第2話 チュートリアルでござる

「それで主殿は……んぐんぐ……この後……もむもむ……どうするで……」

「食べてからしゃべりなさい」


 家の向かいは茶屋だった。

 おなじみの緋毛氈のかかった縁台に二人並んで座り、紫髪の少女……いや、いつまでもこの呼び方ではいけないだろう。“服部忍三”はおいしそうに団子を食べている。主殿なんて呼び方をしているのにも関わらず、この敬意もへったくれもない様子、ああ、自覚してるとも。

 前世の俺にそっくりだ。

 ついでに言うなら、団子が好きなところも含めて。


「んぐ。ふう……ござるか?」

「もう一度最初から言いなおしなさい」


 ござるかってなんだよ。わかんねえよ。


「なあ、それよりまず、その拙者とかござるとかやめないか」

「? なぜでござるか? 拙者は生まれた時からこの口調でござるが」


 ああ、そういうところも忠実に作られてるのね。

 そう、俺も確かに以前はそう言った口調だったよ。だけどな、この第二の人生を二十年近くも過ごした今になったらすげえ恥ずかしいんだよ、それ。もはや黒歴史と呼んでもかまわないだろう。今から口調もどせとか言われても絶対無理。恥ずすぎ。


 だが、それはこのニンゾーにとっても同じか。突然口調を変えろと言われても困るよな。


「いや、いいや。忘れてくれ」

「おかしな主殿でござるな。はむ」


 はむはむはむと団子を再び食べ始める。おい、今後のことを話すんじゃなかったのかと突っ込みかけて、やめた。俺はニンゾーをじっと見る。

 その姿を見て抱くのはやはり、困惑の感情だった。

 ネットなどで見る、ニンゾーたそ萌え~とか、ニンゾーたそぺろぺろ~とかには単純に嫌悪感と気味の悪さを覚える。誰だって女体化した自分がそんな認識をされていたらそう思うだろう? 自然の感情だ。

 そしてそれを誘因する女体化した自分と言うのに対しても、ある種の嫌悪感……とも少し違うか。“引く”とでも言えばいいのか。なんだかそう言った感情を抱いていたのは否めない。


 しかし、しかしだ。

 こうして現実に別の人間として、前世の自分を女体化したキャラクターが現れたら、どうだ?

 対面して、会話して。

 もはや別人のような感覚。名前と趣味嗜好が同じ、むしろ気の合う女の子のような感じでとらえることもできてしまう。そんな存在が目の前に現れたとして。

 俺は困惑せざるを得なかった。


 ぜひともこの“服部忍三”にも尋ねたかった。お前は俺の前世をモデルとして生み出された存在だけど、自分のことを、俺のことをどう思う? と。

 家、俺の“ホーム”を出る前に確認したから知っているが、この世界の住人達は皆、自分達がゲームの中の登場人物であることを理解している。誰かに作られた存在であると、その性格までも設定されていると理解している。

 しかし。


『だからと言って、特に思うところはないでござるよ。拙者たちを創った神が思ったより近しい存在だったというだけのこと。そもそも拙者は神になんて感謝してないし、ただ今はいない両親に感謝し、仕える主殿のことを考えるだけでござる』


 ここだけは、俺とこの少女の異なるところだった。俺は当然だがゲームの中のキャラクターになんぞなったことがないし、そうだと自覚したこともない。これはこいつだからこそ考え、こいつだからこそ思うことだった。

 やはり、俺が本物の服部忍三だとして、そのことをどう思うなんて尋ねてもまた、こいつは同じように答えるんじゃないだろうか。

 拙者は拙者でござるよ、と。

 じゃあやはり俺が思うべきなのも同じことなのか。

 俺は俺だ、と。

 こいつは服部忍三という同じ名前をした、まったく別の女の子。いや、くノ一だ。


 俺はニンゾーを見た。

 ニンゾーはおいしそうに団子を食べながら、首を傾げる。


「むぐむぐ、それで主殿」

「食べてから話そうぜ」


 俺はそう言ってから、ひょいと、自分の分の団子を手に取るのだった。


「「うん、やっぱり団子はうまい」でござるな」


     *


「それで改めて、今後の予定でござるよ。主殿は何か考えているでござるか?」


 茶屋を後にして、とりあえず街の中を散策するかと並んで歩きながら、ニンゾーはそう尋ねた。ちなみに今更だが、現在のこいつの格好はタップ&ブレイバーズのイラストのようなあからさまな忍者服ではない。ごく普通の街娘のようなおとなしい柄の和服である。

