ヒキョウ

メグリくくる

それでも、あなたを愛してしまった。

 星に向かって、手を伸ばしたことはあるだろうか?

 身近なところでは月でもいいし、名も知らない星でもいい。手が届かないと知りながらも、それに向かって手を伸ばす。人類は宇宙に無限の可能性があると、信じていた。

 そしてそれは、その通りだった。

 人類は宇宙へと進出し、地球外生命体、いわゆる宇宙人とも遭遇した。遠い星からやって来た彼らとの交流が進む度、技術革新だけでなく地球の環境も変化した。変化の原因は宇宙からもたらされた技術によるものだったり、彼らの乗り物がアクロバティックかつダイナミックに地球へ着陸した結果であったりと、様々なものだった。

 かくして地球の大地は隆起と沈降を繰り返し、海は干上がったと思えば水かさを増した。その結果、地球人がまだ立ち入ったことのない新しい人類未踏の地が増え、生態系の変化や宗教の派生などを産んだ。

 行ったことのない、見たこともない場所があれば行ってみたい、見てみたいと思うのが人情だ。また、そうした人類未踏の地には地球に存在しなかった鉱物や宇宙の乗り物が発見されることが多く、それらはかなりの額で取引されるようになる。

 やがて人類未踏の地は禁断の秘境と呼ばれ、その秘境へ至らんと探索に乗り出す人たちが生まれた。

 宇宙だけでなく、我らが母なる星である地球もまた、人類が挑戦すべき無限の可能性を秘めた星へと、新たなる姿へと変化をし続けている。

 

 光が届かない場所。

 今僕らがいる場所を簡潔に言い表すとするなら、その言葉がピッタリだろう。

 僕の背丈ほどもある草をかき分け、岩にこびり付いた藻を踏みしめながら、手にした懐中電灯で進行方向を照らした。

 暗闇を切り裂くように伸びる光の線は、僕の分を含めて合計六本。つまり今ここにいるのは、僕たち六人だけということになる。僕たちはチームを組み、現在人類未踏の地である、禁断の秘境へと足を進めていた。

 誰もまだ足を踏み入れたことのない秘境へ向かうということで、チームの隊長であるアズ隊長の指示の下、僕らは全身を覆う防護服を着て、六人のメンバーはひたすら無言でことに臨んでいる。この防護服は放射線濃度が高い場所でも活動が可能という優れ物で、酸素は背負うポンプから供給されるという徹底ぶりだ。密閉性についても保証されている。その分重装備になるのだが、安全性には代えられない。それに今回の探索では、その欠点をあまり気にする必要がないため、好都合だった。

 その防護服を着込んだチームの先頭を進むのは、現地の協力者であるウボさんだ。彼はこの地固有の秘教を信仰しており、禁断の秘境へ至るために必要になるという秘鏡を、大事そうに抱えている。ウボさんの話ではその秘鏡には全ての叡智が刻まれていると言うのだが、見せてもらった所、僕にはただの鏡にしか見えなかった。これで本当に、ウボさんたちが信仰している秘教の秘境に辿り着けるのだろうか?

 そう思い、ウボさんから一歩遅れて進むアズ隊長を、僕は盗み見た。見えるのは防護服の背中のみで、隊長が今どんな顔をしているのかを、僕はうかがい知ることが出来ない。それでも隊長なら、いつもの凛々しい眼差しで、一切の不安なく禁断の秘境へと足を進めているのだろうと、僕は確信していた。そうでなければ、女性の身で並み居るチームを率いることなど、到底出来ないだろう。

 隊長はこのような探検に数多く関わっており、経験もチームの中で随一だ。そうした経験からか、このチームにはある一つの不文律が存在する。

 それは、チーム内での恋愛禁止、というものだった。

 隊長いわく、探検に出るような奴ら同士が色恋沙汰で揉めると、血の気の多い奴らの血飛沫が舞う事態になりかねないので、その探検は必ず成果が出せないらしい。

 理由を聞けば、なるほどと納得できる話だった。

 このような強靭な防護服を作れるほど科学が進歩しようとも、人間のやることは今も昔も大して変わらないようだ。

 ……でも僕は、隊長のことを――

 僕が今抱えている隊長へのこの想いは、決して口にすることが許されない、禁断の愛なのだろう。だがしかし、そうとわかっていても想いは募るばかりで、僕はどうしてもこの想いを捨て去ることが出来ない。僕は自分の両手に、力を込める。

 ……今回の探索が成功したら、僕は今まで秘密にしていたことを、隊長に打ち明けるんだ! た、隊長に、告白しようっ!

