第3話 怜悧を中心に世界は回る……

『……なにしてる?』

『電話してる、怜悧と……』

『つまんないギャグね、それ』

『怜悧のこと考えてた。怜悧のことばっかり考えてた。こう言えばよかった?』

 受話器の向こうで笑い声。今日は機嫌がいいみたい。まあ、機嫌がよくなきゃTELなんかしてこない。

『わたしのこと考えながら、まさか、してないでしょうね……』

『していいの?、したいけど……』

『バカ! ヘンタイ! そんなことしたら絶交よ。絶対に掛け値なしに絶交!』

『分かった、しない。犬だからね……飼い主には絶対服従』

『環は素直でいい子だわ。頭撫でてあげる』

『撫でられるより、舐めるほうがいいな。怜悧の足……』

 押し殺した吐息が受話器の向こうから微かに聞こえた。

『怜悧も変なこと、して……ないよね……?』

『どう思う? してたら嫌? 軽蔑する?』

『さあ? わかんないよ、犬だもん』

『朝からずっとしてたりするの。ずっと触ってたりするの。頭ぼーっとしちゃって、ベッドから這い出せなくなって、学校サボってね。一日中ね、そればっかり考えちゃうの……生理の前は特にかな……』

『怜悧のほうが筋金入りのヘンタイだね』

『あのね、一つ教えてあげる。生殖行為を伴わないセックスは全てね、全てよ、ヘンタイ的な行為なのよ。フロイトも言ってるわ』

『わかんないよ、そんな難しいこと言われても……だって、犬だもん』

『それからね、ゴダールはね。資本主義の社会において全ての仕事は売春であるとか言ってるし……』

『……だからぁ、わかんないよ。怜悧ほど頭よくないし、そんなこと言われてもわかんない』

『いいの、わかんなくて。犬相手に喋ってると落ち着くの。だから聞いてて、適当に相槌うってくれてるだけでいいから……』


  ラブホの一件以来、怜悧が優しくなったような気がするのは僕の思い違いなんだろうか?

 もうすぐ夏休みだ。その前に前期試験があるけれど。憂鬱だ、ハルヒの憂鬱より憂鬱だ。

 夏期講習とか行くのかな怜悧? いつもはダラダラ過ごしていたけれど、もう高校生なんだし、今年はなにか違う気がする。怜悧のせいかな、そう思うのは?

 今までは毎日、学校で会えたからいいけれど、夏休み中、僕は怜悧に会えるんだろうか?

 わがままで気まぐれだから僕からTELしても会ってくれたことなど一度もない。 

 僕は一分でも一秒でも一緒にいたいのに怜悧はそうじゃないらしいし、なんだか秘密がいっぱいありそうでそれだけが気懸かりだ……。


 昼休み、二年生の倖田啓介(こうだけいすけ)から呼び出しを受けた。

「相川君、倖田先輩が廊下で待ってるって」

 クラス委員長の岡崎が僕にそう言った。

「誰それ? 知らない」

「わたしと同じ弓道部の先輩。部長よ、生徒会の副会長も兼務してる。この学校じゃけっこう有名人なの」

ちらっと怜悧を見た。腕を枕がわりにして熟睡中みたい。


 教室を出ると、以前校門のところで待ってる時に怜悧に話しかけてた長身のイケメン顔が立っていた。

「君が相川君? 相川環君?」

「はい、そうですが、なにか……」

「ふーん、君がか……いや、ごめんね。予想とだいぶ違ってたからさ」

値踏みするみたいに僕を上から下まで眺めた。嫌なやつ、そう決めた。

「あのー用件は……」

「うん、怜悧がさ。君に聞いてって言うもんだからさ……」

 怜悧? ずいぶん仲いいみたいですね先輩。むかつくなぁ。

「何をですか? 怜悧がなにを僕に?」

 負けじと僕も呼び捨てを強調。教室を覗くと怜悧がこっちに顔を向けてた。薄目を開けて見てる。狸寝入りだ、間違いない。


「怜悧がさ、付き合っていいかどうか君に聞いてくれって言うもんだからさ、で、どういう関係なの君たち?」

 もう一度怜悧を見た。にやけてる……また怜悧の罠にはまりそうだ。

「べ、別に……家が同じ方向だから、たまに一緒に帰るくらいで……特別には、その、関係あるようなないような……」

「そうか……僕は怜悧と付き合いたいと思って、まあ怜悧には特別な好意を持ってて、付き合おうかって言ったら君に聞けって言うものだから、許可をもらえだとかどうだとか、変わってるからね怜悧。まあ、そこが惹かれるところではあるんだけれど……そうか、別に特別な関係はないと理解していいんだね」


