二節 維摩 二日目 三 津斐

「子供じゃない、と言って強がるのは子供しかいません。このように、無駄に意地があって何事にも我儘であるため、なるべく波風を起こさないよう、『嫌よ』とあれば素直に引いて、無言、且つ無抵抗であれば許諾と受け取って下さい。また、隙あらば例の水を差し上げ、決して冷水を差し出さないよう注意して下さい」


「……」


 まるで駄々っ子扱いである。覚羅と森虞は何をどう反応していいのか考えあぐねていて、それを察した維摩は二人に向かって「何か」と、やや威圧を含んで尋ねる。すると覚羅は慌てて、「い、いえ。承知しました」と取り繕った。


「では後のこと、よろしくお願い致します」


 森虞は『事後を宜しく』との、維摩の言葉に引っ掛かりを感じた。彼女とはたった一晩の付き合いではあるが、感じ得た彼女の人柄から主人たる者を、たった一晩の仲に任せ切るようなことをどうして言うのか、甚だ疑問であった。


「失礼ですが、維摩様は何か別のご予定がおありなのでしょうか」


「ええ。私の着任と先任の不祥事について、関係各位に挨拶とお詫びを述べに行ってまいります。明日以降についても、先方の予定次第でここを空けることになります。どうか、ご了承下さい」


 多忙なのは確かなのであろう。しかし、森虞の疑念を払拭するには何かが足りない。上辺の言葉なのではないかと、そう森虞自身の直感が囁いていた。


 しかし、森虞の仕事は疑義を明らかにすることではない。例え、維摩が空嘘を吐いていたとしても、マヤへの献身を貧しくする理由はにはならないのだ。森虞は責任感が強い。また感情の切り替えの効く性格でもあったので、「解りました。後の事はお任せ下さい」と言って、維摩の期待を裏切らないよう努めることとした。


 帝宮を出た維摩は蹄笳の執務室へと出向き、ライナの死の経過を知る人に面談することを願い出た。彼は逡巡もなく二人の名を挙げる。


 まず一人は、維摩が昨日、検査のために已む無く裸を曝すことになった医者である。ライナは処刑後、その亡骸は密かに火葬に付されたが、煙と骨とになる前に検屍がされていて、それを行ったのが彼であった。


 もう一人は、ライナが処刑される前、その身柄を一時的に預かった禁軍府の次長である衛帥の一人であるそうだ。彼はライナが処刑される直前まで、彼女を拘束していたため、何か面影の一つでも残していないか聞いてみるがいい、と蹄笳は言ったが、同時に愛想の無い人間でなので期待は薄いと付け加えてくれた。


 面会は日が昇りきる前に禁医と、昇りきった後は次に禁軍府の武官と。先方はそれぞれ、一刻程度の時間を確保している。そう話を通してあるとのことだった。充分である。維摩は蹄笳に礼を述べ執務室を後にした。それからまた後宮に戻ると、後宮を司る宮近衛ならびに宮侍司への挨拶と諸手続きを済ませた。


 さて、これからが維摩の本務である。ライナが銃殺された証拠、証言を収集して、不当に殺されたことを訴える材料としなければならないのである。


 その仕事始めが禁医である。彼はライナの遺骸を検めるたのであろうから、その結果を書面にしているのは間違いないと見ていい。その書面の写しを頂戴できれば、ライナが銃殺されたことを証明できる。親那では死亡証明を発行した場合、公的機関への提出が義務付けられている。提出された証明には一意の番号が振られ、権限のある者はその番号から証明を閲覧できるのである。


 だが正直なところ、維摩は気が進まなかった。なんというか、あそこまで他人に恥部を押っ広げ、曝した事は無かったため、なんともいえない複雑な気持ちがあった。


 何せ、あのようなあられもない姿を目一杯曝したのだ。そのためであろう。あの時を思い出すと気持ちが少し高揚する。勿論、悦んでいるのではない。恥を掻き消そうという衝動が自然に働くのである。