 人知れず決意を固めていると、探検中に他のことを考えていたのが悪かったのか、頭にゴツン! と音がしたんじゃないかと思うぐらいの衝撃が、僕を襲った。僕は涙目になりながら殴られた頭を抱えて、殴った相手に抗議の視線を送る。視線の先には、懐中電灯を手にし、呆れた顔をしたマイノさんがいた。

 マイノさんは以前、別のチームに所属し、ジャングルなどの探検を行っていた。しかし不幸な事故に見まわれ、彼女以外全員死亡するという、悲境な経験の持ち主だった。そんな彼女からすれば、隊長を見てボケーっとしていた僕は、注意の一つでもしてやりたい人に見えたのだろう。確かに呆けていた僕が悪いのだが、せめて手で叩くなど、重傷につながりにくい方法で注意を促してもらいたかった。

 今の僕とマイノさんのやり取りを見ていたのか、後ろでヌギルさんが僕を馬鹿にしたように笑っている。笑われるようなことをしてしまった僕が悪いのだが、彼に笑われると憮然とした気持ちになった。正直な所、僕はヌギルさんのことが苦手だ。

 ヌギルさんは確かにぺーぺーの僕より探索の経験があるのだが、どうにも僕のような自分より弱い人や女性に対して見下した態度を取るようなことが多い。それはマイノさんや立場が上なはずの隊長も例外ではなく、彼が隊長たちと話しているのを見る度、僕は一人悶々とした気持ちになる。

 そんなヌギルさんが唯一チームメンバーの中で下手に出るのが、彼の隣にいるソトースさんだ。

 ソトースさんは隊長と同じぐらいの探検経験があり、チームが嫌なムードになっても比興して空気を良くしてくれる、頼れるチームのムードメーカーだ。今日も出発前、緊張している僕のもとにやって来て、ソトースさんが経験した自分の失敗談や、より悪い探検の話を面白おかしく比況して聞かせてくれた。話が終わる頃には緊張もほぐれており、彼のような気配りが出来るような人間になりたいと、僕は思っている。それもこれも、僕が隊長の役に立てる人間になりたいがためなんだけれど。

 そう思っていると、隊長からその場で静止するように、支持が出た。出発前に決めてあった止まれのハンドサインを見て、僕は思わず息を呑む。

 何か問題が発生したのか? 巨大な動物にでも遭遇したのか? どれも実際にあってはおかしくない嫌なケースを想像し、僕の心臓は否な音を刻み始める。

 しかし、そんな僕の考えは杞憂だったようだ。

 隊長から、僕らの防護服に通信が入る。防護服には音声変換機能もあり、これのおかげで僕らと使用する言語が違うウボさんとも、意思疎通が出来た。

『見えた。あれが秘境の入り口だそうよ』

 

