二節 維摩 二日目
二節 維摩 二日目 一 着替え
翌朝。
日が頭を出したかどうかの頃合、森虞が眠りから覚めて身を起こすと「おはようございます」との声が聞こえた。まさか覚羅か、と思ったが、その推理は自分が寝惚けていることを意味する。目を擦った森虞は、霞む視線の先に挨拶を返した。
「おはようございます、イヅマ様」
「起こしてしまいましたか」
「いえ……恥かしながら平常通りの時間です……維摩様は平常通りですか」
「いえ。日が昇るよりも前に起きることもあれば、日が昇りきってから床を離れることおあります」
「それで時間通りの朝が迎えられるのですか」
「日々の睡眠に要する刻数は一定で、その日の体調や疲労で増減します。その経験通りに床に着けば何の支障もありません」
「確かに、そうではありますが……。それでも、目覚ましや刻報の類に頼らないと不安ではありませんか」
「ふふふ、秘訣、というと大げさですが色々と骨があるのですよ」
「成程……、ところでイヅマ様」
森虞は起き上がって衣装箱から一着の衣を取り出して維摩へと渡した。
「本日からこのお召し物をご利用ください」
「え……」
「宮中の女官は多少の違いはあれども、基本としてこのような無地服と前掛けを合わせて着用することとなっております。伺候府長様から私を通して伝えておくようにとのことでしたので」
これは女官である彼女らが着用しているものとほぼ同じもので、違うのは二人のものは濃い藍色であるのに対し、維摩の手にあるそれは真っ黒だった。しかし、色などはどうでもいい。問題は維摩が女官のような格好をしなければならないことである。やはり伺候府長は自身の立ち位置や身分を誤解している。最早、確信以外の何でもなかった。しかし森虞は、そんな維摩の気持ちを透かして見て、その抵抗する心を払拭させようと努める。
「覚羅も古い家の出ですので、最初は抵抗があったようです。ですが、一度それで身を包んでしまえば動きやすく、また着替えやすい、という利点に納得した様子でした。嘘だとお思いでしょうが、試す気持ちで御召しになって下さい」
ここで『嫌、嫌』と、まるど何処かの姫君のように駄々を捏ねる訳にもいかなかった。他家には他家の仕来りというものがあり、それを承知するのも務めである。維摩は渡されたその衣の肩を持って広げてみた。絹程ではないが軽く、また質感も艶があり、意匠は至極限られているが、物は上等である。後で聞くと、この黒色は女官の中でも最上の階級が着用するもので、伺候府長の配慮によるものであった。
致し方なし。
維摩は諦めて、この衣に袖を通すことにした。しかし、何やら森虞に言い包められた感があり、これに少し癪を覚えたため、「私も一度でいいから袖を通そうと思っていたのです」と、にっこり笑って強がりを言っておいた。
このように、朝から気兼ねしない出来事があったが、これからまた面倒なお方の元に行かなければならないと思うと、もう一度布団に潜って書でも読み耽って、煩わしさから逃れたい気持ちに駆られた。
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