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「目的は何?」
室内へ戻り、シンから十分な距離を取って聞くと、そいつは肩をすくめてみせた。
「それを探すのが目的だったんだけど」
「――あんまりふざけた態度をとると」
私が携帯をかざせば、シンは面白いくらい慌てふためいた。どうやら本当に「検閲課」に突き出されるのは嫌なようだ。
「わ、わかったよちゃんと説明するから! それしまって」
私が腕をおろし視線で促すと、シンは「探してたんだ」と困惑したように言った。
「なにを?」
「たぶん絵だと思う。あのさ、気を悪くしないでほしいんだけど、僕あんまり今の自分の状況がわからなくて」
「……」
黙り込む私に向かい、シンは懇願するような目で必死に説明してきた。
いわく、彼は何かを探してバイポーラの泉の中を泳いでいたらしい。
「あのプラズマの中を――泳ぐ?」
「そう」
こともなげに頷いたシンは、困惑したように話を続ける。
「それで、僕たぶんそれを――見つけたと思った。とても大きな絵だったから」
(大きな絵……)
瞬時に思い出したのは、シンが現れる少し前に見た絵影のことだ。
あれはかなりの大きさだったし、採掘することができていれば法外な金額で売れただろう。かえすがえす惜しいことをした。それもこれも全部こいつのせいだ。
ううん、と首をかしげているシンがまた話し出そうとしたので、私は片手をあげ制した。
「待って、分かったもういい。あなたが誰だろうと、目的がなんだろうともう聞かないから――出ていけ」
バイポーラの泉の方を指さすと、シンは首をぶんぶん振る。
「いやいや、僕死んじゃうって」
「はぁ? 元々そこを泳げたんなら、入っても死ぬわけないでしょ」
「だめだよ。君が僕を見て、僕は空間に再構築されたんだから」
なにを言ってるんだこいつは。
私は十五度ほど首を傾け、しばらく固まった。
「えっと……よくわかんないけど。そしたら、家から出てってくれたらいいや。ほら、普通にドアから出ていけば?」
「ここに置いてくれない?」
「なんで」
「君のそばに――ここにいたいんだ」
私は思わず言葉をのんでいた――怒りのあまりだ。
(なんで私が、こんなわけのわからない奴を家に置いてやる義理なんてない……!)
落ち着け、クールダウンだ。
深く息を吸いこみ、できるだけ冷静にこいつを家に置けない絶対的な理由を告げることにする。
「悪いけどうち貧乏なの。お金もないし、他人をまかなうだけの絵も取れない。私ひとりでも食べるのに困ってる状態だし」
とにかく家には経済的余裕がない。今日はこいつが私の家の泉から出てきたせいで絵が一枚も取れていないし、つまり明日のパンを買うお金すら得られていない。
(まぁ、こいつが出てこなくても絵が取れたかわからないけど。とにかく見ず知らずの赤の他人を、親切心で家に置いてやれるだけの余裕なんてないんだから)
さあ出て行けと、見上げた先でシンは合点したように手を打った。
「絵ならあるよ。僕、たくさん持ってるから」
「……は?」
「ほら」
シンがジーンズの両ポケットをひっくり返すと、そこから小さく折りたたまれた正方形の紙片がボロボロ転がり落ちた。小指の先ほどに四角く、綺麗に折りたたまれたそれが最初はなにか分からなかったが、恐る恐る手に取り広げてみるとそれはまぎれもなく絵だった。
「嘘でしょ」
「泳いでるときに拾ったんだけど、数が多かったからさ」
畳んで持っていたのだというシンの足元には、数十という折られた紙片が転がっている。そのサイズや質は異なるようだが、中にはかなり大きめなものもあり、そして絵一枚は小さくとも高値で売れるのだ。私は床に無造作に散らばったそれらを両手にこんもりと拾い上げた。これらの金銭的価値を考えるとおそろしいほどだ。
(これだけあれば――余裕で三か月は暮らしていけるわね)
ごくり、とのんだつばが空っぽのお腹をぐぅと鳴らした。そういえば昨日からなにも食べていない。
「どうかな、足りない?」
シンはしゃがみこみ、心配そうに私の両手にある畳まれた絵の山を見つめている。その澄んだ茶色の目を、ようやく私は好意的な意味でおずおず見た。
「――これ、全部私にくれる?」
「構わないよ。僕には必要なかったみたいだから」
「なら、いい。しばらくの間、家にいても」
ほっとした顔のシンに「ただし!」と私は付け加える。
「ずっとは困るから、そうね――」
いつまでもシンに居つかれても困る。そう思った私がこの絵の代金に見合う期間はいかほどかという答えを出す前に、シンがあっさり言った。
「あ、一週間だけでいいよ」
「そ、そう……それなら、仕方ないわね」
宿代にしては破格の取引だ。しかし、一週間後にこいつはどこへ行くというのだろう?
(まぁ、私には関係ないか。これはビジネスだと考えるのよ)
考えてみればラッキーではある。たった一週間、怪しいとはいえ人をひとり家に泊めるだけで、これだけの大金――もとい絵が手に入るとは。
この時の私はだからそう、簡単な気持ちでシンの存在を受け入れた。
「よろしくね」と笑う彼はいかにも人間に見えたし、経緯はともあれ悪い人には見えなかったせいもある。
だからシンがこのときなぜ「一週間」と言ったのか、そしてなぜ私の家のバイポーラの泉から出てきたのか、その理由ですら私はうやむやにしてしまったのだ。
ましてや彼が何者かなんて。
それを知るのは一週間後、カイが地上に旅立って、お向かいに住むシモンさんが事件を起こし、そして私がこの国の最高指導者兼、天才技師でもある、ヘスチア・クーリエの姿をかいま見たときだった。
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