68_MeteoriteBox_27
『2分』の選択肢は最初に確かちょっとだけ引っかかる現れ方をしたはずで、選ぶ人はいるのかと疑ったような気もする。けれど私だけではそれ以上進めなかった。普通に時間を選ぶのではダメ。いつも通りの短い余暇が与えられるだけ。それは見事に箱の上の階層へと繋がり得る隠し通路だった。高度な認証ゲートを通るには生身の人間が短い合言葉を思い浮かべて挑む必要がある。たったそれだけ? いいえ。仮想箱に訪れた生身の人間が、やはりただ不完全な補助付き電子化の視界檻から世界を眺めるようにして、言葉程度の階層にアナログな想像を託して口にする必要がある。そうね、たったそれだけ。
「『 』の旅路」
それはどこか異国の言葉で、あるいは私に再現できるはずのない電子の波形で、『箱舟』を意味する言葉。私はもしや大洪水を止めようとしているのかな? ただ長い時間待っていて水が引くなら良いのだけど。箱舟に乗っているのはイオと、仮定作者のあなた? そろそろあなたと会える気がする。
* * * * * * * *
「っと――」
自分で垂直にジャンプして着地したような感覚が脚にあった。“ずれ”の兆しかな。私は見慣れたスタート地点にいた。登場時に向いている方向やベンチを活かしたポーズにはちょっとした遊び心があるようだけど、やっぱり始まりはここらしい。機械式の巨大槍が突き刺さった街並みが柵の向こうに、
「……ない」
槍が見当たらない。気のせいか街並みの雰囲気も時代ノイズも少しだけ――
(……?)
世界が妙に静かだ。先に言ってしまうと、私が呑気に世界の感覚を探っているのは鍵を開けた『2分』が示す時間が本当に2分間の猶予だとは思っていないからで、これには確信に近い手応えがある。それならこの静けさは、都合の良い形で描かれた時間の停止といったところ?
風が空を歩くのを止めている。あらゆる人工物も自然もジオラマであれば十分だから。これから世界に成るはずの万物を模した贋物は細胞分裂の過渡にあるから。念のため両手のチョキを使って視覚を助けるデバイスを確かめる。反応は無い。そもそもジェミーは今、この世界にいないのだろう。
「わ、ダテマルくん!?」
さて階段を降りようかと振り向いたら、ちょっとだけ古風な黒いアンドロイドが佇んでいた。ダテマルくんの代理ロイドだ。
「……あれ? もしもーし」
スピーカーが搭載されていてダテマルくんの声が聞こえるはずなのだけど、呼びかけても反応が無い。
「……こっちへ来いってことか」
彼は駆動した。とっても人間的な身振り手振りで自分を指さして歩く真似をして手招きをして、彼が道案内することを伝えてくれた。そのままぎこちない足取りでしかし確かなスピードで発進。
「階段も大丈夫そうだね」
代理ロイドくんは振り返って『任せておけ』のガッツポーズ。私の知るロボットではこれほどスムーズに階段を降りられない。踊り場に差し掛かるといつもの癖で左を見る。向こうには覚えるくんがいるからだ。けれど景色は通常のそれとは異なっていた。間違いない、今私は条件を満たした変調世界にいる。階段の続く右側へ向き直って街並みを一望、視界に広がる未来の趣に僅かな過去の指し色。
「もしかして、あれかな」
階段を降りながら目に留まる。最初からそれはそこにあった。建物や生活痕の再現度がちょっと適当なスタート地点近くの住宅街で、高く盛られた敷地と柵にまで囲われた空間。道路から見上げても感じた明らかな存在感。中に何かの施設があることは階段からでも確認できた。もちろん先に立ち寄っても核心は現れなかっただろう。鳥居を模したような意味深なオブジェクトは今まで見えなかったはず。
代理ロイドくんは無言のまま肯定の仕草を返した。銀色卵型のエッグは一台もやってこないし通行人の姿も無い。カッコいい足音を立てながら歩道を駆ける彼に付いていくと、やはりその施設を視界に捉えながら私たちが降りてきた階段のちょうど反対辺りまでやってきた。
入り口はちゃんと設けてあって、誰かを拒んでいる様子もない。やっぱりお寺の要素が混ざっているような気がする。広い面積に対して疎らに配置された低い建物、それらを繋ぐ色分けされた道。少し先に大きな鳥居状の物が待っていて、その奥には遮光ガラス状の扉を備えた簡素な四角い一階建ての建物がある。鳥居は大理石のような灰色をしていた。高さは数メートルもあり、形も私の知るようなものとは違って、そうだな……えっと……、……探ろうとすれば認識に靄がかかるような細工が当然のように施してあるみたい。
「よし、行こ……ん?」
