館のあるじは永久を望む

 扉を破って外に出ると、既に乙木たちの姿はなかった。だが廊下には点々と血痕が残され、道しるべのように館の奥へと続いている。

 久路人が不安そうに呟いた。


「さっきの拍子に、乙木ちゃんがどっか怪我したのかな」

「……いや」


 深月はつま先で足下に転がる破片をからりと蹴った。頼りない照明の灯りが反射し、それはちらちらと光る。床に散らばるのは、ガラス片だ。


「保管してた血液、だろうね。

 血の魔法は血で力を得る。……余分なことしたかな」


 少し渋い表情で、深月は近くに転がったアタッシュケースを眺める。血液が入っていたのだろうガラスの小さな容器、そして注射器も粉々に砕かれており、ケースの中には赤黒い血が付着していた。


「急ごう。このまま長引くと、乙木がどうなるか分からない」

「言われなくたって」


 短く答え、彼らは互いに頷いた。




 二人は、乙木たちが向かったのであろう血の先を辿る。目を凝らして歩きながら、久路人は思いついたように言った。


「ねぇ。幽月邸が意志を持って暴れてるんだったらさ。さっきの時計をどうにかすれば済む話じゃないの?」


 だが深月は首を横に振る。


「さっき篠宮さんも言ってたけど。時計はあくまで媒介だ。かつて乙木が施した魔法は、館中に張り巡らせてある。血が古くなる毎に精度は落ちるけど、多分乙木が死ぬか館そのものがなくなるまで、毎日五時に魔法は再現され続けるよ」

「じゃ、他の部分もさっきみたいに血で解除すればいいんじゃ」

「乙木だろうが俺だろうが、この館にかけられた魔法を解除するまでにゃ、出血多量で死ぬよ。何ヶ月もかけて構築された魔法だ。

 かといって安全に配慮した進行でやってそれまでコレを放置したら、俺たちがどうなるか分からないけどね」

「ぞっとするねぇ……」


 引き気味の声音で久路人は唇をひきつらせた。


「じゃあ。つまり、どうすればいいって?」

「当初の命令通り久路人さんの魔法を使うしかないね。いずれにしても、まずは乙木を助け出さなきゃ使うに使えないけど」

「……マジでやるのね、こんなとこで」

「他に被害が及ばないよう、俺が防ぐからさ」

「お願いしますよ深月ちゃん。俺、この若さで犯罪者にはなりたくないからね」


 不敵に笑みを浮かべながら、久路人は左の手の平に右の拳をぱんと打ち付けた。




 血の路を辿り行き着いたのは、二階の最奥に当たる部屋だった。

 二階は乙木の部屋しか探していないので当たり前ではあるが、昼間に探索をしていなかった部屋だ。

 案の定、扉は固く閉ざされている。しかし先ほどと似たような要領で、二人はすぐさまドアを蹴破る。


 室内にやはり灯りはなく、光源となるのは廊下で灯る幽かな照明と、窓から差し込む月明かりだけだった。

 乏しい視界の中で目を凝らせば、乙木の部屋と同じようにベッドやタンスが並べられているのがぼんやりと分かる。誰かの居室のようだった。私物と覚しき小物や本が並べられている様子からして、おそらく客室ではない。


 薄暗い部屋の中には二つの人影がある。確認するまでもなく、それは乙木と篠宮のものだった。


「どうしたの、しの? なんでクロちゃん達にあんなことしたの!?」


 二人が部屋に入った時には、乙木が篠宮に言い募っているところだった。既に彼女は床に降り立っていたが、ここに繋ぎとめようとするかのように篠宮は乙木の腕を離さない。


「『乙木は、ここに残った方がいい』」

「言ったでしょう。もう私は外に行かなきゃ」

「『駄目だよ、乙木。ここから出すわけにはいかない。あの人に着いていっては駄目だ』」

「しの!」


 乙木が高く声を上げたのと同時。

 ひゅん、と空を切って、小さい何かが篠宮の顔をかすめた。



「離れろ乙木。そいつは、篠宮さんじゃない」



 乙木が入り口を振り返れば、人差し指と親指を立て手を銃の形にした深月が、揺らぐ灯りを背に立っていた。威嚇するようにもう一度、深月はそれを飛ばし、今度は篠宮の皮膚を薄く切り裂く。

