一節 維摩 一日目 四 計画

 蹄笳の執務室。維摩は先程の一事を淡々と述べて、それを蹄笳は師父の教えでもあるかのように熱心に耳を傾け、頷くときは首を上下に大きく振り、悪い話であれば小さく横に振った。


「……はい。ですので、味が判らない程度の汁などを水に混ぜて飲ませてください」


「ですが、一時の凌ぎにしかならないのでは……」


「申し訳ありません。斎王宮下は未だ心の傷が癒えぬ様子でして……」


「御労しい……どうにかなりませんかな」


「難しいところです。というのも、斎王様の御母上であるアタラ后は斎王宮下をお慶び遊ばした後、時を経ずして逝去されました。以後、白楼閨が斎王様の姆を務めてまいりました。恐れ多いことですが、斎王様にとっていわば母と形容して差支えない立場にあったのです」


 蹄笳の顔が硬直した。彼も人の子であるので情を知らぬ訳がない。特に男にとって母となれば、恵愛の権化であるから尚更である。また、伺候府の長という職にあるのだから責任感も人一倍強く、マヤの不憫を思い返す度に彼の自責の念が心の髄にまで届いて、そこを苛めていることであろう。まさにそういう表情をして、維摩はそれを巧みに汲取った。


「とはいえ、斎王宮下が帝室の煩擾となっているのもまた事実。この事態を打開するために一つ手を打ちたいと思います」


 蹄笳が顔を上げて、維摩の言葉に喰いついた。


「と、言いますと」


「斎王宮下は白楼閨の最後を見届けておらず、『白楼閨の死』という事実を、他者からの言葉と遺髪のみで伝えられております。死に目に会えず、遺言すら無い。これで母の死を受け入れろというのは少々難しいのでは、と推察します。宮下は納得という過程を経ずに母に近い存在を失っております。断食はこのための抗議なのです」


「抗議、ですか」


「はい。宮下は恐らく、ライナがどこかに隠されていると思い込んでいる節がございます。これは未練もありますが、異国故に他者の言葉に信用を置けないことも理由の一つでしょう。生涯初めて生活の環境を変えたことによって受容すべき情報が多量にもたらされました。そこにこの一件です。宮下にとってこれらを一遍に飲み込むには精神に多大な負担を強いることになるでしょう。人は心身において限界を感じると、それを拒むよう本能が働きます。ここでの抗議とはその本能の一作用なのです」


「では、どうすれば宜しいのか」


「こういった状況で必要なのは時間です。暫し、静かな時を与えていただければ少しずつ現状を追認していくことでしょう。しかし、その猶予はありません。さすれば、その情報を他者が咀嚼してやり、宮下にはそれをただ嚥下していただくよう計ればよろしいかと」


「どういった手立てで……」


「白楼閨の最後を、過程とその足跡を示せる何かがあればよいのです。それをアグリの国人たる私が示せば宮下は白楼閨の死を素直に認めることでしょう」


「すると、白楼閨の死を受け入れられる……何というか、遺されたものがあればよいと、そういうことですか」


「はい。斎王宮下にライナが辿った最後の道程を示せば良いのです」


「ですが、後は遺骨があるのみです。まさか……」


「宮下の心が穏やかでない今、骨壺の蓋を開けて中身を露わにすれば、傷に塩を塗るも同然です。よって、他に何か白楼閨の遺品が残っていないか、何か言葉を残していないか、経緯を辿り、その一つ一つを詳らかにしたいと存じます。それを姫殿下に伝えることで、姫殿下はより『白楼閨の死』を受け入れる事ができるのではないか。私はそう思い至っております」