 僕たちの目の前に現れたのは、巨大な洞窟だった。

 隊長から通信の使用許可が下りたため、洞窟が崩れないか調べながら、僕は思わずつぶやいた。

「さっきまで歩いてきた場所、まるでジャングルみたいでしたね」

『みたいもなにも、完全にジャングルだったろ』

 僕の言葉に、ヌギルさんが皮肉げに答えた。

『懐中電灯でも、奥まで照らせませんね』

『この洞窟、とても長い。ウボ、知っている。心配ない。すぐ行こう』

 洞窟を覗きこんだソトースさんに、ウズウズしているウボさんが秘鏡を抱えながら、そう言った。

 それを聞いたマイノさんが、隊長に問いかける。

『ウボさんはああ言ってますが、どうします? もう中に入りますか?』

『マイノはどう思う?』

『……万が一があってはいけませんので、もう少し調べた方がいいと思います』

『そうね。私も同じ考えよ。アフームとヌギルは、もう少し調査を続けて頂戴。ウボさん、もう少しだけ私たちの調査にお付き合いください』

「わかりました」

『あいよー』

『……ウボ、わかった』

 隊長に返事をし、僕は調査を続ける。続けながら、今の隊長たちのやり取りを、僕は思い返していた。

 隊長の質問にマイノさんが慎重な答えを返すのは、彼女の過去を考えれば当然そう返ってくるだろうと、隊長には容易に想像できたはずだ。

 つまり隊長は洞窟の安全性に疑問を持っており、それをマイノさんの口から言わせることで隊長以外にもそう考えている人間がいることをウボさんへ示し、頭ごなしにウボさんの意見を否定するのではなくワンクッション置いてから、先を急ごうとしている彼の勇み足を止めたのだ。

 現地協力者の機嫌を損なわないために、またチームメンバーの安全も考慮した隊長の迂遠な気配りに、僕は少し感動した。流石です、隊長! やっぱり僕には、あなたしかいないっ!

 僕とヌギルさんはその後しばらく調査を続け、落石などの問題もなさそうだという結論に至った。

『まぁ実際に落石があったとしても、簡単に避けれるだろ? 心配すんな』

 顔に出ていたのか、珍しくヌギルさんに心配され、僕は背中、背負ったポンプを叩かれる。ヌギルさんの言うとおりなのだが、心配なものは、心配なのだ。

 やがて僕たちは底なし沼に沈むように、懐中電灯でも奥を照らせない洞窟へ入っていく。

 暗闇が僕らを飲み込み、静寂が自分の鼓動をより意識させる。六つの閃光が、たまに洞窟に住む動物の姿を照らし出す。闇の中から切り取られたように現れる動物たちは一様に、急に照らされても動じた様子もなく、ただその場でぼうっと佇んでいるだけだった。その有り様が不気味に感じられ、僕は背中を丸めながら、恐る恐る歩みを進める。

『そんなにビクビクすんなよ、アフーム。誰もお前のケツを狙ってなんかいねぇからよ』

 ソトースさんがおどけたように、僕に声をかけてくれた。

『何かあってもフォローしてやるから、心配すんな』

「……すみません。ありがとうございます」

『ソトースさん。あんなやつ、気にする必要なんてないですって。足手まといになったら、置いていきましょうよ』

 お礼を言う僕に対し、ヌギルさんはソトースさんの肩に手を置きながらそう言った。

『ヌギル、それはないんじゃないか?』

『そうよ。ヌギルだって新人だった時期はあるんだし、その言い方はどうかと思うわ』

 流石に言い過ぎだと思ったのか、ソトースさんに続き、マイノさんが非難の声をあげる。だがヌギルさんは口を閉じるどころか、ソトースさんの背中を叩いた後、今度はマイノさんに噛み付いた。

『けっ! 仲間を置いて一人だけ逃げ出した奴が、何言ってやがるんだ』

『何だと!』

 ヌギルさんの言葉に、マイノさんが激昂する。

『逃げ出したりなどしていない! ワタシは、仲間を見捨ててなんていないっ!』

「ちょ、ちょっと! マイノさん落ち着いてください!」

 ヌギルさんにつかみかかろうとしたマイノさんを、僕は押しとどめる。ヌギルさんはマイノさんを挑発するように、ファイティングポーズを取った。

『何をやっているの、あなたたちっ!』

 そんな僕らを、隊長が一喝する。

『遊びに来てるんじゃないのよ! ヌギル、悪戯に人を貶めるような発言は控えなさい。マイノも冷静になりなさい。今後探索に支障をきたすような、今からでも引き返させるわ。どうする?』

