58_MeteoriteBox_18


 確かこの辺りだったはず。細長いオフィス風ビルから多目的な立方体ビルへ戻って、それから建物の外へ出てセントラルに戻ってきた。アルファベットの『T』の字に似た変な形のオブジェがあって、そこに(多分私宛ての)『後で来い』のメッセージ。


「あった、これこれ」


 片腕を曲げた『T』のような変な形を再度眺めて思い至る。このオブジェって、もしかして水飲み場が適当に形だけ残ったものなんじゃ? 膝の高さもないからちょっとサイズが小さいけど。文字は反対側か、テトレンズを付けたことを確認して怪しげなオブジェクトの裏側に回り込む。


『よく来たな』


 声ではなくメッセージの表示。


「……おぉ」


{……ほうほうジェミ}


「ほうほう?」


{チョロイとやらジェミ。あ、何でもないジェミ}


「え?」


{何でもないジェミよ}


「……そう?」


 今度こそ何か隠していませんかジェミーさん。


{これがハルカの目的地ジェミ? これは何ジェミ?}


「……なんだろうね、これ」


 なんだろう……。というかそもそも最初と文字が変わっている。コンクリート製の物体に刻まれていた文字ではなくレンズ越しの電子装飾だから、内容が変わること自体は不思議ではない。ただ見事に私の思った通りに変わっていることは問題である。いや、問題じゃなくて……。


「なんだろうね……」


 向こうのアメ玉型椅子には何人かの人間が体重を預けているし、そこのU字エリアにも頭上に小さな衛星ホログラム球を携えたおばあさんが一人休憩している。けれど皆私たちとオブジェには目もくれない。試しにレンズを外すと『よく来たな』の文字は消えた。あのおばあさんがレンズを外しているのなら、このオブジェはただの変なオブジェにしか見えないから不思議ではないとして……。


『手始めに問う。正しいと思う方に進め』


「む」


 おばあさんを見ている隙にオブジェに浮かぶ文字列がまた内容を変えていた。昔のテレビに接触の悪い映像線を繋げたときのような三原色の滲み方をするノイズ演出文字だ。文字たちはそのまま隊列を崩して踊ると、


『このままでは無人高速トロッコに二人の人間が轢かれてしまう。あなたは路線変更機のレバーを握っている。路線変更先には一人の人間、レバーを倒す? 倒さない? 他に選択肢は無い。倒すなら右へ進め、倒さないなら左へ進め』


 一気に文字数が増えたので、限りあるオブジェの表面積に収まろうと文字たちがぎゅっと小さくなっている。横書きなので改行もやむを得ず。……じゃなくて、


「いきなり哲学的なことを聞かれるね」


{そ、そうジェミね}


 ジェミーの笑いを堪えたような声は後回しにするとして、つまり一人を犠牲に二人を助けるかということ? 前置きも補足説明も無いので実は私が一人の方と親友だったとかでもないだろうし、するとYESに傾きかけて道徳観だか倫理観だかが「待った」をかける。


「うーん……」


 あまり期待せずに右と左に目を凝らす。例えば向こうの多機能な電子標識の根元とかに次の目印が分かりやすく置いてあるなんてことは無いはずだけど、やっぱり何も無い。どうするべきか。私の中の答えに向き合うよりも、問いかけ主が何を期待しているのかを察知する必要がある。


{そのうち橋の上に立つジェミよ」


「へ?」


{何でもないジェミ}


 ジェミーの様子がさっきから妙な感じになっていて、この問いかけへの回答協力に期待ができないようだ。……良かろう、私はこうする。


「まっすぐ歩く」


{どういう答えジェミ?}


「回答に選択肢は無いから、どちらかを選ぶなら右か左に進む。どちらも選ばないならまっすぐ進める。まっすぐ進んでも何も無いかもしれないけど……無かったら一回戻るね? それで挑戦権を失っちゃったら……」


 諦める……ことになりそうだ。これは特に頭を使った答えでも納得の行く答えでもなかった。どちらかというと守りの一手。役割歩道を選びつつ方角を見失わないようにして、オブジェの文字の背後の方向へそのまましばらく直進した。

 歩くこと三分未満。ハズレだったかな。


{アタリだったみたいジェミよ}


 ジェミーが緑の矢印になって右を指す。誘導された視線はビルの壁面に現れた上向きの矢印に更に誘導され、……そのまま何回か振り回されつつ、次の文字が壁に映る区画に案内された。


『じゃあその一人がトモダチだったらどうしていた?』


「……ん?」


 どうしていた?って、回答の方ではなく、アクションが書いていない。友だち一人を選ぶなら“左に行け”の部分が無いのだ。それからちょっと口語調になった……?


「ジェミ-、これって回答を示すにはどうすれば良いんだろう?」


{喋ったら聞こえるんじゃないジェミ}


「……そうなの?」


{そんなものジェミ}


 そんなものらしい。確かに音声認識でテキスト化された私の回答がどこかのだれかに飛んで行って、今まさに吟味されていても何ら不思議ではない。ましてやここは未来の都市だ。――さてなんと回答しよう。


「場合によっては友だちの方を選ぶかもしれません」


 捻りも考えもなく私はそう答えた。しかもYES/NOを選んですらいない。


『そうか。次は向こうへ行け』


 文字が入れ替わるのには少し間があった。通信の向こうで問いかけ主が解釈した時間なのかどうか。通信時間かもしれない。そしてYESともNOともつかない回答にはやはりYESともNOともつかない採点が返ってきた。いや、『あなたは進めません』と突きつけられていないのだから、YESなのだろうか。


「というかこれって――」


 何やら一部適当な雰囲気があるけれど、もしかして問いかけ主は私にチューリングテストの類いを仕掛けようとしている?