 蹄笳は頭を傾けて少し思慮した様子を見せたが、決心したように掌で机を叩いて立ち上がっると、「解り申した」と言って、憔悴した顔面の中で目だけをぎらぎらとさせる。


「今すぐ、下の者に申し付けて維摩宮が今言った、遺品や遺言が残っていないか探させます」


「ありがとうございます。加えて、もう一つ、お頼みしたい旨があります」

「なんでしょう」

「今の件で御座いますが、私が白楼閨の最後を聞いて廻る役目を果たしたいと思います。と、申しますのも理由が二点ありまして、白楼閨が帝室の御手を煩わせたことについて、各位にお詫びしたい旨が一点、もう一点は私自身で白楼閨に関係した方々と話をして彼女の最後がどういうものであったのかを明らかにしたいのです。どうか御許し頂けないものでしょうか」

蹄笳は、「成程、成程。その件についても了承しましょう」と、快諾したように見せたが、直ぐに「ただ……」と言って口を濁した。まぁ、赴任して一日と経たない者に宮殿内を好き勝手に歩き回られるのは快く無いだろう。維摩は彼の不安を自身の言葉で拭った。

「勿論、私は斎王様の枢侍。お勤めを蔑にする気はありません。よって、朝と昼、昼と夜の間でこのことを行いたいと思います。また、その日の夜には日々の経緯を伺候府長様へお知らせに参ります」

「……」

「如何でしょう」

少し流暢に喋り過ぎて警戒されたか、と心配したが、その懸念は杞憂に帰した。

「依存はありませぬ」

「では早速、明日から取り掛かりたいと思います」

「宜しく御願い申す。今後の子細については、外に斎王様の女官として御側付させている森虞、覚羅の両婦に聞いて下され。帝宮のことについては彼女たちが教えてくれるでしょう。彼女らの手に余ることであれば、遠慮無く某に申して下され」

蹄笳は慇懃に拱手して、女の維摩相手に低い姿勢を見せる。その理由は、やつれていた彼の瞳に映る微かな希望の光が示していた。

維摩は謙遜して彼より深々と返礼をすると、相手にも解るような作り笑顔を見せて部屋を後にした。こちらが相手に気を使っている、と思わせるためだ。王宮に初めて上がるような、初心なところを見せておいた方が相手も警戒を緩めるだろうと、そう読んだからである。

というのも、今しがた述べた口上の大体は嘘であったからだ。

マヤの心が向かう先はライナへの純粋なる想いであって、単にその死を拒んでいる訳では無い。それはマヤとの会話で明らかになっている。よって、遺品だの遺言だのは口からでまかせであり、また維摩が蹄笳に願い出た件についても同じで、彼の責任感に付け込んだに過ぎないのだ。維摩はあくまで『親那帝の深謝』というマヤが望んだ結果を求め、そのための前準備を整えているのである。それ以外の理由は彼女の中に微塵も無い。

維摩はマヤの居る奥御殿へと戻っていった。その間、彼女は考える時間を作るため、いつもより緩まった歩きをする。

維摩は思考した。

まず、目的を確認しよう。

維摩はマヤ姫が自害しようとするのを止めなければならない。そのためには皇帝の謝罪が必要だということだ。だが一見、たかが一小国の侍者が皇帝に謝罪をさせることなど不可能と思えるだろう。それは至極真っ当な思考である。聞き入れて貰えるかどうか解らないしそれよりも前に、進言の機会を与えられるかも怪しい。

ただこれは、真っ向から話を進めた場合の話である。維摩は当然ながら正面から勝負をするつもりは寸毫も無いのだ。

その企図を維摩は用意していたものの、まだ一言で片づけるにはあまり簡単な話ではなく、何かの思い違いが生じている可能性もあった。そのため、自身の頭の中を整理するためにも、物事の順を追って思考を走らせた。

まず維摩が一番に確認しなければならないことがある。それは親那帝が乱心しているのかまた何か誤解があってのことなのかを明らかにすることであった。何故なら、誤解であるならばそれを解けばいいよい話なのである。その上で、ライナの罪を赦すよう請い奉り、丁重に弔ってやればいいだけの話である。普通の神経を持っているのならば、物事を容易く運べることであろう。

