第4話 その時、リイジーは。
「長いようで、短いようで・・・。」
深いシワの刻まれた自らの顔を撫でながら、この街で過ごした日々に思いを馳せた。
リ・エスティーぜ王国南東部、隣国のバハルス帝国とスレイン法国を結ぶ交易には欠かせぬ街道の要所にあるのが、ここ城塞都市エ・ランテルである。
商人の行き来は様々な生産業にも好都合だ。
幾つもの職人ギルドが生まれ、多くの工房とそこに学ぼうと弟子も集まってくる。
老婆も遠い遠い日に、ここで薬師の親方に弟子入りした。
生来の才能もあったのだろう、錬金術を学び、やがて第三位階魔法までこなすようになった。
そうして、この街で名を知らぬ者がいない程の名声を得る。
エ・ランテルで1番の、いや王国でも稀代の薬師<リイジー・バレアレ>として。
懐かしむように石畳を踏みしめながら、人通りの多い広場へ向かう。
方々へ挨拶を済ませ、残るはあそこだけだ。
やがて目の前に4階建ての建物が見えてくる。
鎧や腰に武器を下げた者達が出入りするそこは、この街の冒険者組合だ。
薬師と冒険者の関係は密接なものだ。
片やポーションの供給と原材料の需要。
片やポーションの需要と護衛の提供。
また、冒険者組合は近隣の村からの薬草材料の仲買も行っている。
それらは薬師ギルドを通じて価格や量の安定供給を図られ、それぞれの工房へ納入されてゆくのだ。
現在の組合長であるアインザックとは旧い知り合いでもある。
彼が一介の冒険者だった頃からの付き合いだ。
この街を離れると報告するのは気が重い。
リイジーは4階に続く階段を息を切らしながら登っていく。
「ふうふう、まったく・・ 勝手に階段を上がる魔法の仕掛けでも作ってくれないものかね・・。」
冒険者ならともかく、この老骨にはきついよと毒を吐きながら休み休み登ってゆく。
4階にやっとたどり着き、見えてきたのが冒険者組合長の部屋。
ここには何度も来てるが・・、こんなに大変だったものかねえ・・・。
息を整えながらノックする。
「アインザック、あたしだ、リイジーだよ。」
「おお、リイジー! 待ってたよ、さ・・入って掛けてくれ。」
扉を開けて迎えたのは壮齢でがっしりした体格の男。
冒険者組合長アインザックである。
部屋の中にはもう一人居た。
ローブを着た神経質そうな男、魔術師組合長ラケシルだ。
腰を浮かし、向かいの椅子を彼女に勧めた。
「それで・・、話があると聞いてきたのだが?」
飲み物はいるかね? っとアインザックが魔法のポットを手にとったが、
リイジーは片手を振って要らんと差し止める。
「実はな、街を離れる事にしたんじゃよ。」
「離れる・・って、旅に行くというのじゃ無いんだろう? リイジー。」
「カルネ村に移住するつもりなんじゃ、アインザックよ。」
孫も・・ンフィーも連れて行くと付け加えた。
街を離れる挨拶をしに来たリイジーだったが、その口は重かった。
果たしてどこまで話していいか、話さないべきか・・・。
「ふむ、君ほどの薬師を失うのは冒険者としてもかなりの損失だ。
なあ、長い付き合いじゃないか、何があったんだい?」
「・・・っあ。」
「どうした、ラケシル。 お前には心あたりがあるのか?」
頷いたり、眉を寄せたりしながら、ラケシルはわざとらしく声をひそめて言う。
「リイジー殿、アレですな・・・モモン殿の・・赤い・・アレ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
リイジーは否定も肯定もせず、黙ったまま鋭い目つきでラケシルを見返す。
うん、うん、とさらに頷きながらラケシルはアインザックに目配せして訴える。
もうこれ以上聞くのは野暮というものだ・・・っと。
「うぉっほん、そうか・・事情というものがあるのだろう。
