59_MeteoriteBox_19


『いや、俺はもともと人間なんだハルカ姉ちゃん』


「もともと……」


 ダテマルくんと少し話をしていたら彼はすぐに意味深な言葉を放った。


『身体を持っていれば、脳を持っていれば、記憶を心を持っていれば。そんな話はするつもりはないけどさ。“エレゴースト”って俺たちの時代じゃ呼んでたんだ。こうやってデータになり果てた、自分のことを元人間と言い張るやつらのことをね』


 ビルの壁面に映った少年は腕組みをして、ビルに映っていない空を見上げた。彼の手首には仮面のヒーローが使うような装置が、左肩には小さなアーマーが付いている。彼が先制列挙した人間の定義を巡る言葉たちに不真面目なものはない。言葉自体にも、向こうの装置から聞こえる声に込められた意思にもきっと。時代技術が人格の再現を自由にしたのならばダテマルくんの言うことは容易に根拠を得る。それと、時間軸に関する彼の言及を私は聞き逃さなかった。


『ハルカ姉ちゃんは俺の選別テストをクリアしたから、言いたいことがいくつかあるんだ。その前に、一つだけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?』


「なんでしょう」


『あれを、止めようとしてる?』


 ダテマル少年は厚みを持てない瞳でまっすぐに私を見る。黙っていたジェミーが即答するなと私に伝えたがっているのが分かった気がした。“あれ”が隕石を指すのかどうかは不確定であり、YESと答えた時に彼が敵となるのかどうかもまた不確定だ。


「答える前に、私も一つ聞いていい?」


『いいよ』


「この街の景色は何色かな?」


 私が“なにいろ”と声に出したのか“なんしょく”と声に出したのかは特別に内緒にさせていただこう。ダテマルくんの回答もまたジェミーのクシャミか何かで運悪く聞き取れなかったことになった。


{くしゅんジェミ}


 そして私は飾りの無い回答を選ぶ。


「私はそれを人工の隕石だと思っていて、その通り、止めようとしている」


『答えてくれてありがとう。じゃあ俺も色々喋らないといけないな。まず、俺もあれを止めようとした存在の一つなんだ。ところがかなり八方塞がりになっていて、協力者を探していた。ハルカ姉ちゃんが選別テストに乗ってここまで来てくれて良かったよ』


「ダテマルくん以外にも隕石を止めようとしている人がいるの?」


『そのはずだと思ってる。ただ、俺を含めたそいつらが生身の体を持っているかどうかの違いは大きくて――』


 テトレンズでしか見えない映像は、投影装置が生み出す情報と同義ではない。


『少なくとも俺にはおっかない敵がいるんだ。ハルカ姉ちゃんには無害で、俺にはとびきり危険なね』


 既に知性を持ったような映像ではなくなったダテマルくんの言葉を聴きながら、私は彼の作った問いかけのいくつかを思い出していた。


『特殊許可環境維持用多脚装甲機械』


 物騒な漢字がこれでもかと並んだ正式な名称を壁に映し出して(なるほど文字を映すのは選別テストの問いかけの数々と同じ仕組みだ)、それを手で払いのけるような動作で四散させると、後には四文字のカタカナが残った。


『メカグモ』


 彼はその“おっかない敵”にそう名付けたらしい。



* * * *



『時間はあとどのくらいあるか』とダテマルくん。最初からオブジェに書いていた通り、彼は少なくとも“時間”のことを知っている。街行く人々は残り時間を気にする素振りを見せない。そもそも隕石のことを認知していない。これはセントラルで何人かと会話をして確かめたことに過ぎないけれど、言語心理に特化した徹底的な偽装が行われていない限り見抜けているはず。すると隕石を認識していて時間のことまで扱える彼ダテマルくんは特別な登場人物に違いない。隕石はともかく、時間の方は仮想箱への来客に付随する概念だからだ。さて、入念な選別テストの甲斐あって(?)その時間はあまり残されていない。