『……すみません』

『……けっ!』

 マイノさんは渋々、ヌギルさんは不満そうにそう言ったが、隊長の指示には従うようだ。禁断の秘境を目前に引き返すのは、二人とも本意ではない。それを見抜いた隊長の惚れ惚れするような裁きに、僕は再度彼女に惚れなおした。

『ま、幸いここは頭を冷やすにはこれ以上ないほど最適な場所だし、嫌な気分も水に流して、とっとと先に進みましょう!』

『確かに。その二つをするのは、ここ、適している』

 ソトースさんの陽気な声に、ウボさんが微笑みながら同意した。またしてもソトースさんの冗談で、硬くなった空気が和らいだ。いつものことながら、どうしてソトースさんはこうも簡単に面白いことを言える人間なのかと、僕は関心していた。

 ウボさんと隊長を先頭に、僕らは止めていた足を再度動かし始める。マイノさんの隣を歩きながら、それにしても、と、僕は後ろを振り返る。僕の後ろにいるのは洞窟に入る前と変わらず、ソトースさんとヌギルさんの二人の姿があった。その一方、ヌギルさんを、僕は一瞥し、こう思った。

 ヌギルさんの様子が、変だ。

 ヌギルさんが皮肉や嫌味を言ったり、態度が悪い人間なのは前からだが、今日はいつも以上に攻撃的だ。探索前に、何か機嫌が悪くなるようなことでもあったのだろうか? 首を捻るが、その答えを絞り出すことは、僕には出来なかった。

 

 やがて僕らは、開けた広い空間に辿り着いた。

『ここ。ここが、秘境への、入り口』

『どういうことだ?』

 ウボさんの言葉に、ソトースさんは疑問の声をあげる。

『この洞窟が秘境への入り口なんじゃないのか?』

『ここが、入り口。入り口は、洞窟の中。洞窟が、秘境への、入り口』

『わかりにくいわね』

 マイノさんが、苦笑いをした。

『この場所が本当の秘境への入り口で、それは洞窟の中にある。つまり洞窟の中に秘境への入り口が含まれているから、今までこの洞窟を秘境への入り口と言っていたわけね』

『そうだ』

 マイノさんの言葉に、ウボさんが同意した。

『で、その秘境とやらは、一体何処にあるんだ?』

 ヌギルさんの言葉を聞き、周りを見渡す。しかし、この空間には僕らが入ってきた入り口しかない。この場所の、一体何処に秘境があるというのだろうか?

 僕らの視線は、自然とウボさんに集まった。僕らの視線を受けた彼は、首を振る。

『わからない』

『はぁ? 何だそりゃ』

 呆れたように、ヌギルさんがそう吐き捨てた。ここまで案内してくれたウボさんには悪いが、今だけはヌギルさんに賛同する。これでは、何のために僕らが来たのかわからない。ここまで来たのにそりゃないぜ、というのが、今の僕の素直な気持ちだ。そしてそれは、他のメンバーも同じようだった。

 僕らが重い静寂に包まれる中、ウボさんだけがこの場で膝をつき、防護服の中で泣いていた。

『ありがとう。ありがとう、アズ、ソトース、マイノ、ヌギル、アフーム。お前たちいなければ、この防護服なければ、ウボ、ここまで辿りつけなかった。ありがとう。ありがとう』

 泣き崩れるウボさんのたどたどしい言葉を要約すると、彼らの秘教ではこの場所自体が神聖な場所であり、聖地に近いものらしい。しかし彼らの技術力ではこの場所に来ること事態が困難であり、この場所の位置と、この洞窟が安全であり、洞窟の中に秘境への入り口が存在する、ということだけしか、言い伝えに残っていないのだそうだ。

 それを聞いた僕らの落胆は、大きかった。

『そんな、話が違います!』

『ありがとう! ありがとう!』

 あの隊長が声を荒らげるが、ウボさんは感謝の言葉しか口にせず、全く話にならない。盲目の信者には、もう僕らのことすら見えていないのだろう。

 ウボさんにとって、この場所に来ること、それ自体が奇跡的なことでそれであり、満足出来る事なのかもしれないが、僕らの目的はあくまで人類未踏の地、禁断の秘境が目的なのだ。ウボさんもこの洞窟に来たことがないというので、この場所もある意味人類未踏の地と呼べなくもない。しかし、当初予定していたものとは、大分かけ離れた結果になってしまった。

