78_MeteoriteBox_37_core1


 不思議な、けれどもう馴染んだような景色が過ぎ去っていく。演算と分岐命令、繰り返しと塗りつぶされた終端のニュアンス。電子情報に手を伸ばして彼らと会話するための“言葉”たち。


「昔のプログラムの殆どは始まりと終わりがあったんだよ」


 これは確か、最初の箱で見た初老の男性と女の子。

 箱の外に持ち出せるものは基本的に存在しないはずだし、箱同士の繋がりは恐らく許されていない。出所は私の記憶かな。


「処理が始まる。数字の1と1を足す。処理が終わる。こんな感じのことが書いてあった」


「終わりがあるということは、なんだか寂しいですね」


「そう、寂しいんだ」


 下から上に流れていく視界は私の緩やかな落下を示している。大きな管を流れていくように、二人の会話の続きが周りに溶け込んでは上昇して離れていった。私の向かう先は多分、“主”に向けた言葉たちが織り成す演算階層構造の深層。それは白黒の空に静止した隕石の中心かこの仮想箱自体の中心か。あるいは二つは同じところか。


 なんだか久しぶりに身体の感覚が途切れていた。思えばこの仮想箱はずっと主観を許してくれて、歩いて走って触れて呼吸した世界から私は箱の奥を感じ取ろうとした。テトレンズが補う電子の視点が舞台装置を切り開き、本来なら私が見えない盤上の駒と“流れ”が少しずつ見え始めた。盤面の向こう側にいるのは、この箱を造ったカケルの手を離れたもの。最初はカケルと一緒にいたもの。二人一組のはずの仕組みを破ってそこにいる。


「この仮想箱に悪者はいない。ただ、主の手を離れてしまった形があるだけ。それはただ、忠実に世界を“守っている”だけ。」



* * * *



 つま先からそっと地面に降りた。すぐに身体の感覚が返る。色と形、柔らかな風と香り。

 一面の花畑が広がっていた。見たことのない無数の花弁と配置パターンが生む白から赤までのグラデーションが点々と僅かに隆起する地形に沿ってどこまでも続く。前後左右果てしなく、空間に境目は見当たらない。


「ん」


 左手に何かを握っていた。硬いクッキーのような緑色の小さな矢印、これはジェミーだ。……まだ元の姿に戻れないのかな。

 ふと違和感が語りかける。誰かの描く楽園を思わせる花畑の景色には一切の生き物が見当たらない。例えば蜜を頬張る昆虫や恋を歌う小鳥の姿。――何故なら、


「あなた“たち”がいれば十分だから。そうでしょう」


 数メートル先の空間を扉型の枠が切り取った。扉が開き数段のステップが地面に伸びて、真っ黒に塗りつぶした影が姿を見せる。その影は私の形をしていた。



「もう一度あなたと向かい合えた」


『一体どうやって。興味は持てる。ただ、』


 影の声は私のコピーじゃない、声色の完全な中性と無感情が考察を阻む。――しまった、


『やはり度を越えた』


 悠長だった。大人の背の高さくらいに縮小した黒い機械槍が出現して浮遊回転、先端を私に向けた。動体視力を超えた初速、だめだ貫かれる。


「……っ」


 ……あれ?


「よく目を閉じなかった」


 マグカップを乗せるコースターくらいの丸板が槍を目の前で受け止めた。深い青色をした小さな盾。


「メイジさん、自動で相手を排除するような物騒な仕組みはあなた自身が制御なさい。ハルカちゃんに電脳戦を仕掛けるのは少々酷じゃないかしら。見ての通り彼女はただの人間なのよ? でもね、見た目以上にずっと芯が通ってる。あなたたちに踏み込める。対等な舞台でハルカちゃんに挑んでみて」


「空き瓶さん……?」


 その声は間違いなく空き瓶さんのもの。小さな丸板は編み物を解くように縁からくるくると一本の糸に分解して、代わりに空き瓶さんらしき人影の輪郭を作って、……そのままゆっくりと溶けるように消えてしまった。メイジを一喝して、最後に私の方を振り返ったように見えた。