 だが、あれは検診である。それ以上でも、それ以下でもない。と、自分に言い聞かせるが、理性だけで拭い切れるものでもなかった。同時にこのような乙女な部分がこの心に根差していたことに、何か新しいものを発見した気分でもあった。まぁ、当然である。処女なのだ。


 だが自分はアグリ王家に身を捧げた者。たかがこれしきのことで取り乱してはならないのだ。このふるふると震えている自分の心をがっしりと鷲掴みにし、無理やりにでも落ち着かせなければ。そう思い、維摩は自分の頬を手のひらでパシンと軽く叩いて、気がつけば禁医の診療所は目の前にあった。維摩は回転式の呼び鈴で自身の到来を知らせた。


「どうぞ」


 若い男の声が戸外まで届く。


「失礼致します」


 澄ました一声を掛けてから中に入ると、昨日と同じく白、というよりは薄い灰色と白銀の中間の色をした壁が目に付いた。この侍医室は二つの空間で構成されていて、この手前の部屋には書籍、書類、器具、薬瓶などが棚に整頓されていた。ここには医師の弟子か助手かは知れぬが若い男が一人いて、維摩は彼に一礼した。


 まだ少年と青年の間ぐらいの、年齢でいえば我が姫君と同じくらいであろうか。まぁ、取り立てて気にする事は無いだろう。維摩は気にせず、棚を一寸眺めてから奥の部屋の呼び鈴を回した。すると、中年男の気の抜けた声が奥の部屋から届いた。断りを入れてからそこへ入ると、脂ぎっていて禿げかかった頭とポッコリと突き出た腹が目に入った。


「やぁ、昨日の君かぁ~」


 何がおかしいのか医者は丸い体を揺すって笑った。


 昨日もそうだったが、この男はやけに陽気で、検診の間も『ほぅ』だの『いやぁ』だの、口から漏らしては、何がおかしいのか急に笑い出したりする。それも維摩の裸を見て、だ。どこかみだりがましいものがあった。


「府長から話は聞いているよ。さぁ、どうぞどうぞ、そこに掛けて」


 維摩は言われるまま、椅子に腰を落ち着ける。


「さて、何を聞きたいのかな。昨日の事なら問題ないよ。色々綺麗だったからね」


「は」


「うん」


「はい」


「ぶふっ。はい、とな。自分でも知っているのかい。うはは」


 恥知らず。そう罵倒してやろうかと思ったが、すんでのところで堪えたため、先の言葉の頭だけがちょん切れて出てしまった。このためとっさに言い繕った訳だが、結果、自分の恥部を自覚しているような言動になってしまった。維摩は赤面しそうになったが、相手への嫌悪でそれを覆う。