では普通の神経を持ち合わせていなかった場合、要は自己快楽のために人を平然と殺傷するような暴君であった時はどうするのか。恐らく善意も正義も通用しないだろう。

こうなってしまうとやや面倒な事態と思えるが、その解は至極単純である。それは、彼我の関係の間を均衡させればよいのだ。それは何かというと、この場合は力である。相手に対し、対等かそれ以上の力を見せつけ、我らに牙を剥けばお前に相応の報いがある、と思わせればいいのだ。利口でなくても解る、実に動物的な解決策である。

だが、親那は大陸に冠する大帝国である。これはそこいらでおいたをしている小さな子供ですら知っていることである。客観的に見れば、アグリという小国が何を大それたことを、と思うだろう。だが維摩は公機関の報告書、各種文献、諸国へ派遣されているアグリ使統の話、アグリが収集した諜報など、種々の情報を広く見聞きし、これを積み重ね、現状の分析に役立てていた。そのため一般の見識では看破できない、ある重大な事実に気付いていた。

それは、『親那を取り巻く政情は不安定な要素を抱えているである』ということだ。

時を溯って極東の反乱勃発とほぼ同時期、親那国内であるうわさが実しやかかに囁かれていた。曰く、『北域から西域にかけて不穏な動きあり』と。これは庶民の耳にも届いていたものの、出所の解らない情報であったため、露天で売られている煽情的な見出しの新聞、情報誌ぐらいでしか扱われず、怒涛のように供給される情報に流され、気が付けば誰からも関心を向けられなくなっていた。

だがこれは音も葉も無い噂ではないと、維摩は踏んでいる。それはアグリの諜報や北域と西域諸侯陪臣と接点を持つ外交官にしてイヅマ家に婿入りした父から、幾つか根拠となる幾つかの情報を得ていたからである。加えてこれを裏付けしているのが、反乱地域へ鎮撫軍を派遣している諸侯の分布で、主に親那より東域と南域の周辺国に集中していた。

親那の君臨する大陸であるが、様々な便宜をはかって幾つかの地域に分類している。神城の周辺を畿内とし、更にそれを拡大した地域を畿央としていて大陸のほぼ中央に当たる。そこ領地の大半は万国の宗主『親那』が直轄している。その畿央より、東西北の地域をそれぞれ東域、西域、北域と区分していた。

さらに各域から海岸線まで、大陸を卵に例えるとその外殻、または大陸から離れた諸島らを極北、極西、極東とそれぞれ区分して称している。南はこれとは違い、中央から海までを正南域、南西域、南東域と放射状に三分割し、全体を指して南域と言った。

反旗が翻った地域は東域の一部と極東である。巷では極東を含めて東域と括って呼んでいるが、東域は実際のところ反乱の勃発した地域とそうでない地域で二分することができた。当然ながら親那に忠順な東域諸侯は反乱に即応できることから、親那に準じて派兵している。

しかしながら大敗を喫したことによって東域諸侯軍の多くは壊滅してしまい、現在は再編の真っ最中である。南域の一部諸邦も同じ憂き目に会っている。

距離としては北域諸邦からも派兵すべき距離ではあるが、東域と北域の境には山脈が走って高嶺を連ねているため、移動には迂回を要し、また東域と南域、それと親那軍の一部を以てすれば東域の反乱を鎮圧できるとした。この地勢と帝帥営の侮りが、若干の諸邦を除いて派兵が見送られた理由とされている。

また、反乱勃発当初の親那軍総統部は一度目の会戦で敗北するまで西方で反乱が起きても十二分に対応できるだけの常備軍を残していた。むしろ、東域と南域の諸侯で対応しようという感すらあった。帝帥営が東域の反乱軍を軽視していたとはいえ、装備と練度で勝る親那の精兵を逐次投入するような愚を犯したのだ。

戦争は被害を最小に留めつつ短期で終わらす。

これは軍学の鉄則である。それにも関わらず兵を出し惜しみ、まるで飢えた猛獣相手に集団ではなく一人ずつ挑んでみすみす餌にされるような結果を招いたのは、帝帥営には北域と西域への疑心が少なからずあるため、それに対応できるだけの兵力を中央に留めて置きたいという意図があったからである。

