45_MeteoriteBox_07


 ヒトは視覚から多くの情報を得ていて、その比率は全入力の8割を超えるとも聞いたことがある。スタート地点から見えた景色をひとまず焼き付けながら階段の方へ向き直る。その時、身体が生み出す僅かな気流に、私が解釈しきれずに溢れたデータの粒子が舞ったように思えた。ジェミーはその粒子とじゃれ合うようにくぐり抜けて時刻表示に戻り、私は途中で向きを変える長い階段を降りる。さっきはあっという間に隕石の餌食となり、銀の卵型の車と思しきものと一人の男性しか見られなかった。中心部でないからなのか空間の再現もどこか曖昧だったような気がするし、高いビルのあった辺りまで歩みを進める必要がありそうだ。


 階段を降りると一度見た高い塀があった。継ぎ目の見えない深緑色の素材。神社の境内が高い塀で囲まれたような感じになっている。階段の途中でそれとなく見た限りでは鳥居や寺院と言った強い特色を放つ建物は確認できなかったけれど、横に続く塀が施設敷地の大きさをある程度偉そうに主張しているところが気になる。この辺りは建物がどこか適当な構成密度だったから、それと比べると――


[01:43:44]


 20分と比べると随分時間に余裕がある。えっと、そうそう、ほかの建物と比べるとしっかり作ってあるから、何か役割を持っていると推測できる。


「となるとわざと無視して中心部に向かってみるとか?」


{何の作戦ジェミ?}


「そうだなあ、仮定作者さんの意図を外す作戦?」


{カテイは、仮に定めたという意味で合っているジェミ?}


「うん、合ってるよ」


{ジェミー……}


{何で笑うジェミ}


「そ、それ唸り声なのかな」


{そうジェミ}


「うーん」というのが{ジェミー}になったのかな、それなら{ジェーミ}なんじゃ、と笑いを抑える時間を利用して一人でツッコミを入れてしまった。ジェミーの感情豊かな振る舞いがツボにはまった私は、思考時間の演出なる概念をしばし忘れて楽しむ。


「あ、また」


 銀色の卵が道路の向こうから一台(一個?)だけ向かってくる。卵を横に倒して、上が進行方向を向いて進んでいる。


{エッグジェミね}


「……エッグ?」


 まさか、私が卵卵と考えていたのが読み取られたのでは?


「あれはエッグって名前なの?」


{……クルマだっけジェミ}


 策士ジェミー、私は一回だけ“車”と声に出してしまったはず、今それを使って言い直した……?


「エッグだよね」


{エッグジェミ。……名前は教えた方が良いジェミ?}


「うん、そうして欲しいな……」


 まず、どこにルーツがあるのか分からない物の名前が興味深いから。そして私が変なことを言って不意に注目を集めたりしないかと考えたから。ルーツの方が私の思考を読んだだけである可能性が拭いきれないけれど。


{ハルカの変な呼び方も面白いのにジェミ}


「……私のは聞かれたら教えるから、ね?」


{分かったジェミ}


 ジェミーとどうにか協定を結んで、左へ曲がり歩みを進める。最初の目的地はベンチに座った男性、前回一人目の登場人物だ。とは言え前回は結構急ぎ足、分かれ道はその場の瞬間判断で選んだから、彼がどこにいたのか見つけられるかなと心配し始める頃には私の軽快な歩みは減速した。やっぱりこの辺りの建物や道路の感じはどこか適当だ。色味質感がどうにかそれっぽいだけで立体模型のようなハリボテ感がする。もしかして全く同じ景色のパターンが使い回しで繰り返されているんじゃ? そんなアナログ手法が先の未来まで残っていないとは思うけれど、そうだとすればお手上げだ。あの男性に確かめたいことはそれほど重要じゃないし、諦めて先に進――


「ん?」


 私の手首に矢印が浮かび上がっている。もう見慣れた時間数字と同じ緑色。


(……?)


 時計と反対の位置、手の甲側に浮かんだ矢印を手を少し挙げて水平にすると、少し向きを変えた。コンパスの針のような動きだ。


{探し物はこっちジェミ}


 なんとも優秀なジェミー……。



* * * *



 左手の甲に現れた緑色の矢印に導かれて素っ気ない街並みを進んでいく。早歩きですれ違う雰囲気には郊外の住宅地に似た感じがあるのに、散りばめられた未来の手解きと省略された描写の余白が一色の解釈を拒む。


{そろそろジェミ}


 ジェミーの言う通り、記憶に新しい(とは声を大にして言えない)道と、ベンチと、そこに座った男性が見えた。念のため手首を反転させる。私は無意識のうちにそうしたが、ジェミーはスムーズに矢印から時刻モードになった。


[01:38:01]


 実はあの男性が変なスイッチになっていて彼に接近することで急に時間が進んでいたりしないかと疑ったけれど、そこまで意地悪ではないようだ。それならばと早速男性に近付く。


「あの、すみません」


 私は前のセリフをそのまま再生した。


「ん? ……ええと? 何か用?」


 彼のセリフはそのまま再生したものではなかった。視界に影も落ちない、見上げた空は薄青いまま。話しかけておいて突然空を見上げた私は自分が奇異の目で見られていることに気付いた。それはそうか。