「おや、今ので顔色を変えないとは。なかなかだねぇ」


 維摩は「左様でしょうか」と、棒のように言って無関心を装う。そして、これ以上の戯言を吐かせないよう本題に入った。


「本日お邪魔しましたのは私の先任者の件にございます。この件で禁医である『津斐』様のお手を煩わせてしまいましたことを伺候府長様からお聞きしました」


 津斐とは彼の姓である。名、経歴、出生などは聞いていない。ただ、運動を知らない不健康そうな体の割に肌が浅黒いので、南方出身である可能性が高い。


「先任の不行届きにより、大変なご迷惑をお掛けしたこと、心よりお詫び申し上げます」


 維摩は椅子から立ち上がって深々と礼をすると、津斐は柔和な顔を見せる。性格が温厚のためか、表情は彼に似合っていた。


「ああ、なんだ。気にしなくていいよ。それが御役目なのだから。それにしても、残念なことだったね」


「いえ、先任の不始末に恥じ入るばかりです」


「あの、媼。確か」


「白楼閨」


「であったか、な。陛下に粗相をしたらしいが、あんな婆さんを殺す事もなかろうに……」と、津斐は大げさに首を振った。


「いえ、恐れ多くも親那皇に粗相をするとは断罪されて当然。彼女はアグリの恥であります」


「なにもそこまで言わんでも……人は完璧では無いのだから、失敗の一度や二度あるものさ。それにしても、やはり今回のは過度な罰だよ」


 津斐はわざとか、それとも自然に出たものかは知らないが、随分としんみりした顔付きをした。どうやら彼は物事に対し、大げさに反応する癖があるようだ。


「陛下の負れた傷は浅い、と」


「いや。まぁ、あはは」


 禿げた頭を搔きながら掌をこちらに向けて、勘弁を乞うた。どうやら口外を禁じられているようだ。しかし、彼の反応は肯定と見て良いだろう。


「ところで津斐様」


「親しみを込めて津斐と呼んで下さい。イヅマ宮」


「では津斐殿」


 両手をぱっと開いくと「おおう」と感嘆して、凡そ上品とは遠い喜色で満面となる。鬱陶しいことこの上ない。


「白楼閨の亡骸を検分したと聞いております。それは確かでしょうか」


 津斐の表情がころりと変わって、意外そうな様子となる。


「確かに私が検分したよ」


「それは確かに白楼閨、であったのでしょうか」


「私は知らないなぁ。というのも、彼女が御宮に入るときに、彼女を検診したのは私ではないからね。だから亡骸の彼女とは初対面だったよ。私が検分したその亡骸を指して白楼宮宮と言ったのは府長殿だ」


「伺候府長様も一緒に刑場へ行かれたのですか」


「ああ、そうさ」


「私は親那宮廷の仕来りに疎くて申し訳ないのですが、そのような場所に伺候府長様がわざわざ出向くものなのでしょうか」


 他にライナを判別できる者がいなかったのだろうか。ライナがこの宮殿にいたのはたった二日である。とはいえ、ライナの顔を知っているのは蹄笳だけである訳がない。彼の地位からすれば、彼以外の者を使わして、その亡骸を確認させても何の不思議も無いのだ。同情のためであろうか。確かに、彼の昨日の態度は悔恨の情、慙愧の念を含んでいたように思える。だが、それは何かの演技である可能性も否定しえない。


 もしかして蹄笳は嘘を吐いているのではないか。違和感を覚えた維摩の瞳が人形のように硬直する。それを津斐は見逃さなかった。


「……疑わしいかい」


 維摩は恍けて「何が、でしょうか」と、白を切った。


「安心したまえ。何も無いと思うよ。ただ府長殿は涙こそ流さなかったものの、相当気に病まれていたようであったし。お、そうだ」


 津斐は右の背中、ちょうど肩甲骨の辺りに人差指を向けた。


「ここに黒子が数個程ありはしないかい。それと、うっすらとした疵痕が。恐らくは刃物の」と、右の掌を左の人差指でなぞりながら「ここに残っていた。昔、ここを何か鋭利な物で切った事はなかったかな」と、今見てきたような風に語り、少し誇らしげな顔をする。これに維摩は驚いた。何故なら、津斐はライナの特徴を、的の中心を射たかのように当てていたからだ。


「御見それしました」


「あの歳ともなると手に皺が増えているので、素人目なら見逃すだろう。私だから気付いた」


 成程。蹄笳では気付かないであろう特徴を掴んでいるこの事実。つまるところ津斐に偽の死体を使ってライナの死を偽装したことはありえない、とそう彼が告げていた。


「それとも、府長殿と私が結託している。とでもいうのかい」


「いえ、それは無いでしょう」


「ほう。どうしてだい」


「白楼閨の死を隠す意図があるとすれば、今回の不祥事を深く知る者達だけでしょう。それ以外の者は利害の外。不必要に情報を拡散する可能性は極めて低いと言えますから」


「成程、見識だねぇ。それにしても」と、津斐は維摩に名玉の瑕疵を見るような、とても残念そうな顔をして、「彼女も君と同じ王家に仕える家臣であろう。彼女の死を語っているのに眉一つ動かさないなぁ君は」と、情が尠い事を暗に指摘してきた。だが、維摩は世間一般の常識を踏んだ後のような顔をして、「いけませんか」と津斐の批判を跳ね返した。