しかし疑問なのは、留めた兵力が明らかに過大なのである。北域と西域は、なにも王侯のみで土地を分かっているのではない。親那の臣下が治める臣領や代官が派遣される邦土といった親那直轄の版図もあって、当然ながら兵備がある。

それを加味すれば、北域と西域の諸侯が叛心を露わに総決起し、忽然と叛状に陥っても、即座に対応できるだけの兵力を維持していることを意味する。

そして、この理由は簡単に推理できる。東域、それも極東は親那の版図に加わってまだ日が浅いし、直轄地も北と西の方が広く、税収も多額で、安定して徴収できている。対し極東並びに東域は親那中央から見て遠域であり、砂漠と山脈をを挟んでいるため交通も悪い。諸侯同士の諍いも絶えなかったために治安も安定しなかった。ただそれは、親那が地域に影響力を維持するために仕組んだ内乱であったが。

親那からすれば、極東と東域の一部、それと北域と西域のどちらを維持したいかと問われれば、答えは迷うことなく後者である。

親那は当初、勿論のことではあるが、親那は北域と西域の全ての地域に疑念を抱いていた訳では無い。また、翻意ありとの情報も全ての地域を指して噂したものではない。

しかし、どの侯に叛意があるかを図りかねている状態のまま、東域への派兵を迫られたために、統帥営は反乱軍への過小評価もあって、割り当てる兵力を誤ったといえた。

では、どうしてその愚を犯したのか。それは、反乱勃発前からその直後辺りの事情を振り返る必要があった。

諸侯の軍備であるが、それは各侯邦の義務として課されていた。勿論それは諸侯の財政によって賄う必要があり、その優劣は当然ながら経済が物を言った。

軍需品は、特に兵器は親那の造兵廠、または許可を得た企業のみが生産を許されている。

故に諸侯は、中間生産財を除いてではあるが、兵器の製造を禁じられているために何れかから買い入れをして兵器を調達しなければならないが、造兵廠は基本的に親那軍に兵器を供給しているため、諸侯による兵器の調達は企業から買い入れるのが大方である。

しかし近年、兵器の価格が高騰した。これは東域の反乱によって需要が増えたことが主因であるが、北域と西域の買い入れ量が増加していたことも大きな要因の一つとなっていた。これは東域の壊乱により、いつでも派兵できるよう装備を調達していたとの理由によるものであるが、後にその買い入れ量は過大なものであると判明した。

しかし、これに帝師営はさしたる対応を取らなかった。戦争に伴って供給能力の向上も計られており、有事の際には価格の維持と安定した供給を達成するため親那の法令によって規制が敷かれていた。また、親那の造兵廠も生産体制を戦時状態へ移行させたため、何れはこの問題は解決するとしていた。この想定の通り、兵器の供給はある程度の安定を見た。

しかし、ある事実が発覚して帝帥営を驚愕させる。それは、法令に背く事例が多々発生していたことである。

これは派兵している南域の諸侯が、同域の軍需生産能力の伸びが鈍いことを怪しみ、これを親那に直訴したことが発端となって発覚した。違令していた製造企業の責任者は買収、また買い入れ側と結託して生産能力を敢えて低く見積もり、余剰生産分を横流ししていたのである。

それも完成品ではなく、部品ごとに一まとめにしてから中間生産品として発送していた。その横流し先は北域と西域の架空企業で、そこで組み立てられた兵器は自動車によって何処かへと輸送されていたのだ。また同時期に違法製造がされていたとして、北域と西域の偽装企業を幾つか摘発している。だが、何れの場合も兵器の納品先までは割り出せていない状況であった。

違反していた企業の多くは、反乱は短期間で終結すると認識して生産能力向上の目標が達成される頃には鎮圧されているだろうと見込んでいたか、または買い入れを持ち掛けた側からそう唆されたようであった。このために利益を優先して軍需品を横流ししたというのが、主だった理由である。偽装企業の方については町工場が買収されていた例が多数であった。