深くは聞かないよ、リイジー。」
「ああ、そうしとくれ。
薬師ギルドの方には既に手配を済ませておる。
わしが居なくても今まで通りの製造レベルを維持できるじゃろう。
次のギルド長にも目をかけてやってくれ。
薬師と冒険者は持ちつ持たれつ・・・じゃからな。」
リイジーは椅子に深く掛け直しつつ、皺くちゃな手を肘掛けに乗せる。
いぶかしげな様子の2人を、目だけで見交わしながら続けた。
「それから、わしの工房はそのままにしておいておくれ。
管理はギルドの方に頼んできたから問題ないはずじゃ。
いつか・・・・ンフィーが独り立ちしたら必要になるかもしれんしな。」
「承知したとも。
それにしても・・君が居なくなると、この街も寂しくなるな。
たまにはこっちにも顔を出してくれよ?」
「ふぇ、ふぇ、ふぇ、今更 このババアに色目など使ってどうするんじゃ。
今生の別れというわけでもあるまい、お前さんたちも元気でやってくれ。」
「で・・・・、何だったんだ? ラケシル。」
リイジーが部屋を出て、足音が消えたのを確認するとアインザックは詰め寄った。
先程からウンウンと1人で納得している様子の彼に。
「ポーションですよ、モモン殿が持っていたという<赤いポーション>。」
「それは確か・・、ブリタという冒険者が<ホニョペニョコ>に投げたという・・アレか。」
「然り、かの吸血鬼をも怯えさせ、あるいは追跡者であるモモン殿を連想させたに違いない・・アレ、です。」
「ふむ・・、それは分かったが・・リイジーと何の関係が・・・」
「あ~~~っ、っもう、あれはとてつもなく貴重なモノなんですよ!
薬師が、錬金術師が夢見た究極のポーション!
今なら私にもわかります、伝説や夢物語だと思っていたものが目の前に現れた衝撃をっ!」
話しながら自分の言葉にさらに興奮する様子のラケシルに困ったような視線を向け、アインザックは水差しに手を伸ばして彼の前に置く。
「思い出して下さい、私があの第八位階魔法が込められた水晶を見た時のことを。
リイジーにとって、あの<赤いポーション>はそれなんですよ。
私だって状況が許せば、すべてを捨ててでも隠匿して研究したいのですよ。
・・・・・いつぞやの『墓地』の一件、覚えてますね?」
「アンデッド発生のアレだな・・・そうか、これはリイジーがモモン君に依頼したんだったな。」
「そうです、その少し前・・<森の賢王>を服従させた時には、孫のンフィーレア君が同行していた。
これはリイジーも承知していたすれば・・・。
つまり、リイジーとモモン殿はこの前から、繋がりが出来ていたと言う事です。
間接的にしろね、だから依頼できた。」
水をゴクリと飲み、ラケシルは続ける。
「ブレタは<赤いポーション>の鑑定をリイジーに頼んだと言ってましたよね。
そして、その出処がモモン殿であると聞いていたとすると・・。
リイジーがモモン殿に会って何もしないとは考えられません。
・・・・おそらく、あのポーションに関する何らかの秘密を得たのでしょう。」
「なるほど・・、ならば薬師としての残りの人生を賭けてでも研究に専念したいと・・・。」
もう一度水を飲み干すと、椅子に掛け直してラケシルは指を立てる。
「そこでカルネ村ですよ。 あそこは薬草の産地であり、すぐ近くがトブの大森林。
ポーションの研究に最適ではないですか。
あの村に移住するという事が、この仮説を裏付けているのです。」
「ふむ、じゃあお孫さんを連れて行ったのも意味がある?」
「もちろんです、ンフィー君も薬師として多大な才を受け継いでますし、あのタレントもある。
リイジーは研究の結果すべてを彼に託すつもりなのではないでしょうか?」
「そうか、っとなると将来的にンフィー君をエ・ランテルに迎えれば・・・。
