第9話 学園祭前夜

市川怜悧(いちかわれいり) 一言で現すなら猟奇的

市川千郷(いちかわちさと) 怜悧の義兄


僕、相川環(あいかわたまき)

  相川美月(あいかわみずき) 環の姉


藤堂薫(とうどうかおる)怜悧のマブダチ


倖田啓介(こうだけいすけ)僕の学校の一年先輩 弓道部部長兼生徒会副会長


岡崎めぐる クラス委員長 弓道部副部長 秀才

田所       副委員長

長渕 クラスの担任(あだ名はトンボ)


**************************

 


 「はイ、ホーム・ルーム始めまーす。男子、ちゃんと席に座って! 夏休みボケもそろそろいい加減にしてください」

 真っ黒に日焼けした岡崎がいかにも委員長らしい威厳と態度でクラスのお調子者男子数名を嗜める。

夏休み後半の弓道部の合宿で日焼けしたんだそう。なんだか痛々しい。

怜悧も参加したはずなんだけれど、全く日焼けの痕跡すら見えない。

 担任の体育会脳の長渕、あだ名はトンボが、興味なさそうに窓の外を眺めている。こいつの貧乏ゆすりがやたらに気になる。

「今日の議題は、我が校名物の文化祭の件です。クラスの出し物とか、実行委員とか、期日もあんまないのでさくさくっと決めて、ほらーちゃんと参加しろ男子! 先生、この野獣どもなんとかしてください!」


 長渕はゆっくりと立ち上がる。通称体育会脳のトンボだ。

「ほらー、お前たち。岡崎に迷惑かけるんじゃないぞ。あとーオバケ屋敷とか喫茶店とかは止めてくれよ。管理する俺が大変だからな、こうもっと簡単で手軽なものにすることー」

 言い終わるとまた窓の外に視線を向けた。こいつ全然やる気ない。

「というわけでーす。前夜祭は行灯行列ありますから、なに作るか出し物決めなきゃいけないし、有志も募りたいと思います。ちゃんと参加してください。いい加減、団体行動に慣れてください。もう子供じゃないんだから全員、分かったー?」


 まばらに拍手が起こった。怜悧を見た。興味なさそう……。ため息混じりに頬づえをついてる姿はなんとなくアンニュイでいつもの怜悧だった。


 岡崎の豪放磊落的手腕でクラスの出し物はさくさくっと「メイド・コスプレ・おでん屋」行灯行列は初代ガンダム上半身と決まった。


 怜悧はなぜか立候補もしないのにおでん屋のウエイトレスに有志として参加することを岡崎の半ば強制で祭り上げられてしまった。

 弓道部の上下関係らしい。それと、コスプレを提案した男子が怜悧のメイド服姿を強烈に推したのだった。

その提案にはほとんどの男子から歓声が上がった。

 怜悧が密かに男子に相当人気があるのを改めて思い知った。さすがうちの姉貴が驚嘆するほどの美少女だ。

 いや、僕だって見れるものなら見てみたい。なんたって美少女怜悧のメイド姿なんて、更に赤い縁の眼がね っ子アイテムまでついてる……これを一言で現すならまさに萌えだ!


 そして、更に更に、僕だけしか知らない究極のアイテム。怜悧の「猟奇的ヘンタイ趣味」まであるというまさに萌えの最上級であるところの究極の「蕩れ(とれ)化物語参照のこと」ではないか!?


 男子の拍手を浴び、その他五人のメイド有志と教壇に立った怜悧は満更でもなさそうだった。さっきまであんなに興味なかったくせに……。僕の脳内では当然、胸の大きい子は「みくる」髪の長い子を「鶴屋さん」と変換されていた。(みくる、鶴屋さんとも「涼宮ハルヒシリーズ参照のこと」)

