第22話 鬼デカのギャンブル
場末の飲み屋街、その路地裏で初老の男が鋭利な刃物で心臓を一突きされ、殺された。
被害者は死の淵で数メートル這ったのだろう、一夜明け新聞配達員が朝陽に照り返す血糊の線の先に、その死体を発見した。
110番通報があり、すぐに百目鬼刑事と芹凛こと芹川凛子刑事に、出署前に現場へ直接向かえと緊急命令が発せられた。
当然二人は指令に従い、駆け付けた。すると出勤時間前だというのに事件現場には野次馬がたかっている。一応ロープで隔離はされていたが、死体には無造作にシートが被せられてあるだけだった。
そこへと百目鬼刑事は直進し、躊躇することなくシートを剥ぎ取る。そして芹凛に目配せし、一緒に手を合わせてからカッと目を見開き、遺体の確認に入る。
その瞬間、芹凛が発する。
「仏さん、ひょっとして……、
吊り上がった眉毛の間に三日月の傷跡がある。
この魔物のような形相に思わず叫んでしまった芹凛に、百目鬼は低い声で「そのようだな」と同意した。
このような検死から二人の捜査が始まった。
だが事件は早速大々的に報道され、世間の解釈があらぬ方向へと向かう様相となる。
その証拠に、夕刊紙でも大袈裟に。
―― 相場師・燻屋銀次郎、未明に殺される! ――
相場格言に、ブル(
その生きた牡牛の目を
銀次郎は年初の株式座談会で、「悲観はすでに終わった。今年から強気相場が育ち、成熟して行きます」と断言した。
もちろん燻屋の信望者はこの言葉を信じ、買いに走った。
しかし、中国の景気低迷、原油安、FRB議長の米国金利政策、ドイツ銀行破綻の噂、日銀によるマイナス金利、その上に円高と、まさにマーケットはリスクの百花繚乱状態へと変貌した。
このように地合が悪い状況に陥り、個人投資家のマネーはあっと言う間に溶けてしまった。
まさに株はギャンブルの様相だ。
さらに負けの深刻さは連日のネット投稿サイトの掲示板で明々白々である。特に燻屋ファンたちの気持は一転、恨み骨髄に入り、銀次郎の身に何が起こってもおかしくない事態となったと言える。
某評論家の弁によれば、銀次郎に騙されたと憤怒する者が生き残り銘柄を教えて欲しいと誘い出し、飲食後に地獄に落ちた恨みで殺害した。
充分納得できる推察で、現在この線から捜査本部は犯人を追っていると思われる。
「なによ、これ! ホント勝手なことを書いてくれるわね」
百目鬼のデスクにツカツカとやって来て、夕刊紙をバンと置いた芹凛、黒髪を束ねた頭から湯気が立ち上ってるようだ。
「おいおいお嬢さん、そうカッカなさんなよ。で、芹凛の勘はこの記事と、どこが違うんだ?」
さすが百戦錬磨の百目鬼、部下の怒りを抑え、反対に質問を投げ付ける。
芹凛は上司といえども負けていない、それを受け、「燻屋は危険な路地裏に疑いもなく付いて行き、まったく無防備で安心している状況で、一突きで殺されたのよ。本件は縺れた恨み以上に、もっと深い思惑がある、絶対に銀次郎が心許した知り合いの――、計画的犯行だわ」と断言した。
百目鬼も同感だ。
「よっしゃ、オヤジの周りを徹底的に当たってみよう」と方針を固めた。
それから3日が経過した。聞き込みから戻った芹凛がしばらくして百目鬼に「コーヒーでも入れましょうか」と窺う。
百目鬼にはわかってる、芹凛に大まかな推理がまとまったのだと。
「さあ、話してみろ」と促すと、芹凛はマグカップを差し出しながらとうとうと述べ始める。その内容とは……。
相場師・燻屋銀次郎には法定相続人がいない。
しかし、長年連れ添ったバツイチの内縁の妻、良子がいる。
そして良子には別れた前の夫との間に、離婚時に手放した、それは捨てたも同然の息子の
その穴埋めにと光司が考え付いたのが、株資産を持つ銀次郎の殺害。
銀次郎が死ねば、遺産は内縁の妻であっても、良子が相続する。
そして、たとえ光司が銀次郎とは他人の父の姓であるとしても、良子の実子である以上、最終的に母の死亡によりその遺産は光司の手に渡ることになる。
母を奪った燻屋への復讐も込め、この筋書きで、光司は母が今まで世話になってきたので礼をしたいと銀次郎を呼び出し、殺害した。
こう結論付けした芹凛に百目鬼は深く頷き、あとは沈黙したまま天井を眺めている。
「親方、大丈夫ですか?」
それとなく気遣う芹凛に、百目鬼はギョロッと鬼の眼を剥き吠えるのだった。
「光司には金も時間もない。芹凛の推理が正しければ、次の光司の大博打は実母殺害ってことか。確かに臭う。まだ銀次郎殺人の証拠は不充分だが、芹凛、次の不幸が起こる前に、別件逮捕でとにかく光司の身柄を確保しておこう。これが女鬼刑事と鬼デカ・百目鬼のギャンブルだ!」
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