他の依頼のついでに、カルネ村の様子を探らせた方がいいのか・・・な。」
「いやいや、アインザック。 どういう形にせよモモン殿が関係しているのなら、
彼の不評を買う行為は避けた方が賢明だ。」
「・・・・この件はここだけの話にしておくべきだな、ラケシル?」
2人はしばらくウンウンと唸りながら顔を見合わせていた。
口外はすまいと結論は出たものの、著名な薬師が街を去る事実は少なからず影響が出る。
さらに想像たくましく考えを述べ合うのだった。
馬車の御者台に座り、手綱の金具を調整しながらンフィーレアは声を上げる。
「いいかい、おばあちゃん。」
「ああ、戸締まりは終わったよ。」
人生の大半を過ごした工房に頑丈そうな錠を掛け、
皮のエプロンにサンダル、白い髪を頭巾で覆った格好でリイジーは振り返る。
今まで工房内を片付けていた姿そのもので、ンフィーの隣へ座った。
「それじゃあ、よろしくお願いします。」
馬の横には、黒い髪と黒い瞳、腰に剣を携えた女性が立っている。
涼し気な目元は、マントを羽織ってもなお女性としての魅力を予感させるものだ。
しかし、その語気はそっけない。
「カルネ村までは同行します。
そこからは、私の同僚が居るので、彼女の指示に従って下さい。」
「はい、わかりました。」
ンフィーは馬車を動かし始めた。
やがて城門を抜け街道に出ると、馬の横を歩いている女性に声を掛ける。
「あの、ナーベさん。 そろそろ走らせますから、乗っていただけますか?」
ナーべと呼ばれた女性はコクリと頷くと、事も無げにンフィーの隣に飛び乗った。
少年はいきなりの接近に少しドギマギしながらも、必死に正面を見ながら手綱を繰る。
「(ボ・・ボク、なんか失礼な事したかなあ・・、ナーベさんあまりこっちを見てくれないし・・。)」
思い当たるのはやはりアレだろう。
ナーベさんの言葉で、ボクがモモンさんとアインズって
きっとモモンさんに怒られたんだろうな・・・。
なんだか済まない気分になりながら、それを悟られまいとさらに手綱を強く握る少年だった。
ガタガタと馬車に揺られながら、リイジーは考えを巡らす。
隣りに座るンフィーへちらりと視線をやると、大きく頷いた。
そうじゃ・・、わしは孫のために『すべて』を差し出した。
モモン殿が天使じゃろうが、悪魔じゃろうが関係はない。
この身、この生命、孫のためなら惜しくはないわい。
『代償』などいくらでもくれてやるわ。
カルネ村に移住して、とある
そう指示を受けたが、一体何をやるのじゃろうな。
ナーベ殿は「同僚の指示に従え」と言っておったが・・。
モモン殿達のチームは二人組のはず。
同僚というのが
いや、詮索はすまい。
知ろうが知るまいが、わしにとってはどうでもいい事じゃ・・・。
馬車の揺れに合わせながらチラチラとナーべの様子をうかがうンフィー。
髪に隠れた耳は少しばかり桜色に染まっている。
うわー、近くで見ると・・本当に綺麗な人だなあ。
前は他の冒険者の方々と一緒だったから気づかなかったけど。
やっぱりモモンさんみたいな強い人はモテるんだろうなあ。
ボクも強くなりたいなあ・・せめてエンリを守れるぐらいに・・・。
「あ、あのーっ ナーベさん。」
「どうしました? 敵ですか?」
立ち上がり、あたりの様子を確認しようとする彼女。
ンフィーは慌てて違いますと片手を振って制する。
「いえ・・っあの、ナーベさんって第三位階魔法が使える魔法詠唱者なんですよね?
護衛を依頼した時、<ライトニング/雷撃>を見せてくれたじゃないですか。」
彼女は黙って頷き、座り直した。
ンフィーは前髪の隙間から片目を覗かせて続ける。
「どうしたらそんなスゴイ魔法が使えるようになるんでしょう・・・?
