第28話「痛いけど」言えない…。
5月6日。
まるで子供のように、谷 知子講師に聞いてみた。
「神明照覧」とはいかなる意味合いを持つのかと。
自分なりに考えたのは「神よ、御覧ぜよ」と「神は御覧じている」のつたない二つ。
講師は両方の意味合いがあると言い、書道展の作品としてあったのならば、前者であろうとはっきり言った。
わたくしの頭は、はっきりくっきり、きっぱりと「チーン!」と回答を得て、嬉しい限りだった。
そうかー。
両方の意味があるのかー。
と、最初は足取り軽く家路についた。
なにせ四月の上旬からずっと、気になっていたのである。
しかし家に近づくにつれて、哀しい心地がした。
神を思うとき、生けるものの最期を思う。
生きようとして、死んでいくものの命を思ってしまう。
電車の中でも、バス停でも、座席についても、わたくしは妙な顔つきをしていたと思う。
考えていることがすぐ顔に出てしまうから。
じきに寿命を終えようとしている愛猫を思うと「神明照覧」の言葉が苦しみを伴ってのしかかる。悲壮なのである。
いいや、顔をあげていよう。胸を張っていよう。眉間にしわが寄らないように、泣きべそは部屋で独りでしよう。そう思って前を向き続けた。
哀しいことは、独りの時に考えればいい。
人様の前では幸せそうな顔をしていよう。
☆☆☆
同日。
たとえば。
地震で倒壊した建物の中で、母娘が生き埋めになった、だとか。
祖母が階段から落ちた! だとか。
もう、想像するだけで、足元から手の指まで(>_<)ずきずきするのに、心が脳にだけあるっていうのは、どうしてなのか?
心がイタイって時は、脳が傷まないと変よね?
実際、ショックで認知症になってしまう人もいるくらいだし。
うん、心は脳にもあるんだろう。
だけど、わたくし体がおかしくなるんだけど。
呼吸とか、動悸とか、意識が遠のくとか、手足が痛いとか、なんで脳はそんな反応をするのか?
感情抜きに体が痛くなるんだけど、これは病気なのかな……。
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