55_MeteoriteBox_15


{さてさてちょっと失礼するジェミ}


 ジェミーがそう言ったのは私に? ではなく多分警備システムに対して。動く階段を降りて進んでいくと四角い建物と細長いビルの“継ぎ目”に来た。駅の改札のような背の低いしかし境界を思わせる装置が無言で私たちを待っている。バタンと遮るような二枚の板は見えない、警報でも鳴るのかな。“通行証を持たない人が通過したら”。“本来ならば”。

 私たちが通過し終えても彼は黙っていた。緊張感からか通過する間は私も黙っていた。ジェミーは口笛でも吹いてそうだった。


「いいのこれ?」


{いいジェミよ}


 もしかしたら警告音が鳴ることなどそもそもなくて、これは例えば別の目的の装置か、ともすれば形だけの置物? 仮想箱の中の世界に再現されたもの全てが本来の機能を持っているかどうかなんて分からない。形と機能とに、時代と意義とに整合性をあてがうかどうかは箱のみぞ知るのだ。ジェミーは本当に何もしていなくて、だから“いいジェミよ”なのかも。

 今度は重みのない手動ドアを開けたところで私の考えは肯定された。紛れもない未来を見た時、ヒトは他にはない息の呑み方をするようだ。空間内を自在にヒト一人分の“枠”が動いている。エレベーターの一機が上下左右に動き回ると言えば伝わるかな、レンズ越しではなく実際に。……実際に? ともかく、それだけではなく、開けた視界の見上げた空間中央に青白い球体が光の帯を纏っていて、何やら大小のトレイとさっきのヒトが乗れそうな枠が縦横無尽に移動している。地下へも続くその吹き抜け空間には壁面に沿った四角い通路が何層も巻き付き、通路にもまた無数のドアが付いている。あ、やっぱり枠には人が乗っている、空間内を垂直に昇って行き通路に降りて、ドアを開けて入っていった。ビルの外からは想像できなかった光景だ。ガラスではなく鏡が張ってあったのだとしても何やら空間のスケールまで大きく感じる。

 もう一度テトレンズを付ける動作を行う。外す動作と付ける動作は同じなのだった、なので二回行う。目を疑うとやら。


{今は付けてるジェミよ}


{外れたジェミ}


「……うん、ありがと」


{そうジェミね、とりあえずレンズは付けてジェミ。付けたらあそこで話している人を見るジェミ}


 圧倒的な視覚情報を前にしてよろけた私は素直にジェミーの指示に従う。ジェミーの緑色矢印が手の甲を離れ空間に浮いて一点を指した。吹き抜け空間に近付いて見下ろすと、スーツ姿を模したビジネスマン二人が通路の角の辺りで向かい合って話していた。話していたが、レンズ越しに見た次の瞬間には輪郭を残して半透明の青い影になった。


「あれ?」


{レンズを外してジェミ}


「戻った」


 影になった二人に元の映像が重なった。


{レンズを付けていれば見なくてもいい情報を少し減らすジェミ。選択は私の判断だから気に入らなかったらレンズを外すジェミ}


 私は二つほどジェミーのセリフを思い出していた。初めてセントラルに着いたとき、見ているところならお粗末じゃないと言ったのと、テトレンズを貰った時には店内の情報を一部消したと言ったのと。視線を動かして別の人たちに焦点を合わせても同じように青い輪郭だけになった。情報が絞られた、ということかな。


「ジェミーの案内したいところって、ここの……この景色?」


{もうちょっと先ジェミ}


 ジェミーの矢印が上の方を指す。はてさてどうやって進むのだろう。階段の形をしたものを探して通路と吹き抜け構造を縫うように見るが、どうにも直通経路は見当たらない。


{せっかくだからあれに乗るジェミ。向こうジェミ}


 あれって、もしかしてあれ? 緑の矢印に従い壁に沿った通路を歩き始める。吹き抜けを右手側に、壁面とドア群を左手側に。一気に過去になった四角い建物とこのビルの継ぎ目を出たところもまた吹き抜けに絡みつく通路の一つで、そこから吹き抜け空間を観察していた。そこから歩くことですれ違ういくつものドア。古風な取っ手付きのドアを模した造形で、深緑の壁に青白い枠が浮かび上がるようにして並んでいる。前を通過するときに『ポーン』という不思議な音を出して薄く発光した。レンズを付けてドアを見ると、解読不要との判断か、目の高さにそれぞれ違う並びをした見たことのない文字列が現れた。


{ここジェミ}


 通路の一角に柵が無い箇所、つまり吹き抜けと接している箇所があった。足元や目の前の空間に浮かび上がる記号情報からもここがあの一人乗りの枠(空間エレベーター?)を待つ場所であると分かる。


{ちょっと待っててジェミ}


 ジェミーがそう言うと緑の矢印は細かい粒子に形を変え吹き抜けの中に飛んで行く。軌跡を描き空間エレベーターの一つに接触したように見えた。すると、青く光っていたエレベーターの枠が緑色に変わった。


「おー……」


 なにやら認証の音がしたようなしなかったような、ジェミーに手懐けられた(?)その一機は吹き抜けをやはり重力の制限も釣り上げの機構も感じさせないままこちらへ近付いてきた。


{乗るジェミよ}


 やっぱりジェミーってすごいよね?