 彼の指先から放たれたのは、水。凄まじい速さで少量の水を打ち出し、まるで弾丸のように撃っていたのだった。

 篠宮の頬から、赤い血が一滴垂れ落ちる。


「篠宮さんの体を、幽月邸の主が乗っ取っている。離れて。このままだと連れて行かれる」


 深月の言葉に、乙木は脅えたように身を捩る。深月の元へ向かおうとするが、それをさせまいと篠宮だったものは乙木の両肩を掴んだ。顔を歪めて乙木は叫ぶ。


「離して! どうして止めるの!」

「『行ってはいけない』」

「ここから出て何が悪いの! 居るべき場所に帰って、今度こそ私は本当の世界で幸せになるの!」

「『パパとお兄ちゃんのところに行ったって、乙木は決して幸せになれない』」


 断定口調で告げられたその言葉に、乙木はもがいていた力を弱める。


「……どういうこと?」

「『本人の口から聞くといい』」


 言って、それは試すような眼差しでじっと深月を見据えた。



「……君の名前の意味を、教えてあげるよ。乙木」


 ややあって深月は、穏やかな口調で話し始める。


「乙は、甲と乙の乙。甲の家筋、乙の家筋として、母方の家系を分類するのに割り当てられた漢字。

 そして木は、月火水木金土日の曜日から取った通し番号。

 つまり、『乙木』とは、乙の血筋で4番目に生まれた子供。

 そして俺は、生まれて早々に条件を1番目の子供、深月ミツキだ」


 どこまでも深い、まるで深海のような彼の瞳。

 悲観と諦めを湛えた瞳で、深月はじっと乙木を見つめた。



「俺たちは、、あのクソ親父に意図的に生み出された子供だよ」



 感情の籠もらぬ淡々とした口振りで、ただ深月は事務的に告げる。


「『魔法遣い』としての高い力が認められた子供は、父親のところに引き取られる。けれど、それは決して明るい家庭なんかじゃない。

 あの男は自分の家族や子供ですらも、ただ『魔法遣い』という種類のとしてしか見ていないから」

「『そう』」


 深月の言葉を引き取ったのは、篠宮の体を借りたもの。



「『あの人と行ったところで。お父さんのところには、息苦しくて空しい未来しかない』」



 乙木はへたり込む。

 目の前に開けたはずの道が、それこそ光の射さない獣道であったことに、にわかに現実を受け入れ難いようだった。


 目の光を失いかけた乙木に、それは優しく語りかける。


「『だから、乙木。一緒にいよう』」


 それは、そっと乙木の頬に触れ。



「『ずっと、永遠の幸せの中で、一緒に暮らそう。

 迷いも苦しみもない世界で、幸せになれなかった時間を今から取り戻そう』」



 そのまま両手で、乙木の首に手を掛ける。

 細い彼女の首筋が、今にも折れそうに傾ぐ。


「乙木ッ!」


 瞠目して、深月は床を蹴る。

 ほとんど体当りするようにして、彼は無理矢理に篠宮の姿のそいつから乙木を奪い取った。少しだけ呼吸の乱れた乙木が、苦しそうに咳をする。


 一瞬だけ、安堵したのも束の間。

 先ほどと同じように、部屋中の小物が宙を舞い、今度は深月と乙木を狙って次々と襲いかかった。乙木を両手で抱えた深月は避ける間もなく、乙木のことはその身で庇い、ほとんどの攻撃を受けた。


「っ……!」

「深月ちゃん、大丈夫?」

「問題ないよ、それより」


 蹲った深月へ久路人は気遣わしげに尋ねるが、しかし深月はそれを制すると、乙木を彼に預けた。 


「久路人さん。あれを使って。乙木を連れて外に逃げて」

「深月ちゃんは?」

「俺は、ちょっとあの人と話をしてから行く」

「……ちゃっちゃとケリをつけてきてね。分かってると思うけど、俺の術は五分しか保たないよ」


 頷くと、腕が自由になった深月は座り込んだままでそれに向け両手を広げる。

 と。床からするりと音もなく透明な壁が伸び、深月と篠宮だった人物との間はにわかに隔てられた。やはりまたしても水、である。

 宙を再び篠宮の攻撃が飛ぶが、水の壁に弾かれて深月たちには届かない。


「詠唱中は食い止める。失敗しないでね」

「承知した」


 久路人は、乙木を背で庇いつつ一歩、深月に近付き。

 深月は右手だけを篠宮へ向けて壁を保ちながら、振り向きざまに左手で久路人の額をばしりと叩いた。


「あいよっ!」


 久路人は右手で拳を作り、それを左手でぱしりと打ち付け。

 目を閉じて、唱えた。



『一つ、ひととせ一夜の契り

 二つ、ふたたび二目の誓い

 三つ、みのらせ三つ子の祈り

 死の後の無の哭の病の苦を過ぎて、とおに伴い還り来ん』



 薄闇に包まれた室内に、ぼう、と明かりが生まれる。

 照明が灯ったわけではない。天井の灯りは未だ静まり返ったままだ。

 光源は、久路人の全身。淡く柔らかい光が、彼の体表を覆うように全身を包み込んでいた。


 そして、全ての言葉を彼が言い終えた刹那。

 部屋中に、突然嵐のような業風が吹き荒れる。ばきりと盛大な音がして、部屋の壁が一部、吹き飛んだのが分かった。さっき彼らを襲った小物や家具も、一様に皆、吹き飛ばされる。


 風が止み、ようやく目を開いた乙木の目に映ったのは、炎の翼。

 久路人の背に生えていた一対のそれは、確かに形状は翼だった。しかし羽の一つ一つは炎そのものであり、闇に沈んだ館の中で、煌々と激しく燃え盛っていた。


「さぁ、行くよ乙木ちゃん。しっかりつかまっててね」


 彼はそのまま乙木を抱き上げ、再び乱風を起こしながら幽月邸を後にした。


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