 だがおそらく、こいつが前世の俺と同じ考え方ならば袖の内辺りに手裏剣でも仕込んでいるのではないだろか。


 まあそんなことはどうでもいい。


「今のところは一年半すごせと言われてるだけだしなあ。正直なところ、目だったことはせずに日銭だけ稼いで暮らすのも悪くはないだろう。老後のことも考えなくていいし。ただ……」

「ただ?」


 ここはタップ&ブレイバーズの世界だ。だとすると、当然起こりえる“イベント”が存在する。


「おそらく、この一年半の間に数度、強力なボスがやってくるだろう」

「ぼす、というと親玉でござるか」

「まあ、めちゃくちゃ強い敵だと思えばいい。どうせなら一度、そう言った奴等にもお目通り願いたいとは思わんかね?」


 俺はニンゾーにそう尋ねる。

 表情に乏しいこの少女だが、その時はわずかに笑っていた気がした。


「主殿とは気が合いそうでござるよ」

「そりゃよかった」


 ほぼ同一人物と言っても過言じゃないからな。それは当然だが。


「となるとこれからは修行でござるか?」

「それもあるし、仲間集めもしなくちゃならんだろうな。さすがに二人だけで倒せる相手じゃない。俺の知るゲームじゃ、五人で戦うのが定石だったしな」

「二人? 主殿も戦うでござるか? 一応、運営とやらからはこの世界の者だけで戦うようにと言われてるでござるが」

「破ったらなんか罰があったりするのか?」

「いや、多分ないでござるよ。というか、想定してないと言えるかもしれないでござる」


 そりゃそうか。

 ゲーム廃人に突然自分の体で戦えだなんて、無茶もいいところだろう。そばにはさまざまな時代で英雄と呼ばれた存在、戦いのプロがいるのだ。そちらに任せるのが自然というものである。


「なら当分はニンゾーに戦ってもらうか。無理そうなら俺も参加する感じで」

「あいわかったでござる」

「だけど一応、俺の分の武器も買いに行くか」


 俺はそう言ってひょいと細い路地へ飛び込んだ。俺の突然の行動にびっくりした顔でニンゾーが付いてくる。俺はくねくねと建物と建物の間を縫いながら、やっとのことで目的の場所についた。

 看板はついていない。

 一見してただのぼろ屋だ。

 だけど俺はそこのことをよく知っていた。俺はこんこんこんと三度戸をたたき、それから返事を待たずに横へずらした。中には一人の置いた小汚い男が寝転がっており、こちらを見るなりへらへらと笑う。


「なんだいなんだい、不作法だね兄ちゃん。人がのんびり休んでいたっていうのによ」

「鷹を落としたいんだ」


 俺がそう言うと、男は一度きょとんとした後、にんまりとさっきとはまた種類の違う笑みを浮かべた。


「……誰の紹介だい?」

「枯れ尾花」

「合格だ。ちっ、若いくせにホント、どこで聞いて来たんだか」


 小汚い男は舌打ちする割に妙にご機嫌で、寝転がっている姿勢から起き上がって胡坐をかいた。ニンゾーがくいくいと俺の袖を引く。


「よく合言葉を知っていたでござるな主殿」

「おやよくみりゃ忍三か。街娘みたいな格好してるからわからなんだよ。お前の紹介か?」

「いや、拙者は何も教えてはござらんよ。主殿が勝手に来たでござる」


 ふうん、とこれ以上聞くつもりはないのか、男は適当に頷くだけだった。


「それで、何が欲しいんだい」

「刀と……いや、今日は金がないし刀だけでいい」

「手裏剣はいらんと」

「投げ捨てだからな。高くつく」

「高くつくもんを買ってもらわにゃ、こちとら商売あがったりなんだがね」

「金が出来たら来るよ」


 そもそも今の俺の金は、ゲームマスター、運営などと呼ばれるおそらく杉山かその関係者であろうものから支給された初期手当しかない。さっそく団子に使ってしまったし、あまり無駄にもできない。

 男は今後ともご贔屓に、なんて口先だけで言いながらどこからか忍者刀を取り出した。特に目立つところもないが、逆に言えば仕事をこなすのに問題ないだけの質であるということだ。

 俺は頷いて金を渡した。


 俺がどうしてこの裏稼業御用達の武器屋を知っていたかと言うと、この街が俺が以前住んでいた街にそっくりだったからだ。“ホーム”こそ見覚えがなかったが、先程の茶屋も、それからの街並みにも見覚えがあった。そして裏路地にあるこの武器屋もまた。

