弐十参

(伴部が向こうにつくとなると厄介だな。)箕輪玖麻は宮を取り囲んで張られた伴部の陣を見ながら考えていた。(厳蔵だけなら苦もないが、伴部も一緒となると我らだけで宮を攻め落とすのはたやすいことではない。さりとてひとたび宮に攻め掛けたからにはもはや恭順の道もなし。まあそんな気などさらさらないが。かといって今さら手を組める豪族もなし。江連・鏑木には我らと同じく恭順の道はないが、しかし奴らと手を結ぶなど有り得ない。俺と雄足とはともに、玉座を狙っていると高らかに言い放ったも同じ。こうなったからには、我らは不倶戴天。俺が勝ち残れば江連は滅び、江連が勝ち残れば我が箕輪は滅びるのみ。ほかの豪族どもはと言えば、日和見を決め込んでまずはどこにもつかず、あとから勝ち馬に乗ろうと考えていることだろう。さてさてこれからどうしたものか………)

(どうするも何も、進む道はもう決まっているだろう。)玖麻の胸の奥でもう一人の玖麻が言った。

(ううん…?)

(もはや後戻りはできない。ならば宮を攻め落として玉座を我がものにするのみ。)

(しかしなぁ………)

(しかしも何も……。ほかに道があるのか?)

(しかし……伴部が向こうについたのだ…、軍勢は我らを大きく上回った……)

(なあに、我らが宮に攻め掛けたならば、江連と鏑木も後れを取るまいと宮に攻め掛けて来よう…。そうなれば伴部・厳蔵よりも数に勝った軍勢で攻め掛けるも同じ。宮を攻め落としたあとで、江連を叩き潰せばいい。)

(ううむ…確かに……。しかしほかの豪族はどうする。宮を攻め掛けている時に背後を襲われては我らはひと溜まりもない。)

(奴らは日和見よ。勝ち目のある方につく。我らの優勢を見て取れば、奴らは先を争って我が箕輪に味方するわ。)

(ふぅぅむ………。)

(時は今よ。今しかない。今この時を逃しては、箕輪が玉座に座ることはない。)

(………)

(何をためらっているのだ、箕輪玖麻。明日の朝陽を玉座に座って迎えるのは誰だ?)

(………)

(どこの者とも知れぬ若造か?江連雄足か?あるいは伴部多宜留かも知れぬな。)

「いいや。俺だ。この箕輪玖麻だ!」

(そうであろう。そうともよ。さあ行け!)

「よしっ!……隊列を組めーっ!!これより我らは全軍をもって宮を攻める!急ぎ隊伍を整えよーっ!!」


「行けーっ!!!」隊伍の中央で馬上に剣をかざした玖麻が号令した。

「うおおーーー!!」

「うわあーーーー!!」

 どどっ、どどっ、どどっ、どどっ………。がしっ、がしっ、がしっ、がしっ………。

 喊声と蹄の音と武具・具足のぶつかり合う音を響かせながら、箕輪の全軍が宮に向かって岡を攻め上ってくる。岡の上では、元より箕輪に対峙していた一団に多宜留と斑の率いる二団を加えた伴部軍と厳蔵の全軍が、箕輪の陣の動きを見て取ってすでに守りを固め、迎え撃つ構えを整えていた。攻め掛けてくる箕輪の軍勢およそ千五百。それに対して守る厳蔵・伴部軍、およそ千百。箕輪軍は厳蔵・伴部の連合軍に真っ正面から襲いかかる。

「放てーっ!!」連合軍から矢が射かけられる。

 箕輪軍の兵が馬が、次々に矢に射られて倒れる。

「怯むなー!!」箕輪軍の総大将が大声で軍を鼓舞する。「突っ込めーっ!!」

 総大将は盾を頭上に掲げて浴びせかけられる矢から身を守り、連合軍の真ん真ん中を目指して突き進む。箕輪の兵達もそれに倣って後に続く。

 どがっ!どごっ!がぐっ!

 遂に箕輪軍と連合軍がぶつかり合った。

「押せーっ、押せーっ!押しまくれーっ!!我ら箕輪の力を、伴部に厳蔵に、豪族どもに見せつけてやれーっ!!」箕輪軍の隊伍の最後方から、玖麻が号令する。

 斬り合い突き合いの白兵戦が始まって暫くは互角の戦いで、敵味方のぶつかり合う線も動くことなく戦況は進んだが、やがて数においてやや勝る箕輪軍が徐々に徐々に押し込んでいく。

「行けーっ!行け行けーっ!この勢いで打ち破れーっ!!玉座を我がものにするのだーっ!!」

 いよいよ連合軍が崩れるかというその時、箕輪軍の左手に一軍が襲いかかった。和智の陣に対峙していた伴部の軍が攻撃軍に攻め掛かったのだ。突然の横槍をうけた箕輪軍は混乱を来した。闘っている将兵はもちろんのこと、最後方で采配を振るう玖麻も目前の相手しか目に入っていなかった。形勢は一気に逆転し、連合軍が攻撃軍を押し返す。二手から攻められて箕輪軍の兵は次々と倒され、じりじりと後退していく。