「突然すみません、あの……何をされているのでしょうか」


 彼が一回目の私を覚えているかどうか確かめたいくらいだったので、何を話そうかなんて考えていなかった。……どうしよう。ひとまず彼は私のことを初めて見た感じのようだが――


「んー……ちょっとサボっててね。いきなりそんなこと聞かれるとは思わなかった。急いでないならまあ座りなよ、ちょっと離れて座ってもいいから」


 ベンチには四人が座れるくらいの幅があった。男性の言葉を適度に受け取りつつ適度な距離で座る。私たちの会話をジェミーが聞いているのは間違いないのに、ジェミーは一言も喋らないばかりか時刻表示もオフになっている。二回念じた(?)のに出てこない。


「変な人だと思われても構わないので、いくつか質問してもいいでしょうか?」


「うん、どうぞ」


 話の早い人として彼が設定されていることに感謝しつつ、折角なので彼が持っている情報を引っ張り出そう。


「ありがとうございます。今日は1時間後くらいに何かあるらしいんですけど、知っていますか? 友だちが教えてくれなくて」


「1時間後……? 何だろう、分からない。どこかのセントラルでイベントでもあるのかな」


 新単語がひとつ。隕石の認知はNO。


「友だちはセントラルって言っていたとは思うのですが、――」


 私しか知らないような単語は出さないようにして、彼が出した単語はあたかも最初から知っていたかのように取り込む。未知単語が指す概念を手探りでどうにか“なぞり”、形を理解して行く。言の葉を飛び石に伝い思考の中へ。言語能力は対人並みに要求され、特殊な環境値による私への負荷が彼が登場人物に過ぎないことでそれほど軽減されないことを愉しむ。

 セントラルとは階段の上のスタート地点から見えていた中心部のことで間違いないようだ。一つではないようなニュアンスも含んでいたので、ビル群が集合した拠点が他にいくつかあるのかもしれない。彼は隕石のことはやはり知らないようだった。それが彼の登場人物としての階層によるものなのかどうかは、もう何人かに話を聞いてみないと分からない。そしてこの箱の中の世界には『労働』の概念があるようだ。

 彼はサボるのが好きで、空を眺めるのが好きだという。だから私がうっかり「空」の言葉を出したときに嬉しそうに反応してくれた。少し眠そうな目で相手の目をよく見て話す彼には、時々無造作に寝ぐせの付いた頭を人差し指で二回突く癖がある。仕事の内容は詳しくは教えてもらえなかったが、職場フリーダムな方で、時間にも自由が利き、見ての通り寝ぐせが許されるそうだ。


 見聞きしたものから、仮想箱の中の人間から、データだけを抜き取るようなことは私にはできそうもない。別れ際に嬉しそうに軽く手を振ってくれた彼には人としての側面がここまであるのだから、仮想箱は良くも悪くも――良くできている。



* * * *



「あ」


{どうしたのジェミ}


 ひとつ男性に聞き忘れた。


「って、いるじゃんジェミー」


{基本的にハルカの手首のところにいるジェミ}


 声のするところを見ると元の時刻表示がまた浮かび上がっていた。さっきまでは出ていなかったのに。


「……あの人と喋ってる時にフォローしてくれなかったよね?」


{ごめんジェミ、どんな風に話すのか気になって、そしたら面白くてそのうちタイミングを逃したジェミ}


「もー……」


 本当にそうだったのかもしれない。悪気はなさそうだ。

 排水溝に似た構造が簡易に再現されている。エッグの大きさは私の知る車くらいだったから、道幅は慣れ親しんだスケールを描いている。閑静な住宅街風の区画では道幅が狭くなるところも同じ。ただ、小石は落ちていないし、アスファルトの見せる僅かな模様も省略されている。のっぺりとした道に何か跡を残せないかと時々試しながら歩く。


{で、「あ」っていうのはどうしたのジェミ}


「さっきあの人に聞き忘れたことがあってさ」


{何ジェミ?}


「2時間前からここにいましたか、って。」


 ジェミーに仕返しするつもりはないけれど、わざと少し回りくどい言い方をした。ジェミーが私の手首で表示しているのは時刻というより時間だ。今が何時であるのかではなくて、恐らく隕石が落ちるその瞬間までのカウントダウン。だから時刻表示より時間表示と言った方が良いのかもしれない。

 この箱に入るときには時間を選ぶことができる。初めはたったの『20秒』。二回とは言え回を重ねた今は『2時間』の猶予。ここで一つの疑問が生まれる。2時間というのは、私が仮想箱に入るのが2時間前になるのか、隕石が落ちるのが2時間後になるのか、どちらなのかという疑問だ。前者なら私は多分2時間だけ予知のようなことができる。後者なら仮想箱世界は2時間だけ先へ進むことができる。――と思ったけれど、予知は繰り返しが確かならどちらでも同じかな? 隕石が落ちるタイミングが変わることは何か影響がありそうだ。隕石が“世界の誰にも知らされていないこと”なら……、視界を覆う影は突然現れたようにしか見えなかった……、つまり――


{転ぶジェミよ}


 歩きながら考察する探偵のようになっていた私にジェミーが警告を発する。


{そろそろ次の目的地に着くジェミ}

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