 それにしても合言葉まで全く同じ。

 どうやってこの世界を作ったんだか。むしろゲームの世界じゃなくて、タイムスリップと言われた方が納得できる。

 ただやはりこの世界はゲームの世界なのだろう。金だけは、タップ&ブレイバーズのコインと全く同じデザインに挿げ替えられていた。

 男は毎度あり、とコインを受け取り懐へとしまう。


「そういえば、『柳』という刀を知らないか」


 俺は思い出したようにそう尋ねてみた。

 あれはたしか、俺が十六になるころにここで手に入れた刀だった。それ以来手入れを欠かさず、結局火にあぶられて命を落とすその時まで、俺の腰にささっていた刀だ。出来ることならまた、この世界でも共にしたい。

 だが俺の言葉に返事をしたのは男ではなかった。


「主殿と言えど、これは渡せんでござる!」

「は?」


 俺はニンゾーを見た。

 ニンゾーは自分の胸を抱くように両手を回して、よくみると服の中に忍ばせていた何かを隠しているようだった。

 ……え?


「お前いまいくつ?」

「? 十八でござるが……?」


 わお。

 てっきり十四か十五くらいだと思ってましたよ。


「ちっちゃいなあ……」

「軽い方が便利でござる」

「う」


 そういえば。

 俺も前世ではあまり体が大きい方ではなかった。筋肉のつきかたこそ前世の方がよかったが、単純に図体だけなら今の体の方がでかい。あの頃はその小さい体が、そう、今で言うところのコンプレックスだったっけ。

 懐かしい。


「そうか、『柳』はお前が持ってたのか。まあ、ならいいや」

「いいでござるか?」

「渡す気はないんだろ?」

「……これだけは譲れんでござる」

「なら大事にしてやってくれ」


 この世界の『柳』はこの世界の『忍三』が、ね。


 俺は男から買った、おそらく数打ちの忍者刀を懐に忍ばせて静かにぼろ屋を出た。見上げるとまだ太陽は昇り切ってもいない。この世界に来たのは思ったよりも早い時間だったらしい。


「うーん、じゃあとりあえず、ダンジョンにでも行くか」

「で、ござるな」


 俺達はそう言って、街の外を目指して足を進めるのだった。


     *


 街の中は俺の知る前世の街にそっくり、というか瓜二つだった。

 しかし、一歩その外へ出ると世界は全く違った。少し歩くごとに光る魔法陣の描かれた遺跡のようなものに出会う。その遺跡の壁やら床やらに書かれた文字を見る限り、これらはダンジョンへとつながっているようだった。となるとこの光る魔法陣はオンラインゲームなどでよく見る『ポータル』という奴なのではないだろうか。


 俺はある程度街から離れた場所まで行った後、進むごとにダンジョンの難易度があがっているのだと気づき引き返した。何も最初から高難度ダンジョンに行くことはないだろう。

 そして最初のポータルへと戻ってきたわけだ。

 もう本当に街から目と鼻の先。


「とりあえず、これがチュートリアルダンジョンと同じ名前なんだが」

「というかそのまま“ちゅーとりある”と書かれているでござるな」


 そう、風情もあったもんじゃない。

 まあ他に言いようもないし、このダンジョンだけは一度クリアしたら消えて再挑戦不可能だしな。あまり凝った名前にする必要も感じなかったのだろう。


 さて、そこにさっそく挑戦しようというのだが。 

 ……いざポータルに乗るとなると物怖じするな。


「何をしてるでござるか?」

「いや、転送ってどんなもんかなと」

「……もしかして怖いんでござるか?」

「怖かねえよ」

「怖いんでござるね」

「だから怖かねえって」


 すっ、とニンゾーが手を差し出した。


「しょうがない主殿でござるね。拙者が手をつないで入ってあげるでござるよ」

「いらん!」


 俺はその手を取ることなく、ポータルの上へと飛び乗った。どうだ、と振り返ってニンゾーの方を見ると、伸ばした手をにぎにぎと空気をつかむように開閉させている。そしてその小さな身体が次の瞬間には、目の前からなくなった。


「おっと」


 思ったよりも一瞬の出来事でそんな反応しかできなかった。

 ニンゾーがいなくなったのではなく、俺が移動したのだろう。周囲の景色はだだっ広い平坦な野原へと変わっていた。

 ああ、見たことがあると思えばこれ、ほんとにチュートリアルダンジョンの背景じゃないか。また懐かしい。

 と、のんびりしているとのっそりとそいつは現れた。


 ニンゾーではない。

 でっぷりとした体形に、ふわふわの羽毛。クチバシからはよだれが垂れ、ビヨ~とやや気持ちの悪い声を上げたのは、タップ&ブレイバーズの可愛くも憎たらしいヒヨコのマスコット、ピー太だ。

