16_SandBox_13_
身体がまた動かなくなった。まだ少しだけ苦しかった。痛くて、重くて、まだ自分は生きていた。黒い雨が都市を死なせていく。行き場を失った黒い水が倒れこんだ地面を埋め尽くそうとしていた。鳴り止まない警報音が遠くで響いている。避難しろ? 絶対に嫌だ。
目障りな重装掃討機が何十機も黒い空を巡回しているのが見えた。大きなビルの入り口で半分だけになった電光板がバチバチと不規則に光っている。音も光もまだ分かる。
「まだ僕は生きている」
自分の声が自分に力をくれた。まだ立ち上がれた。
黒い水に浸かった地面を数歩だけ歩いた。やっと少し前に進めたのに、轟音の接近を認識した。掃討機の相殺波が僕の脚を折って空がひっくり返った。黒い水が世界を沈めた。
身体はもう動かなかった。もう少しも苦しくなかった。痛みは無く、ただ何も感じなかった。黒い雨は都市を死なせた。行き場の無い僕がとうに死滅区域となったその場所へ向かうことを誰も止めなかった。決して消えない歌が心の中で響いている。待っていて、絶対に会いに行く。
どこへ押し流されたのか、僕の眼は黒い水にやられてぼんやりとしか見えなかった。ぼやけた輪郭のビルと……音はもう……。
もう一度歌を聞かせて
自分の声は聞こえなかった。
大切に持っていたボロボロの再生機のことを思い出したとき、やっぱり悔しくなった。何も感じないなんて嘘だ。涙が溢れてきた。涙は黒い水から視界を少しだけ取り返した。
意識が途切れて、また目を開けられた。動かない身体と横向きの黒く滲んだ視界のままだ。少し眠ったのだろうか。悔しさも情けなさも、向き先を作れない怒りも薄れていた。ああそうか、思考自体が薄れている。
温かい手が頬に触れた。再生機の端子が耳に接続されたのが分かった。誰? どうして感覚が戻ったの? 顔も動かせず声も出ない。
可愛くて懐かしい靴が見えた。信じられなかった。すぐに僕の横に寝転がり、顔の位置を合わせてくれた。歌が聞こえた。もう音は出ないはずなのに。笑顔が見えた。もう会えないはずなのに。
そういえば、この歌を聴きながら最期を迎えられたら良いなって言ったっけ。嘘じゃなかった。どんな歌よりも好きな歌だった。
何度ありがとうと言ったのか分からない。もう声は出ていないんだっけ、伝わったかな。きっと顔は泣いてぐしゃぐしゃになっているだろうな、かっこ悪い。あれ、でももう表情を変えられないんだっけ。
再生機の端子の上から僕の顔に手を乗せて、歌に合わせて口を動かしていた。涙が真横に伝っていくのは初めて見たような気がする。黒い水ばかり見ていたから、ああ、なんて綺麗な透明色なんだろう。
大好きな歌だ。その歌に包まれていく。もう僕には何も要らなかった。
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