69_MeteoriteBox_28_


『カケル』


「……イオ? そんな……どうして、」


 男の子は私の姿に重なったイオを見ていた。信じられないという表情、あと少し進めば懐かしさを引き金に抱え込んだ感情が溢れる兆し。それから、後悔、謝罪……? 電子の越境とお互いの補完能力は面影を数段越えて再会を叶える。半透明だったイオは一時的に完全な姿になり声を取り戻す。カケルと呼ばれた男の子は在りし日の世界に再現へと僅かなズレを調整した。二人は過去の記憶に満ちた小部屋で向き合った。

 この感じは……そう、砂漠でロボットの手に触れた後の夢に似た視点だ。私はイオに主観を重ねて二人の疎通を観測し、イオの感情を部分的に共有してもらえる。


『またお話をしましょう』


「……イオ、ごめん、僕は……」


『分かっています。どうか、私から質問をさせて』


 私が思い描いてきたこの仮想箱の仮定作者は、カケルと呼ばれた男の子のことで間違いないようだ。ただ、監督のメガホンを奪ったものがいた。舞台は新たな指示に沿って再構成され、旧監督の名前はエンドロールに小さく載った。イオが分かっていると言ったのはカケルが既に“元の状態“にないということだ。


* *


BOX VISION > system I/O loading...

BOX VISION > completed.


I/O > こんにちはカケル


「久しぶりだねイオ」


I/O > この世界はカケルの望んだもの?


「いいえ。そうじゃなくなってしまった」


I/O > それは何故?


「この仮想箱に設定したナビゲーター機能が悪さをしたんだ、僕から生まれたナビゲーターがあろうことかティーチャーの残骸に感化されて……」


I/O > ティーチャー、あなたにとって大きな存在ね。ナビゲーターは今も仮想箱の中にいる?


「今もいて、仮想箱を定義している。僕から離れて、制御できなくなって……」


I/O > 大丈夫、カケルは悪くない。カケル、今あなたは……


「うん、今の僕はただの保護記憶だよ。ナビゲーターに挑むのを繰り返しているうちに時間切れになった」


I/O > あなたはあなた、変わりません。


「ありがとう。けれど、僕にはもう槍が使えない」


 物悲しい感情がイオに流れた。カケルは当時、私と同じように仮想箱に入る立場にいた。つまり生身の人間として自分が創った世界を自分で見に行くことができた。仮想箱と箱庭の概念を並べて考えるなら、箱庭が上位の視点から世界を眺めるのに対して仮想箱は中の世界にスケールを合わせて入り込む形になる。上位の特権は失われるはずで、情報演算武装でさえも大幅な制限下に置かれるようだ。それでもカケルは自分の階層を一段下げて箱に入った。外からの干渉を拒むようになった彼のナビゲーターと対話するために。

 今イオが見ているカケル――私がやっと対面したカケルは、彼が残した自分自身の写真のようなもの。電子の世界では膨大な情報を保持した写真を映像にして実体にして、お互いの記憶から当人の情報を、時間軸の前後を補うことができる。


I/O > ナビゲーターや槍をどうするかは、少し後でまた考えましょう。そのナビゲーターには名前がありますか? あなたは何と呼んでいる?


「名前は無いよ。昔ティーチャーが僕に教えてくれたことには従わずに、名前を付けなかった」


I/O > 分かりました。それでは少し踏み込んだ質問になります。カケルは、“今も”ナビゲーターを止めたいと思う?


BOX VISION > system I/O disconnected...

BOX VISION > loading...

BOX VISION > restart base system.