「おほほぉ、綺麗な顔をしてそういうのもまたいいなぁ」と、奇声に似た下品な声を上げる。しかし維摩、彼の品性に慣れたのか、まるで無かったことのよう振る舞う。


「もう一つ、お聞きしたい事があります」


「なんだい」


「白楼閨は銃殺に処された、と聞いておりますがその真偽についてです」


「要は死因だね」


「はい」


「銃創があったことから銃で撃たれたことは間違いないね。それ以外の外傷は見当たらなかったよ。屍の硬直具合から、処刑したとされる時間との矛盾も無い。また、いくつかの毒に見られる外的な要因も無かった。しかし、毒殺といった他の死因の可能性を否定できるかと問われたら、明言はできない。なんせ腑分けや体液検査をしていないんだよ。これ以上白楼宮を傷つけたくない、と府長殿が仰ってね」


「可能性がある、と」


「毒によっては外見ではなく内臓に特徴が現れる種類もある。だから、その類の毒物が用いられていたとしても、それは解らない」


「成程……ではその証拠を消すため、つまりは銃弾で内臓を破壊、若しくは銃創の孔から毒を抜いて毒殺である証拠を消すため、また刺突であれば刺し傷を隠すため、銃殺にみせかけた疑いはありませんか」


 津斐は維摩の疑心に驚いて、その突飛さを「あっはっはっ」と声を上げて笑った。


「よくもまぁそんなこと思いつくね。僕は考えもしなかったよ。まぁ、確かにある銃創は胃を貫通していた。だが、胃だけに残る毒は限られているし、多くは皮膚に現れるから可能性としては低いんじゃないかな。それに、毒殺にしろ、銃殺にしろ結果は同じ死、だ。そこに至るまでに君がこだわるのはどうしてかな」


 津斐がこう言ったのに対し、維摩は「他意はありません。つまらない興味からです」と答えた。だが、内心ではその反対で、維摩はある疑義を懐いていた。それは、親那帝がライナを己の嗜虐的な不満を充足させるために惨たらしく殺した。それを蹄笳は隠したかったのではないか、と。


 維摩は親那帝を知らない。勿論、媒体を介しては知り得ているがそれは、憶測や権力、書き手の恣意といった不純物を多分に含んだ情報なのだ。


 偽りの無い彼の肖像を描くことができる翰墨があるとすれば、マヤに刃を向け、ライナを処刑したという二つの事実のみである。果たしてそれが真実の彼であるか否か、維摩は確証を得て、事後の行動を誤らないようにしなければならないと、こういった意図があったのだ。


 しかし、空振りに終わった。得られたのは津斐の太い笑声だけであった。


「なんだい、犯罪読本の読み過ぎかい。創った話に傾倒し過ぎちゃあだめだよ。うははは」


「申し訳ありません」


「いいさ。さて、他に何か聞きたい事はあるかい」


「質問したいことはもうありませんが、一つお頼みしたい件があります」


 津斐は顎を撫でながら、「なんだい、なんだい」と、丸っこい顔を寄せてきた。


「死亡証明を頂けませんか」


「あれれ、それなら一昨日に出してしまったよ。証明番号でいいかい」


「実は、母国に送付するための一通を早急に欲しいのです。証明番号ですと、今から機関に申請しては数日を要します。私勝手な都合で申し訳ありませんが、何卒」と、怪しまれぬ程度の憐憫を、鱗粉のように微かに漂わせ、実は艶やかな羽を持つ毒蛾が散らしたものであるのを、我は蝶なりと人を惑わす。


 つまり、アグリ本国から維摩へそのような要求を一切出していない。つまりは真っ赤な嘘を吐いており、本来の目的は諸侯にライナの死を証明するための証拠として欲しいのである。