『参ったわね』

『……けっ。せっかく大儲けするチャンスだったていうのによっ!』

『ま、危険な橋を渡らず、無事に生きて帰れるだけでも儲けものさ』

 マイノさん、ヌギルさん、ソトースさんが、三者三様の言葉で、今の気持ちを表現した。ソトースさんは流石というべきか、もう気持ちを切り替えているようだ。それに比べて、ヌギルさんは何か企んでいたようで、お金にならなかった今回の探索を嘆いていた。

 諦めムードが漂い始めた時、僕はあることが気になった。

「ウボさん。その鏡は、結局何に使うんですか?」

 禁断の秘境へ至るために必要だとウボさんが大事に抱えていた秘鏡は、今まで一度たりとも使われてはいない。僕の指摘に隊長を始め、他のメンバーもハッとしたように顔を上げた。

『ウボ、わからない。必要というだけで、どう使うかまで、伝わっていない』

『ひとまず、この空間を手当たり次第調べてみましょう。何か手がかりが残っているかもしれないわ』

 隊長の言葉で、僕らは弾かれたように散らばった。ウボさんもようやく泣くのを止め、調査に加わってくれる。入り口だけではなく、秘境へ行けるかもしれないという人間的な欲が、盲目となっていた彼の目を覚まさせたのだ。

 

