77_MeteoriteBox_36
手首には最小限の緑の矢印、エレベーターの許す最上階を走り抜けて、数箇所に分かれた階段を計三階分ほど駆け上がった。この辺りは背の高いビル群が遠慮しているから屋上なら街の全方位が見渡せる。ビルの隙間からでも巨大な機械槍たちは見つけられる。
そう、私は機械槍を使わなかった。操縦桿を握らず外へ。作戦変更の意図はジェミー司令塔が最新化した航路の先にある。
{最初に槍が光るジェミ。光が凝縮するのが分かったら耳を塞ぐジェミよ。あとは空を見ているだけでいいジェミ。必ず隕石は止まるジェミ。そしたらハルカの出番ジェミ。何をすれば良いかは分かるはずジェミよ}
手首の矢印に念じても正確な残り時間を示す数字は現れない。ドアの開錠は緑粒子による全自動、私は住民のいない簡素描写の都市マンション頂上に辿り着いた。
「はぁ、ふぅ、」
思い切り走ったから当然か、疲れるときはちゃんと疲れる……。いや、最初は疲れなかった気がする。あちら様が私の細かいところにまで手が回らなくなったとか。
「ここで待ってればいいんだよね」
ほんの数%くらいなのかな、ジェミー色の矢印から声の返事は無い。メイジは今どこに? この場所へ向かっている? あるいは隕石に乗り込んでいたりするのだろうか。空は、
「変わらず、薄青い色をしてる」
都会の昼空。私の声は手応えなく箱の中の世界に溶ける。
ここでは空も風も気温も湿度も主張が控え目だ。街のヒトは私から見たらとてもそれらしかったけれど、今箱を統べるものは彼らに手を差し伸べない。メガホンを持った者と舞台装置は彼らを小道具にする。一人の観客を前にどうしてもレイヤーが生まれてしまう。
足元はコンクリートそのままの色合いで、広さを持て余す屋上は頼りない金属の柵で囲まれていた。柵の向こうには遠い時代の片鱗を取り入れた視界が広がっている。
ばらばらの出典を繕った未来の街。思えばこれは箱庭に置かれたオブジェクトたちなのだろう。思い付くまま手に取れるよう棚に並べられた多種多様なミニチュアたちには文脈も整合性も求められない。優先事項は箱庭を造るヒトの想像に枷を作らないこと。
それから、もうひとつ。箱庭は“次の利用者の為に一度ゼロに戻る”性質を持っているはずだ。
「光った……!」
じっと睨んでいた機械槍から淡い光が出ているように見えた。光は徐々に強くなって、私が明確な発光と認識する頃には視界四方の機械槍四本が青白い光に覆われた。でも斜めに地を刺したまま槍たちはどうやって隕石を止めるのだろう。まだメイジも隕石も姿を現さない。槍の起動は一目瞭然、街の人たちさえも過去にないパターンへの反応を始めたはずだ。
と、エネルギーを集中させるように槍の先端へ光が凝縮されていく。空から刺さったなら根元か、とそんなことを言っている場合じゃなくて、
「耳を塞ぐ、だね」
両手のひらをぴったりと顔の横へ、さて何が
「うわっ」
思わず怯んでしゃがみこんだ。稲妻雷鳴を突き放して抜き去った特大スケールの光と音。空を引き裂く轟音を携えて発光が引き金を引いた。立って、しっかり見なきゃ。
「……そういう演出をしてくれるの」
大音量の重低音が鳴り響き続けて私の声は掻き消された、空の容量が追い付いていない。そんな中で機械槍に『担当者は私たちだよ』と言わんばかりに切り抜きの静止画が槍の表面に映っていた。……いや、きっと私にだけ見えているんだ。
テトレンズを外すと思った通り私宛ての手の込んだ演出は消えた。すぐにチョキを重ね覗き直す。ここから距離のある槍にも視認できる大きさでパイロットたちの顔が映っていた。ダテマルくんと空き瓶さんとイオと、えっと、一つだけ二人一組だ、空を眺めるのが好きな彼と確かテトレンズショップの店員アンドロイド……? 写真一コマ彼らの表情は想像にお任せとさせて。
強い光は放電プラズマを思わせる強烈な電撃線を作った。槍の先端から槍の先端へ、並行四辺でもない歪な輪が轟音を纏い空に浮かび上がる。途方も無い出力、街一つを囲う巨大なスケール。
「すごい、これならきっと……!」
四点を結ぶ歪な図形は眩しさと空気振動を保ちながら少しずつ上昇して行く。稲妻の描く図形は間もなく緩やかな回転を始めた。外縁は物理法則に沿って円を目指し、やがてそれは、光の輪を成した。
「そうだよね、引き下がってはくれない」
巨大な影が尚も空を覆う。空に切り込みを入れるように唐突に前触れ無く。準備万端の機械槍たちは光の輪を支えたまま刀の鞘を握った。
――過剰な連続処理を強いられた演算装置は著しく処理能力を低下させる場合がある。時には完全に演算を止めてしまう。
これはかつて初期電子の世界が途上にあった頃の昔話だ。だが事実としてその頃既に、『0』と『1』のロジック群は幾重ものIFを手繰り寄せ始めていた。
「……あ、」
鳴り響く轟音が気付けば止んでいた。
箱の中の世界が基幹演算を停止した。
私は……?