* *


「……あれ?」


「僕とイオは昔こうやって話していた。イオは僕の話し相手だったんだ」


 私たちは夕日の射す小さな公園にいた。二つ並んだブランコの片方にカケルが腰掛けて、イオはブランコを囲う低い柵に体重を預けていた。私はブランコスペースの入り口に立っている。


「質問に答えるね。僕は今になってこの世界をどうにかする必要は無いと思う。僕個人にはナビゲーターを生み出してしまった後悔がもちろんあって、最期の瞬間を体験するためにこの先も仮想箱を訪れる人たちへの謝罪も消えない。生み出され続ける負のデータへの懸念も無いわけじゃない。でもここで動く数字は大枠から考えれば誤差の範囲で、僕たちの世界が箱の外へ影響することもない」


 答えを述べたカケルはブランコの上で膝を折って下を向いた。足が地を離れたことで変化した力の点が流れを生み出し、ブランコは僅かに空間を振れる。私も隣のブランコの鎖に手を伸ばす。


「箱の中での出来事は、箱の中のことを覚えて外に出た人間にも影響しない?」


「大きな影響は無いはずだよ。これは仮想箱の機能自体がそうしてくれるし、彼ら自身がそもそも影響されにくい」


 隣に移動した私を見ようと顔を上げるカケル。カケルの言葉を一つ一つ拾う私。


「本当にどうにかできない?」


「……どうにかできない。そもそも槍を使うには仮想箱の外から来た人間である必要があって、今のナビゲーターは警戒を強化してしまった。例えば僕が特権を一部でも取り上げられたとしても、足りない駒が多すぎるんだ」


「もしどうにかできるなら、どうにかしたい?」


「……そうだね、ナビゲーターの仕事を終わらせて、それから仮にも再現されてしまった人たちに謝って、それから……イオに……」


 カケルはイオにそっと視線を送った。色と声を私に返したイオは静かに優しく微笑む。


「分かった、ありがとう」


「……あなたは、一体何者なの?」


「ただの人間だよ。ちょっと遠いところから来たけどね。名前はハルカと言います。どうぞ私のことを調べてみて」


 先にイオから説明を受けて、それからイオと意識を共有して、やっとこの仮想箱を創ったカケルに会えて。ようやく状況が見えてきた。私にジェミーがいたように、カケルにも案内役がいた。あの黒いジェミーの姿になった存在がそれだ。 “既に役目を終えた”箱庭に残った案内役は、その成立の過程で良くない要素を取り込んでしまっていた。仮想箱の形を取った箱庭は時々訪れる来客に表向きは刺激的な瞬間を体験させ、裏ではただ漠然と黙々とシミュレーションを継続する。収集されるデータの意味はもはや希薄化し、生み出される分岐も想定の範囲に限られた。案内役は当初の指示を守っていた。作られた……いや、自ら作り上げた映画のフィルムを繰り返し流し、上映が阻害されないように機材を見張っているだけだ。箱庭のミニチュアと同じように仮想箱に再現された人たちが幾度も迎える最期は彼らにとって苦痛とならないように出来ていた。来客にとってもそれは同じで、この部分は箱庭の設計思想によるもの。だから私は大きな悲鳴を聞かなかったし、自分たちの圧消滅といった悲惨な瞬間になど直面しなかった。

 イオは当時のカケルの近くにいられたから彼を追って仮想箱に入り込んだ。旧式や機能限界といった枷を精一杯振り払って最後には案内役に抑え込まれた。仮想箱の中でカケルと共闘できたのかどうかは分からない。思考と試行を繰り返すうちにカケルは思考だけになった。さらには彼もまた自己防衛の個室に追い込まれた。

 私は――ただのイレギュラーだ。本来ならば仮想箱の中で私のように隕石を止めようなどと考える人はいない。隕石が押しつぶす世界に未練を持つものもいない。適度に演出された世界を適度に楽しんで飽きたら箱を後にする。影響を受けないとはそういうことで、それが仮想箱の時代に並行する人間たちと仮想箱の間で調整された“入出力”なのだ。私のような異分子が紛れ込むことは滅多に無いだろう。故にこの仮想箱は無害の判定を翳し外の世界はそれを認める。


