第23話 五つみ地蔵

 雨が続けば、いつつみ地蔵に参れ!

 なぜなら、人の不幸の源には

 五つの『み』――、うら、つら、ひが、ねた、そね、がある。

 賽銭を上げて拝めば、五つの『み』は霖雨りんうに流され、あとに五つの『い』が表れる。

 つまり嬉し、楽し、気分がい、ありがた、そしてハッピー――になること間違いなし。


「ハッピー? なによ、これ、巫山戯てるわ」

 町を流れる鶯川うぐいすがわを上流へと遡ると、ひなびた集落がある。隠れ村と呼ばれ、世捨て人たちが鶯橋の袂の地蔵を崇め、暮らしていると言われてる。


 だがその謂われの文言を読んだ芹凛せりりんこと芹川凛子刑事が素っ頓狂な声を発したのだ。

 それも当然。

 というのも町の川下で男の死体が上がった。

 検死したところ頭部に激切な打撲痕があった。河床の岩は増水で水面下にあり、落下時に生じた損傷とは考えにくい。

 こう判断した百目鬼刑事、「男は撲殺され、川に投げ捨てられたのだろう。さっ、犯行現場を探しに行くぞ」と芹凛に声を掛け、この地蔵まで川沿いを上り来た。


 もちろん捜査は真剣、だが芹凛の疲れはマックスに。

 そんな時に、賽銭を上げてハッピー、と読み込み、「まず金払えって、巫山戯んな!」となった。

 しかし、芹凛は気を沈め、「五つの『み』が動機で……、この辺りが犯行現場かも」と女鬼デカの勘を尖らせ、視線を地蔵後方へと移す。その瞬間だ、ある一点に目ん玉をキーンと光らせたのだった。


 こんな初動捜査から始まった殺人事件、マスコミはすぐさま好奇心一杯に報じた。


福神一郎ふくがみいちろう氏、金属バットで撲殺され、川に捨てられる』

 名は体を表す通り、氏は日本で10傑に入る資産家。

 またいくつもの賞を取った写真家でもある。だが最近、その優秀作品の背後にゴースト・カメラマンがいるとも噂されていた。


 死亡推定は6月14日の早朝。そして犯行現場はどこか?

 捜査は川上へと。

 結果、隠れ村へと掛かる鶯橋の袂にある五つみ地蔵、その後方に隠されてあった金属バットを女性捜査員が発見。


 雨でほとんどは洗い流されていたが、現代の鑑識で、欄干とこのバットに氏の血痕が確認された。この事実により、犯行現場は鶯橋上、凶器は金属バットと断定された。

 すなわち福神一郎氏は6月14日の朝に鶯橋上で殺害され、川へと遺棄された。

 そして遺体は川下へと流れ、川岸にある雑木に引っ掛かかり、4日後の6月17日に川の状況をチェックしに来た市職員によって発見された。

 されども6月14日の鶯橋からの犯人の足取りはまったく不明。

 さて、逮捕はいつとなるか?


 百目鬼と芹凛、五つみ地蔵まで辿り着き、金属バットまで発見した。

 お手柄だ。だが署に戻り、一夜が明け、6月18日にこの記事を読んだご両人、唇を噛み締める。

 なぜならどことなくしっくり来ないのだ。百目鬼は「14日の朝に」と腕を組み、芹凛は「橋の上で」と目を虚ろにするだけだった。


 このようなスッキリしない状態はその日だけで終わらず、そのままで1ヶ月の時が流れた。

 そしてある日の昼下がり、芹凛がドカドカと百目鬼のデスクへと飛び込んで来る。

「これは一郎がよく投稿していたカメラ誌です。ここに今月の優秀作品が載ってます!」

 芹凛が突き付けたページには、橋の上に女が立ち、その先に落下して行く男が写ってる。その写真には『雨に落ちる』と題名表記されていた。

「おいおい、これは明らかに鶯橋だぞ。それに女は一郎の妻の可奈じゃないか、まさに撲殺後の落下の瞬間てことだな。それにしても死亡推定の6月14日が犯行日、その日可奈には鶯橋にいないアリバイがあったはずだぞ」と百目鬼刑事が首をひねる。


 すると芹凛が指を差し、「ここに撮影日は6月15日の記述が。すなわち14日の犯行は鶯橋とは異なる場所で行われた。そして6月15日に、可奈が欄干に血糊を付け、凶器のバットを地蔵の後ろに置き、死体を投げ捨てた。すべてを1日遅らせ、6月14日の犯行現場を鶯橋上に偽装したのです」と頬を紅潮させる。

 しかも芹凛はそれだけでは終わらなかった。欄外の文字に指を置き、声を震わせた。

「撮影者は――、福神次郞じろうです」と。


 百目鬼はまさにその名前を凝視した。

「確か次郞は一郎の腹違いの弟で、隠れ村の住人だったな。この撮影の腕前からして、次郞が一郎のゴーストだったってことか」と今までの捜査のモヤモヤが抜け始める。

 そして二人ともそれを完全消滅させるために沈思黙考に没入する。


「コーヒーでも如何ですか?」

 芹凛が沈黙を破った。百目鬼にはわかってる、推理を組み立て終えたのだと。「話してみてくれ」と促すと、芹凛は滔々と述べ始める。

 その要点とは……。


 すべては、うらみ、つらみ、ひがみ、ねたみ、そねみの五つの『み』の絡み合い。

 福神一郎からモラハラを受けていた妻の可奈はうらみ、つらみの果てに次郞と不倫関係に落ちた。

 そして資産家にはなれなかった弟・次郞、その上にゴースト写真家としてだけ兄から扱われてきた次郞、世俗を捨てて隠れ村に居住した。

 しかし、それだけでは人生終われなかった。積年の兄に対する五つの『み』、それらを洗い流すため、兄・一郎そのものが雨に落ちる――、その事実を1枚の写真に凝縮させたいと思った。


 その五つの『み』の一蓮托生として、次郞は可奈に異なる犯行現場を入れ知恵し、夫・一郎を自宅で撲殺させ、1日遅れで川へと落とさせた。

 その瞬間を撮った1枚、可奈の先で、雨降る薄鼠色の背景の中、地獄へと落下して行く一人の男、なかなかの出来映えだ。

 きっと写真家の性なのだろう、次郞は投稿せずにはおられなくなったと思われる。


「百目鬼刑事、見てください、妻が夫を投げ捨てる暴虐の中で、ハッピーと笑みまで捉えているわ。実に芸術性の高い1枚のフォトですね」と。

「極悪人を褒めるな!」

 ここまで耳を傾けていた百目鬼は部下を一喝した。

 あとは「次郞の積年の五つの『み』、そえらを洗い落とし、次に期待する五つの『い』は可奈を罪人に仕立て上げて、独り占め。つまり六つ目の『い』、一郎からの相続金が欲しだったんだよ」と口を挟む。


「あら、オヤジ的新説の『い』だわ」と芹凛がプッと吹き出すが、百目鬼は「さっ、五つみ地蔵を崇める次郞に、この推理を叩き付けに行くぞ」と鬼の目をギョロッと剥く。

 これに芹凛は「一郎を殴り殺した可奈の方が先じゃないですか!」と軽く返してしまう。

 しかし、芹凛はハッと気付く。

 あとは「あの激切な打撲痕は、可奈ではなく、次郞の仕業ってことですね」とブツクサ言いながら、雨の中へと走り出してしまった上司を追い掛けるのだった。


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