第108話

「あー疲れたなぁ……うえっ、げほっげほっ」


 ジャーヴィスは部屋に入りベッドへ倒れこむと、噴出した埃で盛大にむせた。

 なんて酷い部屋なのだと窓を開け、布団を半分ほど外に出し剣の鞘で叩きはじめた。


 いくら叩いても埃は出続ける。この布団の中身は全て埃でできており、出なくなる頃にはぺちゃんこになってしまうのではないかと思われるほどであった。


「なんて酷い布団なんだ! 本当の意味で塵屑ラビッシュだ!」


 文句を言いつつも布団を叩き続けると、だんだん少し楽しくなってくる。しまいには「ヘイ! ヘイ!」とリズムに乗りつつ叩き出す。気分はドラマーだ。


「ねーえジャーヴィス……うぐっ、何してんのよ!」

「やあレディ。布団の埃を追い出しているのさ」


 ドアをノックしても返事が返ってこないどころか、ノリノリで何かを叩いている音が廊下まで聞こえたためアセットは無断で中に入ってきた。叩いた埃はけっこう部屋に入り込んでおり、一瞬たじろいだ。


「それはいいけど、部屋の中酷いことになってるよ」

「マジで?」


 埃は全部外へ出ているものだと思い込んでいたが、開けた窓から風が部屋に入り込んできている。そのせいでジャーヴィスの荷物も埃まみれになっており、ジャーヴィスはしょぼくれた顔をした。


「ま、まあ誰にだって失敗はあるし。それより──」

「あっ!」


 アセットが慰めようとしたとき、ジャーヴィスは手を滑らせ鞘を落としてしまった。人通りがなかったからよかったものの、危険なことをしていたと今更反省をする。


「ちょっと鞘を取りに行ってくるよ。どこかなぁ」


 ジャーヴィスは窓から身を乗り出し辺りを見渡す。キョロキョロと辺りを探すが、すぐには見当たらない。


「うっ!?」


 その代わりのものを見つけてしまう。


 いつぞや見かけた喋る人型の魔物。

 色は違うが姿は一緒だ。見間違いではないはずだ。


 ここでジャーヴィスは選択に迫られる。


 この場でリリパールたちの守護に徹し、眼下を歩く魔物を無視するか。

 そしてここを離れ、魔物と対峙するか。


「ジャーヴィス、どうしたの……!?」


 窓の外を覗いたまま動かぬジャーヴィスに何かあったのかと同じく窓から身を乗り出すアセット。

 そして彼女も見てしまった。魔物の姿を。


「あいつ……!!」


 ジャーヴィスは以前あの類の魔物と出会っている。

 アセットを連れた旅を始めてすぐの出来ごとだ。そのときはアセットが原因でジャーヴィスが戦うはめになってしまったのだ。


「レディ、冷静になるんだ。きみではあいつをどうにもできない」

「うるさい!」


 アセットはジャーヴィスの制止も聞かず、部屋から飛び出してしまった。ジャーヴィスは少し躊躇ったがその後を追う。

 リリパールたちを置いたままこの場を離れるのは問題である。かといって止まらぬアセットを放っておくこともできない。この選択はどうしようもないものだった。


 一切逃れるつもりはなく、全ての責任を自ら背負う覚悟をもって、リリパールたちのことはアルピナへ任せることにした。

 リリパールは聡い少女だ。もし自分がいなくなっても危険だからと探し回ったりはしないだろうという魂胆もある。結局他人任せではあるが、今はそうせざるをえなかった。



「ヘイ! レディ! 止まってくれ!」

「うるさい! そこをどいて!」


 一般人であるアセットが勇者の力を持つジャーヴィスを振り切れるわけでもなく、外へ出た途端ジャーヴィスに回りこまれてしまう。ただしジャーヴィスにおいそれと女性の体に触れるような真似ができるはずはなく、道を遮るだけだ。


「いや、どかない。あの魔物はとても強いんだ。レディを見殺しにすることなんてできない」

「それでも行かないといけないんだ! ワタシだって! ワタシだって……」


 それ以上アセットは話さなかったし、ジャーヴィスも聞こうとしなかった。


 何故あの魔物にそこまで固執するのか普通なら気になるものだ。ジャーヴィスだって実は気になっている。

 だが聞かない。レディの過去を詮索するのは紳士として恥ずべき行為だ。彼はあくまでもイングランドの誇り高きジェントルマンを貫いている。


 それでもなんとなくわかることがある。あの魔物にだけ向ける殺意。それはジャーヴィスと出会う以前に遭遇しているだろうということ。そしてあの魔物によりアセットが怒り狂うほどのことがあったということだ。


