63_MeteoriteBox_22


 階段を最後まで降りて左に曲がり、ラフ画の住宅街を駆け抜ける。そろそろ土地鑑がついてきたかもしれない。セントラルに近付くほどあらゆる情報描写は密度を上げ、セントラルを離れれば役目や目的を持った方角以外はまた要素を減らしていくように思える。手の甲に浮かんだ緑の矢印を時々確認しながら歩みを進めた。道中何度かチョキを重ねてテトレンズを付けて、気配が薄れ影が落ちた街の一角でも何やら情報が泳いでいるのを見て、経年と人為の演出が街並みに上書きで乗るのを見て。意図を以て造られた配置。針と糸で縫い合わされた世界と思想の欠片。ここは、誰かが作り上げた仮想箱の中。

 さて、街並みに突き刺さった複数の槍について。スタート地点の高台から見えたのはざっと六本で、あの場所からの距離はまちまちだ。今はそれらのうち一番近くにありそうだった一本を目指して歩いている。遠目に見ても目立つ巨大な槍は向かって歩くに時に良い目印になった。それでも生きている街並みを真っすぐには歩けないので、あるいは追加の何かがあるかもしれないので、ジェミーの案内に沿う。セントラルを過ぎて更に歩き、槍の麓までもう間もなくというところ。


「ん……? 何やら雰囲気が――」


 私がその槍に近付くほど機能を集めた背の高いビル群が数を減らし始めたのは感じていた。けれどそれ以上に景観や空気が急な変わり方をしている。私たちに気付かれないように演出をグラデーションにしようとして、それでも違和感が残ったかのような。なんだろう、なんというか……。


{そうかもジェミ。あれはちょっと“訳あり”みたいジェミ}


 ジェミーの言う{訳あり}とは電子的な何かも含むはず。見た目も中身もということだ。あの巨大な槍は私が箱の世界に降り立ってすぐに存在感を放っていたのだから、重要なものである可能性は十分にある。しかもダテマルくんの情報によるとあれは隕石を止める側の何か。さて近付いてみて更に増したこの感覚は……。


「そっか、時間だ」


 疑問と言えばもちろん槍のスケールや構造もそう。どうやって何本も街に突き刺さったのか、誰が突き刺したのか、そもそもこれは何なのか。でももうひとつ、この槍には“時間的な幅”がある。ある時点で街に槍が突き刺さり、それから時間が経過した。その姿はまるで家主を失った古い民家が蔦に覆われてしまったかのような状態だ。あれを見た時の奇妙な寂しさ、僅かな不気味さ。都会/郊外/田舎を問わず足を止め追いつけなかった時間一段の隔絶。巨大な槍も最初からこの姿では無かったはず。近付いたことで見えるようになったその表面は多分、宇宙を目指す先端素材のロケットのような造りをしている。目指す先は空とは反対だったようだけど……。

 ふと足元を見て気付いた。タイル状の素材のひび割れや、周囲の建物にも時間の経過が見て取れる。レンズを通さなくても。経年の演出は少なくともセントラルには存在しなかった。セントラルへ向かう人たちは点在するが、槍へ向かう人影は見当たらない。エッグの往来もいつの間にか途絶えていた。


「なんだか寂しい感じだねー」


{そうジェミねー}


「寂しい、の一言で伝わるかな? 私が今感じているのはちょっと貴重な感覚なんだ」


 他でもない、件の『不確かな郷愁』へと繋がり得るはずの。


{それは多分私があまり知らない感情ジェミね。時間がある時にゆっくり教えて欲しいジェミ}


「りょーかい、覚えておくね。今はあれに接触しましょう」


 ジェミーは楽しみにしていると答えた。そうね、機会があるのなら伝える価値のある文脈の一つだと思う。追うのは私だけではなく、彼らは前後を曖昧にできるのだから。ジェミーとの会話を楽しんでいると、いよいよ槍の真下へと迫る位置までやってきた。



「刺さってるね」


{刺さってるジェミ}


 巨大な人工物が見事に地面に突き刺さっている。灰色調のタイル地に大小亀裂を生み、その自重を支える程に深く地中へ。槍の破壊痕を修復したからなのか槍の近くには物がほとんど置かれていない。向こうに一つだけ崩れた小屋のようなものがあるだけだ。

 更に槍に近付く。見上げる高さの槍の表面は思った通りの精巧な造りをしていて、どうにも私のイメージするロケットに良く似ていた。蔦が巻き付いていること以外は。蔦の隙間から機構継ぎ目の並行線をじっと眺めて思い出したが、槍は少し斜めに刺さっているように見えた。どうやらこれも正解のよう。さて、どうやってこれと対話しよう?