これらの事実は公にされているものもあったが、個々の情報が疎らに報道されたためにその関連性を客観視するのが難しく、且つ秘匿されていたものも多かったために、大きな関心を呼ぶことはなかった。

しかし、事態を把握していた帝帥営は北域と西域の全域に対して翻意ありとの情報を裏付けるような事件が発生したために、朧げであった疑念が確信へと近づいた。に中央に過大な兵力を留めて、東域への派遣する兵力を渋ったのではないか、と。維摩は諸事情を元に帝師営の判断を推測してこのような結論に至った。

だが親那の軍勢を統べる帝帥営の考えは実に甘かった。反乱軍は親那の一次鎮撫軍を破り、更に一次の兵力を上回る二次鎮撫軍をも破り、そして三度、鎮撫軍を派遣するも戦況は拮抗して打開の道筋は一向に見えていこなかった。

ならば予備役の召集、または北域と西域の諸侯軍を召集して兵力の補充、または拡充を図り、新たな兵事に備えるのが肝要である。だがしかし、親那は予備役を僅かに召集したに止め、北域と西域の諸侯軍を招集しようという意気は些かも窺えなかった。

親親那の東域と南域の諸侯を招集したにも関わらず、北域と西域の諸侯には経済的な支援のみを要求して血は求めなかった。

この不可思議な姿勢により、北域と西域に対する疑念の目が再び向けられることとなって真面目な論調の新聞雑誌はこれを記事にして論評していた。

しかし、帝帥営はこの疑念を払拭しようと、陰に陽にと動いていたようである。このこともあって市井は淡泊な反応に終始した。しかしこれは帝帥営の情報操作が奏功したというよりも、大衆の性向によるものと思えた。大衆はとある出来事に対して一時は狂騒し、物事が大事に至らなければ何事も無かったかのように沈静し、同時に新しい火種があれば直ぐに飛びつく。まるで、蝗の大群が次から次へと餌に集るように。殊に情報が過剰に供給される昨今、その傾向が顕著である。しかもこの噂は一旦、収束した情報である。情報に新鮮さを要求するようになった大衆は、再浮上した北域と西域への疑念を古いものとして退け、揶揄する情報媒体もあったために、反乱勃発当初と同じく噂の域に留まったままで、酒肴の代わりとして口の端に上る程度であった。

帝帥営にとってこれは好都合であった。

もし、これが大衆の間で確信として取沙汰されていたならば、新たな懲罰戦争の矛先を北域と西域に向けることを望んでそれを声高に叫ぶことであろう。そうなった場合に北域と西域の諸侯は戦々恐々として、互いの結束を固め、親那との関係は今以上の隔たることになるだろう。

また親那が北域と西域に疑義を抱くのとは逆に、諸侯が親那を信頼できない理由もあった。その最たる要因として挙げているのが、アグリへの懲罰戦争であった。何の瑕疵もない国が、突如宗主からの侵略を受けたのである。これはアグリと関係の深かった北域の諸侯に大きな衝撃を与えた。それも、不明瞭で納得に欠ける罪状であるのだから尚更の事であった。特に小国の趨勢は大国に左右され易い。特にそれが宗主国であるのだから無理はない。

進退これ谷まれば、その挙止は極端になりがちになる。それは個人においても、国家においても歴史が証明している。親那と比較して国力が著しく劣る諸侯は、アグリと同じように侵略の憂き目に会うのではないかと戦々恐々としていて、ともすれば乾坤一擲、捨て身の攻撃に打って出るかもしれない。帝帥営としては二正面での軍事行動はどうしても回避したかったのである。

そのような状況で、兵器の不正製造とその購入先が北域と西域であった事実は、帝帥営の憂慮を裏付ける形とになっていたために、この焦りは尋常でなかったと推察できる。

この状況が作用したため、帝帥営は北域と西域に対する警戒を一層増すようにはなったが、先に述べた通り中央に兵を留めるのみで具体的な対策を施さなかった。

それは積極的な方法よりも、消極的な対処が最適であると踏んだからだ。

もし大規模な動員を行えば諸侯を刺激することとなる。かといって諸侯を東域へ派兵するのは、選択肢として危険過ぎる。東域へは中央を経由する必要ががあるのだから、親那の中枢を掠めることになる。もし、中央で造反されてしまうと親那の被害は甚大で、目も当てられない状況に陥ることであろう。