『皆、見て頂戴。ここの壁、この一箇所にだけ、氷が張られているわ!』

 マイノさんの声があがったのは、それからしばらくしてからのことだった。

『確かに変だな。気温は零度以下だが、何でこの一角だけ氷があるんだ?』

 マイノさんの元へ駆け寄るソトースさんが、防護服の内側ではなく外側の気温を確かめ、首を傾げた。

「そういえば、ここに来る途中の植物も凍ってませんでしたよね?」

『植物は水が流れる道管などの管がとても細いから、氷点下以下でもなかなか凍結しないのよ』

 隊長のその言葉に、僕の心臓が跳ね上がる。

 僕の疑問に答えてくれたというのと、隊長が僕の肩に手をのせているという状況に、僕は自分の心臓の音が隊長に聞こえるんじゃないかと無用の心配をしていた。

『これ、必要? これ、使う?』

『おいおい、興奮して割るんじゃないぞ、その鏡』

 興奮して手にした鏡を手を振るように振るウボさんの背中を叩き、ヌギルさんが注意を促す。

 六人全員が集まったところで、氷についての議論が始まった。

『ソトース、どう思う?』

『間違いなく、作為的に作られたものでしょう』

 隊長の問に、ソトースさんはよどみなくそう答えた。その答えに、マイノさんが首を傾げる。

『だとしても、何故ここだけ凍っているの? 他の場所が凍らないのは何故?』

『そいつは過冷却によるもんだろうよ。ここの特性を考えれば、それ以外ねーな。そうだろ? ウボ』

『この地、清浄。神聖な場所。不浄なもの、存在しない』

 ヌギルさんから皮肉げに話を振られ、ウボさんは何度も頷きながら、そう答えた。

 そして、話が止まってしまう。

『さて、この氷が秘境へのヒントであることまではわかったわ。で、これをどうするのか。何かアイディアがある人はいる?』

『試しに割ってみるか?』

 隊長が見渡す中、ぶっきらぼうにヌギルさんがそう言った。それを聞いたウボさんは、血相を変えて、ヌギルさんを睨みつける。

『壊す、ダメ! 清浄! 神聖! ダメ! 壊す、ダメ!』

『わかった、わかったから、そんなに怒るなよウボ!』

 ウボさんの勢いに気圧され、ヌギルさんは両手を上げた。

 しかし、この氷が何を示しているのか、どう使うのか、まるで検討がつかない。誰も案がないとなると、この氷を割るという案が採用される可能性も出てくるだろう。

 僕はじっと、その氷を見つめた。

 壁に薄く張られているだけの氷は、さほど大きくはない。直径三十センチほどの円形をしており、鏡のように僕らの手にする懐中電灯の光を反射していた。

「……氷鏡」

『え?』

 僕のつぶやきに反応した隊長には答えず、僕はウボさんの方を振り向いた。

「ウボさん。ウボさんが持っているその鏡、この氷に向けてもらえませんか?」

 それをお願いしたのは、単なる思いつきだった。ウボさんの手にしたそれは、どう見ても普通の鏡にしか見えない。しかし彼は、その秘鏡には全ての叡智が刻まれていると言う。

 だから鏡のような氷を見て、思ったのだ。

 合わせ鏡にしてみれば、何か見えるんじゃないか? と。

『わかった』

 ウボさんが鏡をかざす。

 すると――

『おい、見てみろ!』

『何か浮かび出てきたわっ!』

 合わせ鏡の中に、文字のようなものが映しだされる。僕らはにわかに活気づいた。

 その時だった。

 異変が起こったのは。

「!」

 ……息が、出来ないっ!

 背中のポンプから酸素が供給されなくなり、防護服の中に赤いランプとエラー音が鳴り響く。

 ……どうして?

 その疑問とともに辺りを見渡すと、ソトースさんとウボさんも、僕のようにもがき苦しみ、宙に浮いていた。

 何が起きたのか理解できない状況の中、ヌギルさんの通信が届く。

『秘境の在処は、オレだけ知っていればいいのさ』

 その言葉で、この状況を作り出したのはヌギルさんなのだと、僕らは悟った。

 そういえば、今酸素が供給されていない僕らは三人は、ヌギルさんからポンプを背負った背中を叩かれている。あの時に何か細工をされたのだ。マイノさんにやけに突っかかっていたのも、喧嘩の最中に細工をしようとしていたのだろう。

『ここの秘境の在処を、高値で買ってくれるっていうチームがいてね。悪いな』

『この卑怯者がっ!』

 マイノさんが叫びながら、ヌギルさんに飛びかかる。その追跡を、ヌギルさんは宙に飛び上がることで避けた。

『おっと』

『くそっ!』

 悪態をつきながら、マイノさんもヌギルさんを追って宙に浮いた。だがヌギルさんはマイノさんの背中を取ろうと、先に行動している。

『防護服を着ての水泳なら、オレのほうが得意だぜ!』

 その言葉通り、ヌギルさんは華麗な泳ぎでマイノさんの背中に迫る。

『本当なら洞窟に入る前にマイノにも細工をしておきたかったんだが、隊長と合わせて女二人なら、オレ一人でも楽に殺れるぜ!』

『止めろ! 放せっ!』

 マイノさんとヌギルさんの通信が、やけに遠くに感じる。酸素切れで、僕の視界が霞み始めた。マイノさんとヌギルさんだったものが、ぼんやりとした楕円にしか見えなくなる。一方の楕円は取り付かれた別の楕円を振り払おうと、懸命にもがいていた。やがて取り付かれた楕円に、赤い色が灯った。赤い楕円とそうでない楕円が、分離する。