「……やっぱりこう?」


 恐る恐る槍の表面に手を触れると、ひやりと金属系の質感が返ってきた。ずしりと動かない建造物の手応えも。


「むー……?」


 例えば逆さU字型の入り口が開くような継ぎ目とか、その先を匂わせる綺麗な光とか、……どちらも無い。紛れもなく機能を失ったか停止した機械の、えっと、真ん中辺り? 何か作動するとか中に入れるとかを期待していたけれど今のところ無反応だ。もしかすると本当に機械として生きていないのでは……? いや、ダテマルくんは残骸と言っていたけれど、ドアをノックしているとも言っていた。そのまま受け取るならばドアの向こうに応答者がいるはずだ。私が電子ドアノックをできないことはさておき。


(……さておき)


 手の甲、つまりジェミー様を見つめる。ジェミー様は矢印の形を維持していらっしゃり、矢印は目の前の槍を指したまま。と思ったら、矢印が向きを変えた。向こうの崩れた小屋の方を指している。


「……ありがとう!」


{あっちに何かありそうなのは確かジェミが、読み取れない空間があるジェミ。注意するジェミよ}



* * * *



 崩れた小屋の跡には大小の瓦礫が忘れ置かれていた。中世の遺跡を思わせるようなものではなく、ただ建物があったことを物語るように。建物の生前の姿をイメージしながら、瓦礫の下を注視しながら足元に注意して観察をする。機械の部品や形跡があると言えばあるけれど、秘密のドアを操作する指輪が落ちているとか?


「下……?」


 ジェミーの矢印はある地点で真下を指した。縦横が私の大きさくらいある瓦礫の下だ。


「もしかしてこれをどけるの?」


{多分そうジェミが重そうジェミね}


 厚みのある断面を見せる瓦礫に手を伸ばす。実は発泡スチロールでできていて、見た目を裏切って軽いなんてことは――


「ないみたい……」


 ずっしりと無表情に重い。私がどんなに力を入れた顔になっても動きそうにない。


{スイッチとか無いジェミ?}


「スイッチ? 押すと瓦礫が浮かんで移動するスイッチ?」


{そうじゃないジェミ}


「すると何のスイッチでしょう」


{入り口のスイッチジェミ。多分テトレンズを外した方が見つけやすいジェミ}


「むー……?」


 言われた通りテトレンズを外して大きな瓦礫板の周りを睨む。赤いカーペットや割れたワイングラスの類は無いし、かと言って……


「あ、これ?」


 絵に描いたような四角い凹みに丸いボタンが付いていた。透明なカバーで覆われている。そんなはずはと思ってテトレンズを付けなおすと、透明カバーを含めて床と同じ模様になって隠れてしまった。


「……おぉ」


 これは気付けない。


「これを押すんだよね? でもカバーが付いてるよ」


 ジェミーは私の弱音を聞くと手を離れて実体化した。小さな手足耳付きテレビは強者の風格でスイッチを確認する。


{目に見えるものだけが正しいとは限らないぞよジェミ}


「ぞよジェミ!?」


 どういうことだろう。ひとまず厚みでも分からないかとスイッチに手を伸ばすと、


「あれ?」


 指が透明カバーをすり抜けた。――なるほど? 浮遊する半透明パネルみたいに、透明カバーに見えるパネルが設置してあっただけで実際には何も無かったのか。レンズを付けていたら隠されてしまい、レンズを外していてもヒトの目をちょっとだけ誤魔化す。


