依頼

 異様な街だ。

 中央通りに立派な構えの銀行と電信局がそびえ、ホテルや酒場が立ち並ぶ。

 雑貨屋や床屋に至るまで必要なものをひと揃え備えており、東部の都市群には及ばないがこの辺りでは随一の都市まちと言えるはずだ。

 しかし、この言いしれない辛気臭さは何だろう。

 目抜き通りから路地へと顔を覗かすと、瘴気に沈む住宅街が目に入る。

 何より気になるのは死体だ。

 おざなりに布をかけただけの、路肩に捨て置かれた死体。

 布から覗く四肢は枯れ枝のようにカサカサで、ミイラと何ら相違ない。そんなものを、道すがら三つも見かけた。

 こんな街は、普通ではない。


「ヨナ殿」

 保安官を名乗る男、ナサニエル・スウェルは細い指で一軒の酒場を指し示した。

「こちらです」

 彼に続き、少年はスイング扉を跳ねて酒場の中へと進む。


 ところが少年の背後を歩いていた黒衣の紳士は、扉の手前で夜闇に溶け込み消滅してしまった。

「ひっ……!?」「お、おい、いま、人間が……」

 その異様な光景を見た客が、声を引き攣らせ目を剥いている。

 使い魔は、取引の場に同席しない。

 それが魔女たちの常識だ。


 店内には酒の臭いが充満し、タバコの煙で白く霞んで見えるほどだった。酔いに任せた騒ぎ声と、がんがんと鳴るピアノの音が耳に刺さる。

 その騒音の中、保安官は静かな顔で振り返り、ヨナを見つめて囁いた。


「……居ますでしょう?」

「あぁ。確かに、居るな」


 居ると言うのか。魔女ふたりには、敢えて口に出す必要はない。

 保安官はくすりと笑った。

「私とて魔女。近くにあれば香りの濃さで感じます。だが私には、明確に「ここだ」というのは分からない。仮に分かっても“Knife”私の能力ではあれを無効化できません。だからヨナ殿に、お出で願ったのです」