ボクはモモンさんみたいな体格も力も無いから、せめて魔法の腕を上げたい。
本当に・・モモンさんはすごいです。」
そう、ボクは知っている。
『アダマンタイト級冒険者モモン』と『
最上級の戦士であり、尚且つ、カルネ村を救えるだけの魔法の力を持つ存在。
嫉妬する事もバカバカしくなるような英雄の力。
「大丈夫よ・・・っとは言えないわ、残念ながら。
でも、あなたにはまだ伸び代がありそうだし、モモンさーんの凄さが理解できるなら、それに近づこうという努力はできるんじゃないかしら。」
(ミドリムシがタマゴコバチになる程度だけど・・っと言いそうになったが止めたナーベラルだった。)
彼女の先程までの冷たい印象が少し緩んだようで、ンフィーは少し笑顔になる。
「そうですよね・・、今は目の前のことを精一杯やらなくちゃ。
モモンさんとの約束のためにも。」
隣でそれを聞いていたリイジーが口を開く。
「約束? ンフィーはモモン殿と何を約束したんじゃ?」
極力、平静を装って聞いた。
もしかして自分のような『契約』をしたのかとビックリしたからだ。
あの御仁はンフィーと何を・・・?
「ああ・・うん、モモンさんが森の賢王を従えた時、ボクも居たんだよ、おばあちゃん。」
「森の賢王が居なくなったら、エンリ・・っか、か、カルネ村に近寄るモンスターが増えるかも知れないって・・。
そう思ったらいてもたってもいられなくて、ボクはモモンさんのチームに・・
・・入れて欲しいって頼んだんだ。」
「なんと・・っ、お前がかい?」
「うん、はは・・もちろん断られたよ。」
「でも、その時に言ってくれたんだ・・・この村を守るのに力を貸そうって。
ボクはそのためにモモンさんに協力するって約束したんだ。」
「そうか、そういう事になっていたのかい・・・。
わしがカルネ村に移ると言った時、街の工房はお前に任せようと思ったんだけどねぇ。
ンフィーは自分も行くって聞かなかったものねぇ。」
「それだけじゃないよ、おばあちゃん。
ボクが襲われた事件もモモンさん達が解決してくれたんでしょう?
あの時の記憶があまり無いから良くは分からないのだけど・・。
きっとボクはあの人に大きな恩があるんだ。
ね、そうでしょナーベさん?」
ナーべは何か言おうとしたが、だまって軽く頷いた。
いつぞやの失言のように、この件についてまずい事を言いでもしたら、
またアインズ様に叱られると思っての行動だった。
恩がある、と思ってもらう分には問題ないと判断したのだ。
モモン・・アインズ様はンフィーレアの事件当時の記憶を一部消去している。
クレマンティーヌやカジットに会った事、<
もちろん本当に事件のショックで記憶が混乱しているのも事実だが。
そして、カルネ村移住の件に関しても、あらかじめンフィーレアには話してあった。
彼を、彼の
君はしばらく身を隠した方がいいとモモンが勧めたのだ。
さらに、モモンがかの
アインズ様の庇護にあるカルネ村に移住すれば、身の安全を図りつつ、エンリの側にいて守ってやれる。
モモンとの約束を果たし、尚且つ、恩を返せる機会を得られるかも知れない。
いずれにしてもンフィーレアには断る道理は無かったのである。
「だから・・、エン・・村のためになるならボクも行かなきゃ。」
「お~っふぉっふぉっふぉっ・・・」
抜けた前歯を見せながらリイジーはンフィーの肩を叩く。
「なんだい、結局はエンリちゃんのためかいっ、ふぇふぇふぇ・・。
だがまあ、それでいいんじゃよ、男ってやつはのぅ。」
このぶんなら生きてる内にひ孫を見られるかもしれない。
身売りならぬ残りの『人生売り』をしたこの身にも、待ち遠しい未来があるなど・・皮肉なもんじゃな。
リイジーはそう思うと何か救われたような気分になった。
「おっ、おばあちゃんっ・・エンリは・・そんな・・・っ。」
「いいんじゃ、いいんじゃ、お~っふぉっふぉっふぉふぉ。」
陽が傾きかけた頃、馬車は道程最後の丘を越えてカルネ村を望める場所に出た。
ンフィーが馬の速度を落とすと、ナーべはヒョイと降りて馬の横につく。
リイジーは道の先の風景を訝しげに見渡しながらつぶやいた。
「なんだい、あの囲いは?」
「この前よりすごくなってる・・・。」
ンフィーレアも前回見た木柵とは比較にならない有様を見て驚いた。
目の前には立派で高い塀・・・というより木製の城壁と言っていいものが見える。
門の横の見張り台から手が振られると、扉が開き人影が集まってきた。
「ンフィーレア~~っ。」
(あれはエンリちゃんじゃの、隣はネムちゃん。
その隣の女性は・・、ナーべ殿が言っておった同僚という所か。
それに・・・あれはゴブリン?