{ポチッとジェミ}


 私が考えている間にジェミーがジャンプして私の手の上からスイッチを押し込んだ。カチッと心地良い手応えと音がした。

 微かな振動と機械音。近未来宇宙の映像作品で描かれるような稼働を見せたのはタイル地に見えていた瓦礫床だ。ズズズあるいはゴゴゴと濁ったカタカナがくっついていそうな音を立てて地下への進路が姿を現した。


「……わ」


{カッコいいジェミね}


「そ、そうだね」


 ジェミーはこういうのがかっこいいのね、覚えておこう。瓦礫が三分の一ほど入り口を塞いでしまっているけれど、それなりに大きな入り口が開いたおかげで降りていけそうだ。さながら地下迷宮へ続く階段のよう。ジェミーが私の手に戻った。


{進むジェミ}


「ラジャー」


 階段は分厚い機械の壁で両壁を造りながらほんの少しだけ私たちを歩かせた。槍から小屋の残骸へ歩いたのと同じくらいかな。気のせいか方角も同じだったような?


「ドアですね」


{ドアジェミね}


 すぐに頑丈そうなドアが現れた。スイッチもそうだが、意図的に何か――つまりこのドアの先を隠していたことは明白だ。けれど絶対的な拒絶ではなかったこともまた確か。どこまでが誰の意図で、このドアの先はまだ見ぬ誰かの意図なのだろうか。ドアは開くのだろうか。


「……開けゴマ?」


 場を和ませるためではなくお決まりの何かに沿って私は唱えた。箱の世界は無反応を返した。ちょっと寂しい。


{何それジェミ。このドアは私でも開けられるジェミが、このドアの先が読み取れない空間ジェミ。心の準備はいいジェミ?}


「う、うん」


 ここまで来たのだから引き返すこともない。心の準備はお手の物。


「いいよ、行こう」


{開けたジェミよ。ドアを引けば開くジェミ}


 ドアの向こうに小さな部屋があってもう一枚ドアがあるとかじゃないかな。重そうなドアはそれなりの反発を返した。ズシリとエネルギーが伝わり軌跡が弧を描く。



* * * *



 薄暗い空気、外から数度下がった温度、ただし埃っぽい感じは無し。暗がりが補完されドアの向こうに待ち受けていたのが何であるのか徐々に見えてきた。無人となった宇宙船のコックピット、用済みとなった主要な機械の操縦室、予備電源を余儀なくされた電子演算装置の専用ルーム。いずれにせよ何かの大掛かりな装置が、足元の非常灯たちを満たすことすらままならない停電に近い状態で沈黙していた。それほど広くない部屋にかなりの機構が詰め込まれていて、とにかく暗い。電気が通っていないのか機械の稼働音も聞き取れない。稼働音……? 気のせいか、ここの機械は少し古いような? ……何と比べて。この箱で見かけた他の機械と比べて?


「それにしても暗いね……」


{さっき読み取れなかったのはそのせいかもジェミ}


 私が意識して動きを止めれば機械に満ちた空間はすぐに静寂で埋まっていく。

 ジェミーがテレビになってキーボードのような装置の上に乗った。短い手を宛てがう動作で多方面から探ってくれているのかな。でも電子の網が途切れているのか、暗闇だけではない“覆い”が尚も何かを守っているのか、――そうかここって、


「槍の中……だよね」


{そうジェミね}


 槍を離れてから歩いた方角と距離に注意していればもっと早く気付けただろう。機械の醸す時間的隔絶の感覚が後追いで埋め合わせた。機械槍にはロケットさながらの内部構造があって、突き刺さった時に入り口が地面の下に埋もれてしまったからアクセス経路を作った。それが瓦礫になっていた小屋だったというところかな。小さな丸椅子を囲うように壁を覆う操縦盤。並んだボタンとレバー、計器や液晶板の類い。そっと手を触れると金属特有の冷たさを返してきた。電気系統が無事なのか、動力が通っているのか、生身の私には分からない。ただ、外から見えた槍が高度なロケット以上の装置なら、ここで眠っている機械群はやっぱり少し古めかしいような気がする。あるいは、そもそも“地続き”ではないということ?