 いつもは男子の視線なんかことさら無視してるくせに。


 普段、クラスでは近寄りがたいってか、近寄るなオーラを全身から発散させているから、この美少女に話しかけるやつはまずいない。

 僕もそんな怜悧だから根拠のない安心感があるわけで、だいたい僕が怜悧とこういう関係になってること事態が奇跡なのである。


 並んだメイド候補はさすがに普通以上に可愛いい子ばっかなんだけれど、やはり怜悧が抜きん出て目立つ。

うちの学校の紺のブレザーに、チェックにプリーツの入ったミニ・スカートっていう制服がこれほど似合う子は怜悧のほかにいない。それに今日は紺のニーハイだった。完璧だ。

 着くずしたレジメンタルのタイがまた決まってる。さすが渋谷で何回かスカウトを受けるだけのことはあるなと、僕はなんだか鼻が高かった。


もちろん、怜悧と僕の関係を知るものはクラスには同じ弓道部の岡崎くらいだろうけれども。

 その岡崎だってまっぱで抱きあった仲だなんてことは想像すらできないだろう。

怜悧も僕も関係が深まるにつれて学内ではほとんど口も聞かないからなのだが、それはどちらからともなく侵してはならない不文律になっていた。今ではね……。



 文化祭の前々日、行灯の最後の仕上げに僕ら有志は孤軍奮闘、時間もすでに八時を回っていた。

屋上でしばしの休憩を取っていると、端的に言うとまあさぼってるわけだが、岡崎に声をかけられた。

「相川君、こんなとこにいたんだ」

「あれ、委員長。見つかってしまったか……疲れたんで、休んでました」

「うん。別に咎めてるわけじゃないの、ちょっと相談」

「へえ? 僕に……?」

岡崎はなんだか言いにくそうにちょっともじもじしていたけれど、意を決したように切り出した。

「……あの、相川君と市川さんってね、どういう関係というか……市川さんと倖田先輩がどういう関係っていうか……」

「……なるほどね。僕のことなんかどうでもよくて怜悧じゃない、市川さんと倖田先輩の関係が気になるわけだ、岡崎は……」

 中学が同じクラスだったから岡崎とは割りとなんでも話せた。呼び捨てもその頃からで、引っ込み思案で、無口な僕を、虐めたいやつがクラスにいて、けっこうからかわれたりもしたんだけれど、岡崎は庇ってくれたりもした。

 「岡崎は倖田先輩のこと気になるわけだ……ってことは好きなんだ、先輩のこと……?」

「うーん。当たらずとも遠からずってとこかな……で、市川さんと倖田先輩ってどういう関係なの?」

 こうやって話をしていると、意識してはいなかったけれど、岡崎もけっこう美人だってのが分かった。屋上の暗がりを抜きにしても、怜悧とはまた違った美しさがある。

 普段、僕がいかに話してる人の顔を見てないのかが分かって苦笑。

 ――ギギギーイ……。

 屋上の油の切れた蝶番の音。鉄扉から光がこぼれた。


 「環……なにやってる? あら岡崎さんも一緒? お邪魔だった?」

 怜悧だった。それも黒のメイド服姿。黒白メイド服はもちろん定番であり永遠の萌えアイテムだ。断言してもいいぞ。

 「邪魔じゃない。邪魔じゃないよ」すぐ全否定する岡崎であった。

 「アキバのメイド服レンタル屋さんから届いたのでみんなで試着してたの。環に最初に見せてあげようと思 って……」

 僕は絶句した。うわあああ、あまりにも、その、似合いすぎってか、猫耳までくっついてるじゃんか!?

 完璧だ。

 怜悧それは余りにも破壊的すぎる。……萌え、いやいや、蕩れだな。

「市川さん! それちょっとヤバイ! 貴女、そんなのあの長渕に見せたらセクハラ対称、間違いないしよ」

 「あはは、岡崎それって笑えない冗談……あはは」僕はカラ笑いするしかなかった。だって、余りにも怜悧がその、魅力的だったからだ。体育会系脳の持ち主、長渕ならありえないこともない。

「これ、胸のとこきつすぎるな。わたしには」

 怜悧が回って見せる。その、あの、ちょっとスカート丈が短すぎないかな? 白のニーハイってちょっと扇情的すぎないか? そのエナメルの靴……オーバー・ニーは黒だよね、やっぱ……うう、舐めてみたい!? なんてね。


 岡崎が怜悧を見て拍手。怜悧も満更でもなさそう。

「そうだ、岡崎さ。さっきの質問。怜悧に直接してみたら? 本人がいるんだし」

「えっ? なんのこと環……」

 怜悧に環と呼び捨てにされるのがなんだか心地よかった。怜悧も岡崎の前では僕たちの特別な? 関係を隠す様子はない。

 岡崎も僕たちの関係がただの友だちじゃないってことはもう気付いただろう。まさか僕があんな奴隷みたいな扱いを受けているとは夢にも思うまいが……。

 「岡崎は、怜悧と先輩がどういう関係なのか知りたいんだって」

 僕は試してみたかった。怜悧が僕との関係や倖田先輩との関係をどう岡崎に説明するのか聞いてみたかった。

 「なに、それ? なんのこと?」怜悧が怪訝そうな顔で僕を見、そして岡崎を見る。

「岡崎がなにかプライベートなことで聞きたいことあるらしいよ。怜悧に直接ね」

「ち、ちよっと相川君、ま、待ってよ……」心細そうな岡崎の声。確かに怜悧は人を怯えさせる、緊張させる何かがある。岡崎でも苦手はいるんだな。


 僕は二人を残して教室に戻った。縦ニメートル、横三メートル四方のしょぼいガンダムの提灯はあらかた出来ていて、実行委員のやつらにどこ言ってたんだみたいな顔されたけれど、とりあえず蝋燭を仕込んで点燈式までやっていた。

 教室の電気が消された。かなりブサイクなガンダムが浮き上がった。まばらな拍手。今残っているのはクラス四十人のうちの半分くらい。

 男子が多いのは怜悧目当てかもしれない。今日、メイドのお披露目だったのはみんな知っている。


 「えー注目!」いつもは岡崎の影に隠れて存在感のない副委員長の田所たどころが教壇に立った。

手作りのスポット・ライトが当たる。こんなものいつ用意したんだ!?