ほほう、ンフィーが話しておったというやつじゃの。
しかし、カルネ村はどういう事になっておるのじゃ・・・・・。)
リイジーは目を丸くしたり、細めたりしながら見渡す。
馬車が門前に着くと皆が取り囲んで歓迎の言葉を口々に言った。
あの女性も近寄って自己紹介する。
「・・・<ルプスレギナ・ベータ>っていうッス。」
褐色の長い髪を両サイドで三つ編みにし、人の良さそうな瞳を向ける。
黒を基調にしたメイド服はわかるが、頭には獣の耳を思わせる形をした帽子を被っていた。
「アインズ様のご命令でお家も用意してあるッスから、案内・・あ、これはエンちゃんの役目ッスね。」
背中を押され、そこに座るッスよ~~~っっと、エンリは御者台に押し込まれた。
「あっ、わっ、私の家の隣だから、ンフィー分かるよね?」
「う、うん。」
「いや~、青春ッスねえ、若さっていいッスねえ。」
腕を組みながらルプスレギナは大きく頷く。
ゴブリンたちもなにやら嬉しそうに見ている。
「もっ、もう・・。」
ゴブリン達が門を大きく開くと馬車はゆっくり進みだす。
「あっ、ジュゲムさん、村長へ報せを、それからっ ネム・・・」
「分かってますって、ネムさんはあっしが連れて行きますよ。
報せもとっくに走らせてまさぁ。
こっちの始末が終わったら荷降ろしに行きやすんで、馬車は家の前でいいですよ。」
皆のやり取りを見ながらリイジーは頬を緩める。
なんだい、わしの『牢獄』としちゃ・・楽しそうじゃないか・・・。
バレアレ家に用意された家の前は、荷降ろしをするゴブリンと様子を見に来た村人で騒々しかった。
エンリと楽しげに話すンフィーレアを目尻を下げて一瞥すると、リイジーはメイドに急かされて家の中へ入る。
こっち、こっち、と幾つかの扉をくぐると、家の外見からは想像も出来ない立派な研究室が目に入ってきた。
「なんと・・これは・・・・。」
中央に分厚い栗の木材を組んだ作業台、脇には金属の板が貼り付けられた鉄台、その向こうには人の背丈を超える蒸留器。
器具を洗ったり、浸けたりできる白銅色の金属が貼られた洗い場や貯水器。
壁に並ぶ薬品棚や小物棚はおそらく<プリザーベイション / 保存>の効果が付与された魔法家具。
加熱炉、焼成釜、保温庫、還元炉、いずれも錬金術には必須な数々の魔法工具や装置。
窓のある壁には幾つもの丸い穴が空いており、6枚の羽板が回っている。
「あれは<カンクーセン / 換気扇>ではないか、あんなものまで・・。」
それはかつて口だけの賢者が考案したと言われるもの、一定時間毎に正回転と逆回転を繰り返し、部屋と外の空気を入れ替える魔法器具だ。
外側には深いフード状の金属覆いが付けてあり、雨が振り込む事はない。
しかしながら、リイジーを驚かせたのはもっと他のモノ。
中央の大きな作業台に所狭しと置かれた器具や素材の入った箱。
「ジャッジャ~~~ッン! ここが研究室ッスよ。」
メイドは両手を広げて一回転する。
「みんなアインズ様が用意なされたものッス。」
箱の中身を覗き、手にとって確かめつつリイジーは困惑の表情を浮かべた。
なんじゃ・・? これは一体なんじゃ・・? 見た事がないものばかり。
牙や羽などのモンスターの一部、不思議な色の果実や植物、奇怪な結晶の鉱石・・・。
数十年のわしの知識の中に無いものばかりじゃ・・・。
「おっ・・おぬし、これはいったい・・・・」
「自分達で考えるっすよ。」
リイジーの言葉を遮って急に真顔になってメイドは言い放つ。
反論は許さんと言わんばかりに。
「あたしは『届けろ』としか言われてないッスからねぇ~。」
またコロリと表情を変えて言う。
「こいつらを使って新しいポーションや錬金術アイテムを創れと、アインズ様は仰せッス。」
「う・・うむぅ・・・わかった。」