 ヨナはしかめ面のままうなずいた。


 奥のカウンターへと二人は進む。

 そこに、いきなりぐい、とヨナの肩を引っ張り寄せる酔っぱらいがいた。

 探鉱師と思しきその酔っぱらいが、テーブルから身を乗り出してくだを巻く。

「おい、赤毛。ずいぶんチビだと思ったら、子供じゃねぇか。女みたいな顔しやがって。ガキが一丁前に酒か? お前なんかにゃミルク母乳で十分だ」

 同卓にいた他の男や酒場女も、追従笑いで盛り上がる。


 ヨナは怒らない。

 どういう訳かどの町の酒場でも、同じように絡まれて牛乳ミルクを勧められるからだ。

 たまには意外な台詞の一つも言われてみたいものだ。そう思いながら、ヨナは冷めた眼差しで猿どもを眺めていた。

 ところが、


「君たち。こちらは私の客人だ。粗相は遠慮願いたい」


 スウェルの存在に気づいた瞬間、酔っぱらいどもの赤ら顔が青く変わった。

「保安官!」

 「すみません」やら、「いらしていたとは気づきませんで」やら、何やら口の中で言いながら、居心地悪そうにテーブルを変えてしまった。

 ずいぶん怖がられているらしい。

 周りの連中も、スウェルが来たと気づいたとたんに顔色を変えた。だがあからさまに静まるのもまた彼に対して非礼に当たるらしく、やや遠慮がちに酒宴を続けている。


 いっぱいだったカウンターも、スウェルのために半分ほどが空白になった。

 空いた椅子に腰を下ろして、ヨナは嫌みな顔で言った。

「ずいぶん嫌われ者の保安官だな」

 保安官は涼しい顔で、バーテンダーに二人分のウィスキーを頼んだ。


「まさか魔女が……それも“Knife”の魔女が保安官とはな。“Knife”は切りたがりの殺人狂揃いで、とびきり面倒な連中だ」

 ウィスキーは、すぐにカウンターテーブルを滑って届いた。


「面倒さならば、“Book”の魔女貴方の血統も相当なものです。時限式の呪いは非常にタチが悪い。この町の者が今まさに苦しめられているのも、それですからね」

 保安官が、ウィスキーのグラスをヨナに差し出す。

 ヨナはそれを受け取りながら、ぶっきらぼうに答えた。

「オレは確かに"Book"の血筋だが、呪書は作らない。壊す専門だ」


「それは素晴らしい。連邦政府の推奨する、まさに“合法的な魔女”ですね。貴方も私も、時代に従う忠実な魔女ということになる」

 はは。と軽く笑いながら、保安官はグラスを傾けた。


 ――“魔女法”と呼ばれる連邦法が制定されたのは、今より十年前のことだ。

 数千人に一人の割合で大陸中に存在すると言われる異常能力者魔女を、法の管理下に置くための法規である。

 全十三の系統に分かれる魔女に対して、系統ごとに禁則事項を定めたのだ。

 “Book”は施呪呪書の作成を禁じられ、解呪呪書の破壊はむしろ奨励される。

 全系統に共通の原則事項はすなわち“不殺”。

 魔女にあらざる平常な人間(只人)を、殺すなという原則だ。


「……まぁ、魔女法なんて穴だらけの悪法ですがね」


 “糧”を喰わねば、魔女は死ぬ。

 “糧”は基本的に人間の肉体から取り出す必要があるため、の殺戮は容認されているのが現状だ。


 本音では魔女を根絶やしにしたいのだが、そうするだけの武力を持たない権力者どもが、体よく魔女を飼い殺そうというのである。

 世の中なんて、薄汚い物だらけだ。そんなこと、十三歳のヨナでも分かる。


 ヨナが酒を舌先で舐めるようにして飲んでいると、保安官が驚いた顔で凝視してきた。

「……何だ」

「貴方の呑み方が、とあまりに似ていたので」

 彼女。

「やはり親子だ。顔だけでなく、些細な所作まで貴方はファウラの生き写しですね」

 ――このスウェルという男は、どうやらあの女の知り合いだったらしい。

 ひどく不快な気分になって、ヨナはグラスを飲み干した。


 食事の皿を摘みながら、少年はしばらく沈黙していた。

 肉を切り分けもせず、右手のナイフで突き刺し丸ごと口に運ぶ。

 歯で食いちぎり、飲み下す。

 左手は決して使わない。

 その様子をスウェルが興味深そうに見つめていた。マナー知らずだとでも、思っているのだろうか。

 ヨナは、じろりと睨み返した。

「……オレは左手が不自由なんでな」


「存じております。とてもすばらしい呪書の香りだ」

 ――すばらしいだと?

 ヨナがテーブルの下で隠すようにしていた左手へと、保安官は熱い眼差しを注いでいる。……左手、正確には、左手に握られた一冊の呪書へと。


「もったいない……珊瑚蛇さんごへびの革篭手で呪書を覆ってしまうなんて。

 せっかくの香気が減衰しています。

 その呪書グリモアが、かの有名な“魔女ファウラの遺言書”なのでしょう?