代理ロイドくんが鳥居の手前で振り返った。自分自身を指差して両腕で『×』の文字。そのまま鳥居の“横”に移動すると、鳥居の描く直線より向こう側に“見えない壁”があるかのようなジェスチャーを見せた。上手なパントマイム。……じゃなくて、そういうこと? 今度は鳥居の正面に移動し、私にしっかりと自分の動作を確認させる。彼はそっと片腕を伸ばして片手を鳥居の向こうに……
「うわっ」
強烈な電磁音と閃光。代理ロイドくんの左手の人差し指は跡形もなく消えていた。
「私は……通れるの?」
ちょっと待ったの動き。そのまま私――じゃない、私の後ろを指差して、
「……え? イオ?」
ただし一色だけで描かれた半透明な。いつの間に。でも彼女もまた喋ることができないようだ、口にそっと指を当ててから人差し指を交差させる。それから鳥居をじっと睨んで、
「待って、危な――」
半透明イオは鳥居を通過した。鳥居の向こうには変わらない景色があってイオは向こうの地面にちゃんと立っている。私の方に振り替えると鳥居の真下に差し掛かるように手を伸ばした。「大丈夫、手を取って」と言いたげな顔だ。りょーかい。じゃないや私は表情で伝えなくてもいいんだった、
「りょーかい」
半透明のイオには触ることができた。もはや言葉の意味を離れた“実体”がある。ヒトは良く出来ていて、手を握ってもらうと緊張感が少しだけ和らぐ。私もまた無事に鳥居の下を通過した。
鳥居の向こうに残った代理ロイドくんは『バイバイ』『えいえいおー』『シャドウボクシング』を順番に繰り返している。
「ありがとう、また後でね」
半透明なイオは足音も足跡も作らずに私を先導してくれた。鳥居から建物までの短い距離の間に何度か私に振り返る。言葉は無く身振りも無く、ただ少しの間だけ私を見て頷き、微笑む。その数瞬は電子速度の疎通で、イオの真意までは読めなかった。追いつけるはずのない私は上手な反応が出来ていただろうか。私の無意識はイオに何かを答えられただろうか。
真っ黒に内部を見せない扉は普通のスケールより一回りも二回りも大きく造られていた。銀色の四角い取っ手が付いていて、押しても引いても開けられるような形状だ。イオの色が青紫色から警告を促すような黄色基調になった。もしかしてまた鳥居と同じ? でもイオは……
「……開いた」
イオはそのまま銀色四角の取っ手を押した。今度はびっくりするような稲妻も無いまま、ドアは私に中の視認を許す。赤金と陰影、神秘模様。なんとも得体の知れない底知れない礼拝堂のような空間が広がっている。――そう、イオは仮定作者に一言どころかたくさん“言いたいこと”があるはずなのだ。半透明になってしまっているのが気になるけれど、彼女はこの先に辿り着く必要があるはず。ともすれば私以上に。
イオが振り返って頷く。先に建物の中へ一歩踏み込むと足音の代わりに電子水紋が広がった。荘厳な礼拝堂を思わせた室内の様相が広がる円波紋を受けてグニャリと歪み、私を怯ませていた空間描写は少しずつ不安定に崩れていく。意志を持ったイオの強い瞳は空間に残光軌跡を描き、今やそれは一直線に建物の奥へと進む。私は遅れないように彼女の後に付いていく。
空間は小学校の体育館くらいの規模で、内壁は私たちが数歩進む度に錯覚絵画のように見せる風景を入れ替える。多分イオが歩きながら生み出す波紋が空間自体の“抵抗”を相殺してから引き剥がしているのだ。テトレンズを付けていない私にもそれが分かるほどに箱の中の実体を定義する情報の線引きが曖昧になっている。もしかしたらここは、イオから教えてもらった箱庭の一部なのかもしれない。
「あなたが、仮想箱を描く前の。」
私が体育館と言ったからなのか最後には本当に学校の体育館を模したステージが待っていた。スピーチをする様子もなく演台に立っていた人影は、私たちが移動式階段を上って同じ高さに立った瞬間にシルエットを解いた。ステージはもう一度だけ姿を変えて、……いや、小細工を諦めたのかな、ただの白い空間になって私たちを迎えた。
「どうやってここへ?」
仮定作者は男の子の姿をしていた。ダテマルくんよりも幼いくらいで、敵意も威圧感も今のところ感じられない。病院で貸し与えられるような衣服を纏っていて、力なく座ったままだ。私たちを見上げるように、少し頼りなさそうな視線をこちらへ向ける。
少しの間だけ身体を貸して下さい、とイオに言われた気がする。私は目を閉じて彼女のお願いに同意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます