弐十四

 翌る日は静かな一日であった。箕輪の軍が宮京から退きあげていったが、それも静々としたものであった。不穏な静寂が辺りを支配している一日であった。その次の日も。またその次の日も。薄気味の悪い静けさの中に夜が明け、そして暮れていった。

 そして新たな鬼へびが現れてから四日目の朝。夜が白み薄明かりが差してきた中に、江連雄足は軍を従えて馬上に剣を構えていた。

「今日よりは、宮は我ら江連のものぞっ!雷電の力を操り鬼へびを倒したという若造は居りはせぬ。怖れるものはない。一気に攻めかかり、伴部を宮から追い出すのだ。行けーっ!!」

「おおぉ!!」

 江連の軍が宮に攻め上ってきた。全軍をあげての総がかりである。

「来るぞーっ!江連が攻めかかってくるーっ!!」櫓の上から物見が叫ぶ。宮の内の厳蔵と伴部の者たちは戦支度が調っている。鬼へびが現れてからは、いつ攻めかかられてもいいようにと仕度を調えてあったのだ。

「弓構えっ!矢をつがえよっ!」櫓に昇った多宜留が指示を出す。

「行けーっ!攻め落とせーっ!」江連軍の後方から雄足が声を張り上げる。

「放てーっ!」

 伴部と厳蔵の連合軍が一斉に矢を放つ。駆け上がってくる江連軍の兵たちが次々に倒れる。江連の兵たちは矢を放てない。岡の上に宮に向かって矢を放っても、矢が届かないのだ。

「怯むなーっ!駆け上がれーっ!攻め込めーっ!!」雄足が檄を飛ばす。

 矢に射られ倒れた同胞を乗り越えて、江連の兵たちが駆け上がってくる。先陣はもう宮のすぐ近くまで迫ってきた。

「迎え討てーっ!」連合軍の兵たちも、弓を投げ捨て鑓や剣を構えた。両軍が入り乱れての白兵戦となる。連合軍は箕輪との戦いや鬼へびの襲撃により、兵を少なからず失っていた。江連の軍を押し返すことができず、互角の戦いとなった。

「和智と大衛も軍を出してきたぞーっ!」多宜留が大声で戦大将たちに告げる。

 江連の進攻を見て両豪族とも遅れてはならじと攻めかかってきたのだ。江連軍の両翼から和智と大衛の軍が、矢雨に邪魔されることなく宮に攻め上がってくる。戦線の左右が押し込まれ、連合軍は旗色が悪い。

「鏑木も軍を押し出してきましたーっ!!」南東の物見櫓から声が上がる。

「くっ…。いちどきに攻めかかられては……」

 鏑木軍との戦いも鑓・剣を交えての戦いとなった。鏑木の正面に対峙していた伴部の軍は、元もと手薄になってしまっていた上に、江連軍との戦線に兵を動かしたあとであり、鏑木軍は優勢に戦を進めていく。このままでは対鏑木の戦線が破られ、連合軍は壊滅してしまう。

「おおおーっ!」南東から歓声があがる。櫓の上で多宜留も宿禰も、ついに鏑木に破られたかと思った。

「久家が動きましたっ!鏑木に横から攻めかかっていますっ!」南東の櫓から大声で報せてきた。

「おおー!」多宜留も歓声を上げた。

「おおー、可尾留殿。ありがたい……」宿禰も喜びの言葉を口に出した。

 久家の軍は鏑木軍の脇を突き、鏑木は総崩れとなった。さらに可尾留は軍の半分で大衛軍の左脇も突き、大衛も崩れた。伴部と厳蔵の連合軍は江連と和智の軍を押し返す。

「退けーっ!退けーっ!!」和智長峯が叫ぶ。

 残すは江連の軍だけだ。

「くそっ!あともう一息というところで。久家可尾留め。邪魔をしおって……。退けーっ!退け退けーっ!!」


「昨日はありがとうございました。」正殿の中で宿禰は、久家可尾留に礼を言った。

「誠に。可尾留殿の助けがなければ、宮を雄足に奪われているとこでした。」

 朝の光が眩しく涼やかであった。

「いやいや。お二人とも頭を上げてくだされ。雄足や玖麻のような輩には、宮は渡せませぬからな。」

「本当に助かりました。」

「ところで宿禰殿。武雲様は、宮には居ないのですね。」

「はい。その通りです。騙すことになってしまい、申し訳ない。」

「いえ、あの二人のような輩も居るのですから、致し方ありますまい。で、今はどちらに?」

「今は鹿渡という、育った村におります。」

「何故その村に?」

「それはですな………」


「そうですか。それは武雲様もおつらいでしょうな。」宿禰から一部始終を聞いた可尾留が言った。「それで武雲様が戻られる日まで宮を守り続けようとしているのですね。」

「はい。そうなのです。」多宜留が答えた。

「しかしこれで、どの豪族もすぐには宮に攻めかかっては来ないでしょう。」

「可尾留殿。儂を信じてくれ。儂を信じて我らに手を貸してくだされ。」

「わかりました宿禰殿。前にも申しましたとおり、我ら久家は、この目で見てはおりませんので、武雲様を大王とすることを今ここで認めることはできませぬ。できませぬが、その武雲様が宮に戻る日まで、武雲様に会い、その人となりを吟味させていただく日まで、ともに宮を守ることには手をお貸しします。」