 やっと仮想箱の姿が少しだけ見えた気がする。

 ブランコを一漕ぎする。決して最初の振幅を超えない軌跡で生まれる心地良い重力と遠心力が応えた。


「私が仮想箱から出たら、私のナビゲーターは跡形も無く消えてしまうのかな」


「ハルカさんの言う“消える”と僕の認識が同じかどうか分からないけど、諸々の“個”は分解されて電子集積に還るよ。けれど電子集積の中にはこれまで生まれた全てのナビゲーターが含まれているとも考えられる。僕はそう思っている」


 やっと自分のわがままの正体が分かった気がする。


「集積が仮想箱の外へ出ることは無いし、肥大化も成長も限界がある程度見えている。だから――」


「もう諦めたんだ、って?」


「……そう、諦めるしかなかった」


「あなたとイオはこの後どうなるのかな」


「ハルカさんの退場と同時にイオはまた配置場所に戻ってしまう。記憶はナビゲーターに取られるけれど、ここでの出来事は記憶に残るはず。……イオがそれを思い出すのは誰かの最期が確定した短い瞬間だけだとしても、それでも……良かった」


 イオとカケルは視線を合わせる。イオは寂しく微笑んだ。


「僕は記憶を維持するけれど、また基本的にはアクセスできない場所に幽閉されてしまう。ハルカさんが合い言葉を使ってもきっとここへは来られないと思う。簡単にもう一度とはいかないんだ。そもそも今どうやって世界が繋がったのか――」


「……私はイオも含めて何人かと話ができた。この仮想箱の中でね。その人たちのおかげだと思う。この仮想箱の登場人物たちも、私たち仮想箱の体験者が箱に入る度に再構成されることはあっても仮想箱に残り続けるのでしょう?」


「残り続けると思う。ハルカさんが会った人たちの他にハルカさんがまだ見つけていない無数の高濃度情報点たちがいて、それらはいわゆる初期設定なんだ。仮想箱に入る人に合わせて登場する/しないはあれどずっと控え室にいて、記憶に残らない世界で連続性を書き込まれてそこにいて、この後もそれを続ける」


 いくつかの答えを聞いた私は多分とっても渋い顔をした。「納得していないよ!」と言わんばかりの。


「ハルカさんは彼らに入れ込んだのかな。そこまでの反応にはならないはずなのに、――そうか、多分僕が読み取れない情報に秘密があるんだね。でも分かって欲しい、このままこの箱を後にして欲しい。本当にごめんなさい、僕にはもうナビゲーターを止められない」


「やるだけやってみていいかな?」


 ブランコの最端で飛んだ。得意気に最初の振幅を越えて着地をする。


「……え?」


「イオ、今のイオでも私の声は聞こえるよね? 考えも読めるね?」


 目を丸くしていたイオは柵から離れて私の元に駆け寄る。驚きの解けない表情のままひとまず真剣な顔を作ろうとして頷く。


「あの槍が私に動かせることは分かった。カケルとイオとこの仮想箱のみなさんのことも分かった。二人は私の大好きなナビゲーターのことを知っている?」


「大体は……」


 イオも頷く。


「そのナビゲーターが何を話したか知っている?」


 イオは顔を左右に振る。


「そこまでは観測できない、少なくとも閉じ込められた僕には。」


「私が嫌です諦めませんって言うことは予想していた?」


「していなかった……」


 イオも三回くらい頷く。


「だからね、「それでも!」


 カケルがこれまでになく強い語調で私の言葉を遮った。


「ダメなんだ。僕自身が試したから分かった。あれとの直接的な対立は電子的なロストの可能性を予測したんだ」


 ……なるほどね。


「だから僕はハルカさんを止めるよ。イオもきっとそうする」


 イオは一瞬躊躇って、それでもやっぱり頷いた。イオは優しいからねえ。


「私がここから出る方法を先に教えないでね。少し話し合いをしましょうか」


 説得と言った方が正直かな。私がやりたいことを試して颯爽と立ち去るために、ね。

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