どうやらこのメイドに聞いても無駄だと、なんとなく年の功で判断したリイシーは了承しておいた。
「まあ、おばあちゃんならパパパっとやれるッスよ~っ。」
メイドはそんな風に言い放つと部屋を出て行った。
その日の夜、リイジーは研究室の椅子に座って目の前のモノを見つめていた。
ンフィーはエンリの所でゆっくりしているじゃろう。
あれから村長が来て、村を上げての歓迎に連れだされた。
皆は高名な薬師が来たとたいそう喜んでいたが、リイジーにしてみれば複雑な気分だ。
いや、それにしても驚いたのは・・この村での「アインズ様」の評判じゃった。
その名を口にする村人の目には、もはや信仰といって良いほどの輝きが見える。
聞けば・・かつて村が騎士の集団に襲われた際、それを救ってくれた
その方がエンリに下さったアイテムから出てきたのがゴブリン達。
ゴブリン達は村のために働き、今や完全に受け入れられている様子。
また、村全体を囲うあの長大な木塀をわずか数日で作るに至ったゴーレムも彼のものだとか。
そして、目の前にある信じられないモノもまた・・アインズ様と呼ばれる者が・・・。
何者じゃ? モモン殿とどういう関係があるのじゃ・・・?
もの思いにふけっていると、壁の向こうで家の戸が開く音がした。
足音は研究室の前まで躊躇なく歩いてくる。
「ンフィーや、早かったねえ。 エンリちゃんといっぱい話せたかい?」
そう言いながら振り向くと、開かれた戸のところには見知らぬ人物が立っていた。
黒いローブに赤い宝玉の嵌った骨の肩当て、奇妙なマスクを被っている。
「はじめまして、<リイジー・バレアレ>。
私が<アインズ・ウール・ゴウン>です。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「モモン殿から高名な薬師がいると聞いたのでね、この村に来てもらったのですよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・? どうしました?」
「おぬし・・・・モモン殿じゃな?。」
リイジーはニヤリとした顔で言い放つ。
枯れても錬金術師の端くれ、観察眼まで劣ってはいないと笑う。
「ハァ、まあ・・そのうちバラすつもりだったから構わないが・・。
どうして分かった?」
「ふぉっふぉっふぉ、だって、声が同じじゃろ? 色々と合点がいったわい。」
「なるほど・・、その可能性は危惧していたが、やはり間近で聞いた人物なら特定可能という訳だな。」
部屋の中へ歩み出ると、リイジーの前に座って話しだした。
「ならば無用な小細工は必要あるまい、リイジー。
おまえはすべてを差し出すと『契約』した。
これからは私のために働いてもらうぞ。」
「もちろんじゃ、わしに異存はない。
そもそも、そのつもりでこの村に来たのじゃからな。
で、何をさせるつもりじゃ? あのメイドは『自分で考えろ』『新しいポーションを創れ』と言っておったが?」
ふむ・・っと、少し思案する様子のアインズ。
「(あれほど説明したのに・・、ルプスレギナのやつ何をどう伝えたんだ?)」
「うぉっほん、わかった、改めて説明するとしよう。
ところでンフィーレア君はどこかね? 2人一緒に説明した方が早いだろう。」
「ああ、ンフィーはエンリのとこじゃ。
今夜ぐらいはゆっくりさせてやろうと思ってな。
じゃが、わかった・・呼んでくるから少し待ってておくれ。」
「あなたがアインズ様! 来ていたんなら・・村長さんを呼んできましょうか?」
リイジーに連れられて入ってきたンフィーは目を丸くする。
「ああ、いや・・その必要はない。
お前達2人に話があっただけだ。 座ってくれ。」
前髪の下からキラキラした視線を送るンフィーレア。
よっこらしょっと机に手をついて座るリイジー。