『それくらいあればメカグモが見られるかもしれないね、セントラルまで付いてきてくれる?』


 壁に映ったままのダテマルくんが向こうの方を指差す。立体感が無いままの方向指示は奥を示す矢印の微細な歯痒さのよう。


「メカグモって、簡単に見られるの? 見て大丈夫なの?」


 いまいちメカグモがどう“おっかない”のかがイメージできていない。私がセントラルでメカグモを見ていないのは、私に無害だという辺りに秘密があるとして。ダテマルくんには有害とのことだが、そうだ、ジェミーには? 私とダテマルくんの違いよりも、ジェミーとダテマルくんの違いの方が小さいはず。


{私はよほどのことが無い限り大丈夫だと思うジェミよ}


 テレビ型になったジェミーが腕組みをしようとして諦めたような仕草を見られた。ダテマルくんの真似だろうか。


「と答えられるジェミーはメカグモが何なのか知っているのね?」


{知らないジェミ。でも私はそれなりに強いジェミ}


『……どーせ俺は三流ですよー』


「そっか、ダテマルくんと戦ったんだっけ」


 壁の少し高い位置に映ったダテマルくんと私の膝の高さよりも小さなジェミーが視線を交わしているように見える。そこに実在の意味は無くとも、想像の意図が何だか愛おしい。


『俺じゃなくて俺の作ったトラップみたいなもので、まあともかくボコボコだったね。俺が近くにいなくても結果は拾えるんだ』


 ふむふむ。いわゆる電脳戦がどんなものかはさておき、私は二つ聞かなければならない。


「そもそもメカグモはジェミーにも危害を加えるの? それから、ジェミーはメカグモからダテマルくんを守ってくれるの?」


『……どっちから答える?』


{質問順じゃなくて私からでも良いジェミよ}


『いや、俺から答えるよ。そういえばキミはジェミーくんで良いんだよね? ジェミーちゃん?』


{どっちでも良いジェミよ。ジェミーでも良いジェミよ。勝ったけどジェミ}


『ジェミー様』


{冗談ジェミ}


 壁に映ったダテマルくんが面白い顔になった。彼はとても表情豊かだ。


『……じゃあジェミー。ジェミーへの質問にジェミーが「NO」と答えたら、俺が俺の方の答えに嘘をつく可能性があると思うんだ。だから俺が先に答える。ジェミーの行動次第では、メカグモはジェミーに攻撃する』


{分かったジェミ。私の回答は、私はダテマルを守ろうと思っていて、ハルカが拒否しない限り守るジェミ}


「うん。二人とも嬉しい回答をありがとう。あ、ジェミーへの攻撃は嬉しいわけじゃないよ」


{なんとなく分かるジェミよ}


『俺ももうちょっとハルカ姉ちゃんといられたら分かりそう……』


 描く構図、こうであって欲しいという思い、まだ見えていない何か。言葉にするのが難しいところだが、今の二人の回答はどちらも肯定へ向かう。その子細を彼らに伝えるタイミングではないけれど、ないと思うので、嬉しい回答という表現が相応しかったのかも。


「じゃあ、行こうか? セントラルに向かえばいいんだよね?」


『うん。案内するよ、付いてきて。あ、でも――』


「でも?」


『声があれなんだった、いっか、適当に弱そうなスピーカーを拾いながら走るから、声の方向は気にしないで。俺が映っているところに俺がいると思ってくれれば大丈夫だから』


 聴覚デバイスとやらか。ダテマルくんはそう言ってゆっくりと歩き始めた。彼が指差す動作に合わせて大きな矢印が壁に映る。ジェミーの緑矢印とは違って、三原色の滲みで枠だけ色を付けてある。そういえばここまで文字と矢印と指示記号で連れてこられたのだ、ヒトの案内はお手の物なのだろう。妙に丁度良く発見して腰掛けていた極めて長さの短いガードレール風の椅子のようなものにお別れ。自分には無害というメカグモなる存在に想像力を働かせつつ、先を行くダテマルくんを追う。