 まくし立てられた。さすが生徒会副会長、弁が立つ。

「それなら例えば君がもうすでに恋人みたいな関係だったりすると、君と張り合って怜悧をとっちゃうみたいなことになっちゃまずいかなとか思ったりしてさ。そんな大した関係じゃないってことでいいんだね。じゃあなんで付き合う許可を君にもらえとか言うんだろ怜悧」

「わがままで気まぐれでどうしようもないくらい適当なやつですからね、まあそんなとこじゃないでしょうか」

「へぇ、関係ないわりにはずいぶん率直に批判するんだね君は」

「いえ、そういうわけじゃ……とにかく僕には関係ありません。付き合うなりなんなり好きにしてください」


 席に戻る。怜悧を見る。怜悧は例の意地悪そうな笑いで僕に答えた。

 昼休みの終了を告げるベルが鳴った。


 放課後、手を取られ体育館の用具室に引っ張り込まれた。怜悧がこんなことすると、ろくなことがない。

 道衣にはかまの怜悧、髪はポニーテール……すごく似合ってる。制服姿とは違ってなんだか艶やかだ。

「……なんでこんなとこに、なぜ先輩にあんなこと言ったの? なんで僕を巻き込むの?」

「じろじろ見ないでよ。いいから犬は黙って! ここにいるのよ、いいと言うまで絶対ここにいるの!」


 用具室の窓から弓道場が見える。怜悧が先輩に連れられてまとがある壁の裏手にやってくる。

 弓を引く動作をする怜悧。背中から怜悧の腕を取る先輩……あいつだった、倖田啓介……僕の恋敵になるかもしれないやなやつ。堂々と交際宣言なんかしたやなやつ。

 はたから見れば弓構えを指導してるようにしか見えない……背中越しに倖田が怜悧の首筋に唇を押し付けた……少し驚いた様子の怜悧、一瞬身体がびくっと反応する。


 倖田の唇が近づく……顔を背ける怜悧……更に強引に唇をせがむ倖田。

怜悧がその唇を受け入れる……恥ずかしそうに俯く怜悧。僕が見てるのを確かめるような上目遣い。心臓がバクバクする……嫉妬でおかしくなりそう。

これを見せたいためにここにいろと言ったのか……倖田がそうすると分かってたんだね怜悧。

 ちょっかい出すようにしむけたんでしょ怜悧が……。

 まるで恋人同士みたいじゃんか、僕よりずっとお似合いだし。

 僕にこれを見せてどうするの怜悧……嫉妬心を掻き立てたいの? 好きで好きでしょうがないのにこれ以上なにを望むの? 僕は犬だよ……怜悧が他の男とキスするのを見ても、なんていうか、その、嫌じゃなかった。

 嫉妬してる。当たり前だ。大好きな女の子が眼前で他の男とキスしてるんだもの。

 でも、全く違う感情がわき上がってきたりした。混乱してる、混乱してる。

 勃起しちゃったよ、怜悧が他の男とキスしてるってのに……ヘンタイだ。怜悧とおんなじ、君は分かってたんでしょ、はじめっから……同類だって分かってたんだよね? 

 フツーの愛なんていらない。

 怜悧と僕が欲しいものはきっとフツーなんかじゃ得られないもの……。

 怜悧と僕の間になにがこようと僕は信頼してる。

 僕は君が大好きだから。

 だって僕は君の飼い犬なんだから、君がいなきゃ死んじゃうんだ。

 こんな究極の関係ってある? 大好きな子が世話をしてくれなきゃ死んじゃうんだよ!


 僕は怜悧、僕の前でなにをしても許せる……そんな気がしたよ。そうなんだよね、君は僕に全てをさらけ出 してるんだね。犬の僕の前で、秘密なんかあるはずないもの。

 僕たちの間にあるのは飼い主とその愛犬、最高に単純で純粋な世界だ。

 怜悧、君の全てが知りたい……隠し事はなしだ。隠し事しなければなにしたっていい。

 痛めつけられたって平気。だって大好きなんだもの……。

 君が他の男とキスしてるのを見せ付けられて、どんなに君のこと好きか、大好きかよくわかったよ。

 怜悧、君が仕掛けた罠は、僕を追い詰める。いったいどこにいっちゃうのか僕にも分からない。

 男と女って最初は一つだったんだって、それが神様の手違いで二つに分かれた。

 だからね、男と女は一生その失った片方を捜しつづけるんだって。

 だからね、探し続けていたジグソーの欠片みたいに僕たちはぴったりだと思わないかい?


 僕はここで辛抱強く待ってる。

 お預けを喰らってる犬みたいに、君を待ってる。

 優しい言葉も残酷な仕打ちも全て……怜悧がそれを望むならなんだって許せるんだ。


 君のいない世界は、僕のいない世界なんだもの。

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