* * * *



 トロッコの続きで、『それがAIを搭載したアンドロイドならばどうするか』と問いは続いた。強そうな装甲機械が襲ってきたらどうするかと、ピンと来ない、しかし何やら聞き逃せない問いもあった。ジェミー以外の矢印に振り回されるのは妙な感じがしたけれど、建物の外壁、地面のパネル、標識の上塗りと、レンズ越しでしか見えない道案内は自在な指示で私をどこかへと連れてきた。私の回答を聞いているんだか聞いていないんだか分からないまま。……というのも、途中から私が問いかけに適当に答えても案内が続くことを不審に思って、妙な回答を挟んでみたのだ。それでも落とし穴に案内されるようなことは無かった。セントラルを離れてそれなりに歩いたような気がする頃には特徴の無いビルの間の路地に一時停止した。私はここが袋小路になっていないことだけを確認してから溜め息を一つ。問いかけは今『しばし待たれよ』とのこと。


「そろそろ姿を現して欲しいなあ」


 これが単なるイタズラではないのなら。朧気に、しかし徐々にハッキリと見えてきた人物像のヒトかAIがそこにいるのなら。ジェミーは押し黙っている。セントラルを離れて情報の密度が落ちたこともあってか近くには通行人の姿も無い。


『よかろう。ところどころ腑に落ちないが合格だ』


 人の声。声の方角に振り向くが、それは斜め上からだ。ビルの一角に付けられた四角い装置が目に入ったけれど人間の姿は捉えられない。


『お主、聴覚デバイスを付けていないな』


 聴覚デバイス? テトレンズの聴覚版のことだろうか。私を観察しているらしき何者かを探すが、声の位置は変わらず姿は見えない。


『そこにワシはおらぬ。実際に音の出る場所に声を乗せているだけだ。声の主はお主から見て左側の……』


 左側の……?


『まずはここまで来れたことを』


 ローブを着た老人……の映像がビル壁面に等身大で現れた。皴の手と木杖にフードを被って目のあたりが影になった演出。その姿には立体感がなく、プロジェクターで投影された映像程度の形式を選んである。


『褒めて遣わそう』


「ありがとうございま……す? は、初めまして……」


 まず彼は映像なので私に手は出せそうにない。この時点で危険意識は少し薄れた。次に彼は何だか“胡散臭い”。いかにもな口調、ゲームの老人賢者のような演出は、多分その裏に隠しているものがあるはず。それは他でもない、私がここまでのチューリングテスト風の問いかけの数々で垣間見た、問いかけ主の人物像だ。


{おぉー何だか賢そうな人が現れたジェミ}


『あれナビゲーター、お前どう……おっと! うぉっほん!』


「ん?」


 声とセリフに合わせて老人の映像は微妙に口元を動かしたり咳き込んで見せたりしている。それにしても


{変装しなくてもいいジェミよ}


 変装か、やっぱり。


『ああ分かったよ、お前どうやって……選別テストの邪魔はしてないだろうな』


{してないジェミ。そこは保証するジェミ}


 口調が想定通りのそれに戻ると、老人の映像は姿を消した。代わりに何だか不思議な装備を纏った少年の映像が現れた。


「私の想像が当たったところもあると思うんだけど、念のため色々と教えてジェミー。それから……」


『俺のことはダテマルと呼んでくれ』


「ダテマルくんね。私はハルカ」


 セントラルのオブジェが問いかけ――ダテマルくん曰く選別テストの起点であったことは間違いないようだ。私とジェミーがオブジェの前に立った時、私の見えないところでジェミーには挑戦状が叩き付けられたらしい。ナビゲーター(にジェミーが該当する)はしばらく選別テストに手を出すな、それが嫌なら勝負しろ、と挑戦状。私の身をそれなりに案じたジェミーは挑戦状を拾うと、噂に聞く“電脳戦”の簡易版が始まったそうだ。一瞬でそれに勝利したジェミーは問いかけ主の力量に見当がついたので、


{言われた通りに黙って温かい目で見守ることにしたジェミ}


『言われたとおりじゃないよ……。多層時限罠もあったはずだ……それに――』


 何やらエレクトリカルな単語言葉がぶつぶつ続く。落ち込む様子を見せるダテマルくんは映像のままだ。彼の声は相変わらず向こうのスピーカーを内包した多機能末端装置から聞こえる。それに私がテトレンズを外すと、ここまで私を導いた問いかけ文字列記号と同じように、彼は“消えてしまう”。テトレンズ越しにしか見えない情報と、実際に壁面に映った映像とでは微妙に意味合いが異なってしまうような。それは私の中でテトレンズが見せるものが何なのかきっちり整理できていないからでもある……か。

 彼はAIの見せる知性を持ったような映像、というのが一旦の解釈だ。

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