 「では、1Aの諸君に今文化祭最大の特典をば」なんだか仰々しく前宣伝してる。こいつにこんな才能があるなんて……。


 「問おう……あなたが、わたしのご主人様か。 メイドよ! 来たれ!」


 怜悧を先頭にメイド・コスを纏った六人が教壇に上がった。

「ええと、一つ残念なお知らせってか、こっちのほうが実は見たかったってか、一人こんな服着れないとしり込みしちゃって、代わりに……」


 なんと、最後に現れたのは我らが委員長、岡崎めぐるだった。おおお東方、十六夜咲夜いざよいさくや

 の再来か!? 岡崎ってこんなに可愛かったの? メイド・カチューシャが似合いすぎる! 


 もじもじしてる委員長の手を取ったのは黒白メイドそのもって感じの怜悧。胸の辺りが窮屈そう。破壊的なニーハイにエナメルの靴が闇夜に光る。


 しっかりと握った指を絡ませて岡崎を中央に誘導する。ネコ耳怜悧と咲夜岡崎二人にスポットライトが当たった。

 三次元の凄さを思い知る。なんていうか、その、怜悧と岡崎のメイド姿は感動的ですらある。

 その場にいた全員が固唾をのむ。

 一瞬の静寂のあと、男子から一斉に指笛と拍手の嵐。暗がりでも岡崎の顔が真っ赤に火照ってるのが分かる。

 男子生徒の写メの嵐が巻き起こる。手を繋いだ怜悧と岡崎に集中する。

岡崎はもう地に足がついてない感じで、ふわふわ漂ってる。怜悧は写メにポーズを決める。これは萌えだ、それ以外にない! なんだこの怜悧の余裕は!


 学園祭の準備が整い電気の消された教室。もうすでに時間は九時を回っていた。珍しく先に帰ってと言われたけれど、なんだか気になって教室を覗く。


 メイド・コスのままの怜悧と岡崎が真っ暗な教室に残っていた。薄い白布のカーテンの中、満月の灯りだけが二人を照らす。

 死んだ月の灯りに照らし出された二人……美しすぎて声も出ない。


 「さっきは屋上でいきなりでびっくりしたでしょ?」

「いいえ、岡崎さんがわたしに関心ってか興味を持ってるってことは薄々気付いていたわ」

「……市川さんなら、分かってくれるかなと思って、いつ頃からかな、男子に興味がない自分知ったのは……」

 僕は、息が出来なかった。なんだよ、これ? 岡崎って……!?


「だからね、人前では極力いい子で通したわ。そんなこと知られたら生きていけない、わたし。でも、苦しくて、苦しくてね、そういう感情を隠すのが時々たまらなく苦痛になるの……リスカに走ったこともあるわ。腕ならバレちゃうでしょ。だから、腿のとことかにね、掻き毟っちゃうの……カッターで刃を当てると、なんかこうすーっとするの。血が流れるとね、普通なんだって、わたしも普通だって……思いたい。こんな出来損ないだと思いたくない……外見は女なのにね、小さいけれどオッパイだって、ほらあるでしょ? なのに男が好きになれないの。むしろ嫌悪しかない。興味がないの! 湧かないの!」


 押し殺した泣き声……岡崎が怜悧の胸に縋って泣いていた。抱きしめる怜悧。

「もういい、めぐる……楽になって、貴女はなにも自分を責めることなんてないのよ! 女が女を好きでなにが悪いの、わたしも、貴女が好きよ……」


 泣きじゃくる岡崎の顎を怜悧の人さし指が捉えた。満月の死んだ灯りが二人を妖しく照らし出す。

 「苦しかったの……とっても苦しかった」

 怜悧の舌がゆっくりと岡崎の涙を掠める。二人の唇が近づいてゆく。

 「ああぁ……」

 一瞬漏れた岡崎の吐息はそれまでの呪縛から逃れた開放感だったんだろうか?

 満月の灯りに唇を重ねた二人の影がフローリングの床に溶ける。


 息を飲むほど美しいその光景を僕はただ見つめ続けた。

 岡崎の身体が弾かれたようにすくむ。

 「……怜悧ちゃん、怜悧ちゃん。さわられるとわたし、どうにかなっちゃいそう……大好き……」

 「黙ってめぐる……身体はね、身体はウソつかないのよ……」

 メイド服の二人の脚が絡めあう。唇が重なる……怜悧の抱きしめた腕に力がこもる。

 岡崎は怜悧に身体を預けた。


「……あのね環。知ってる? 月の光って一度死んでるのよ。太陽の光を浴びて輝いてるだけだもの。生命はその太陽の光を全身に浴びて死ぬ速度を速めてるのよ……だから人間は、月に反射した死んだ光を体中に浴びて、少しだけ生きるのを止めてね。月灯りの中でだけ、生命の呪縛から逃れることができるのよ……」


 僕はいつかの怜悧の言葉を反芻していた。


 生命の呪縛から解き放たれた二人を月明かりだけが照らし続けた。

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