十九
「おおぉ、武雲。帰ってきたか。」
逆登美はいつもと同じように明るく豪快に武雲を迎えてくれた。
「鷹勢はどうした?」
「鷹勢は一緒じゃない。」
「一緒じゃないってどうしたんだ?まさか鷹勢の身に何かあったのか?」
「いや。そうじゃないんだ。ただ…一人で帰ってきた。」
「ん。んーそうか。とにかく館の中に入れ。」
武雲のいつもとは違う様子に逆登美は、それ以上訊くのをやめた。
「武雲ーっ。お帰りーっ。」大声を出しながら奇志室が走り寄ってきた。「お帰り、武雲。」そのままの勢いで奇志室は武雲に抱きついた。
「ああ。ただいま。」武雲は薄く微笑んだ。微笑むとなぜか、心がすっと楽になった。
「何かあったの、武雲。」
「ん、いや。何も。」
「そう。」
「……」
「でも何だかいつもとはちょっと違う感じ。鷹勢は?」
「今日は一緒じゃない。」
「ふーん。そうなんだ。」奇志室はちらっと逆登美を見た。
逆登美は奇志室に軽く首をかしげた。
「随分と疲れているようだな。」
「ん、うん。」
「今度はどれくらいここにいられるんだ。」
「ずっと…いる。」
「本当ーっ。」奇志室がうれしそうに言った。
「てことは、とうとうやり遂げたのか。」
「まあ…」
「『まあ』って何だよ。」
「………」
「やり遂げたのか?鬼へびを討ち倒したのか。あのあまの何とか言う剣で。あれっ?そう言えば武雲、剣はどうした?」
「あっ。」剣は宮に置いてきてしまっていた。「うん…もう剣は必要ないから…」
「そうか、ということはやり遂げたんだな。」
「うん。」
「そりゃあすげえ!」
「すっごいね、武雲。強いんだね。」
「それにしちゃあ浮かない顔だな。」
「………」
「どうしたんだ。何があった。」
「何もないって。」
「うぅん、ならいいんだがな。」
逆登美と奇志室は、一瞬目を見合わせた。
「じゃあ、今日の晩は武雲がやり遂げたことを祝って宴とするか。」
「そんなことしなくていい!」
「おっ。そうか。そうだな。鷹勢もおらんしな。うん。」
「……」
「じゃあ、飯までの間、ゆっくり休んでおれ。」
武雲を部屋に通して、とりあえず二人はその部屋を出た。
「何かおかしいね、武雲。」少し離れてから奇志室が小声で言った。
「ああ。村に入ってきた時からどうも様子が変なんだ。」逆登実も小声で答えた。
「何があったんだろう?」
「わからん。」
「鷹勢は戻ってくるのかな?」
「たぶん、な。」
夕餉の用意ができたと呼ばれ、武雲は広間へと入っていった。そこにはすでに村長が席に着いていた。武雲はまだ村長に挨拶をしていないことに思いあたり、あわてて村長に前まで進み出て腰を下ろした。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。今日、帰って参りました。」
「うむ。」逆登美から聞いているのであろう、村長は戸惑い気味であった。「鬼へびを討ち倒したそうじゃな。」
「はい…」
「たいしたものよ。」
「はい…」
「んー、あー、そうじゃな。飯にしよう。腹が減った。武雲も座れ。」
「はい。」
夕餉の献立は、鹿渡のいつも通りのものであった。いつも通りの一汁一菜。武雲は汁椀を取って一口啜った。
「うまい……。」小さな声が武雲の口をついて出た。
目を閉じると涙が滲んできた。
「どうしたの、武雲。」汁を一口啜ったきり目を閉じて動かない武雲を見て奇志室が言った。
「うん。うまい。」
「そりゃあそうだ。おまえのふる里の味だ。」逆登実が言った。
武雲はここで育った。ここで暮らしてきた。鬼へびを討ち倒そうと鹿渡を発つまでずっと。武雲にとっては紛れもなく、ふる里の味である。武雲の目から涙が一筋こぼれた。
「涙が出るほどうまいか、武雲。よし、俺の分も食っていいぞ。腹一杯食え。」
「うん…うん……」
鹿渡での時間が武雲に少しずつ明るさを取り戻させはしたものの、武雲はやはり一人、物思いに沈んでいることが多かった。宮京でのことは勿論、逆登実や奇志室に話していない。
「鷹勢、帰ってこないね。」奇志室が逆登美に言った。
「ああ。鷹勢が帰ってくれば、何があったのか事情も聴けると思っていたんだが。」
「うん…」
「宮京に誰かを遣ろうかとも考えてるんだが…」
「鷹勢はまだ宮京かな?」
「わからんな。」
「……」
「どうなってるんだかさっぱりわからん。わかってるのは、武雲が相当落ち込んでるってことだけだ。」
武雲は村長の館のすぐ脇にある大きな樫の木の上で過ごしていることが多かった。傍目には高い枝の上に寝そべってぼーっとしているように見えるのだが、頭の中では色々なことが渦巻いていた。
(あの大王が俺の父だったとは………。………いやまて、本当にそうなのか。間違いなくそうだと言い切れるのか。………いやいや間違いないだろう。それですべて筋が通る。……俺は父を追放したのだ。………違う。追放したのは俺じゃない。宮京の民たちだ。……でもきっかけは俺だった。俺が追放したも同じだ。しかも俺が次の大王にと………。………楠岡の大王は、追放されても仕方がない人間だった。ひどいことをしてきたのだから。………みんなから恨まれ、憎まれていたんだ。………そんな人が俺の父だったのか。………鷹勢も宿禰も、大王のことを蔑んでいた。俺の父はそんな人だったんだ……)
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