* * * *



『メカグモは基本的には掃除屋さんなんだ』


 自販機に似た装置からダテマルくんの声が聞こえる。彼は少し先の壁面を歩き、建物の間に差し掛かれば姿が消える。掃除屋さん……か。街中を監視する自浄機構。機能を優先。そんな話がセントラルで聞き込みをした時にあったような。


『ただ俺たちが知っているメカグモと、この街のメカグモは明らかに違う。これは確信に近い推測なんだけど、』


 今度は少し先の丸が三つ横に並んだ真っ黒な装置から声がする。


『メカグモは俺たちの時代からトレースされて、複製までされて使われている。しかも勝手に色々改造されてるんだ』


 トレースという言葉で、視界に浮かんだ色々な情報に一瞬真新しい深青色の記憶が混ざる。そうだ、私はずっとテトレンズを付けているのだった。セントラルから離れた人通りの少ないビル街でも、まばらにノイズ文字や標識、案内記号、図、何かの広告が浮いている。人間やエッグとも時々すれ違う。ダテマルくんの声はスピーカーを介しているため私たち以外にも聞こえるようで、そういえばさっきお兄さんが訝しげな表情で自販機に似た装置が喋るのをチラッと見ていた。


「改造って、どんな風に?」


『掃除は掃除なんだけど、あることを邪魔するものを掃除する。それが物であっても、俺たちエレゴーストであってもね。んー……もうすぐセントラルだな。道路の上とかから声を飛ばすことになるから、他の人にも俺の声が聞こえちゃうけど、気にしなくていいよ。ジェミーはその辺上手いことやってくれないよね……?』


{音の中継以外も上手くやって欲しいジェミ?}


 私の手首に戻って姿を見えなくしていたジェミーが、吹き出しのように小さな緑の角丸枠だけ出して喋った。こんな形態もあるらしい。


『いや、そうだね俺のことは今回はいいか。ハルカ姉ちゃんへの説明も要ると思うから、メカグモを良く見といてくれ』


{了解ジェミ}


 一瞬ジェミーの返事が遅れたような……気のせいだろうか。角丸枠の中に {OK} の文字が出ると、ジェミーは私の手首の中に消えるようにしてまた待機モードになった。と、気付けばヒトを含めた情報密度が上がってきた。駅前風空間セントラルだ。


 駅前には大抵広場があるような気がする。セントラルにも同じように広場がある。これまで壁面に映ってその中を歩くようにしていたダテマルくん。広場に差し掛かり壁面が近くに無くなったら、右側に倒れて平面を歩くような構図で地面に映った。傍から見ると私だけが歩いているように見えるけれど、一応“私たち”はセントラルを縫うように歩いた。ダテマルくんが何かを気にしながら地面の中を歩く。私は後に続く。アメ玉型の椅子が並んでいるところでもなく、駅舎と思われる建物の内部でもなく、目標ポイントがあるのだろう。


『この辺で良いかな』


 結局、駅の中へと続く幅広い階段が見える辺りに立ち止まった。特に造形意図の感じ取れない背の高い柱状のオブジェが並んでいて、そのうち一つにオブジェ表面の凸凹に沿っていびつになったダテマルくんが映っている。当然階段へ向かっていく通行人は絶えずそれなりに歩いており、自らのデバイスや追随情報板に没頭していない何人かはこちらに一瞬視線を向けて歩き去っていく。


「ここにメカグモが来るの?」


『うん。いくつか準備をすればね』


 ということは、私とジェミー以外の人々にも現れたメカグモが認識されるのだろうか。テトレンズは基本的にこの仮想箱の中の皆が持っていて、私が後から買い足したものであるはず。両手でチョキを作り井の字に重ねて四角を形成、覗き込む。