 左手から離れないそうですね。

 母に呪われしその左手に、いかなる呪いが掛けられたものか――」


「オレは身の上話をするために、こんな呪い臭い町に呼びつけられたのか?」

 氷のように冷たい声でヨナが言うと、「これは失敬」と保安官は“遺言書”から目線を逸らした。


「……ちっ、それにしてもこの街の匂いは本当にひどい。呪臭に死臭が混じっているから、最悪だな」

 忌々しげに、ヨナは鼻梁にしわを寄せた。

「おい保安官。ここに来る途中だけでも、町中で野垂れ死にを三人も見たぞ。臭くてたまらないし、疫病の元だ。さっさと埋めちまえ」

「葬儀屋も同じ呪いで死にましたのでね」

 身寄りも金もない流れ者の亡骸には、誰も近寄りませんよ――と気安い口調で答えながら、保安官は薫製肉を口へ運んだ。

「……ふん、まるで他人事だな。保安官のクセに、あんたは土地に愛着がないと見える」


「とんでもない。私は誰よりこの地を愛しておりますよ。十四年間、一度も離れたことはありません」

 十四年。

 聞いた数字だ――頭の片隅でそう思いながら、ヨナは保安官の声を聞いていた。


「先住民を征して街が生まれたその日より、私は保安官の任を預かり続けています。地の利に恵まれ、街は栄えてゆきました。

 ……病の影が落ち始めたのは、九年前。ぽつりぽつりと、四肢の血液を枯らせて死ぬ病人が出始めました。貴方にはお分かりでしょう? 血病の呪書が芽吹き始めたのです。

 魔のことわりに生きる私は別ですが、無防備な只人ただびとにとって、この地の呪気は強すぎる。

 流れ者はいくらでも入って来るので、表向き街は栄えて見えますが……

 内情はひどいものです。定住者の三割は、血病に侵され死を待つ身なのだから。

 医者は逃げだし、準州政府も気味悪がって近寄りません」


 ヨナはため息混じりにこう言った。

「だから街を救うためにオレを呼んだ、と。?」


 保安官は首を傾げた。

「建前、ですか」

「人の死に胸を痛めてるようには見えねえぞ、あんたの顔」

 言われた瞬間、彼は丸眼鏡の奥の瞳をナイフのように輝かせた。


「九年も前に病が出始め、呪書のせいだと知っていたなら、さっさと始末すればいい。“Book”の魔女はオレだけじゃあない。……わざと放置して呪書を育てただろう」

 すぅ、と唇を引いて笑みを浮かべている。

 どうやら、図星だったらしい。

「ちっ、呪書中毒者か」

 魔女にはときおり、この手の輩がいる。

 呪書を野放しにして、呪書が放つ香気を溺愛する狂人だ。

「それは心外です。ただの呪書中毒者と一緒にしないで戴きたい。私が愛するのは、ファウラが編んだ呪書だけですよ」

 再びファウラの名を聞いて、少年の顔が大きく歪んだ。


「呪書殺しなど、建前です。

 本当はね、私はただ貴方に会いたかったのです、ヨナ殿。

 貴方を呼ぶためならば、血病の呪書の一つくらい、手放したって構わない」


 保安官は身を乗り出して、ヨナに耳打ちした。


「私はファウラに恋い焦がれておりました。

 ああ、あの若鹿のように美しくしなやかなファウラ。彼女の呪書は最高に美しい。

 情の深い女でしたから、先住民にでも請われて、血病の呪書を編んでやったのでしょう。おかげでこの地は彼女の香りに満ちている。

 私がこの町に停留する理由はただ一つ。彼女の残り香に常に抱かれていたいからです。

 保安官の肩書きは、“Knife”の魔女が定住するには非常に便利だ」


 恍惚の表情で続けている。

「ああ、ヨナ殿。貴方はファウラの生き写しだ……本当に、美しい」

 無意識のていで伸び出した手が、少年の頬に触れようとする――


「テメェそれ以上言うと撃ち殺すぞ」

 延びてきた手を叩き落とし、ヨナは冷たく吐き捨てた。


「本音だろうと建て前だろうと、解呪があんたの依頼のはずだ。オレは依頼をこなし、呪書の“エーテル”を喰う。それが報酬だ。文句ないな」

 貴方のお好きにどうぞ――という顔で、スウェルはこちらを見つめている。

 本当に気色悪い男だ。

「未練も残らないように、あの女の呪書を喰い殺してやる」

 ヨナは唐突に立ちあがった。

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