* * * *



 支えなく空間に浮遊している物にそっと片足を乗せる。私の知る日常ではあまり馴染みのない場面だ。と思ったけど夏休みにボートに乗った時の感じは近いかな、ぐらりゆらりと……しない。体重を預け始めてから任せきるまで一切沈むことなく受け切った。うら若き乙女の重さはさておき、未来の技術は隙を見せない。代わりに一人用空間エレベーターの造形細部は尚も未来を見せつけた。この前にも後ろにもドアの無い枠だけの装置は全体が青白い鈍光を放っていて、その光は脈動のように揺らぐ。目を凝らすと微細な波模様を持った黒い金属質の下地素材が吸い込むように待ち構えている。手を触れれば堅い感触、温度はひやりと金属に近い。足を踏み外せば吹き抜けの底に落ちてしまいそうなドアのない二面には矢印形のアイコンが浮いていて、手を触れればその方向へ空間を移動できそうだった。


{動かしてみるジェミ}


 私は今レンズを付けていない。それなのに青い丸枠で囲まれた矢印アイコンは空間に浮いて見える。透明な板が浮いているのは見てきたとは言え、こうも質感を持って。生身の距離感を信じてそれに手を触れようとすると不思議なことにしっかりとした手応えが返ってきた。心地良いボタンを押した感覚と効果音。重力感が私に挨拶をして私のを乗せた枠が空間内を上に向かって移動した。


「すごいねえこれ」


{ちょっと遊んで行ってもいいジェミよ}


「お言葉に甘えて」


 しばし通路の巻き付いた吹き抜けの空間を縦横に好き勝手に移動する。有人無人どちらの空間エレベーターとも数台すれ違った。ここが会社ならばその社員と思わしき恰好の男女が共にゴーグル上のデバイスを付けてエレベーターを操作していたが、彼らが人間ではなく精巧なアンドロイドかもしれない彼らは私を気に留めなかった。それから私は吹き抜けの底へ向かって降りて行く。……底? 気に留めるどころか目を丸くせざるを得なかった。ビルの地下に“空間が広がっている”くらいなら、例えば地下駐車場でもそうだ。でもこちらは青い情報の流れが空間を縫うように全域に張り巡らされた、広大な……オフィス空間。まるで観覧車の上からビル街を見下ろしているような光景だ。吹き抜けは小さな入り口に過ぎなかった、一台また一台と空間エレベーターが降りてきて地下空間内に散って行く。青い電子基調の色合いからか、効率化希求の末に生まれた姿故か、規模も動きも組み込まれた人型さえも何やら幾何学壮大に美しい。


「じゃなくて……」


 見惚れていた私は見るべき緑の矢印を思い出した。それは吹き抜け空間に戻って上層階の通路の辺りに降りろと言っている。見ようと思えば面白いものが、情報が、いくらでも簡単に私を惑わすと分かってきた。私が勝手にそうなっているのかも知れないけれど……。ともあれ今は従うべきナビゲーターがいる。巨大フラスコの口に戻るようにエレベーターを操作して、そのまま吹き抜け内を上へと進んで行く。手の甲の緑矢印は最上階層に近い辺りで水平向きに変わり、特に他のドアと変わらないように見えるひとつのドアを指し示した。回り道にも付き合ってもらった空間エレベーターに別れを告げて通路へ降りる。枠が青に戻ったエレベーターは吹き抜け中央の情報コアの指示に沿って次の乗り手を探しに行った。

 通路の角を一つ曲がって少し歩いた私は手の甲を見た。緑の矢印はこのドアの向こうを指している。


「……さてさて何が待っているのでしょう」


{内緒ジェミ}


「言うと思った」


{もっと言うと、私はここで待っているジェミ}


{それは言うと思わなかった……}


 ジェミーが宣言してしまった。言葉通り手の甲から緑の矢印が離れて、足元にピンク色の耳付きテレビが生成された。


{怖いことは無いから安心していいジェミよ}


 そういえばジェミーの目って笑っている感じにならない。あるいはまだ私に見せていないだけ? 縦線が二本で本心が中々読めないようになっている気がする。けれどジェミーを少しも疑っていない私は「分かった行ってきます」とだけ言って、輪郭が青く発光するドアに手を触れた。

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