「ジェミー、この機械たちはまだ生きているのかな?」


{さらっと難しい問いジェミね。死んでいないけれど生きているとは言えないジェミ}


「眠っている……とか?」


「近いかもジェミ。呼びかけに答えるだけのエネルギーが無いのは確かジェミ」


「ふーむ……」


 ジェミーから見たら化石のように見えるのかもしれない私の知る電子機器には、内蔵エネルギーが『0』に迫った時に作動する眠り方がある。きっとここの機械もそれに似た状態だ。白雪姫がキスで目覚めるのとは違って再度稼働させるにはエネルギーそのものが要る。毒の無いリンゴを丸ごと食べさせるくらいの。


「あれ? でもジェミーなら……」


{私から一方的に調べに行けないかどうかジェミね? 残念ながら難しそうジェミ。説明が難しいジェミが、絵の具で描いた海に潜る感じジェミ}


「んー分かったような気がする。私ジェミーの例えは好きだよ。でもそっか、難しいか……。電子のサイコメトリー……あ」


{思い付いたジェミ?}


「……思い出した、かな?」


 期待はしないでと断りを入れてから、期待を裏切らない理に手を伸ばす術を思い出す。もちろん私に触れた物の記憶を探る能力など備わっていない。電子のドアノックも心得ていない。けれども少々時間軸が入り組んだこの場所ならば、“物語”が入り組んだ仮想箱の中ならば。――そう、私は今、生身ではない。電子の身なら、もしかしたら。



 聞こえるかな あなたの声を聴かせて欲しい


 それは何者にも何物にも囲われず括られない接触にしてどこまでも純粋な言葉。

 世界へ挑む断片で自界に臨む旅人の素朴な祈り。



{ハルカ、どうやったのジェミ}


 機械たちが目を覚ます音が聞こえた。点から瞬時に生命力が駆け巡り大小の鈍い音、光、振動が数値機構的な神秘を奏でる。


「前に機械の声を聴いたことがあってね。もしかしたらそのおかげかもしれない。きっと少しの間だけここの機械たちと対話できる……と思うんだけど……」


 この説明ではジェミーは納得してくれないと思うけれど、“少しの間”は多分合っている。


{ハルカが不思議なのを思い出したジェミ。でもまずは急いだほうが良いみたいジェミね}


「うん、お願い」


 ジェミーの小さな角丸の身体から緑の粒子が舞って凝縮された。チューブのように形を作って天井近くの小型モニタに繋がった。機械たちの稼働バロメーターである小ライトや光ゲージが逆波紋を描いてそのモニタに集まる。

 さて、誰が何を語る?


「……」


{……}


 モニタは淡い光を得たが闇を映したまま。ジェミーはじっとモニタを見ている。しばしの沈黙。


「……」


{……}


「……あら?」


{……ハルカ、ちょっとまずいことになったかもジェミ}


「まずいこと?」


 ジェミーの声色が確かにちょっと緊張している。一体なんだろう?


{先回りされていたかもジェミ。今テトレンズは付けてるジェミね?}


「うん? ――む」


 モニタに映り始めた形を認識した私にも不穏な緊張感が空間を上書きしていくのが分かった。単に電子浸食なら私は感じ取れない、これは曰く付き? 思考は更に良くない推測を描こうとしている。その影は“ジェミーの形”とよく似ていた。


「まさか、仮定作者の――」


{ハルカは守るから安心してジェミ。でもごめんジェミ多分ハルカを避難させるジェミ。目を瞑った方が負荷が少ないジェミ}


「え?」


 ジェミーは、ナビゲーターは一人ひとりについている。私以外の仮想箱に入った人たちにもきっと同じはずだ。それなら仮定作者にもジェミーに相当する存在がいても不思議ではない。もちろん“特権”付きの特別製が。そこまではいい、でもモニタに映ったのはジェミーと“同じ形”のシルエット。描いた最悪の可能性は、“悪いジェミー”と“悪い私”が再現されて同時に敵に回ること。どこまで合っているのだろう、この推測は外れて欲しい。


{これは強そうジェミ}


 モニタを抜け出した黒いブラウン管テレビは宙に浮いたまま私たちに敵意を向けた。


『流石に少々見過ごせない』


 と言ったのだろうか、良かった、可愛い語尾が付いていなかっ――

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