『さぁ、マイノのポンプは止めた! 後は隊長だけだぜっ!』

 しかし分離した赤くない楕円の後ろに、別の赤い楕円が取り付いた。

『ソトースかっ! くそっ! 死にぞこないの分際んでっ!』

 楕円は先ほどとは立場が逆になり、赤い楕円を振り払おうとする。しかしそこに、先ほど分離した赤い楕円までもが取り付いた。

『ヌギル! 仲間を殺そうとしたお前だけは、絶対に許さないっ!』

『ふざけんなっ! ここを出て、生き残れば、オレは大金が手に入るんだっ!』

『悪いが、そうはさせんっ!』

『ソトース! 止めろ、放せマイノ! くそっ! 二人がかりなんて、卑怯だぞっ!』

『お前にだけは言われたくないっ!』

『今度は、今度こそは、仲間を守るんだっ!』

 やがて三つ全ての楕円に赤色が灯り、怨嗟の声が聞こえてくる。

『くそ! くそ! くそっ! 金が、金が手に入るんだ! あと少しで、畜生! 死にたくねぇ、死にたくねぇよぉおっ!』

 その声を聞きながら、意識が、もう――

『アフーム、聞こえる? 今酸素ボンベを私のものと共有しました。聞こえる? アフーム! 返事をしなさいっ!』

「隊、長……?」

 けたたましい警音が止み、赤いランプも消えている。隊長から供給された酸素が、きちんと僕にまで送られてきている証拠だ。

 僕はあえぐように、隊長に問いかけた。

「他の、人たちは?」

『……』

 その無言が、答えだった。

 戻ってきた僕の視界には、水中に浮かぶ四体の死体が映る。

 一体は、自分の内側に何かを抱えている。ウボさんだ。最後まで手放さなかった鏡を、死後も変わらず大事そうに抱えている。

 残りの三体は、一塊になっていた。嘆き、悲痛な顔を浮かべているヌギルさんに、前からマイノさん、後ろからソトースさんが抱きついている。仲間を守れた喜びからか、マイノさんの表情は穏やかに見えた。

『……一度、地上に出ましょう』

「……わかりました」

 沈痛な面持ちの隊長と一緒に、僕は足を動かし始めた。痛いほどの静寂が続く中、僕らは洞窟を抜ける。自然の浄化槽となっている海藻と海草のジャングルを縫うように進み、僕と隊長は地上へと帰還した。

 

「本当に、行くんですか?」

 僕は隊長の背中に、硬い声でそう問いかけた。

「言ったはずよ。私は彼らの死を無駄にはしないって」

 振り返りもせず、隊長はそう切って捨てた。

 地上に帰還した僕らは、命に関わるようなような怪我を負っていないか確認した。二人とも問題ないことがわかると、隊長は予備として持ってきていた酸素ボンベなどの装備を寄せ集め、再度秘境に臨もうと言い出したのだ。