「レディ、あいつは僕がなんとかする。だから戻ってくれ!」

「嫌だ! そんなこと言ってワタシが見てないからって見逃すつもりだ! 倒すならワタシも連れてけ!」

「そんなことはないよレディ。聞いてくれ。僕はあいつを倒せるほど強くないかもしれないんだ。そんなところにレディを連れて行っても守れる自信がないんだよ」


 一度戦ったときはなんとか退けられたが、あくまでも「なんとか」だ。どちらかと言えば相手が退いてくれたというほうが正しいだろう。


 ジャーヴィスは考える。こういう場合どうしたらいいのか。

 だが相手は待ってくれない。即断しなくてはいけない状況だ。

 そしてジャーヴィスは走り出す。そして振り向くことなく叫んだ。


「レディ! 僕から絶対に離れないでくれ!」


 あまり紳士らしくはない回答を導き出した。ジャーヴィスは紳士らしさよりも自分の考えで動くことにしたのだ。


 アセットはジャーヴィスの後を追うように走った。



 ★★★




 アルピナはエイカに抱きしめられながら唸っていた。


 何故エイカたちはこんなところでじっとしているのかが理解できない。

 アルピナにとってはとても嫌な場所。大人しくなんてしていられないのだ。


「あ、アルピナさん。私たちに合わせて冗談なんて言わなくていいのですよ?」

「違うきゃ! ここは町なんかじゃないのきゃ!」


 アルピナの言う町とは、姿形ではない。

 たくさんの人が住み、行き交い、生活の営みをしている場。それを町だと認識している。

 だからこんな人の全くいない場所を町だなんて微塵も思えない。ただの建築物の集合体だ。


 いや、それだけならまだマシだと言える。なにせただの建築物だけならばこれほど魔物の気配があちこちから漂っていないからだ。


 そこらから魔力の放出が感じられる。詠唱に似た言葉が紡がれていく。不快で苛立って仕方ない。




 アルピナは少数部族である砂狐族の村で生まれた。


 獣人族と普人族の戦争は終わり、獣人族の多くは絶滅してしまう。そこへ人間が手を入れ、自分たちに都合がいい、つまり従順な獣人を選別し保護することにした。ある意味獣人狩りである。

 それは戦争が終わって100年経った今でも続いており、人目につかぬようひっそりと暮らしていた砂狐族の村も発見され標的とされた。


 砂狐族はとても体が小さく弱そうだが、達人の剣速よりも速く動き、それを可能にできるほどの脚力は普通の人間にとって脅威であった。そのため選別の対象となったのだ。


 しかし砂狐族はそれを拒否。大きな戦となった。

 砂狐族60に対し、普人族4万。誰がどう見ても普人族が圧勝すると思っていた。

 だが実際には砂狐族が勝利。しかもほとんど被害を出さず完勝といってもいいほどである。


 しかしそのとき晒してしまったのだ。砂狐族は弱点を。

 彼らは火と水に弱かったのだ。


 そこで普人族は魔術師を方々から集め、遠距離から集中砲火を行った。

 火で村を炙り、その周囲を水で覆った。水に濡れると砂狐族の機動力は激減してしまうらしく、そこへ攻撃すれば容易く屠れるのだ。

 アルピナの母はなんとか逃げることができ、他の獣人族の集落へ身を隠せた。

 アルピナはそのときまだ物心がついておらず覚えていないが、そのとき聞こえてきた詠唱の数々が頭の中に残っている。


 だからアルピナは魔法が嫌いであった。




 覚えがないため理由はわからない。それでも心に刻まれた恐怖の叫びはアルピナを苛立たせ、攻撃衝動を引き起こしていた。

 そしてそれらはこの建物を狙っていることも野生の勘が伝えている。


 ここから逃げ出さねば危険だ。エイカも、リリパールも。


「ここは危ないきゃ! 嫌きゃ!」

「だ、大丈夫だよアルピナ。ここは建物の中なんだし……」

「そうですよ。外に出るほうがよほど危険です」


 アルピナの言葉では2人に全てが伝わらない。

 細かく説明できるだけの言葉をアルピナは持っていない。これだけでは足りないのだ。


 エイカの手を振り切り、自分だけ逃げることは簡単だ。しかしそれはできない。

 今抱きしめているエイカの腹を足場にして蹴りつければ容易く引き剥がせる。だがそれをやってしまったらエイカの内蔵は破裂し、腕は引き千切れてしまう。それができるのは双弥相手くらいなものだ。


 アルピナは仕方なくわざと体に力を込める。するとエイカもそれを止めようと力を入れて抱きしめる。

 そこでアルピナは力を抜き、くたっとする。

 エイカは力を入れすぎたのかと慌てて手を離す。


「あっ……アルピナ!」


 その瞬間、アルピナは一気に駆け出し、建物の外へと出た。



 日が落ちてきた周囲は徐々に暗へと包まれている。襲うにはまだ早いが、徐々にその刻がやってきている。

 アルピナは宿の入り口の前で足を広げ、上体を低くし四つ足になって構えた。


「来るなら来るきゃ! 食いちぎってやるきゃ!」



 エイカたちを守るため、アルピナはまだ見えぬ敵へ威嚇する。

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