 このゲームがどうしてマスコットにしているキャラクターをチュートリアルでぼこぼこにさせるのか。それはネットでも一時期話題になったタップ&ブレイバーズの大きな謎の一つである。


「てか敵出てきちゃったじゃん。ニンゾー遅いな」


 ニンゾーはまだ転送されてこない。

 仕方がない、一人で戦ってみるか。俺は早速、ついさっき買ったばかりの忍者刀を抜いた。ギラリと冷たい光を返す刃先を見て、少しだけ前世を思いだす。大丈夫、体だけは鍛えてあるし、そこそこなら動けるだろう。


「ビヨ~」


 間抜けな声を挙げながら、ピー太が飛びかかってくる。


「あれ?」


 こいつ想像以上に遅いな。俺はかなり余裕をもって飛びかかってくるピー太をよける。するとずいぶん前に俺がいたところをピー太が素通りし、こちらを見失ったのかきょろきょろしていた。マスコットキャラクター弱すぎだろ。


「とりゃ」


 俺はためらいなく、背後から忍者刀を突き刺した。

 ずぶり、と刺さりはするものの血が噴き出ることはない。それが逆に俺には不可解だったが、ピー太はそのままはじけてきらきらと光の粒になった。それからコインが数枚、草原の上に転がる。


 おお、さすがにこういうところはゲームなのか。コインを拾い上げながら、俺はそんなことを考える。生物からコインが出るなんてまことに不可解だが、素材をはいで換金するなんて手法じゃなくて心底よかった。これならおかしなトラブルになることも、剥ぎ取りの手間で時間を取られることもない。

 非常によろしい。


「わっとと」


 そこでやっと、ニンゾーが現れた。やや体制を崩しつつ。何だあれ、勢いをつけて飛び込みでもしたのか?

 ……ははあん。


「手をつないであげるとかいいつつ、自分が怖かったんじゃないか?」

「怖かないでござるよ」

「俺が敵を一匹倒す時間の分、入ってくるのが遅れたみたいだけど?」

「だから怖かないでござるよ」


 ふん、と無表情のままニンゾーはさっさと草原を進んでいった。見ると確かに、そちらで新たなピー太がポップアップしている。今度は二匹同時だ。


 ちなみに、この後も三匹、四匹と同時に出る数が増えていき、最後にはキングピー太なんてバカでかいピー太が出てきたりしたが、ニンゾーは一人で問題なく屠っていた。さすがは一時代を築いたガチャ限定スーパーレアキャラクター。

 見れば見るほどほれぼれする華麗さだ、なんて。

 これも自画自賛に入るのかね。


 最後の敵を倒し終えると、わずかにコインなどの報酬を受け取る時間が設けられた後、元のポータルへと転送された。日はちょうど昇りきり、中天という頃合いか。

 ニンゾーはからかわれたことがまだ不服なのか、無表情ながらにわずかにむくれていた。

 ふむ。


「いやあ、さすがニンゾーだな。チュートリアルなんてあっという間だ」

「…………」

「それにしてもたったあれだけの敵でこんなにも稼げるものとはな」


 俺はコインが無限に入るというまたしてもゲーム的なコイン袋を持ち上げ、その残高を確認する。最初の金が一万コインで、刀に七千コイン使い、そしてチュートリアルダンジョンの報酬が三千コインだった。こりゃ十分の一でもかなりの額になるんじゃないか?

 まあただ、ゲームと違いこれで食事やらなんやらもしなくちゃならないが。

 俺はニンゾーの方を向く。


「ちょうど時間もいいし、団子を食べたところだが昼飯に行くか」

「…………」

「……今日はにしんそばでも食いに行くかね」

「!」


 わかりやすい。ほれほれ、好きなんだろ? にしんそば。俺だって大好きだからなあ、お前のことは手に取るようにわかるのだよ。そして今きっと、にしんそばを食べたい気分なんじゃないか? うん?


 俺が意地悪くじっと見続けていると、とうとう観念したらしくニンゾーはふっと息をついた。


「……主殿は本当に拙者と趣味が合うでござるな。そのすばらしい感性に免じて、さっきのことは不問にするでござるよ」


 最初にからかってきたのはお前だけどな、とは言わない。

 機嫌を直してくれたなら結構、結構。


「ほら、さっさと行こう。今日は俺のおごりだ」

「財布は一緒でござろう。それではおごりとは言わないでござるよ」

「細かいこたあいいんだよ」

「そうでござるな。にしんそば、早く食べに行くでござるよ」


 俺達はそばの香りを楽しみに、余裕の足取りで街へと帰るのであった。

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