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ヘッドセットを外すとそこは今度こそ元いた2つ目の部屋だった。二つだけ段を降りて、念のため誰かさんの気配を探る。背中を押された気がしてそれを中断すると、壁の一面に目が奪われた。
月明りを纏ったあの女性――至上の踊り手の一瞬を切り取った写真が映し出されている。計り知れない所作は静止画にさえその瞬間前後を宿すかのようで、今にも全てを引き寄せ始める気がしてしまう。ただ、どこまでも美しく、魅力的に。
と、女性を映した壁と直角に交わるその隣の壁には文字列が浮かび上がっている。
“この仮想箱は当時のある事象を再現した箱である”
説明書きはそんな意味の一文から始まっていた。近付いて、その続きを読み解く。
『当時、ネットの海に突如出現したその踊り手を模したオブジェクトは瞬く間にあらゆるものを魅了しました。それが話題性を持った理由は二つあり、不可思議な魅力とそれを自身を守る強力なプロテクトでした。まずはその魅力です。究極の美と称されたその踊りに狂気を見出す者もいれば、計算され尽くしたアルゴリズムが観客を支配しているのだと言う者もいました。そしてプロテクト。当時どういうわけか全ての観客は一度だけしか、しかもリアルタイムでしかその踊りを見ることができませんでした。少し様子を見に行って、また後でもう一度ということができず、見ている間は常にネット上のその座標へ接続していなければなりません。他人の視覚を借りる技さえ簡単に無効化されてしまい、名のある技術者たちが何人挑んでもある個人が二度それを見ることは叶いませんでした。一人一回だけ、一応は気の済むまで見ることができるということですが、見ている者を強く引き付ける踊りも、その高貴さを維持させるかのような保護も、当時の技術水準を明らかに大きく上回っていたのです。まるで人間や人工知能さえ超えた存在がそれを生み出したかのように、それは神秘性を帯びていました。
消耗しきるまで踊り手を見てネットの海に消えた人間もいたようで、彼らは一様に、その踊り手が力尽きる間際に見せるという最上の瞬間を信じていたそうです。ある時代にある場所に出現した踊り手の――』
穏やかな文体ではあるのに、電子の中に舞う踊り手の特異さを記すことに歓喜を隠せないようだった。心が躍る、なんて言葉が悪戯に頭に浮かぶ。それから、その裏で感じ取れるどこまでも深そうな何か。その何かは広大な夜の砂漠でロボットが手のひらに隠していた光の入り口の奥と、無関係ではないような気がしてしまう。人の想い? いとも簡単に電子化され再現されそうなそれが全てとは思えない。
月明りが僅かに揺らぎ、静止した踊り手のシルエットが何かを生み出した気がした。
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