64_MeteoriteBox_23


 強烈な光の連続反転発火、刹那描かれた二色の交錯。ワープ、きっとこれはワープという体験だ。電子の集まりと化した私の思考と身体が別の位相へ吹き飛ばされた。えっとなんだっけ、そうだ……、……ジェミーは私を守ってくれると言っていたから、私はきっと無事だろう。仮想箱のセーフティ機構以上にジェミーを信頼している。でもジェミー、あなたは大丈夫? 私はあなたを助けに戻れる? 黒いジェミーはやっぱり敵なのかな。それより誰の――


 意識は、途切れた。



* * * *



 少女を受け止めたのは、黒衣に身を包んだ――ではなく、黒い塗装の無骨なアンドロイドだった。


『おーい……』


 何やらカッコイイ装備の少年が気を失った少女と彼女を支えるアンドロイドを眺めている。ただ、少年は特別なレンズを付けている人間にしかその姿を見てもらえない。見てもらえたとしても、彼に触ることはできない。彼も誰かに触ることができない。電子の箱の中で“実体”を持つ産業用の簡素なアンドロイドは少年が操作していた。彼の身代わりだ。頭部のスピーカーから声も出せる。


『んー……起きないな』


 あろうことか箱の中で誰かの道案内をしているはずの“ナビゲーター”が、自分のところに女の人を送り飛ばしてきた。添えられていたメッセージが一つ。


{妨害に気を付けてイオのところへ向かうジェミ}


『……ジェミ?』


 不思議な語尾はともかく、なにやら急な事態で訳ありだったことは確かなようだ。よっぽどのヘマをしない限り箱が想定する枠を揺るがすことなんてできないはずだけど、ナビゲーターと引き離されて箱の中で意識を失うなんて中々のもの。見たところ自分より何歳か年上の女の人だ。悪そうな顔はしていない。“イオ”とは誰かの名前だろうか。いずれにしても起こして事情を聴かなければ。


『もしもーし……』


 代理ロイドには五本指の手が付いているが、繊細な力加減はできない。注意しながら少し強めに体を揺する。


「……ぅ」


『お、大丈夫?』


「……?」


 視界に無表情な黒いアンドロイド、自分は意識を失っていたようで、なるほどアンドロイドは片膝をついて両手で自分を支えている。さながらお姫様抱っこ。……までを彼女は認識しただろうか。


「――あー……その声は、ダテマルくん? 良かった……」


『ん? 何で俺の名前を知っているの?』


 いや、この質問は答えが推測できるものだ。


『初対面じゃない……のか』


「そうともー……ええとね」


 自分の名前を知る女の人はよろよろと立ち上がると、これまた不思議な動作でテトレンズを付けた。縦に置かれた長方形コンテナの側面に映るこのダテマルの姿を確認できたはずだ。動きやすそうな恰好、髪を簡素に一つにまとめて、そうだなあ、綺麗な目をしている。あとそれなりに隙が無さそうだ。


「一応初めまして。私はハルカと言います」


『ハルカ姉ちゃんか、りょーかい。俺に会うには本当は念入りな審査が要るんだけど……最初じゃないならいいか。変装のことも知ってるんだよね』


「うん、あれは面白かったよー。審査の代わりに一つか二つ聞いてみる?」


 全く悪気の無い、心地良い微笑みで切り返した。


『いや、いいよ。悪い人じゃないのは分かった。それより、ハルカ姉ちゃんのナビゲーターから伝言を預かっててさ、』


「伝言? あ、そうか、そうだった。なんて?」


『{妨害に気を付けてイオのところへ向かうジェミ} だって』


「……分かった、ありがとう。えっと……ここはどこ?」


『セントラルの外れにある倉庫地帯だよ。俺の隠れ家さ。外に出てみようか』


 自分には衣食住の類は基本的に必要がない。この大理ロイドも市街地に配備された緊急用の操作可能アンドロイドよりも数段低いスペックだから、適当な電源とメンテナンスで済んでしまう。何より、自分が把握している限り時間の軸が自分たちのような適当な存在を許容する。言ってしまえばそこまで拘る必要が無いのだ。


「……あれ?」


 とりあえずハルカ姉ちゃんを外に連れ出した。ハルカ姉ちゃんは「槍を探す」と言った。(真似をしてあれを槍と呼ぼう。)あれが自分たちの目的に味方する側の装置であることも知っていたから、前回の自分はかなりハルカ姉ちゃんのことを信頼したのだろう。何よりの根拠、全面協力だ。ところが倉庫の外に出たハルカ姉ちゃんは微妙な表情をして視界の遠くで街に突き刺さった槍たちを眺めていた。