 この維摩の意図を知らない津斐は、「おお、そうか。いいとも、いいとも」と快諾すると、引出から死亡証明の書面を、地面を発掘するようにようやく引っ張り出した。王宮だと用いられる機会が無いので、他の用紙や資料、診療簿などの下に埋もれてしまっていたのだろう。津斐は取り出した書面をしかめっ面で睨みながらで「少し古いが……」と、断りつつ「証明するのに問題はないよ」と側らに置いてあった綴込みを開き、それを参照しながら金属製の墨を含ませた筆である金筆をなめらかに走らせた。その書き途中に津斐は少し悲しげな表情を維摩に見せた。


「それにしても異国の地で果てるとは。さぞ、心残りであっただろうに」


「それはありません」


 仕上がりまでの時間を持て余しているかのように辺りを見回していた維摩は、静かに、そして呟くように言ったのを耳にした津斐は、直ぐに「何故だい」と問うた。


「アグリのにとっては、我が主君のおわす所が国であります。それが例え、遠く異国の地であろうとも、主君のために斃れるのであれば本望というものです」


 身に沁みついた一個の常識を当然と答えるが如く、そこに一切の逡巡なかった。


 津斐はこれに驚いた。若い時分であれば、こういった熱のある言葉は感情から飛び出すものだが、維摩のは長く浸かって骨の髄まで滲みこんだ価値観からの言葉であるように聞こえたからだ。


 ましてや大戦争など遠い昔。大陸統一を知るのは青史の文字みという、静寧が訪れて久しいこの時勢に、しかも女が。津斐自身でさえ、このような言葉を吐くときは、場所や人を選ぶ。例え、心の内で丹念な準備を重ねたとしても、こうも息を吐くようにはいかないであろう。


 維摩は世間が求める自身の肖像を裏切ったことに気付いて、「いえ、失礼しました」と、顔を背けた。自身に染みついた色を不意に露わにしたことに、他人に素肌を見られたような恥じらいを感じたためである。


「私は君の事を大人しい女性だとばかり……。いやはや、それは随分な思い違いのようだ。アグリ王家の家臣は篤い忠誠心を持ってらっしゃるようで」


「忘れて下さい」


「忘れられたらそうしよう。ほれ、お望みのものだよ」


 津斐は金筆を置き、『写』の印を署名に被せ、最後に書面に息を吹きかけて生乾きの墨の水気を飛ばしてから、証明書を維摩に手渡した。受け取った維摩は、頭を下げて「ありがとうございます」と感謝を述べてから、それに目を通した。津斐は「悪筆で悪いねぇ」と、謙遜したが、筆の速さに比べて達筆であり、人体の白図に銃創を一つずつ、その特徴まで詳細に記述されていた。それを俯瞰した維摩はとある一箇所に違和感を覚えた。


「……蟀谷」


「んん」


 維摩は人体図の頭部の辺りを指差し、「体の銃創が正面から裏へと貫けているのに、頭にある唯一の銃創は横に、両蟀谷を通っています」と、津斐に質問した。


「ああ、それね。君は銃殺がどういう風に行われるか知っているかい」


「対象を立たせ、そこからある程度の距離を取り、対象の心臓に向け、複数名が小銃による射撃を行う、で合っていますか」


「ああ、間違ってはいないが、銃殺場では普通、対象の体を柱に縛り付けるのだ。だが、頭まで縛りはしない。そのため……」


「……銃殺時に対象は顔を背けていた。そのため、体と頭で弾の抜けた方向が違うということですか」


「それ以外の理由があるのかい」


 まさか、あの彼女が。己に、そして他人に厳格であったあの彼女が逃れられない死を前にしながら、尚も不覚悟たりうるであろうか。維摩の知るライナはそうではなかった。アグリ王もそれを知っていたために、マヤの養育を任せたのである。維摩の中で根拠の知れない疑念が生まれ、そして直感した。


