79_MeteoriteBox_38_core2


 暗闇。下を見ようとして、見えているのか。視界にあらゆる距離は見えず身体に天地の感覚も無い。

 そこに緑色の光が差した。


{こうなると思ったジェミ。ハルカが本当のメイジと戦おうとしたら私が復活するように仕込んでおいたジェミ。正直これが精一杯だったジェミが、}


 緑の光は何だかちょっと面白い、可愛らしい語尾で喋っている。


{……ハルカ、そろそろ起きるジェミ}



 顔にくすぐったい感覚がある。けれどもすぐに乱暴に揺れ動く世界に気付いた、穏やかな目覚めとはいかないようで。


「うぅ……」


 地面……木のフローリング? 自分の片手と……そうか、冷たいのは雨か、水浸しだ。また大きく地面が揺れて仰向けに戻された。空は……どす黒くて、それから、えっと、波の音?


「わっ」


 少し身体が浮きそうになって微睡む意識を強引に叩いた。地震にしても大きい揺れが妙に連続する。不規則に何度も。それに雨って……木の床はあっても天井が――


「ふ、船……?」


 まさか。海の上、船の上にいた。しかも吹き荒れる風雨、嵐の最中。


{やっと目を覚ました、聞いて!}


「はい、……あれ?」


 語尾がついてない。どすんぐおんと揺れる甲板に両手足を着いてしまった。マストが一本あるから――帆船だ。海賊を思わせるマークは描いてないけれど年季の入ったボロボロの帆、船体も全体的に傷んでいるような。大丈夫……?


{聞いてってば!}


「ごめんごめん、ジェミー……だよね?」


 声は確かこんな感じだった思うけれど、さっきまで聞いていた気がする語尾が無い。それに何か形が違う気がする。喋っているのはファンタジー世界の妖精を思わせるようなぼんやりと丸い輪郭の小さな光で、大小四枚の羽根が付いて浮かんでいる。緑色に淡く光っているのは確か元の通り……。


{ここは各々の存在を曖昧にして個性が無くなるまで分解しようとするの。思い出して。あなたは誰? どうやってここに来たの? ここで何をするの?}


「私は……ハルカ、黒い影……メイジの一部を追って、お花畑に開いた穴を降りて来た。ここで、メイジの一部を……おっと」


 大きな荒波が船を突き飛ばした、甲板を船室の壁まで転がってしまう。


「いたた……」


 身体はちゃんと痛む。味方をしてくれるような船員の姿は見えない。


{イメージして! 凪を、控え目でいい、太陽を! 平穏な海を!}


 緑の妖精は中々難しいことを言う。大荒れの波、真っ暗な空を狂う暴風雨、今のこれはまるっきり反対の様相だ。


{私にできたのだからあなたにもきっとできる。……ハルカ!}



 そうか、ジェミーが私の名前を叫んだら多分そうなるね、語尾は付かない。


 船が水平を取り戻した。海はぴたりと静かになる。

 私は甲板の上でマストに背を付け脚を伸ばして座っていた。船の先端まで数メートル、コンパクトな海賊……帆船だ。


「……ん?」


 やっぱりまだ少し頭の中がもやもやする。

 立ち上がって人の気配が無い船内を探ってみるも、樽やロープのような航海に備えた道具があるばかり。古びた操縦桿は虚しく指揮を待っていた。船の縁から海面を覗いてもやはり生物の姿は見えない。海鳥の鳴き声とか、何か痕跡を……


{太陽が消される}


「え?」


 どこからか私以外の声がした。太陽が消されるって、そんなこと――


「ある……んだっけ」


 雲に隠れるのなら想像は付く。けれど白い太陽は細かなモザイクに分解されるようにして跡形もなく空から抜け落ちた。あとに残った風景が理由の分からない不穏を連れて来る。世界の上半分が完全な灰色になった。白と黒のちょうど真ん中の色、濃淡も無く空一面がその色。意識と観察が塗り潰されるようだ。


{近付くだけでこれか、まずいなあ}


「……えっと、」


{えーいこれでどうだ}


 ふわりと顔の前に現れた緑の光。私が身構える前に多分どちらかの目をめがけて突進してきた。



 柔らかな緑色だけが視界に残って、その後で白黒写真の綺麗な景色が広がった。あー、この眺めには覚えがある。


「スタート地点の景色だね。あなたを抱えて一緒に見た」


 緑色、青、どこか懐かしいオレンジ色。白黒写真が一色ずつ色を取り返していく。単純に綺麗とは言えないかもね、未来に有り得そうな要素と時代がズレたような要素が混ざっているし、大きな槍のような柱のようなものが何本か刺さっている。


{戻ったジェミ?}


「うん、なんとか。ジェミーありがとう」


{私は一応綺麗って言ったんだから綺麗ジェミよ}


「そうでした」


 靄と霧が退いていく。定義や意義を脆くあやふやにしていた何かが一旦身を潜め、それでも海と船と私たちが残った。あ、ジェミーは元の手と足と耳が付いたブラウン管テレビの姿でね。

