弐十

「どどどっ、どどどっ、どどどっ、どどどっ……」

 蹄の音を響かせて騎馬武者が一騎、宮の内に駆け込んで来た。物見のために宿禰が宮京の周辺に配した者の一人であった。

「来ました、宿禰様!来ました!」馬から飛び降りるなりその男が正殿の奥に座る宿禰に伝えた。

「どの一族じゃ。」宿禰はまるで招いた客がやって来たかような口ぶりで尋ねた。

箕輪みのわです。」

「箕輪か…」

「はい。」

「さすがは玖麻くま、動きが早い。宮京に間者を忍ばせてあったか。」

邪望大欲じゃもうたいよく奸夫かんぷです。」傍らに座る鷹勢が言った。

「うむ…何を仕掛けてくるかのぉ、箕輪玖麻みのわのくま。」


 宮の西にまで軍を進めた箕輪の一族郎党は、そこで隊伍を整えた。騎馬の者は誰も馬を下りず、持つ槍は天を衝くかの如く屹立していた。その整然とした陣の中から四騎、早足で宮に向かって進み出る。彼らは自陣と宮の真ん中辺りまで来ると足を止めた。

「我は大王のおみ、」先頭の男が大声で呼びかけた。「箕輪の一族のおさ、玖麻である。楠岡の宮の内にある者たちよ、誰ぞ出でたまえ。」

「『大王の臣』と名のってきたか。」宿禰が薄い笑いを浮かべて言った。「よし、儂が出よう。栗目くりめ真越まこし阿鳥あとり。ついて参れ。」

「ちっ。」玖麻は宮から出てきた騎馬の者たちを見て舌打ちをした。「巴龍ともえりゅうの旗印……」玖麻の眉間の皺は僅かに深くなり口元が微かに歪んだ。

 宮から駆り出た者たちが玖麻たちに近づく。

「これはこれは厳蔵宿禰殿。新たに宮の主となったはあなたでしたか。」

「いやいや、わしは宮の主になどなっておらんよ。」

「さて。それでは大王を追放して宮を掠め取った不遜の者は誰でしょうか?」

さきの大王は民たちによって宮を追われた。庇護するべき民を苦しめた報いじゃ。そして民たちは武雲という若者が新たな大王となることを望んだ。武雲様は玉座を掠め取ったわけではない。」

「わたしの聞いたところでは、不遜の者が民を扇動して宮を襲い、大王を追放してその位を手に入れたということだが。」

「誰に聞いたのかは知らぬが、正しく伝わらなかったようじゃな。」

「大王を追い落として玉座を手に入れたに変わりはなかろう。」

「いいやまるで違う。武雲様は自ら玉座を求めたのではない、民草に請われたのじゃ。それこそが、王道というものじゃ。」

「宿禰殿はその者の大王即位を認めるのか?」

「いかにも。」

「大王としての資格がないのではないかな。」

「いいや十分にある。聞いておろう。武雲様は鬼へびを討ち倒した。大いなる力で民を救ったのじゃ。故に人々から大王の位に即くことを望まれた。」

「しかし大王の家の血統ではない。」

「前の大王がいなくなってしまった今、もはや大王の家の血を引く者は一人もおらぬ。」

「ならば玉座は我が箕輪一族が守り、楠岡の大王が宮京に還る日を待とう。その武雲という筋無しとともに宮を立ち去られよ。」

「そしてやがては自らが、玉座に座ろうという魂胆かな?」

「何を言うか………」

「邪な望みを隠し切れてはおらぬぞ、玖麻殿。」

「ふふん。まあそのどこの誰とも知れぬ若造よりも、このわたしの方がよほど大王の位には相応しいだろう。何となれば、我ら箕輪は大王家と同じく天つ神を祖とする氏族だからな。」

「ではこの儂にもその資格はあるのぉ。我が一族は大王の家の支族、かつては大王となった宿禰もおる。」

「そんな遙か昔のことを。」

「そなたの祖神の話よりは新しい。」

「………」

「となると……玉座に座る資格を持つ氏族は片手に余るのぉ。」

「………」

「戦となる。」

「致し方ない。」

「わしは戦は望まぬ。民を苦しめて何が大王ぞ。邪望を捨て武雲様の即位を認めよ、玖麻殿。すべての氏族を纏めるにはそれしかない。私欲は捨て去れ。」

「いいや。それは認められぬ。」

「それでは地は荒れ人は倒れ………」

「話は、これまでです。宿禰殿。」

 玖麻はきびすを返して駆け足で立ち去っていった。

「ふむ…大欲は人を狂わすのぉ。」


 宮京の西に陣を敷いた箕輪一族は、夜が明け陽が昇ると宮に向けて全軍を進めてきた。ゆっくりゆっくりと宮に迫ってくる。これ以上近づいては弓が届くというところで一旦軍を止めると、箕輪玖麻が大声で宮に呼ばわった。

「楠岡の大王を追い遣り、玉座を奪い、大王を僭称する不逞の者、宮を明け渡し宮京から早々に立ち去れ!我ら箕輪が、楠岡の大王が宮に還られる日まで、玉座を堅く守り宮京をお預かりする。」

「民に求められた武雲様こそ今の大王!箕輪玖麻とその一族郎党よ、武雲の大王の前に跪くべし!」戦支度をした宿禰が物見櫓の上から返した。

「氏素性の知れぬ者に大王の資格はない!玉座を汚す者は我ら箕輪が許さぬ。今一度告げる。宮を出でてどこぞへと去れ!」

「我らが宮を立ち去らねばならぬ理はない。玉座を窺い大王の位を狙う箕輪よ。そなたらこそ今すぐに宮京を去れ。」

「自ら宮を出ていかぬとあらば、我らの力を示すのみ。」

 玖麻は馬上で剣を抜いた。

 ずざっざざざざざっ!