「これは、銃殺場のときとは別の原因によるものである可能性はありませんか。例えば、拳銃で撃たれたとか」


「それは無いよ、維摩宮。拳銃で頭や胴を撃った場合に貫通することは殆ど無いのだ」


「それは何故でしょうか」


「それは、ね、弾丸の威力だ。これは弾丸の重さと速さで決まるのだが……言っている意味解るかな」


「換言すると弾丸の持つ質量と速度が大である程、それに比例して威力は増す。ということですね」


 津斐はうんうんと首を縦に振った。


「そうだ。銃から放たれる弾丸の威力とは、弾丸の重さ、炸薬の質または量、銃身の長さ。これで決まる。拳銃と小銃を比べた場合、大方は拳銃の方が小といえる。まぁ、モノによっては違うのだが、少なくとも親那の軍で使われている拳銃は大口径のもので無い限り貫通はないと言っていい。極め付けに、頭と胴の銃創の大きさが同じだったよ」


 つまりは、貫通銃創であるため拳銃で撃たれてはいない、ということだ。


「仮に拳銃で撃たれたとしても、監督者が止めに頭へ一発撃った可能性もありうる。君の疑念を満たそうとすれば、考えようによって簡単に理由付けできるさ」


 津斐は言っている。疑い出せば切りがない、と。確かにそうだ。先程、津斐が言っていたように『結果は同じ死』なのであって、彼女の死に場所が別であると仮定しても、維摩の行動に重大事となることは果たしてあるのであろうか。その可能性について、維摩の思考は否を突き付けており、ただ直感だけがぐずついた童子のように説得性の無い主張していた。しかし、感情は理路で舗装されたのである。これ以上の質疑は愚行であった。


「成程、合点がいきました」


「他に聞きたい事は無いかい」


 津斐は目から怪しい光を出しながら、身を寄せて聞いてくるので、拒絶を含めてきっぱり「ありません」と応えて、頂戴した証明書を丸めて携行用の文櫃に仕舞った。


「御役目中に恐れ入りました。それでは、お邪魔になるといけませんので、これにて御暇致します」


「また好きな時に来ていいよ」


 津斐は愛想よく言ったのだが、維摩は笑顔で「機会があれば」と、心にもない返事を返しておいた。


「全く、君の様な御嬢さんと話ができて、本当に楽しい一時だったよ。ここ最近、斎王様と君がここに来た、という意外に明るい話題が無いものでね」


 津斐は窓の外に顔をむけて陽に輝く緑葉を眺める。その目はどことなく哀愁が漂っていて、誰かを懐かしんでいる風であった。これを見た維摩は、ふと、一人の人物を思い起こす。


「季簾斎王宮下の薨去、でございますか」


「ああ」


「心の臓を患っておられたとか……。帝室血族とご婚姻のお話も出ていた矢先に……御労しい限りです」


 この同情に津斐は同調するだろう、そう維摩は思った。しかし津斐の表情に何か苦悶のようなものが少し滲んむとそのまま、彼の陽気な春のような性格に似合わず暫しの間、しんみりとしていた。


「……ああ。そうだね、そうだね。あの気品と気骨に溢れるお人柄、私は好きだったなぁ。皇太后様によう似ていらした」


 津斐は苦笑する。


「……」


 維摩は何も言わなかった。何かが胸に引っ掛かっていて、それの正体を探していたためだ。津斐も目の前の彼女が言って返してこないので返答に困って、そのために沈黙が訪れ、重い空気がこの場にずしりと座した。それを察知した津斐は今日会ったばかりのような陽気で、「ん、どうかしたかな」と漂う沈痛な空気を蹴飛ばすようにおどけながら聞いてきた。


 維摩は「いえ……お悔やみ申し上げます」とだけ残して、退出しようとする。


「じゃあね」


「失礼致しました」


 頭中の正体の知れない痼のようなものを残したまま、津斐の元を後にした。

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