17_SandBox_14_


 少年を包んだ歌と黒い雨に朽ちた都市の光景が心に重い何かを残したまま、私はベンチに座っていた。

 オレンジ色の街並み。白黒の夢が見せるように、セピア調とも違うオレンジ色のみ使うことを許されたかのような色彩。まばらに歩く人影が身に着けている端末や流線型の乗り物、見慣れない建築様式のビル群が時間軸を語る。私は緩やかなカーブを描くベンチの背もたれに体重を預けて、しばらく雲の無いオレンジ色の空を眺めた。背の高い建物はここでも視界いっぱいの空を遮るようだ。遠くで微かにポップなメロディーが鳴っている。


 自分自身がその時を迎えるまで、生命が途絶える瞬間は経験できないと思っていた。仮想体験という形でどれだけそれが再現されているのか分からないが、ヒトであれアンドロイドであれ、最期の瞬間に彼らの主観や感覚を共有した。それはあまり良い影響を与えないのかもしれない。ヒト一人がその体験を想定した造りかと言われたら、きっとそうではない。こうやって解釈の時間を一呼吸置かなければ、私も……。

 遠くでまだメロディーが響いていた。私が少年と黒い雨の歌を飲み込み染み込ませる間には聞こえなかったような気がする。きっと私を誘っているのだろう。でも今は何が待っていてもそこへ向かう。


 街を歩く人影とすれ違う時、彼らに一瞬だけ表情や衣服が描写された。人影はサイネージとして無造作に、あるいはデバイスから手元に添うように空中に浮いた大小様々な半透明のスクリーンを虚ろな瞳で見ている。彼らに動きはなく私はその一人ひとりを読み取ることができなかった。どこかと通話しているかのように口元を動かす人も声だけがかき消されており、物語を与えられていないかのようだ。人影への描写は砂漠に撒いた水のようにすぐに各人を影に戻した。私が微かに聞こえるメロディーを頼りに街を歩く間、何度もそれが繰り返された。

 低い空までを手中に収めた人々は都市空間を人工物で埋め尽くす気なのだろうか。道や通路が縦横無尽に編み込まれていて、しかしそれらは不思議と生物の体内組織構造に似た様相を見せている。ベースは私の知るビル街なのかも知れないが、詰め込まれた構造とその間を行き交う無人有人のユニットが私の知らない景観を造っていた。それらがオレンジ一色で描かれているともなれば、私だけしか見たことのない風景にさえなるのかもしれない。



 ヒトが音を捉える性能はそれなりに優秀で、メロディーは少しずつ音量を確かなものにしていく。幾つ目かのビルの角を曲がって少し歩いた時、視界が開けて小さな広場が見えた。丸い広場にはバウムクーヘンを小さく切ったような扇形タイルが敷き詰められている。その中心にはまだ影しか描写されていない誰かが立っていた。広場の中心の何も無いように見える空中の一点、メロディーは多分そこから聞こえている。

 警戒心はあまり意味がないはずだが、一歩ずつその人影に近付く。影と私が1メートルほどの距離になった時、影は人へと再描写された。


「こんにちは」


 可憐な衣装、あどけなさを残しながらも整った顔立ち。肩にかかる長い黒髪。いわゆるアイドルのような存在なのだろうか。ここまで来る際の演出のせいか、なんだか久々に人の声を聞いたような気がして反応が遅れてしまった。声も可愛らしいものだった。


「この音楽には元々、私の歌が合わさっていたんですよ」


 少女は数歩だけ歩いて私のほうを向き直り、それから広場のちょうど中心らしき点を見上げる。虚空には見えない音源があり、ポップなメロディーが流れ続けている。音色は広場からかなり離れた所からでも聞こえたのに、この距離でも不思議と耳を塞ぐような大音量には聞こえない。

 元々歌が合わさっていた、とはどういう意味なのだろう。私が歌っていたという表現との違いを探る。少女は少し首を傾けたまま完璧な微笑みを作って私を見ていた。だがすぐに、道を譲るように私からさらに数歩離れた。彼女が目を閉じると、彼女の背後に瞬時に巨大な観客席が映った。舞台側の中心から見る観客は初めてだ。凄まじいエネルギーが空間に満ちているようだった。その大量の人々の熱気を舞台側で一人で受け止めているのは、彼女自身だ。今目の前にいる色の付いた彼女に背中を向けるようにして、おそらく過去の彼女自身が影に近い描写で全身全霊で歌を歌っていた。歌声は聞こえない。過去の彼女も影描写だからなのだろうか。


(あれ? 色が……)


 見間違えたのかもしれない。色がついているのは1対多を成す彼らで、その1と背を合わせて私と向かい合っているアイドルの少女はやはりオレンジ色で描写されている。念のため辺りを見渡すが、ビル街もこの広場もオレンジ色をしている。気が付くと観客も過去の彼女も跡形もなく消えていた。


 彼女は深くお辞儀をした。一体何にと考える間もなく地面に四角い切れ目が入った。


 ちょっと待って!


 叫んだ私の声は届かない。出現した四本の柱が透明な壁で繋がって私は四角い箱に閉じ込められた。エレベーターほどの大きさ、でも扉は無い。開かないと分かっているのに私は握り拳で透明な板を叩く。アイドルの少女は顔を上げた。また笑顔を作ったが、今度は完璧ではなかった。目に溜めた涙が頬に一筋の色を付け、その自然曲線を起点に彼女にだけ色が戻った。自分の足元が少し浮き上がったのが分かった。

 彼女は空間からマイクを取り出すとまっすぐ私の方を見た。箱は空へ向かって少しずつ上昇し始める。彼女は色を取り戻した潤んだ瞳で私を捉えたまま、歌い始めた。

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