第110話

「────ちっ、日本人あのやろうめ、適当なことぬかしやがって」


 現在フィリッポは冷めきっていた。

 鷲峰にそそのかされてみたものの、考えていたシチュエーションが皆無であることが判明したのだから仕方ない。


 そもそもここには本当に人がいるのだろうか。


 一応人らしき何かはいる。それくらいは見ていればわかる。だがフィリッポにとって女性以外は人間だろうと木偶だろうと、それどころか交通標識ですら大差なく見える。

 別に彼が恋愛に対して情熱的なフランス人だからという理由ではなく、そういう生まれだったというだけなのだが。

 ともあれ、フィリッポは女性がいないのであれば全ての興味が失せる。ならば宿に戻って寝ているほうがマシだ。


 だがそこでふと足を止める。

 別に他の勇者たちと同じ宿へ泊まる必要はない。どうせなんの成果も得られなかったのだ。行くだけ無駄である。

 フィリッポは適当にそこらの宿で泊まることにした。



 ★★★



 現在ジャーヴィスたちは喋る人型の魔物を追跡していた。

 家の角から顔だけを覗かせ、付かず離れずの距離を保ち様子を伺う。


「なんでとっとと倒さないのさ」


 そんな慎重に動くジャーヴィスへアセットは少し苛立ったように訊ねる。


「まばらとはいえここには人がいるからね。巻き込んでしまうわけにはいかないさ」


 なんとジャーヴィスが周囲の人へ気を配れた。そのことにアセットは少し驚き、出来の悪い弟がちょっと成長したのを感じたようなよい気分になる。


「それは仕方ないか。それでいつまで続けるのよ」

「一番いいのはこの町から出るのを待つことなんだけど、そうなるとは限らないからね。広場みたいなところへ行ってくれるといいんだけど……」

「誘い出したほうが手っ取り早いんじゃない?」

「それは無理だよ。すぐ追いつかれてその場で戦闘になるはずだから」


 ジャーヴィスは苦々しい顔を魔物へ向ける。前のときはシンボリック連発のごり押しでなんとかできたのだが、今回も同じ手が通用するとは限らない。速度は圧倒的にあちらのほうが上なのだ。


「どうすればいいと思うかね? ワトソン君」

「だからワタシはアセットだって」


 双弥ならば乗ってくれるであろうネタを挟んでみてもアセットには理解してもらえない。若干の寂しさを感じつつもジャーヴィスは若干の焦りを含んだ表情で魔物の姿を見る。


 焦る理由は単純だ。もうじき日が沈む。

 暗くなってしまうと完全に不利となってしまう。魔物がどの程度夜目が利くかはわからぬが、人間よりはよく見えそうだ。どちらかといえば夜行動物に近い。

 近付き過ぎると気取られるだろうし、だからといって距離を置くと闇に紛れて見失う。

 それと何よりリリパールたちを置いてきてしまっているため、早く戻りたいのだ。


 紳士が約束を破るなんて恥晒しな真似はできない。だからジャーヴィスは今まであえて自ら何かをせず他人に任せていたのだ。

 しかし今は違う。双弥との約束を守れないでいる。この状況はとてもよろしくない。

 と、ここで突然誰かに肩を指で突かれていることに気付く。やっているのはもちろんアセットだ。振り返るとアセットの手には小石が握られており、それを徐に歩行者へ向かって投げた。


「アセット、何を──」

「しっ」


 危険な行いを注意しようとするジャーヴィスを振り向きもせず止めるアセット。ジャーヴィスもこれには何か意味があるかもしれぬと口を閉ざし状況を見守る。

 すると小石は歩行者の頭にぺちゃりと当たり、少し埋まる。


「ね?」

「ね? じゃないよ! 石が人にめり込んで……」


 言っている途中で気付く。アセットは小石を弾丸のように撃ち出したわけではない。せいぜいキャッチボールくらいの感じだ。決して頭にめり込むような威力はない。

 それに石をぶつけられているにもかかわらずあまりにも無反応すぎる。まるで土塊か泥人形のようだ。


 ジャーヴィスの背中に不快な汗が滲む。もはや嫌な予感しかしない。


「レディ。もしかするとこの町には……」

「多分、人間はいない」


 冷静に考えればすぐにわかることであった。

 町を襲わせるような魔物が人間と共存しているなんて考えにくい。いくら魔王のお膝元だからといっても異様としか言いようがないのだ。


 そうとわかれば行動は早かった。ジャーヴィスは道へ飛び出し聖剣を魔物へ向けて叫ぶ。


「おい魔物め! こちらを向け! そして僕と戦え!」

「あっ、このバカ!」


 アセットは額に手を当てた。不意打ちすればいいものをなんでわざわざ気付かせるのか。

 しかしこれにはわけがある。別に紳士として不意打ちができないというわけではない。


「これであいつと僕は戦わなければならなくなったよ! だからアセットは早く逃げてくれ!」


 アセットがここまでついてきたのはジャーヴィスがちゃんと戦うか監視するためだ。魔物の方が圧倒的に速い以上、これでジャーヴィスは逃げられなくなる。だからもうアセットがこの場にいる必要がない。いや、むしろ邪魔でしかない。


「だ、だけど……」

「レディ、きみは魔物相手じゃ何もできないんだ。だからせめて僕が戦いやすいようにして欲しい」


 アセットは足元にあった石をジャーヴィスに投げつけた。それは後頭部に当たるが聖剣の力でダメージはほとんどない。

 それでも何かが頭にぶつけられたことはしっかりとジャーヴィスにはわかっている。だが振り向ける状況ではない。アセットだってそれは承知だ。


「死んだら怒るから!」


 そう言ってアセットは駆け出した。


 アセットはくやしかった。

 戦えない自分のこともそうだが、出来の悪い弟みたいに思っていたジャーヴィスが一人前の男みたいなことをしたことに。


 確かに自分があの場にいても何の役にも立てない。それどころか人質にされたら余計窮地に追いやられてしまう。

 だからといってジャーヴィス1人でなんとかできる相手ではないこともわかっている。

 そして今、こうして1人で行動していることがとても危険であるということも理解していた。他に魔物がいないとは限らないからだ。


 誰か助けを呼ばねば。


 他にあの魔物と戦えるのは鷲峰かフィリッポだけだ。ただし問題はどちらも所在がわからぬことである。

 この町にいることは間違いない。だが基本お嬢様で体力のないアセットが走り回るにはなかなか厳しいほどの広さがこの町にはある。


 人がいないせいか静かな町なため、大声を出せば気付いてもらえるだろう。だがそれは同時に魔物まで呼び寄せてしまう危険性を孕む。

 隠れながら探さなくてはならない。それでも急がねば戦闘音でジャーヴィスのところへ他の魔物が集まってしまう。


 そんなことを思っていたところで爆発したような音が聞こえる。

 しかし妙だ。この音はジャーヴィスがいる方向からではない。宿の方角からだ。

 とするとリリパールたちが襲われているということになる。


 まずいと思っていた矢先、今度はジャーヴィスの方角からも轟音が響く。とうとう戦闘が始まってしまったようだ。

 どうしたらいいかわからなくなりその場にへたりこんでしまうアセット。



 そして今にも泣き出しそうな少女の前を横切る影がひとつ。

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