パリン、と、音が鳴らなかった。シャボン玉が割れたように見える、私を包む球形が上から消えて行く。緑に少し傾いた虹色の薄い球が、音も無く……。いつのまに? 皮膜は私を停止の一瞬から守ってくれた……のかな。世界が色を失ったように白黒になっていて、私の目が色を拾ってくれない。いわゆる時の止まった世界を思い描いた時、少し気を付けないとそれはとても静かで寂しいものになってしまう。
「ジェミー……?」
白黒の小さな矢印が私の手元を離れて宙に浮いていた。空間座標に固定されたように、取り残されたように。ジェミーの欠片から返事は無い。私を守ったシャボン玉が重い一手だったのではないかと不安がよぎる。……でも、ジェミーは言ったはず。
「何をすれば良いかは分かる……って。」
隕石は空中でピタリと止まっている。大きく大きく空を覆って、天井が迫ってきたのかと錯覚するくらいに直径が計り知れなくて。その表面はやっぱり金属と継ぎ目の人工テクスチャだ。そうか、機械槍のそれと似て。
槍の生み出した光の輪は隕石の何分の一だろう、まだ隕石と輪は接触していない。フラフープにバスケットボールを通すような構図が目的じゃないとしても、隕石は認識を歪めるようにあまりにも巨大で力強い。視界が白黒になっても同じ……
「……ん? もしかして」
手でハサミを真似る。重ねた二対のハサミは四角い空間を虹色に切り取った。
「正解かな。それなら」
取り戻した虹色の視界で捉えた隕石は、ヒトの手の形をした立体影になった。
「そう、それは“あなたの手”であるはず」
テトレンズを外して一度情報を戻した。あとはどうやってメイジの元へ行くか、そもそもメイジはどこで待っているのかなのだけど……。屋上を囲う柵の一辺から身を乗り出して周囲をぐるりと見渡すも世界は白黒に停止したまま。今少しでも自由に動けるものがはたしてどれだけ
「……む」
不思議なものが目に映った。白黒建物たちの間を縫って何か板のようなものが三枚空間を歩いている。板は先頭と最後尾とがくるくると入れ替わるようにして、なんと言うかそう、三段だけの階段? ペタペタと滑らかに空中を進んで私のビルに近付いて来る。色の無い視界に青白く光る三枚の板から敵意は感じない、じっと待っていると屋上の柵を越えて私の足元に降りた。
「こ、こんにちは」
ジェミーの緑色じゃないし、空き瓶さんの瞳の色でもない、ダテマルくんっぽいアレンジもない。初めまして?
「おや」
ちがう。知っている。
「あなたは、あの時の」
三枚の板は四枚目を作った。五枚目、六枚目が生成されて伸びていく。私はこの階段の色味とステップの幅を知っている。板は八枚目で止まって、宙に浮く短い手すりを用意した。このくらいあれば十分だ、二枚だけでもいい。階段は素敵な技術でヒトを上にも下にも運んでくれるし、未来のそれは乗り心地も最高級。しっかりと空で待つ隕石への道を示している。
「ありがとう」
ただ、心残りが一つ。
柵の近くに出来た未来の自動階段から一旦離れて小さな矢印を探す。ビスケット程の大きさの矢印は白黒になって宙に浮いたままだった。レンズを付けて見れば、……見ても、緑色を取り戻さない。視野角の外と同じように矢印だけが視界の中で白黒のままだ。
「えい」
両手で包んでみるとジェミーと同じぷにぷにとした手触り。私の両手には色が戻っているのだから私が手で包んだものに色が戻っていても不思議ではない。箱の中の猫の話と少々強引に結びつけたままそっと両手を動かすと、中の矢印が動かせたのが分かった。
「一緒に、でしょ」
直ぐに合流すると言っていたのを私は信じるし、手伝えそうなら何だってするよ。
小さな矢印を両手で大切に包んだまま青い自動階段に向かう。私が乗ったのを感じ取った階段は、緩やかに空中を進み上昇を始めた。メイジはあの中にいるのだろう、階段と私と手のひらのジェミーの欠片は隕石に擬態した“手”に近付いて行く。
揺れることもなくゆっくりと少しずつ、少しずつ。
時間の止まった未来の街並みを見下ろす時間もあった。
やっぱり少し怖くなってきて、奮い立たせる時間もあった。
何故隕石を止める気になったんだっけと思い返す時間もあった。
少し無理をするかもしれないと、不安定になった電子の定義を思い、
{“私たちの”作戦ジェミよ}と、ジェミーの言葉を声にして繰り返した。
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