、あげる。タロ、コリンをもらうときにカラカラ、あげてた」
「そうだ! 働くってのは、つまりそういうことなんだ! さすテラ! くぅ~、もうお前に教えることはない! 卒業だっ!!」
「タロ……先生。まだ、わからない」
「ん?」
「タロのモノはステラのモノ……それは、なぜ?」
「あぁ……んっと……それはなぁ……」
返答に困った。それは労働とはまた別のテーマだ。
そのとき、背後から不意に女の声がした。
「あれっ……タロ? 何してんの、こんなトコで?」
「ん? ……お~、リリィか。おっす!」
ステラの細い声とは違った、気が強い声だ。
タロは振り向き、右手を上げて挨拶した。
リリィ。
猫の獣人で、タロやホロの幼馴染だ。
「つるつる……もじゃもじゃ? どっち?」
「ははは、ステラはまだ会ったことないタイプだったな。紹介するよ、彼女はリリィ。半人半猫のハーフ獣人さ」
「ハーフ獣人……」
「な、なによ、この子」
ステラはリリィに近づくと、まじまじと無遠慮にその姿を観察した。
顔はヒトに近いが、耳は高い位置にありずいぶん大きく、毛におおわれている。
体は基本的には毛が生えていなかったが、手足には毛が生え、肉球があった。
背後を観察すると、スカートの上部に開いた穴から元気に飛び出した尻尾がぺちぺちとステラの顔を叩いた。
「???」
ステラは尻尾を掴もうと手を伸ばすがまったく動きが捉えられず、さらにぺちぺちと顔を叩かれる。
「あっはっはっは! なに~この子、かわいい~。タロ、私にも紹介しなさいよ」
「あ、うん。彼女はステラ。どこから来たのか知らないけど、見るもの全てが珍しいみたいでね。いろいろ見て回らせてたんだ」
「へぇ……ふ~ん……いろいろ、一緒にねぇ」
「……? なんだよ?」
「べっつにぃ~」
リリィは若干ふてくされたように後ろを向いた。
「……いい匂い、する」
「あっ……いや、これは」
クンクンとステラが鼻を鳴らし、リリィが持つバスケットに顔を近づける。
慌ててリリィはステラからバスケットを隠した。
「お~! 今日も作ってきてくれたの? あ~りがと~っ! リリィ!」
「違っ! か、勘違いしないでよねっ! たまたま作りすぎたから、近所に配ってるだけよ!」
「そかそか、まぁなんでもいいや! んじゃ、行こーぜ!」
「何でもよくない!」
何やらにぎやかになったタロ一行は、わいわいと現場を離れていった。
「……さっきはみっともねぇところを見せちまったが、見てろよタロ! オラオラオラオラオラ! 百裂レンガ積みィ!!」
もうとっくにギャラリーがいなくなったのに気づかず、おやっさんは名誉挽回に張り切っていた。
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