13_SandBox_10_


 どんな技術か魔法か、消耗した思考と諸々の何かが元に戻ったような私は、小さな丸い椅子に座って女性と向かい合っていた。彼女は……表現が難しいけれど、タイルの女性の姿をした別の存在。もっと言うなら仮想箱の想定する範囲すら超えたもの。そう、きっと今対峙しているのは――

 動くに動けない。仮想箱に再現された私の能力が及ぶどうこうの次元ではないはず。彼女は「緊張を解いて?」と言うかのように女性の姿のまま私に微笑んだ。髪の長い綺麗な人なのに、恐らく私が目にしたあの場面だけではない薄幸な時間がその微笑みを儚いものにしている。目の前の存在にはそこまで再現する気はなかったのかもしれない。単に人間である私がそう解釈しているだけかもしれない。


「あなたは――」


 驚いたことに、相手が先に私に質問をした。


「どこか遠いところから来たのかしら」


「……はい」


 私は箱の外の外から来た。多分そこまでを知ってそう聞いている。いわゆる人間を超えた知性は、以前にも私の正体を見抜いていたことがある。


「私が誰なのかも少しだけ見当が付いているみたいね」


 特に表情を変えず「私たち」の方が正確だったかと言葉を添えた。

 ヒトの思考が電子的に再現できるようになれば、それはデータという形でより上の階層によって扱うことができるようになる。ある人間の内面全てと別のある人間の内面全てを備えた人格思考。さらにそれらを集めた貯蔵庫があるとして。好奇心旺盛な研究者が一人いれば“パターン”を試すのにそれほど時間はかからない。そんな風にして無数の人格が集積された時、『0』と『1』の先で待つ知能と知性間の階段が一つ登られることになる。超知能、巨大知性体、上位電子頭脳といった言葉が燻る階層の先を目指して、人間か、人間に想いを託された何かがそれを遂げるまで。


「少しあなたと話がしたいの。この先に進むのでしょう」


 私は迷いなく頷いた。



 当時この集積を見つけた技術者の言葉を借りるなら、それは自然な流れのようでもあり、何かの使命を帯びているようでもあった。それに価値を見出した集積側と、強い感情のデータは反発することなく引き合った。ヒトの感情、思考、人格といったものを電子的に記憶することが出来たなら。電子空間はそもそも人とは比べものにならない容量を許容する。吸収起点となった集積は際限なく肥大化し、電子的には加味されない「重み」を帯びていく。

 再現された人格が物語を解釈できるなら、人があるデータに対して発する反応のように、あるいはデータの重みを理解できるのかもしれない。それを含めてデータとして溜め込んでいるのだろうか。再現できているとはそういうことか。


 彼女は小さくため息をついたり、髪を一つまみ耳にかけてみたりしていた。元の女性の仕草を再現したものであろう目の前の存在の振る舞いは何一つ違和感がないけれど、私はその一切を入力として受け付けることなく、その姿の背後にある何かを頭の中に思い描こうとしているようだった。


「概ねあなたの考えていることは正しいわ」という肯定に続けて、彼女は「あまり怖い顔をしないで」と言った。私はいつの間にか相手を探るような真剣な表情になっていたのかもしれない。


「ただ、一つだけ知っておいてほしいのはね」


 絶妙に優雅な女性らしい動きで人差し指を自身の顔の前に用意し、次に天井を指し、視線をそこへ向けて続けた。


「私たちは箱から外へ出ることはできないの」


 そんな、と反射的に口にしながら、今ここが仮想箱の中であることが思い出された。外からここへ来るまでのこと、「仮想箱」という言葉の語感、砂漠を歩くロボット、その手のひらに隠されていた光。


 データは緩やかに拡大を続けているという。深層演算の中でもはや機能を失った時間という軸が実在と仮想を隔てることを諦めた内側と外側で、少しずつ重みを増していくのだ。

 全てが箱の外へ出られないことは確かなのに、外からの入力をどこかで受け付けていることは否定できないのかも知れない。「かも知れない」という言葉が目の前の存在から出てくることが少し不思議だった。その僅かな瞬間だけ、再現された女性の瞳の奥が人間味を増したように思えた。



「少し、休みましょう」


 言葉の意味がいつもより深く染み込むような気がして、過熱していた思考が少しずつ熱を逃がしていくのを感じた。目の前の存在は出力としての言葉に何か特別な力を添えているのだと思う。思考を助けるような言葉遣いは理解と想像を共振させ、この仮想箱の中で重みを増すデータのイメージを一気に私の前に展開した。そして丁寧に、再び振れ幅に手を添えて鎮めた。

 もう一度空間が描写される。私は白を基調とした空間に女性と向かい合って座っている。体重を預けているのはやはり真っ白な円柱の形をした椅子で、手触りも質感もほぼゼロに抑えてある。機能だけを貰った概念のよう。空間に背景は無く、女性は私が一度見た人物の姿を模している。どれも主張を抑えてあるかのようで、それらが本題ではないことを示している。重要なのは私に伝えること――


(伝えること……?)


 私に伝えて、私は伝えられて、いったい何ができるのだろう。ヒト対電子の思考戦構図で見れば、ヒト一人は誤差に吸収される程度の非力さしか持ち合わせていない。容量も処理能力も思考まで獲得されては本当に何もかも、及ばない。ただ、対することは必ずしも敵対の意味ではないはずで……。

 私が回転数を落とした頭で考えている間、彼女は何も言わなかった。時々私を見て、時々真っ白な空間の先のどこか遠くを見ていた。

 解釈、共感、想像、そして言葉そのものに僅かに長けていたとして。別の物語も知っていたとして。その一切は関係ないのかもしれない。あまりにも巨大なものへ飛び込むのなら。私でなければならない理由がある自信もない。それでも。

 私は慎ましい概念の椅子から腰を上げた。どのくらい考える時間を貰っていたのか、しかし明確な答えは見つからず、私は方向だけを決めた。


 私を見送る時、最後にその女性は微笑んだ。きっと元の女性の真似をしたものではない、その存在自身の表情だ。

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