 この海には例えば遠くに見える島の形や灯台の導きのような、方角と境界が無い。生き物気配まで感じ取れないのは多分もう片方のメイジがいたお花畑と似た理由だ。身体を使って影の位置を確かめようとするも、やっぱり太陽はちょうど真上にある。目印となる島が無い、コンパスが無い、風が止んで星を読む術もなく太陽まで消えたなら。海は恐ろしく孤独で寂しい世界になってしまう。本来ならば食料を筆頭にもっと生命と死の概念が付き纏う。

 一度静かになったように思える海の上だけでもこれだけ天上が見えない。再現された全てが運良く私を生かしているだけだとしても。次々に姿を変える断崖絶壁ともすれば剣山の上を、涼しい顔で素足で歩く。


「メイジは海の中にいるのかな?」


 ほとんど揺れなくなった船体から身を乗り出して海面を睨む。ジェミーも海を見ようとしたので抱えてあげた。光を飲み込む海は深さを測らせてくれない。


{この海自体がメイジかもしれないジェミ}


「そんなスケールかー……」


 そうだとしたら、そうだとしても。


「ここでもまだ使えるのかな」


 ジェミーを船の上に戻して両手でチョキを作って重ねる。ハンドメイドの四角形をひとたび覗けば


「おー……」


 太陽の光を受けた海は濃い青に映っていた。テトレンズ越しの海面は白黒になってしまった。ぐるりとあれこれ見渡してみて、それ以外に違いは分からない。


{どうジェミ?}


「海が白黒に見える……だけだね」


{そうジェミか……。実は、私がメイジと喧嘩した時にも黒い海のイメージがあったジェミ。海の記憶はメイジだけじゃなくて、私の中にも漠然とあるような気がしているジェミ}


 ずっと昔に見たような、そこにいたような。ジェミーの言葉を拾って見えた海はきっと自然の海に幾重もの概念を重ねた海だ。電子の海、ともすれば原初の海、無数の情報集積が銀河群と同じように廻り、単一の個がいくつもの分岐と分離結合を経て凝縮形成されていく。私たちも母親の中に、遠い記憶の向こうに、同じ海を知っている。


「メイジはこの海にヒトが生む負の感情や記憶を溜めこんでしまった」


{ハルカ、どんな風にとアドバイスできないジェミが、身構えるジェミ}


「りょーかい」


 私が船の上で大気に放った言葉が海の底で様子を窺っているものに届いたようだ。的を得たか癪に障ったかともかく周囲の海がざわつくのを感じる。間もなく近くの海面が音を立てて盛り上がった。


「大きい……!」


 海の怪物クラーケン……? タコやイカのように無数の腕を持った巨大な生き物が、頭部と数本の太い腕を海面に持ち上げた。私たちが乗っている船とはまだ距離があるけれどデタラメに大きい、数十メートルはあるんじゃ……。影だけの描写ではなくなって黒い塗料を重ねたように質感がある。トラックのタイヤより何倍も大きい瞳が二つ海面から這い出した。絞った焦点は小さな帆船、緩やかに前進を始める大型敵影に全身が強烈な敵意を感じ取った。


「ジェミー、イメージの翼を作ったりできるかな。この船、沈むかも」


「手伝うジェミ」


 クラーケンの射程に入ったらしい。その数4本。規格外の大きさ速さで食腕が襲って来る。突き、払い、叩くような力技……!


「間に合え!」


 ダテマルくんのセンスを一生懸命思い出して機械の翼を思い描く。耳を劈くような轟音の直前に甲板から飛び立った。マストが折られ船体には大穴、船全体に巻き付いた一本が胴を捻り潰していく。


{ハルカ後ろジェミ!}


 間一髪、振り下ろされた食腕を避けた。海を叩き爆発のような水柱が上がる。休む間もなく正面から大鞭のような別の一振りが。防戦一方ではダメだ。


「ジェミー、最大出力でお願い!」


 薙ぎ払いを上下に避けて剛速突きを蝶の真似をしてかわす。


{えーと、こうジェミ?}


 機械の翼を背負った私、今度は左腕がメカメカしい大砲になった。右手にも少しずつ機械槍を模した装置が形成されていく。


「すごい。このままクラーケンに穴を開けて飛び込むよ!」


 次のヴィジョンを頭の中で描きジェミーに伝えて、それから、心の中でスイッチを入れた。


{ハルカ、ちょっと待つジェミ、}


 私のデータが無視できないレベルで増大している、復元に支障があるくらいに。


「大丈夫、思った通り」


 ジェミーの警告は上手く行った証拠。やっぱり私を守ることを考え続けてくれているんだね。

 海の怪物が攻撃態勢をとった私を睨み直した。


「ふー……」


 行く。


 ダテマル式電磁砲が咆哮して光弾を放った。重低絶叫と尚も襲い来る無数の食腕、翼を横向きのジェットエンジンに変え全身を槍にして突っ込む。


 ジェミー必死の防御も私の身体は左半分が途中で消されたようだ、でも大穴を開けたその巨体に、全力の一撃を突き刺した。

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