「退くなーっ!踏ん張れーっ!!踏み留まれーっ!!」玖麻は大声で号令した。「江連はまだか…雄足はまだ動かぬのか………」


「箕輪玖馬…何を血迷った?」江連雄足は戦いを見やって呟いた。「自軍にほぼ倍する敵に正面から攻撃を仕掛けるとは。一体何を考えているのだ。………間もなく右手からも攻撃を受けるぞ。………そら見ろ、…いったとおりだ。箕輪ももはやこれまでだな。玖麻は討ち取られる。箕輪が潰れれば、厄介者が一つ消えるな。」


 三方から攻撃を受け為す術もなく、箕輪軍は岡を転げ落ちるようにぐいぐいと押されていく。軍の最後方にいた玖麻も、今や雪崩を打って崩れてくる自軍の只中に巻き込まれ、乗る馬とともに揉まれふらついている。

「ううううぅぅぅ………」

 言葉にならない声を発して玖麻が自らの剣を抜いた。

「うおお…うお…うおおおーーー!」

 剣を高く掲げて意味のない叫び声を上げた玖麻の目はどこを見つめているのか。どこにも焦点を合わせていないその目はもはや何も映してはいない。

「ううぅおおおーー………」玖麻は叫び続ける。

「んぐぅおおおああーー!!」

 その玖麻の叫び声にかぶせて、玖麻の後ろで巨大な雄叫びが上がった。誰もがその雄叫びに顔を向けた。玖麻の真後ろに青黒く巨大な物が立っていた。

「お…鬼へびだ。」

「鬼…へびだ。」

 戦いは止まった。誰もが鬼へびに目が釘付けになった。突然現れた。一瞬で姿を現した。誰もが動きを凍らせた。ただ一人箕輪玖麻だけが、鬼へびに目もやらず動きも凍らせず、意味ない叫びを上げ続けていた。

「鬼へびだーっ!」

「鬼へびだーっ!!」

 我に返った兵たちは口々に叫び、四方八方へと逃げ散っていく。それぞれが思い思いの方向へ逃げようとして、互いに押し合いぶつかり合いしている。戦いの場は混乱の坩堝と変わった。

「何と…」

「そんな馬鹿な…」

「そんな筈が…」

 宿禰が、鷹勢が、斑が、言葉を失った。

「どこぞの若造が打ち倒したというのは、嘘だったのか。」雄足は吐き捨てるように言った。

「んぐぅあああーーー!!」

 さらにもうひと声吼えると鬼へびは、宮に向かって岡を登り始めた。

 ずずぅうん。……ずずぅうん。

 その鬼へびの前を剣を掲げた玖麻も宮に向かって駆け上る。混乱し入り乱れた将兵の中を進む玖麻は、逃げ惑って行く手の邪魔となる者を自軍・敵軍の別なく斬り倒していった。だが斬りつけられる方もただ黙って斬られているわけではない。混乱の中とはいえ斬りかかってくる者があれば身を守ろうとし反撃もする。いや混乱の中であるからこそ、それが自分たちの、あるいは敵方の領袖であるとは気づかずに斬り返してくる。すぐに玖麻は誰からとも知れず反撃をうけ落馬した。それでも宮を目指して進み、誰彼なく斬りつける玖麻であったが、ついに名もなき兵に斬り倒された。玖麻の倒れたその上を、まるで玖麻の先導をうけるようにして足を運んで来た鬼へびが通り過ぎていく。鬼へびは真っ直ぐに宮へと向かっている。

「退けーっ、退けーー!」宿禰が叫んだ。「まずは宮の内へーっ!急ぎ宮の内に退けーっ!」

 宿禰の号令に伴部と厳蔵の兵たちは皆、大急ぎで宮へと戻っていった。

「それぞれの隊は急ぎ隊列を整え、弓を構えよ!」伴部多宜留が張りのあるよく通る声で号令した。

 それに従って厳蔵の将らも兵を督し隊列を整える。

「斑。」

「はい。」

「他の豪族に対峙している隊をすべて宮の内に呼び集めよ。」

「はい。」

「もはや豪族などに守りを固める必要はない。」

「はい。」

「宮から逃げ去ってしまっては、空になった宮をほかの豪族に奪われてしまうやも知れぬ。宮は王権の象徴だ。何としても宮に留まる。宮を鬼へびから守るのだ。」

「はい。」

「行けっ。」

「はい。」

 斑は馬の腹を一蹴りして疾駆していった。

「多宜留殿。」宿禰が呼びかけた。

「はい。」

「戦のことは儂よりも多宜留殿の方がよくわかっておられる。箕輪の攻撃への対処も見事なものでした。これから先は、厳蔵の軍の指揮もすべて多宜留殿に委ねます。宮を守って下され。」