 箕輪の一族郎党も皆、ある者は剣を抜き放ち、ある者は槍を正面に構えた。

「来るぞ。」宿禰が呟いた。

「行けーっ!」玖麻が剣を振り下ろしながら叫んだ。

「うおおおーーー………!」箕輪軍が騎馬武者を先頭に宮に攻めかかってきた。

「守りを固めよ!矢をつがえろ!」宿禰が櫓の上から大声で指示を出す。

 箕輪の者たちがなだらかな岡を駆け上がり宮へと迫る。

「放てーっ!」

 ひゅん。ひゅん。ひゅん、ひゅん。

 宮の崩れた壁の前に出て隊列を作っている厳蔵の者たちから矢が放たれた。幾人もの箕輪の戦士が矢に射抜かれて倒れるが、それを踏み越えるようにして箕輪軍が宮へと駆け上がってくる。

「何と痛ましい……しかし箕輪に宮を明け渡せばさらに戦乱はさらに大きくなろう………」宿禰は一人嘆いた。

「剣を抜けーっ!」隊列の中で指揮を執る靫田が号令した。

 厳蔵の者たちは盾をかざし剣を構えた。その隊列と駆け上がる箕輪軍が遂にぶつかった。

 がぎっ。ずどっ。ずざっ。どすっ。剣と剣のぶつかり合う音。人が斬られ突かれる音。馬と馬、人と人、人と馬とがぶつかる音。それがそこかしこからあがり、あちらこちらで人が倒れていった。

「退けーっ、退けーっ!」戦闘が始まって四半刻ほどで、玖麻が後方から叫んだ。

 それに呼応して戦いのさなかで指揮を執る箕輪の将達が口々に退却の号令をかける。箕輪の兵達は宮を背にすることなくじりじりとさがっていった。

「追うなーっ!追い打ちは不要っ!」櫓の上から宿禰が命じた。

 厳蔵の者たちは出足を止めた。それを確かめると箕輪軍は身を翻し、素早く退いていった。戦いの場に残った厳蔵の手勢は、傷つきまた倒れている同胞を、抱えあるいは担いで宮の内へと引き上げてきた。厳蔵の兵が皆、宮の内に収まると、箕輪の陣から無地の白旗を掲げた者たちが二十人ほど出てきて、倒れ伏している箕輪の将兵を担いで連れて行った。

「酷いものじゃ、戦とは…。敵のみならず、一族郎党も少なからず倒れていると言うに……。玖麻め、邪望に囚われおって……」


「おお鷹勢。人々は皆、無事大宮に入ったか?」その日も午後になり、ようやく戻ってきた鷹勢に宿禰が訊いた。

「はい。何とか。」鷹勢が答えた。「で、箕輪の方は?」

「うむ。ひとたび攻めかけてはきたものの、剣を合わせるのもそこそこに、旗幟を乱すことなく退いていったわ。」

「まずは挨拶代わりにと言うことでしょうか。」

「まあそれもあろうが、武雲の力を怖れているのだろうよ。」

「ああ。で、ありましょうね。」

「玖麻も間者から聞いているだろうからの、強大な不思議な力を持った若者のことを、その力のいかに凄まじいものであるのかを。」

「武雲のいないことを知られないようにしなくてはなりませんな。」

「うむ。武雲の影が、宮を攻めようとするものを怖じ気づかせてくれるからのぉ。」

「………」

「………」

 沈黙が二人を捉えた。影は所詮影でしかない。時がたてば影は薄れる。それもそう長い時ではありえないのだ。

「で、民たちはどんな様子であった?」

「はい、何とか大宮にまで連れて行くことができましたが………」

「いろいろと大変じゃったろうの。」

「はい。」

「なぜなのかと…なかなか聞き入れなかったか、宮京を離れることを。」

「はい。武雲があの剣を一振りすれば手向かう豪族などいなくなると。」

「まったくその通りじゃがな。」

「おかげで大嘘つきになりました。」

「本当にご苦労じゃった。鷹勢の大嘘のおかげで、民の血が宮京に流れずにすむ。」

 箕輪の言い分を聞いた宿禰は宮京での戦乱はもはや避けられぬものと考え、昨日の夜の内に宮京の民達を御祖高御神大宮みおやのたかみかみのおおみやに逃れさせることにした。そしてその先導を鷹勢に任せたのであった。

「大宮には食料の蓄えが十分にあり、それを好きに食ってよいと言って何とかそこに留まることを納得させました。」

「楠岡の大王、ぬかりはないのぉ。」

「はい。」

「あとは武雲か。」

「………」

「民たちの言うように、武雲がその力を豪族たちに見せつけてくれれば、多くの命が失われずに済むのだが…」

「わたしが鹿渡まで行ってきます。」

「うぅむ。頼む。」

「では、武雲の影が薄れぬうちに。」

 鷹勢はほんの今し方戻ったばかりであるのに、すぐにまた宮をあとにした。

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