『レンズ無しじゃあ俺もメカグモも見えないよ』


 柱オブジェの根元からダテマルくんの声だけが聞こえる。けれどもオブジェの表面には誰も映っていない。やっぱりそういうことか。


『ジェミー、もうそろそろだよね』


 レンズを付け直す。ダテマルくんがジェミーに残り時間を聞いた。


{そうジェミね。そろそろジェミ}


「え?」


『びっくりした?』


 ダテマルくんが目の前にいた。壁の中ではなく立体的に、そこにいるかのように。レンズ無しで見る人間と変わらない、実物の質感だ。


『レンズ越しならこれもできるんだ。今までやっていなかっただけ。ちょっと事情があってね』


 驚いて思わず一歩退いた私の手元に焦点を合わせた彼はそっと手を伸ばした。彼の手は私の手をすり抜けた。ダテマルくんは私に触れられない。私はダテマルくんに触れられない。


『この通り、触れることはできない。これから出てくるメカグモも同じだよ。だからハルカ姉ちゃんには物理的な危害が及ばない。絶対にね』


 ダテマルくんは振り返り、立ち並ぶビル群の隙間から遠くの方を見た。少年の背中は私よりも小さい。手首や肩、肘膝に特撮ヒーローのような防具を纏った彼は言葉を続ける。


『それから、これは言い出せなかったことなんだけど、』


 振り返り私の方をしっかりと見た少年の瞳は、奥行きを得たからか、思考の含みが幾重にも増して見えた。


『俺は記憶を引き継げない。ハルカ姉ちゃんがもう一度俺のところに来た時、俺はハルカ姉ちゃんのことを覚えていないんだ』


 嘘でしょ、そんなはずがない、せめてそれくらいは言いたいのに、私は一瞬言葉を失ってしまった。だって、ダテマルくんは特別な……存在であると、私が思い込んでいた……。いや、違う。仮想箱にもう一度入れば、それがやり直しの世界でも、彼が特別であることに変わりは無い。


『俺は理解も早いから次回の俺にババッと説明してくれればいいさ、なんちゃって。そろそろ始まるよ』


 ダテマルくんは再度私に背を向けると、片膝をついて地面に何やら細工をし始めた。テトレンズがあるから見える、綺麗でカッコイイ模様が噂に聞く魔方陣のように彼を中心に小さく展開されて、左右二本の小さな電波塔のような光の造形物が現れた。邪魔しないように横に回り、彼の手元、表情、つまりは儀式のような全容を少しでも汲み取ろうとする。真剣な瞳は片目だけバイザーを装着、深緑色に隠れた上に微細なテキストが高速で流れている。


{なるほどそれが敵になる条件ジェミね}


 ジェミーは私に見えない何かを理解したようだ。


「ダテマルくんは何をしているの?」


{二つの電波塔は見えるジェミね?}


「うん」


{先から何か飛んでいるのも見えるジェミ?}


「……うん」


 小さなダテマル式魔方陣が建造したアンテナの片方をよく見ると、確かに不可読テキストが糸電話のように伸びている。いや、よく見ると今まさに伸びて行く。どこへ? 顔を上げると、見覚えのある巨大な対象物が待っていた。レンズを外してもあれはあの場所にある。


『もうあれは見に行った? あの大きな残骸はハルカ姉ちゃんの目的達成のために必要になるはず。あれは落下物を防ごうとするもので、今やっているのはあれのドアをノックしているような感じなんだ』


 まだ持っていなかった貴重な情報。彼は彼で私とは別に隕石を防ごうとして、調査を、試行錯誤を、それから失敗を重ねたのだ。


『この程度で開くドアじゃないんだけど、これで俺は掃除屋の掃除対象になる』


 ビープ音? どこからか『ピッピッ』と機械が発する短い警告音が聞こえる気がする。けれど音源が分からない。


『お出ましだね』


{こんなのがいるジェミね}


 色と質量が灯るように。水中で初めてピントが合うように。少しずつそれは出現した。警告音継続。セントラルのど真ん中に、しっかりとダテマルくんを睨みながら、物騒な機械蜘蛛の様相で。

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