「かたじけない、可尾留殿。ありがとうございます。」

「宿禰殿、頭を上げてくだされ。私は宿禰殿に頭を下げていただけるほどの者ではございません。」

「鬼へびだーっ!鬼へびが出たーっ!」突然、物見の大声が響いた。

 鷹勢は正殿から前庭に走り出た。

「どちらからだ!どちらから来る!」

「南西からっ!南西からですっ!」

 鷹勢は崩れ落ちている西の壁へと走り、岡の下を見やった。箕輪が残していった陣跡の真横を、鬼へびが宮に向かって登ってくる。

「軍を調えますか。」斑が多宜留に訊いた。

「いや。」それに宿禰が答えた。「どれほど攻め立てたところで、鬼へびを倒すことはおろか、追い返すこともできぬ。」

「ではどうしますか。」多宜留が宿禰に訊いた。

「鬼へびの狙いはこの宮であるようだ。宮近くで鬼へびを避けながらやり過ごし、鬼へびが消えたらまたすぐに、ほかの豪族どもに先んじられぬよう宮に戻ってこよう。まあこれだけの軍勢を見れば、我らに先んじて宮を乗っ取ろうとは思うまい。もっとも、その時には宮はもうすべて打ち壊されているだろうがの。多宜留殿、野陣の仕度も調っているのであろう?」

「はい。調えてきてあります。」

「では、鬼へびが宮を存分に打ち壊したあとで、この場に戻って野陣を張ることとしよう。宮は打ち壊されたとしても、この場をほかの豪族に渡すわけにはいかぬ。」

「わかりました。」

「ならばわたしは、自陣に戻って、息を潜めていることにします。」可尾留は落ち着いた様子で言った。「武雲様が戻ってきてくれるといいですな。」

「うむ。鷹勢。もう一度鹿渡まで行ってくれ。新たな鬼へびが出たことを武雲に報せるのじゃ。」

「承知しました。」

 宿禰一人を残して、五人は足早に正殿から出て行った。


 ごん…がごん…ががん…どどん。

 静寂を破って音が響いた。楠岡の頂に張られた伴部の陣の内では、緊張をはらみながらも束の間の平穏に、誰もが体と心とを休ませていた。夜はまだ浅かったが、見張り番の者を残して皆寝静まっていた。さんざんに暴れまわって宮を破壊し尽くした鬼へびが消えたあと、急拵えで建て直した櫓の上で見張りに立っていた二人が、どこからか飛んできた矢に射られ、その内の一人が急を知らせようと最後の力を振り絞ったのだが、力尽きて梯子から墜ちたのである。

 陣の内のすべての人が目を覚ました。「何だ?どうした?」と皆幄屋あくやから出て来る。そこに矢が降ってきた。

「うぐっ」

「あがっ」

 次々と人が倒れる。矢はすべて黒塗りであった。

「夜討ちだーっ!」

「夜討ちだーっ!攻めてくるぞーっ!」

 再び、矢が降ってきた。陣の内は騒然となる。

「戦支度を調えよっ!」斑の声が響く。

「攻めかかろうとしているのは誰だーっ!」多宜留が大声で問いかけた。

「わかりません。」誰かが答えた。

「わかりませんが、矢は南より放たれています。」別の男の声が言った。

「楯と弓と、二人一組で南へーっ!」多宜留が命じる。

 楯の横から弓矢を構えた兵の後から、もう一人の兵が楯を頭上にかざす。しかし敵の姿は見えない。物音もしない。伴部の兵たちは、引き絞った弓矢を構えて闇を凝視する。

「うぉぉ!」

「脇から来たぞっ!」

「うぁぁ!」

 弓を構える兵たちの東側から、敵が斬り込んできた。まるで黒い影のような者たちの一群である。

 ぐがっ。ずざっ。がきっ。どさっ。

 斬り合いの音、叫び声、人が倒れる音。敵味方入り乱れての乱戦となった。

 がぎん。ずさっ。ずぶっ。ががっ。

 小半刻ほどが過ぎて、夜討ちを掛けてきた者たちはさささーっと退いていった。


「どの豪族からの攻撃だ?江連か?」多宜留が訊いた。

「わかりません。」斑が答えた。「わかりませんが、射られた矢は黒塗り。剣もその鞘も同じように黒塗りでした。そして身につけた装束も黒。」

「うぅーむ…どこぞの氏族ではないようじゃな……」宿禰が言った。「鷹勢が旅の途中で『まつろわぬ民』の一群と出くわし剣を交えたと言っていたが、その者達も黒塗りの武具を備えておったと言っておった。」

「大王の政に服さず隠れ暮らす者たちか…」多宜留が言った。

「そのような者たちが大王の出奔を聞きつけて、ここを好機と攻め寄せて来たでありましょうか?」

「しかし、それにしては人数が少ないようじゃ。せいぜい五十人ほどの一群であった。」

「確かに…。しかし…何故、彼の者たちは今、楠岡を攻めてきたのでしょうか。」

「わからぬ…」


 陣の内では櫓の上の見張り番を四人にし、見張り台の周りを盾で囲んだ。また陣の四方にも見張り番を立てた。このあとは彼の者たちによる襲撃はなかったが、時をおき、皆がようやくうつらうつらとしかけた頃合いになると何者かが宮に向かって石を投げ込んできた。投げ込まれた石は打ち壊された宮の板壁や屋根に当たり、ごん、ごん、がごん、と音を響かせる。その度毎に陣の内の者は皆飛びおきて剣を構えるのであった。

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