『どうしたの?』


「私、槍のどれかから飛ばされて来たと思うんだけど、さっきまで自分がどの槍にいたのか思い出せなくて……おかしいな……」


『……妨害って、これかもね』


「え? どれ?」


 少なくともここから見える全ての槍に特殊なノイズがかかっている。視覚情報、方向感覚、概距離感に訴えて、普段見えている数本の槍が全て同じものか全て元とは違うものに見えるかのようだ。こんなにピンポイントで複雑な仕込みができるものなのか。概念をかみ砕いてその旨を伝えた。


「そうなの? それじゃあレンズを外せば――」


『いや、ダメだと思う』


 電子の現実ごと。変な表現だけど多分合っている。歪ませているのだ。


「本当だ。これは……中々特権を使ってきたね。槍に戻ろうかと思ったけどメッセージに従った方が良さそう……。ちょっと私の方の事情を説明させてくれる?」


『うん。大丈夫、どんな事情でも協力するよ』


「頼もしい!」


 ざっとハルカ姉ちゃんの辿った道を聞いた。まったく強そうに見えないハルカ姉ちゃんは驚いたことに、じゃないか、やっぱり無謀にも“あれ”を止めようとしていて、どうも箱の主らしき存在に目を付けられたという。「ジェミー」なるナビゲーターは咄嗟にハルカ姉ちゃんを避難させた、避難先が自分のところだった、とのことだ。


『すごいな……。その、イオさんはどこにいるの?』


「セントラルの近くの公園なんだけど、うーん」


 遊具の特徴と雰囲気だけを教えてもらったが、


『十分。心当たりはあるよ。ダテマルネットワークにお任せあれ!』


「流石! じゃあ連れて行っていただきましょう」


『お安い御用! 俺に……俺のアンドロイドについてこい!』


「俺に、でいいよ……?」


『はーい……』



* * * *



 私を元いた槍に戻れなくしたのは恐らく黒いジェミーの方だ。“仮に”を重ねてジェミーが黒ジェミーと戦っているのだとしたら、相手は何か上位の権限を持って敵対しているはず。電子の力比べなら元より私の出る幕ではない。けれどジェミーが心配なので傍にいたい……のを抑えて一旦ジェミーの伝言に従おう。ジェミーはありがたいことに私をダテマルくんのところに飛ばしてくれた。きっと彼のアシストが必要で、彼となら先へ進める。


『こっち、次は左に曲がるよ』


 私の前をガシャガシャと駆動音を立てて走る黒いアンドロイドはダテマルくんの遠隔操作。ダテマルくん自身は私がテトレンズをつければ壁や床や時には天井を忍者のように飛び回っているのが見える。無人の倉庫地帯には港を思わせる区画があって遠目に海らしき配色が見えた。海なる存在には何らかの引力を感じるけれど今は立ち寄り無し。それより海はスタート地点から見えなかったような気がするけれど、気のせいかな?


『気のせいじゃないかも。さっきも言いかけたけど、かなり強引に情報が歪められている。見えるところも、きっと見えないところもね』


 走りながら記憶を手繰る私にダテマルくんが助言する。“見えないところ”とはこの先に立ち塞がる障害物かな。


「それにしてもレンズを付けていない時の視界まで、……できちゃうか、神様の使いみたいなものだろうからねー」


『……うーん、お偉いさんがやってるのは間違いないと思うけど、さっきハルカ姉ちゃんが言ってたことは半分合ってて半分合ってないかもしれない』


 走るダテマルくんの姿が反対の壁面に移り映る。


「と言いますと」


 意識を失っていた私のぼーっとした頭で描いた推測。仮定作者は槍に辿り着いて機械の眠りを覚ました私たちに“イエローカード”を出した。黒ジェミーは仮定作者の御付きで、姿形がジェミーと酷似していたのはあの場でジェミーをトレースしただけ。黒い私が現れなかったのを都合良く解釈した部分もあるけれど、そんな盤面を描いた。


『こっちもこっちで一個人の想像なんだけど、ジェミーがハルカ姉ちゃんから離れられたんだ、多分その黒いジェミーも“神様”から離れてるんじゃないかな。それか、神様なんて元々いやしないか。相手が神様ならもっと手痛い反撃に遭っていると思うんだ』