「わかりました。最善を尽くします。」

「厳蔵の者たちよ、聴けっ。これよりは厳蔵の軍の指揮も伴部多宜留殿が執る。多宜留殿の命令に従い、伴部とともに宮を死守するのだ。」

「おおうっ。」

「よいか皆の者。わしの号令によりまずは伴部のすべての者が一斉に、鬼へびに矢を射掛けよ。そのあとは靫田殿、栗目殿の隊が皆揃って矢を射り、さらにそのあとに真越殿と阿鳥殿の隊が続く。それからは各隊がまとまって必ず一斉に矢を射掛ける。それぞれがばらばらに矢を射っても鬼へびは棘が刺さったとも思わぬ。必ずまとまって一斉に矢を射るのだ。」

「おうっ!」

「矢をつがえよっ!」

 多宜留の号令に、鬼へびに向かってそれぞれに隊列を組んでいる将兵たちが応える。

 ずずぅうん、…ずずぅうん。鬼へびは一歩一歩を踏みしめるかのような足取りで宮へと向かってくる。

「引き絞れーっ!」一斉に引き絞られた千数百の弓のきしむ音が耳に響く。

 鬼へびはもう矢の届く近さにまで来ている。

「まだまだ…まだだ。引きつけられるだけ引きつけるのだ……」多宜留は自分に言い聞かせるように呟いて、最後の号令をのどに溜めている。

 もうすぐそこ、すぐ近くまで鬼へびは迫ってきた。

「放てーっ!」

 びゅるん、びゅるん、びゅるるん………

 多宜留の号令一下、一斉に放たれた矢はまるで鉄砲水のように鬼へびに襲いかかり、突き刺さった。さすがの鬼へびも千に近い矢を受けたため、一歩を踏み出すのに間があった。

 びゅるん、びゅるん、びゅるるん………

 そこへ靫田・栗目隊の放った二の矢の雨が降り注ぐ。

「んぐぅあ……」

 びゅるん、びゅるん、びゅるるん………

 吼えかけた鬼へびにさらに真越・阿鳥隊の三の矢が群れをなして襲いかかった。

「…ああーー!!」

 鬼へびは吼えながら、次の一歩を踏み出した。

「放て、放てっ!矢を束にして放ち続けよっ!!」

 それぞれの隊がそれぞれの将の号令に従い、次々と矢束を放つ。そこへ斑の伝令をうけて駆けつけた伴部のほかの隊も加わる。

「んぐぅがああーーー!!」

 鬼へびは歩みを止めて、胸や腹に刺さった矢を手で掻きむしるように払い落とした。しかし矢は次々に鬼へびの体に刺さる。鬼へびは矢を払い落とすのをやめて、再び宮に向かって進み出した。

「放てーっ!放てーっ!」

 次々に刺さりくる矢を気にすることをやめた鬼へびは、宮をめがけてずずぅうん、ずずぅうんと近づいてくる。

「だめだ。まるで効きやしない。」

 鬼へびが宮に迫ってくる。

「退けーっ、退けーっ!!」櫓の上から多宜留が叫ぶ。

 鬼へびはその太い尻尾を一旋させた。宮の西側の板壁が打ち飛ばされる。

「ぐぅうおおああぁーー!」

 鬼へびはさらにもう一振り尻尾を振るい、板壁を打ち壊した。

「ぐぅああぁあああーー!!」

 鬼へびは勝ち誇るように吼えた。吼えるとともに鬼へびは、その場から大気の中にすーっと消え入るようにいなくなった。


「どういうことでしょうか。」多宜留が宿禰に問いかけた。

「わからぬ。」

 鷹勢は黙っていた。話はそれ以上続かなかった。三人は櫓を下りた。そこに斑が戻ってきた。

「鷹勢殿…」戻ってくるやいなや、斑が言った。「今日の鬼へび、武雲様が倒した鬼へびとは違うようにわたしには見えたのだが、鷹勢殿はどう思う。」

「うむ。わたしもそう思う。姿形、それに体の色も少しばかり違うように思える。」

「ということは、武雲様が鬼へびを倒し損ねたのではないのだな。」多宜留が言った。

「それはない。」斑が応えた。「鬼へびが断末魔をあげて倒れるのも、その亡骸がどういうわけか地に吸い込まれていくように消えていったのも確かにこの目で見たのだから。」

「その鬼へびが復活したわけでもない、と。」宿禰が言った。

「おそらく。」鷹勢が応えた。

「新たな鬼へびが誕生したということか。」多宜留が言った。

「そういうことになります。」

「厄介なことだ。次から次に生まれてきたのでは、たとえ武雲様が戻って来たとしても手に負えぬ。」

「それ以上に厄介なのは、武雲が今ここにいないということが、知られてしまったということじゃ。」

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