二節 維摩 二日目 二 朝と二人
親那の女官用宮廷服を着た維摩を見たマヤは開口一番「なにそれ」と、まるで珍種の動物でも目にしたかのような顔をして言った。
「姫御子様も如何ですか」
「嫌よ。地味だもの」
「寝てばかりいては体が鈍ってしまいます。このような動きやすい服装に着替え、宮庭の散策でもなされてはどうですか。今時分、タタルの木に花が……」と、口上の途中にもかかわらず、維摩の説諭など一篇も聞きたくもないと、布団で顔を覆い隠す。維摩は一息おいてからその布団の裾の方をがばりとひっぺがした。マヤの素足が露わになる。
「やめてっ」
「朝で御座います」
「知っているわよっ」と、癇癪玉を破裂させて怒声を維摩に浴びせかけた。すぐさま維摩は「失礼します」と形だけの詫びを入れた後、頬の膨らんだ顔に自身の華美な顔を寄せていってまじまじと観察した。
「唇と肌が渇いております」
維摩は常備されている瓶の清水、もとい無味の汁を混ぜた液体を杯に注いで、それをマヤに差し出した。マヤは一度手に取って唇の手前まで運んだが、いきなり維摩の胸の前に突き返してきた。
「温いのは嫌。さっぱりとしたものを口にしたいの。冷やしておいて」
「冷えた水を飲まれますと、憚りが近くなりますよ」と維摩は言った。しかしそれは嘘で、冷えたものを体内に入れれば、体は温度を取り戻そうとしてそれが体力の消耗につながってしまう。
マヤは餓死を望んでいるとはいえ、汚物を垂れ流した寝台の上で寝たいとは思わない。体力が消耗している彼女にすれば、小用も一苦労であるため、大人しく維摩の言葉を選び、杯に口を付けて液体を嚥下した。これに維摩は一安心して、一点に絞っていた注意をマヤの外見に移してよくよく観察する。すると髪が乱れているのに気付いたため、寝台の脇にある小物入れから爪櫛を取り出した。
「御髪をお梳き致します」
「……」
「そのままですと、物乞いと間違われますよ」
元々癖のある髪のマヤ。暫く手入れをせず、また湯も浴びていないため、酷く髪が乱れ、ところどころで毛先が跳ねていた。恐らく、ライナの処刑を知った時からそのままにしていたためであろう。マヤもそれを自覚しているのか、顔を赤くし、黙したまま維摩に背を向ける。維摩はマヤの髪を手で大きく掻いた後、爪櫛で丁寧に梳っていった。
「綺麗な御髪なのに勿体無い。ことに姫様は癖がありますので、まめに手入れしないといけません」
「面倒。貴女みたいなさらさらした髪の方がいいわ……ところで、その頭どうしたの、それ」
維摩の長い黒髪は昨日、笄と錦繍とで束ねられた、その流麗なる美の自然を引き立たせるようなアグリ式の髪結いをしていた。しかし今日、彼女の黒髪は全て後頭部で結い上げられた後、白い布でそっくり包まれていた。
「森虞宮に結ってもらいました。彼女、色々と器用な者でして。これは髪を編み込んだ後、頭部で輪を描くように捻じり上げる形で結っております」
森虞の居た北方発祥の結い方らしい。当の彼女は似合わないと言ってやっていないが。
「変なの。頭に何かくっ付いているみたいだわ」
「姫様……」
「勧めないで頂戴」
「本日の予定を申し上げようかと」
「なら早く言って」
振り向き様にそう言うと、維摩は「髪を梳いているとき、急に頭を動かさないでください」と、マヤの蟀谷に中指押さえて正面へと向き直らせてから話を続けた。
「本日の御予定は、ございません。日頃の激務でお疲れ遊ばした御身、ごゆるりと御自愛なさいませ」
嫌味である。しかしマヤは意に介さない。
「あなたもでしょう」
「私は昼から夕にかけ、ここを離れます」
これに「え」と、驚きの声を上げたマヤは顔を後ろに向けようとするが、またしても正面に戻される。
「色々とご挨拶回りをしなければならないので」
「そんなのいいのに。私は……もう直ぐ……」
「それと、、白楼閨を葬送する準備もしなければなりません」
マヤは肩を落として溜息を吐いた。本当にできるとおもっているのか、そういう呆れのようなものが彼女の姿から漂ってきた。
「兎に角、気を付けて。お願いだからライナのようにならないでね」
「私としては、どちらであろうと姫様と共にある結果となりますので自身の勤めに支障はありません。故に逝き先がラカであろうとリカであろうとかまいません」
マヤはあからさまに嫌な顔をこちらに向けたので、三度、主君の尊顔を直した。
「後の事は森虞と覚羅に伝えておきます。二人とも異国の出ですが、姫様に尽くそうという気持ちは確かです。どうか、御側に置いて頂けますよう」
「そんなの上辺だけだわ。でも……覚羅はいい人ね。私は何もものを言わなかったのに、毎日、毎日、話し掛けてくれたわ」
あの気の利かなそうな覚羅が。一時、覚羅を側に付けた伺候府長の判断を疑ったが、今の言葉を聞くと彼の深慮が窺われた。
「簡単な用向きはあれば二人に。大事であれば決して即断せず、必ず維摩に一言頂けますよう」
マヤは「子供じゃないのだから言われなくても解っているわ」と鬱陶しそうに了解した。
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