「そうだ・・ンフィー君、リイジーにはさっきバラしたからね。
おばあちゃんには隠す必要はないよ、私の事は・・・ね。」
そうなんだ~っとびっくりした顔を向けるンフィーに、リイジーはニッコリと笑う。
「私の方も都合が良かったよ、これからやってもらう事を考えればね。
2人の協力が不可欠だ。」
「さて、勿体をつけたが・・やってもらいたいことはコレだ。」
アインズは懐から<赤いポーション>を取り出す。
ンフィーの目は真ん丸に見開かれ、リイジーの目は険しく細くなる。
2人は何かを悟ったようにポーションを見つめた。
「コレを作って欲しい。
ここにある材料・器具、何でも使って君たちの力で作って欲しいのだ。
また、それを作る過程で今までにないポーションや、新しい錬金術的道具などの発見・発明も君たちの仕事だ。」
「モモンさ・・アインズ様は、ボクが<赤いポーション>の秘密を知りたいと言った事、覚えていて下さったんですね。」
やりますっ! やらせて下さいっ!! っね、おばあちゃん。」
アインズは(ちょっと違うが~)っと思ったが、ンフィーのキラキラする視線に言葉を飲み込む。
「なるほどのぅ・・、もちろんじゃ、薬師として夢に見たモノじゃ・・・是非もない!!」
じゃが・・・っとリイジーは机の上の箱に目を向ける。
「そなたの持つその<赤いポーション>、発見された遺跡や参考になる情報は教えてはもらえぬか?
それに、ここにある材料や器具に関しては、わしも見た事が無い物ばかりじゃぞ?」
「自分達で考えるのだ。」
あのメイドと同じ言葉でアインズは断言する。
「(だって・・・、俺知らないもんよ~。 パンドラズ・アクターに錬金術系のアイテムを出せと頼んだだけだし。
かといってあいつをここへ連れてくる訳にもいかないしなあ・・・。)」
「探求せぬものに真理は示されざる。」
何かの格言にあったかと思いながら、それらしい言葉を言ってみるアインズだった。
「あーっっひゃっひゃっひゃ・・・」
「おばあちゃん?」
「弟子の頃を思い出したわっ!
わしの師匠もよくそう言っておった・・忘れておったよ。
教わろうと思うな、自分で考えよ。
錬金術は結果よりも過程にある思考こそが真理を示すのだとな。
ンフィー、わしは恥ずかしいよ・・・。」
「う・・うむ、そういう事だ。
足らない材料や器具があればルプスレギナに言えばいい、出来る限り用意させよう。」
「はいっ、ボクも大変に参考になるお考えを聞けて勉強になりました。」
「アインズ殿、わしも初心に帰って頑張らせてもらいますぞ。」
「よし、それでは私は戻るとしよう。
ああ、済まないが・・今夜私がここに来た事は内密に頼む、村人にもルプスレギナにもな。」
こっちにはこっちの事情があってなあと・・アインズは仮面の下で困り顔をした(表情筋無いけど)。
アインズは部屋の隅に行くと魔法を発動させたようで、スゥっと姿は掻き消えた。
リイジーは改めて机の上のものを見渡し、抜けた前歯を見せてニヤリと笑う。
何が『代償』じゃ・・、何が『牢獄』じゃ・・、目の前には錬金術の秘宝の山。
この歳まで生きてきても触れる事叶わぬ未知の洪水。
そして、真なる薬<赤いポーション>に至るかもしれないチャンス。
逆じゃよ、こちらからすべてを差し出してでも果たしたい研究じゃ。
この老いぼれに残された時間、余さずつぎ込んでみせようぞ。
そして、もし途中で果てても孫がおる。
ンフィーに託せるだけの研究成果をきっと・・・・出してみせる!
「さあ、ンフィーや。 まずは分類仕分けから始めるとするかのぅ。」
「そうだね、おばあちゃん。」
その家の周りにツンっとした異臭が漂い始めるのは・・・・・。
数日先の話である。
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