18_SandBox_15_


 場面空間の切り替わりで薄れた意識が少しずつ戻ると、私は一人の人物の後ろ姿を見ていた。白い分厚い防護服を着て何かに備えている。彼は窓の外を見て、その時私の視点も彼と重ねられた。彼は遥か上空にいた。ここは飛行機能を備えた乗り物の中だ。

 スカイダイビングの感覚を断片的に体験させてもらった。彼は単独だったが、彼の持つ各種装備は極めて安定した降下を可能にしていた。青と白の組み合わせではなくやや不穏な色をしていた雲海を突破して、一定速度で地上へ近付いていく。すぐに地上が見えてきた。

 やはり深い青や緑色ではなく灰色の視界が広がっている。それは人の不在から始まるのだろうか、荒廃や死滅といった言葉を連想させる都市風景だ。前に見ていたオレンジ色の街とも黒い雨の都市とも違うが、無残に崩れた建物は少し進んだ未来の形を思わせた。そもそもここが地球(を再現した)世界なのか、未来に実在した世界なのかも定かではないけれど……。この防護服の人物は何をしに降りてきたのだろう。ここが防護服の要る環境であることはひとつ確かなようだ。


 通気性も酸素供給性能も申し分ない防護服を身に着けていても、動きにくさと背負った大きな荷物も合わせた重量による身体への負荷は避けられない。主観を重ねることを許されて分かったが、防護服の中の若い男性は息を切らせて荒れた都市を歩き続けていた。都市はやはり死んでいるようだった。瓦礫の山が鋭利に重なって存在しない敵を威嚇し、巨大な何かで半分抉られたビルが空っぽになった断面を見せる。人間の気配は完全に消えていた。もう何年もの年月が経過しているのかも知れない。かと思えば地上にむき出しになった太い何かの銅線が火花を放ったようにも見えた。遠くに火災の跡がある。都市自体が排水機能を失ったのだろう、無数の水溜まりが雨の存在を物語り、その火災を消して黒くなった建物跡を残したことを想像させる。得体のしれない化学物質が水溜まりを黒くしている場面もあり、私は一人目を細めた。……けれど、私の思考は歩き続ける彼には共有されない。私が一方的に彼の見ているものと私が見たいものも少し見られて、時には彼の思考を自分に重ねることができる。いや、彼の疲労は共有できたが、思考はまだ共有できないでいた。


 無残な都市の残骸地どのくらい歩き続けただろう。ある時彼は立ち止まると、防護服越しに腕時計を付ける辺りを見た。ボード状の映像が浮かび上がり、もう一方の手でそれに触れる。そこには時間が示されていた。“循環型エネルギー施設の自動運転が停止するまでの時間”という情報が入力として私に共有される。私の知る時間基準と同じであれば、もうあと何時間かというところ。そしてもう一つ、彼は何かのデータベースへと照会を行って、『リベロ』という名前の削除手続きを行った。それは彼の名前だった。


 建物の高さや道の幅、張り巡らされたライフラインの跡は私に何かを訴えるようだ。そこが居住区のような生活空間であったことを辛うじてそれらから読み取る。彼は更に歩き続けた。駅のような跡があった。建物の密度が少し増して、ビル群の崩壊跡がひしめくようになる。リベロは一体どこへ向かっているのだろう。別の星からだろうか、防護服を着てまで行かなければならない場所が、目的が、この惨状の都市に残っているということか。循環型エネルギー施設というのがそれなのだろうか。

 リベロの足が止まったのは、何があるわけでもない駅前の広場に似た場所だった。ここに来るまでに何度か見た構造の建物が恐らく駅で、駅がこの広場のすぐ傍にある。


 彼も身構えたのだろうか、私の意識は少し身構えた。一体の人型ロボットが明後日の方向に顔を向けて立っている。

 彼はそのロボットに後ろから近付き、彼に“話しかけた”。声に出したのではなく、意識の中で話しかけた。少し先の未来ではこれでヒト対ヒトの意思疎通ができると聞いた。電脳化と呼ばれる技術だ。対ロボットでも有効なのだと思うけれど……ロボットは応答しなかった。斜め上を見上げたまま直立停止している。

 リベロは「キミは聴けたのか」と話しかけた。それからロボットの見上げているものを見た。一部が欠けた電子看板のような黒い板がビルの一面にどうにか四角い一面を残している。ロボットが見ていたのは明後日の方向ではなかったようだが、それにはもう何も映っていない。リベロはロボットの真横に歩み寄り、彼の前に出て彼を見て、また真横に戻った。時刻を確認し、静かに時の経過を待った。


 一度リベロは何かに思いを巡らせた。この凄惨な都市を忘れ、遠い時間軸まで思考の旅をした。私にはその根幹も概要も伝えられなかったが、黙って彼を待っていた。もう一度リベロが時刻を気にした時、彼が待ち焦がれた何かに期待をしているのが分かった。だがそれ以上にそうであって欲しいという思いが伝わってきた。可能性の低い何かに賭ける思い、盲目になりがちな想いだ。

 リベロの呼吸が荒くなり、脚が震えているのが分かった。電子看板が一瞬光を放ち、真っ黒な少し欠けた長方形が浮かび上がった。どこから電力が?


 絶妙な沈黙が皆を支配した。


 黒い四角に、一人の女性が映った。防護服は着ていない。質素な服を着ているが、青い瞳の美しい女性だった。

リベロは彼女に話しかけた。映像に話しかけた。


 電脳化を終えた世界。お互いが“リアルタイム”であるかどうかを瞬時に悟った“二人”は、しかしその場に立ち尽くす。

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