 ならば北域と西域の懐柔に努めるしかない。つまり親那は、北域と西域の諸侯に信頼している、と見せかけの態度を取っておいて、新たな反乱の導火線に火を点すことを回避して、東域の反乱が落ち着くまで事勿れで通す腹積もりなのである。

これは維摩にとって好機であった。


 マヤ姫と親那帝との婚姻の橋渡しをしたアグリ隣国の『烏汰雅』武侯邦は、北域諸侯の中で最大の版図と経済を誇る侯邦であり、その大なる政治力から北域における同輩中の首席であった。


 曾て、親那と烏汰雅は永年の敵同士であったが、その両国と国境を接してきたアグリは、烏汰雅も親那と同じ大国であったために、融和を図ってきた歴史があり、烏汰雅が親那の軍門に下った後も友好的な関係が続いていた。また、先のアグリ懲罰戦争の後に割譲された領土の暫定管理を任されたため、アグリが度々、相談相手として頼っていた。その姿勢は非常に協力的で、且つ同情的であったために信頼が置けるものであった。


 この状況を利用しない手はない。維摩は烏汰雅侯を通じて北域と西域諸侯にことの事情を詳述し、親那帝の横虐な行為に対して共に抗議して、あの若帝の謝意を引き出そうではないか、と。


 それも、北域と西域の諸侯一々説得する必要はない。ただ烏汰雅一国に対してのみ懐柔すれば事足りるのである。北域に位置する烏汰雅の周辺諸侯は小国ばかりで、昔から烏汰雅の影に怯えてきた。西域の諸侯の多くも烏汰雅と浅からぬ関係を持っており、少なからず影響を受けている。親那が大陸諸侯の宗主として君臨してからは、従順な一諸侯に成り果てたが、近年の経済の伸張によって生じた圧倒的資本の波濤によって再び威勢を振うようになっていた。故に、維摩の工作の対象は烏汰雅一国に絞られていたのだ。


 その烏汰雅に対して幾つかの有効な手札を持ち合わせてはいたが説得できるかは未知数であった。しかし、味方となれば十中八九で目的を達成できると踏んでいる。幸いに烏汰雅侯は神城に上京している。その効力を諮るためにも、外交官を通じて、烏汰雅の助力を取り付ける必要があった。それも、早急に。


 以上が、維摩が推し測っていることの子細である。そのためには、ライナが処刑された件について調査し、皇帝が『不当』に処刑したという事実を纏めて、諸侯がアグリを確証の基に弁護できるようにする必要があった。蹄笳に願い出た調査の確信はそこにあったのだ。


 この計画が上手く運べば、親那とアグリの停戦条約を改定して婚姻事態を解消する事もできるかもしれない。


 マヤの生命がどれだけの間、保っていられるか判らなかったが、今はこれが最善である。維摩は信念と確信を抱くも、当てが外れた場合に充てられる余策の準備もしておく必要があると、思考を各方面へ累々と繋げていくことを怠らないようにした。


 それにしても、新任早々任された仕事が国の存亡に関わることになろうとは思わなかった。なんとも数奇な運命に遭遇したようである。だがしかし、不安や怯えといった類の感情は、無くも無いが、自分で不思議と思う程に小さく、また同時に、何か不思議な力が震えと共に体の奥底から湧いてくるのを感じていた。維摩は両手でその身を抱きしめる。これは過信なのか、または自信なのか……。


「私としたことが……姫様が飢渇の苦しみに喘いでいるというのに不謹慎なことを」


 維摩は自戒するも、身の震えは止まるどころか更に強くなり、奥御殿の入り口を潜るまで彼女の中に潜む何かがその身を揺すり続けた。

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