「ふーむ、そう言われるとそんな気がするね」


『と思ったけど適当に指示されて単独で現れたかもしれないか』


 仮定作者は“今も”“神様”であるのかどうか。あるいは“元々いやしない”か。


 倉庫地帯を抜けると、街並みはやや不自然に都会と郊外のそれに書き換わっていった。ジェミーの言う妨害には今のところ元の槍へ戻れなくなることしか直面していない。きっちりと描かれたエッグや人影ともまばらにすれ違うようになってきた。人影の方は旧式に見えるのか物珍し気にダテマロイドをちらっと見やり、ついでに小走りな私の方も見る。壁に映ったダテマルくんまで見ているかどうかは微妙なところ。


『ハルカ姉ちゃんずっと走ってるけど大丈夫? 疲れてない?』


「うん、なんだか上手いこと疲れない仕組みになっているみたい」


 今更ながらこの箱の中では走っても何故か疲れない。全くというわけじゃなくて、単調な道のりでは中々息が切れない。普段の私よりも体力が増しているというより、余計な燃料切れを省略してくれているようだ。空腹やお手洗いといった生理現象も多分省略の対象で、多分私たち仮想箱の体験者がよりその世界に没入するため。最長『2時間』、人によっては『20秒』一回きりを楽しむため。


『それなら心強いね。俺のアンドロイドが先にエネルギー切れになるかも。もうそろそろ公園に近付いてくるはずだよ』


 ダテマルくんの言う通り、雰囲気に覚えのある空間に入った。主要機能と未来器官のセントラルから少し密度を落としながらも、それなりに緻密な描写を貰った住宅街、レンズを付ければ疎らに浮遊する記号文字列の情報群。セントラルの方角や休憩して公園を見つけたベンチの大体の位置も分か……らない。


「この辺にも妨害とやらが効いてる……のかな?」


『そうみたいだ、大雑把にあれこれ錯覚させる感じの……え?』


「ん?」


 壁に映ったダテマルくんも彼が操作するアンドロイドも不意に視線を固定した。でも植え込みと斜めに通ったチューブ状の透明な通路があるだけで特に変わったものは――


『……ハルカ姉ちゃん、テトレンズを外して』


「うん?」


 指示に従ってレンズを外し、ダテマルくんが見えなくなってから彼が見ていた方向を見た。


「……え?」


 メカグモがいる。チューブの下に六本の脚を畳んで縮こまり、じっと待機している。理解が追い付かないままレンズをもう一度付けて外してそれが間違いなく“反対”であることを確認した。テトレンズ無しでメカグモが見える。これは何を意味して――


『……こんなことは初めてだ。有り得ないと思ってた。まだこっちが何もしてないから検知されていないし突撃もしてこないだろうけど、いや、それも分からない。あのメカグモが何を見張っているのか……』


 ダテマルくんが一気に警戒値を引き上げたのが分かった。それから計算、きっと最悪の事態を想定して、それでも目的地へ辿り着くための。


『ハルカ姉ちゃん、先に言っておくけど最優先はハルカ姉ちゃんだよ。イオさんの公園まで行くんだ。作戦を考えたから聞いて』


 ダテマルくんの言う通り私の中で自己犠牲の選択肢は消えていなかった。けれどそうか、ジェミーのミッションクリアが必要なんだ。


『普段と反対だから俺は安全でハルカ姉ちゃんが危険かもしれない。今からこいつを偵察兵にして、もしメカグモが動いたらスケープゴートにする』


 地面の高さまで壁面を滑り降りてきたダテマルくんが黒いアンドロイドを指差すと、アンドロイドは振り返ってガッツポーズ。


「分かった、私はダテマルくんに付いていけばいい?」


『うん、ひとまず俺に付いてきて。あいつを直接見てなくても操作はできるから。忍び足で行くよ』


 メカグモはさっきまでの進行方向上に(突然?)配置されていた。私たちは少し退いて迂回進路、代理ロイドくんをゆっくりとメカグモに向かって歩かせる。タイミングを見計らってアンドロイドが最寄りの槍に向かって通信を試みるように時限式の動作を仕込んだとダテマルくん。そのまま慎重に彼が先導するルートを歩く。

 けれども不思議なことに、建物の影に隠れて見えなくなるまでメカグモは眠ったままだった。

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