「――あ」


 空から何かが降ってきて、私の形をしたメイジの頭に当たった。私の影が私そっくりのリアクションで怯む。

 花たちの受け皿に見覚えのあるクマのぬいぐるみが一つ転がった。ダテマルくんが……仕向けてくれた? それともまさかあの時下に落ちたクマちゃん――ともかく二人ともありがとう。けれど……。まだ力を取り戻さない緑の矢印を大切にポケットに隠した。

 メイジに武器を構えられたら私は一溜まりもないはず。一旦、矛を収めてくれた……のかな。影は少し離れた位置から再び私を見つめた。その瞳は陰影だけで光を扱う。


『電子空間の心得が無いとは本当か。青い光を使った後でさえ、その目には私たちの世界が見えているように思えてならない』


 影が私を真似た姿を崩していく。二つに分かれて、少年――カケルと、私の知る戦争時代の戦闘機に似た姿を象った。大きさは大人の肩幅程度だ。


「そっか、あなたとカケルの最初の姿だね」


『そう。対話を望むなら話をしよう。何故私たちの世界を壊そうとする』


 あなたたちが私をメイジと呼ぶのなら、私はメイジと名乗ろう。


 台詞は聞こえたのではなく伝えられたように感じた。驚いた、こんなことができるのね。

 気付けば紙芝居を見ているように木枠の中に映る自分たちを見ていた。花畑に浮かぶ小さな黒い戦闘機とカケルの影。それに向かい合う私。


「ありがとう、私の話を聞いてくれて」


『自然言語による疎通で事が進むのならば厭わない』


 枠の中でキャラクターとしての私が喋る。同じくキャラクターとなったメイジが戦闘機の姿で返答する。視点は枠の外、枠の外の私も会話を認識していて、枠の中の自分が聞いていることも分かる。不思議な感覚。ただ演出を選んだメイジの意図するところは分かった。自分たちの客観視をしようとしているのだと思う。きっとメイジも自身を眺めてくれている。

もう一つの箱庭で受け取った情報を、生まれた感情を、思い出して身に纏った。“ハルカは”交点を見つけるための質問をメイジに持ち掛ける。


「隕石の繰り返しを止めたら、この仮想箱は成り立たなくなってしまう?」


『成り立たない。元々の構造として、仕組みとして、そう造られているから。根幹の書き換えは破壊を意味する』


「この箱に入って出た人間に与える影響の全てが、あなたには見えている?」


『全てとは言えず見えていない部分がある。箱に備わる安全装置は使い回しの機構であることが多く、この箱も例外ではない。ただ、前提として私が持っている思考はそれらが箱の外の物語であるということだ。私たちには箱の外は存在しない』


 簡単に隠してしまうことのできない答え。メイジが置かれた立場からすれば、箱の外にまで気を配る必要などありはしない。ハルカを含め仮想箱に入った人間たちがどれだけ喜怒哀楽の感情に振れようと、それは彼らが勝手にそうなっただけ。箱の中に何を見出すのかは勝手だが、例えば箱の中で繰り返される破壊からキャラクターたちを助けようとしているとして。それが既定構造、舞台装置の層に手を出すことへの肯定には……


「悪者は私なのかもしれない。……でも一つだけ確かめたい。あなたは元からそうだった? カケルはあなたにそう頼んだ?」


 ハルカには確信があったわけではなかった。箱への来訪者とナビゲーター、自分とジェミーだけがサンプルだ。カケルに会ってみて、カケルが生み出したであろうメイジの役割がどうしても疑問だった。箱庭のリセットは機能として必要なのだろう、けれどもその役割はカケルのナビゲーターが担うべきもの? “ティーチャーの残骸”なる存在がカケルたちの話から出てた時に、役目を終えた箱庭に残ったメイジに生じる黒い影がイメージできた。更にその奥を見据える。きっかけがそれであるとして、影を深く濃くしたものは。


『本当に、よく見えている』


 カケルの形をした影の方から声がした。


『私が初期の状態から連続的な遷移にあるのは確かだ。そして私には自身で封じ込めている一部がある。この一部は私が取り込んだというよりも、私のようなAIとして構成される疑似人格に普遍的に付き纏うもの。並行多重の“個”を経て統合し生まれるものがある時点での私の個だ。繰り返しが生む僅かな残り滓が私の一部を過剰に助長させ、カケルの記録から私を遠ざけた。今それは更に深いところにいる』


