第9話「路上女優さんとかけて」(沈黙…。)

4月7日


「幸福の王者ー幸福の王女」を書いてから、モデルになってしまった(!?)女優さんとお話をした。


彼女の、人々を想う「愛」については常々目に耳にしてきたし、徒情ではないが、そのせいで苦難にあったという話も聞いた。


この童話は、書いてて胸がひき裂かれそうだった。


かならずハッピーエンドにしようと決めていた。


彼女が幸せになるようにと。想い込めて描いた。


しかし、その夜わたくしは寝付けなかった。


幸福の王者の心臓は張り裂けてしまうのだけれども、ラスト、王女のてにかかげられてENDである。


これがどうしていけないのかというと、ひそかにわたくしのエゴが隠されている。


王女のてにするハートは破れたっきり。


人を想う気持ちがいかに神聖とはいえ、割れたままにしておいていいのか!?


朝起きて、わたくしは改編を決めた。


幸福の王女の踊りは、幸せではなく、黒い歴史。


彼女はなにかをよこせとでもいうように、人々に手を差し出す。


まあ、これはイメージなのであって、その手には王様の心臓が乗ることになるわけだが。


王女は「これほど誰かを想う心に勝るものがあろうか」と示している。


しかし、幼い子が、割れたままのハートを見て何と思うだろうか?


不気味に思うだろうか? 不思議に思うだろうか?…かわいそうだと思うだろうか?


そこは大人の判断を働かせて、心臓はバンソウコを貼ったかのように修復されていなければなるまい。


そう思った。


しかし。


本当にそれでいいのだろうか?


真のハッピーエンドに、体裁が必要だろうか?


人々を想えばこそ、張り裂けてしまった王様の心臓、それ自体が価値をなくすとすれば、それは読者に目くらましをかける行為だ。


傷ついたハートのままでは心が痛むが、むしろ痛まないほうが、わたくし的にはつらい結果となる。


いつまででも、胸をかきむしられる思いで、童話を、物語を書いてゆきたい。

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