第4話 どしゃぶりの夕立の中で僕たちは確かめる……
夏期講習一日目。怜悧が出るっていうんで結局僕も金魚のフンみたいにくっついてきたわけで。
で、夏期講習は私服が許されてるわけで、なにげない白のポロシャツとデニムの定番が、スタイルのいい怜悧にはとても似合ってて、
僕は一緒にいるとなんとなく浮ついた気分になる。
「そのアバクロのポロ、とっても似合うよ」
「そう? 兄貴のプレゼントよ」
「帰りスタバでも寄ってく?」
「どっちでも……」
「暑いね」
「うん、真夏日になるってアメダス」
機嫌いいのか、悪いのか……会話が投げやりな感じ。
「こう、ロンギヌスの槍でも投げてみようか、ゲイボルグでもいいけどさ。槍投げ……会話が投げやり、なんてね」
「なにそれ……あんたほんとにバカね。そんなギャグわたしにしか通じないじゃない」
通じたんだ、あはは。暑い、とにかく暑い。怜悧は元気、勝手にスタスタ歩いていく。
「あなたね、他に言うことないの? 気付かない?」
「えっ? なにを……」
「髪型変えたの! それとファンデも変えたし、アイプチしてみたの! 毎日、会ってるのにそんなことも気付かないの!」
「えっ! ああ、ほんとだ。少し切ったんだ、なんだかね、目がすごくね、その、すごく……」
「なによ、そのとってつけたような、しどろもどろな返事! レトリバー並みの鈍感さね! いい、環はわたしだけを見てて、わたしだけよ。じゃないと許さないから」
以後スタバに寄って席に着くまで一言の会話もなかった。
「機嫌直してよ」あずきのフラペチーノはことのほか甘い。
無言……怜悧は抹茶のフラペチーノ、黙って飲んでる怜悧は数倍かわいい。そう思う。
「先輩とはその後どう?」
「どうって? 見た通りよ。気になる? キスしたよ、それだけ……」
「嫉妬したって言ってほしいの? もてるんだね、とか」
ストローを咥えたまま睨みつける。相変わらず混雑する店内。空調もままならない、この混雑じゃ無理もない。
「……環は分かってない。全然分かってない」
「分からないよ、なんで怜悧があんなこと平気でできるのか。全然わかんない……」
「あなたのためにしてるのよ。全部あなたのためなんだわ……」
今日は僕のことを犬と呼ばない。
「そんな死んだような目をして、毎日、毎日、わたしのいいなりで……従属するってそんなにいい!? わたしのことが好きなら、ちゃんと嫉妬して、倖田先輩なんかに絶対渡さないとか、力ずくでも奪ってみせるとか、男ならそういう気概を見せなさいってことよ」
「……嫉妬するさ、犬だって嫉妬くらいする。でもその嫉妬だって、どんなに怜悧のことが好きかってことの確認にしか過ぎないんだ。怜悧が他の子とキスするの見て勃起しちゃうくらい好きなんだから、頭がおかしくなっちゃうくらい好きなんだから……」
回りの客の何人かが僕らを見て含み笑いしてる。怜悧がものすごい形相でその何人かを一瞥する。
「このままだとわたし環を捨てて倖田さんとなるようになっちゃうかも……いいの、それでも?」
「捨てられないくせに……犬の僕が好きなくせに……」
「なに開き直ってるの? なによその自信……」
「別に……自信なんかないさ、全然」
「なぜ倖田さんが環のとこに来た時に言わなかったの? 怜悧は僕のものですって、なぜ断らなかったの」
犬の僕にはそんなことできないよ。怜悧だってそんなこと望んでもいないくせに……僕に充てつけて、嫉妬に狂わせて……残酷だよね、時々怜悧って、僕の気持ちを弄びたいだけなんだ、いつも……。
僕らはね怜悧、同じ穴のムジナ。ずっと昔に神様の手違いで別々になったジグソーのピースみたいなものなんだから、絶対に離れられないよ。少なくとも僕はそう信じてるんだ……。
僕のジーンズの股の間に紺のソックスが蠢く。
「な、なに……するの?」
驚いて怜悧を見る。意地悪そうな笑みを浮かべて挑むように怜悧が見つめる。
「犬なんでしょ。黙って耐えなさいよ……」
テーブルの下から怜悧の脚が伸びてて、ナイキが片方転がっていた。怜悧の履いてたナイキ。
「回りに気付かれちゃう……止めて、お願いだから」
怜悧は止めない。僕の股間に起用に脚を伸ばし、弄る。
「なんで?なんでこんなことするの?」
「いってもいいわよ……許したげるから、なんなら舐めてもいいのよ」
怜悧はそう言いながら更に動きを早める。
「……止めてよ……止めてったら!」
大声で席を立った僕に店内の視線が集中した。
「出てくの?言うこと聞けないなら終わりよ。ここで終わり……」
怜悧を残して僕は出口に走った。恥ずかしさとか、悔しさとか、悲しみ、痛み、愛しさ、怜悧への感情が吹き出していた。
舗道に黒いシミがいくつもできた。それが一気に真っ黒に変わる。
ずぶぬれになるのも構わず歩き続けた。怜悧は許してくれないだろうな……そう思った。
犬の役割を捨てたら僕にはなんの価値もないんだから……。
「待ちなさいよ!」怜悧だった。
ずぶぬれの怜悧……まさか怜悧が追ってくるなんて……。
手をつかんで僕を狭い路地の間に連れ込む。
「夕立よ。すぐ止むわ……ここなら雨宿りできるから」
「……追っかけてきれくれるなんて思ってなかったよ。許してくれないと思ってた」
「びしょ濡れじゃない。頭出して、もう、風邪でも引いたらどうするの……」
怜悧が言った。指で僕の髪をくしゃくしゃにし、妙に優しく拭いてゆく。下着までずぶぬれなんだもの、ハンカチくらいじゃどうしようもないよ、と僕は思う。
僕の濡れた髪に顔を埋めて怜悧が言う。
「今度だけよ、今度だけ許してあげる。二度目はない。二度目は絶対ないから……じっとしてて、このまま、じっとしてて……」
怜悧の胸に埋まっていた。鼻を肌に張り付いたポロシャツになすりつけた。
怜悧は一瞬、擽ったそうに身をよじったけれど、黙って僕のされるがままにしてた。
雨の匂い、怜悧の匂い、街角のすえた匂い、車の排気ガスの匂い、色んな匂いが一度に襲ってきてむせた。
「雨が好き……雨にはきっと再生の神様が宿ってて、なにもかも洗い流して……なんでも許しちゃうって、雨上がりの街は、新しい世界みたいに思えるの……」
雨は更に勢いを増す。心の中でずっと止まなきゃいいのにって祈ってた。
雨が止まなきゃこのまま怜悧を独占できるのに、僕だけのものにできるのに。
あんなことする怜悧もこんなに優しい怜悧も好き。好きで好きでしょうがないくらい好きなんだって、怜悧も僕くらい好きでいてくれたらいいのに。
通り過ぎる人の波、傘の花が行き交う街の片隅でずぶぬれの僕らは確かめ合ってたのかもしれない。
心の鼓動を、肌の温もりを、残酷さを、優しさを、愛しさも、恋しさも、スコールみたいな感情の渦が怜悧と僕に襲いかかって……僕らは離れ離れだったジグソーのピース。お互いに欠けたピースを捜してる。
でもジグソーなんか完成しなくたっていいんだ。
この世界に怜悧と僕だけ、それだけでいい。
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