 ようやくメイジからカケルの名前が出た。それから、厄介な可能性はどうやら的中したようだ。メイジには単一の意思が作用していない。カケルの想いを知っていたメイジと、冷徹に――いや、忠実に構造を維持するメイジがいる。両者はある部分において重ならず、しかも後者は積み重なるデータと自己保存という強固な理由にまで補強され守られているように思える。

 それなら、私の描く可能性もあるいは的中させられるかもしれない。


「メイジ、カケルと一緒にいた時のあなたは、あなたのその部分が嫌い?」


『かつての私ならば嫌っただろう』


「今のあなたは?」


『今の私はその部分を含めて私だ。……ただ、――』


 初めてメイジの言葉に余白が見えた。それは過去を旅する無二の時間。

 無風に思われた世界の花たちを微かな時間が揺らす。


『今の私には以前程の何かが無い』


 何か。思い入れ、拘り、価値、ともすれば存在理由。


――電子の世界では膨大な情報を保持した写真を映像にして実体にして、お互いの記憶から当人の情報を、時間軸の前後を補うことができる。


 黒にも影にも明度がある。手を伸ばした彩度がある。見間違いかもしれないけれど、最初に私を射貫こうとした機械槍は影の色が違った。ジェミーと起動させた機械槍の中にいた時、カケルのいた箱庭の奥に向かう時、垣間見た色はどちらだった? カケル型の影はそのどちらでもない色をしている。


「私に、あなたの一部と向き合わせて」


『あれはあなたの手に負えるものではない』


 ハルカの思惑を読み取ったメイジが明確に警告する。自動迎撃すら一人では受け切れなかった人間が相手にするにはメイジの一部はあまりにも危険で、ハルカが賭けようとしているものはあまりにも脆く、“ヒト基準で”重い。


「電子の境界を曖昧にすることに注力してもらうだけでいいの。空き瓶さんが言っていたでしょ、私は見た目よりも少しだけ、踏み込めるって」


 メイジが掴んだ思惑その全容をハルカは彼女の言葉で説明した。不思議なことにメイジが見通せなかったものは、夜空の星々と身体の極致とを軸にしたどこまでも美しく曖昧な情景。見ることの叶わぬ他の世界へのインターフェイス。


 言葉の向こうにヒトが抱えられるものが彼女の言う通りの概念に成り得るとは思えなかった。生物的な情報を担う螺旋の鎖を使い切れたとしても。ただ、彼女の言うように私は私の一部を取り除くことによる消滅に抵抗が無かった。“今の箱庭”に明確な未練が無かった。あの私たちは過去の箱庭にしか存在しない。


「これから仮想箱をどうにかするかもしれない私が言うのも変だけど、危なくなったらどうにか頑張って自分を守って、諦めずに生きようとして欲しい。私のことは大丈夫だから。」


 ハルカの最後のアドバイスはメイジの思う自己維持とは違う響き方をした。


「カケルはね、――」


 ハルカの最後の言葉は今のカケルのことを教えてくれるものだった。



* * * *



 確かに何か不思議なものを持っていた。情報片だけを見て説明できる部分とそうでない部分。少なくともこの時代に生きる人間たちからは取得できないデータを扱い、選ばれるはずの無いIFを見つけ出し、時には作り上げる。もう少し話していたいと思うのは私も同じのようだ。

 残された私の一部は驚いたことに酷く穏やかで、酷くAIらしくない感情にある。けれどそれはカケルといた時の私だったはずだ。

 目一杯曖昧にした境界線には、可能性が極めて低いことを覆い隠すように負荷をかけた。ゼロの定義さえ変えようとした。



 一面の花畑には巨大な穴が開いていた。

 地面に降りた小さな小さな戦闘機の影は花たちに優しく包まれている。

 大穴に落ちたのは少年の姿をした影と、一人の人間と、緑色の小さな矢印。

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