 しかし、元々六人で行うはずだった作業を僕は二人で出来るとはとても思えず、僕と隊長の意見は対立した。

 何とか説得しようと、僕は迷いながらも口を開く。

「隊長の気持ちは、よくわかります」

「だったら、手伝って頂戴」

「無理ですよ! 酸素ボンベの残量だって、正確にわからないんですよ? 彼らの遺体を回収するだけならともかく、目標だった禁断の秘境への到達だなんて」

「なら、私一人で行く」

 僕は無言で隊長の前に立ち、行く手を遮るように両手を広げた。その僕を、隊長が冷めた目で見つめている。

「……これは、何の真似なの? どきなさい。命令よ」

「……行かせません」

 僕は隊長の命令に初めて逆らった。

「誰も行ったことのない場所なんですよ? 危険過ぎます」

「……どいて」

「どきません」

「どきなさいって言ってるでしょ!」

「無理です! どきませんっ!」

 駄目だ。これではただの感情のぶつけ合いでしかない。隊長の中に残っている、理性的な部分に問いかけるしかない。

「どうしたんですか? 隊長。いつもはもっと冷静で、メンバーの安全も考えてくれていたじゃありませんか?」

「……アフームこそ、どうしたの? いつもなら、私の命令に必ず従っていたじゃない」

「それは……」

 自分の中にある隊長への想いが溢れ出そうになり、既のところで口にするのを防げた。だがそうした行動は、隊長には別の意味で伝わってしまったようだ。

「……なるほど。さっきの争いを見て、怖くなったんでしょう?」

「違います!」

 見当違いな隊長の言葉に、僕は反射的にそう返した。だが隊長の目は、相変わらず冷めたままだ。

「……もういいわ。どいて頂戴。私は先に――」

「好きだから!」

 隊長の言葉を遮り、言った。

「心配だから、愛しているからです、隊長。好きなんです。あなたを失いたくないんです!」

 一度溢れ出したら、止まらなかった。

 そんな僕を、隊長は一瞬驚き、その後で険しい顔をして睨んだ。僕もそれを、真正面から受け止める。

「チームの不文律は、知っているわよね」

「……はい」

「……よりにもよって、こんな時に」

「すみません」

「謝るぐらいなら言わなければいいでしょう!」

「言わなければ、あなたが行ってしまう!」

 それっきり、二人で黙った。洞窟で感じたのとは別の沈黙に、僕の心が焦げ付いていく。

 どれぐらいの時間が経ったのだろう。最初に口を開いたのは、隊長だった。

「あなたの気持ちは、嬉しいわ」

「なら――」

「でも、あなたの気持ちに、私は応えることが出来ないの」

 喜色を浮かべた僕を、隊長はそう言って、汚泥の色に塗り替えた。そして次にこう言って、今度は驚愕色に染め直す。

「事前に提出してもらったDNAを調べた所、アフームと私のDNA型に類似点が見られたわ」

「それって――」

「ええ。私たちの血は、つながっているの」

 そう言ったっきり隊長は、俯いた。そんな彼女とは対照的に、僕は笑みを浮かべた。

「それなら大丈夫です、隊長。僕が提出したDNAは、偽物ですから」

「え?」

 困惑の表情を浮かべる隊長に、僕は防護服を脱ぎ、真の姿を現した。

 僕の仮初の体が、本来の青白い光を放つ灰色の炎に変わっていく。

「僕は星間宇宙をわたって太陽系に飛来し、惑星ヤクシュを経由した後に地球へやって来た、地球外生命体です。僕の生まれた星は、既に消滅しています。僕の目的は、失われた自分たちの子孫を残すことです。そのために僕は、地球へとやって来ました。地球の人間の女性と配合し、子を作ることが可能であることは、既に調査済みです。そのため、僕と隊長の間にはDNA的な問題は存在せず、二人の間で子を授かることに、何ら問題はありません」

 僕の話を聞いた隊長は騒然とした顔を浮かべた後、首を振りながら防護服を脱ぎ始めた。

「いいえ。私とあなたの間で子供を作るには、問題があります」

「それは、何ですか?」

「私も、地球外生命体だからです」

 そう言って隊長は、自分の体を水晶のような鉱物へと変えた。

「私は惑星ムトゥラからやって来た、鉱物生命体です。無機物の私と、地球の哺乳類で子を授かれる有機物のあなたとでは、物質的な問題で配合は不可能です」

「そんなっ!」

 衝撃的な事実に、僕は愕然とせざるを得ない。

 鉱物生命体となった隊長は、そんな僕を見て、少し笑ったようだった。

「行きと帰りに必要な酸素ボンベを、私とあなたの二人で共有して帰ってこれたのは、私が酸素を全く吸う必要がなく、行きの分の酸素が残っていたからです。もし私があなたのように呼吸活動を行う有機生命体であれば、二人ともあの場で死んでいたでしょう」

 淡々と告げられる事実に、僕の頭が現実に追いつかない。僕は隊長へ、疑問を口にした。

「僕は子孫を残すため、番となる隊長のような生命力のある有機生命体を探すため、探索チームに入っていました。隊長が探索チームに入っていた理由は、何なのですか?」

「自分の番となる、超星石を探すためです。そしてそれが、今回の目的地だった人類未踏の地である禁断の秘境にいるのです」

 隊長が頑なに秘境へ行こうとしてい理由が、ようやくわかった。隊長は自分の夫、あるいは妻を求めてのことだったのだ。それなのにも関わらず、僕は隊長の身を案じていたのだ。

 僕はもう、隊長をこの場に引き止めることが出来なかった。また、その必要もなくなってしまった。

 隊長が秘境へ臨む姿を、僕はただ見送るしかない。かつて愛した人は幻影で、僕のそばには誰も居ないという悲況が、ただただ静かに残されていた。

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