十参
「いっやぁああ、帰ってきたか。武雲。」
大手門から歩いて入って来た武雲と鷹勢を、宿禰は館から走り出て迎えてくれた。
「はい。戻ってまいりました。」
宿禰は鷹勢の顔を見て一瞬僅かに目を大きくしたが、すぐに表情を戻した。
「うむ。無事で何より。無事で何よりじゃ。」
「はい。」
「その誇らしそうな声から察するに、やり遂げたか?」
「はい。手に入れました。」武雲は自慢げに答えた。
鷹勢は涼やかに、静かに穏やかに笑みを浮かべている。満ち足りた表情である。靫田がゆっくりとした足取りで歩いてきた。
「どれ。見せてみよ。」宿禰が言った。
「はい。」武雲は背負っていた剣を両の手で鞘ごと掲げ持ち、宿禰に差し出した。
「ふむ。」宿禰は剣を手に取って抜き放った。「おっ。」宿禰の目が少しだけ大きく見開かれた。「ほほぉ。龍の姿が刻まれておる。」
「天威神槌の化身である龍がわたしの剣に乗り移って、その剣は天威神槌剣となりました。」
「ほぉぉー。龍がな…。天威神槌と言う剣が存在するのではなく、龍が乗り移って天威神槌剣となるのか。なぁるほどのぉ。龍であるか…」
靫田も身を乗り出し、目を丸くして剣を覗き込んでいる。
「で、どんな威力がある?もう試してみたのか。」宿禰が訊いた。
「ご覧下さい。」そう言って武雲は宿禰から剣を受け取った。
空はみるみる曇り、遠雷が聞こえてきた。黒雲はますます厚く、雷はますます近くなり、暗くなった空に稲妻が走る。武雲は剣を再び宿禰の手に預けた。宿禰が剣を手に取るや、黒雲はさぁっと退き、空は再び晴れ渡った。
「なるほど。剣の使い人であるか。」空から武雲に目を移して宿禰が言った。
「剣に雷電が落ち、そしてそれが放たれて山賊を倒しました。」
「ほぉぉ………」感心しながら宿禰は、剣を靫田に手渡した。靫田はそれをまるで検分するかように、しげしげと見た。
「いろいろと難儀もあったであろう。よくぞ、やり遂げたのお。」宿禰は目を細めて言った。
「はい。」
「だが。武雲にとっては、これからが本番というわけか。」
「はい。まさしく。」
「鷹勢も、……よくやったのぉ。」
「はい。」
宿禰と鷹勢の間では、それだけで数千の言葉を超えていた。
「中へ入ろう。じっくりと聞かせてくれ。」
「はい。」武雲は靫田から天威神槌を受け取ると、宿禰に続いて館の方へと向かった。
「そうか。やはり西の大社であったか。」
「はい。」
…………
「何とのぉ。そんな一族がおったか。我が厳蔵の一族以外にも、魔に関わる伝承を受け継ぐ一族が存在したか。哀しいことじゃのぉ。我が一族がその立場になっていても、何の不思議もないことじゃ。今のこの世をその一族の盟主が支配していたのなら、我が一族はまさにその女宮司の一族の立場。我が一族や武雲、鷹勢とその女宮司の一族と、どちらが正義、どちらが悪とは決めつけられぬ。どちらにとっても相手が不正義。哀しい、哀しい運命であったな、その女宮司は。その一族は………」
…………
「西の大社の宮司の一族か。その一族と我が厳蔵の一族とは、遠い昔に何か
…………
「はぁぁ、剣の化身である龍と戦って、勝たねばならぬのか。勝てば、使い人として認められるというわけか。なるほどのぉ。」
「勝ったといっても、最後はただ剣を正面に構えて龍に立ち向かっただけです。」
「おそらくは、死をも恐れずに立ち向かえる心の強さ、剣を手に入れたいという思いの強さが必要であったのであろうよ。」
…………
「ほぉーーー。」
話をすべて聞き終えて、宿禰は大きく息をついた。
「大変な旅であったのぉ。武雲も鷹勢も、よくぞやり遂げた。よくぞやり遂げた。」
そう言うと宿禰は、今度は小さく息を吐いた。
「武雲よ。ひとつ頼みがある。」
「は、何でしょうか。」
「天威神槌を、今夜一晩、儂に預けてはくれぬか。」
「それは勿論かまいませんが…」
「我が一族の祖先の
「はい。喜んでお預けいたします。」
「その代わり、おまえにいいものを見せてやろう。」
「は?なんでしょうか。」
「これじゃよ。」
そう言って宿禰は自分の指から石の指環を抜き取って、武雲に差し出した。それは武雲が初めて宿禰に出会ったときに目に留めた、緑がかった石の、不思議な文様の彫り込まれた指環であった。
「よく見てみよ。」
武雲は指環を左の手の平に乗せ、じっくりと見てみた。指環は、大きさに比べて重かった。
「あっ。」武雲ははっと気がついた。彫り込まれた文様は、武雲がかつて思ったような、絡み合った植物ではなかった。
「龍だ。彫り込まれているのは龍の文様だ。」武雲は顔を上げて宿禰を見た。
「儂も天威神槌を見せてもらった時に、はっとしたよ。」
「私も見せていただいてよろしいでしょうか。」鷹勢が言った。
「勿論じゃ。」
武雲は指環を鷹勢に渡した。
「その指環はの、我が一族の頭領に代々伝えられてきたものじゃ。儂も我が父より引き継いだ。儂が死すれば、靫田が我が指よりそれを抜き取り、引き継ぐことになっておる。」
「ふぅーぬ……」
「なぜ龍の文様が彫り込まれているのか、今までわからなかった。我が父もわからない、伝わっていないと言っていた。それに我が一族の紋章も龍の意匠なのだ。龍と我が一族の守り続ける伝承との間に何らかの関わりがあるのであろうとは思っていたのだがな。……それが今日、たった今、わかったよ。」
「いよいよじゃな、武雲よ。」
朝餉が済んで、膳の片付けをしようと立ち上がりかけた時、宿禰が声をかけた。宿禰の館での滞在ももう三日目である。今日宮京に向けて発つと、昨晩宿禰に告げていた。
「はい。あとは鬼へびと相まみえるばかりです。」
「そこでな、武雲、鷹勢。ひとつ伝えておきたいことがある。」
「何でしょう?」
「女宮司の一族と同じような一族が、おそらくほかにもおるじゃろう。鬼へびが斃されることを望まぬ者たち、大王の治める世を覆したいと思っている者たちが。鬼へびは宮しか襲わない。武雲も聞いておろう。」
「はい。]
「鬼へびが現れることを望んでいる者たちとは、つまりは大王を倒したいと思っている者たちじゃ。例えば武雲たちが旅の途中で襲われたというまつろわぬ民たち。彼奴らは天威神槌を求める者がいると言うことを察知して、お前たちを探しだし、襲ってきたのかも知れぬ。天威神槌とはな、つまるところ大王のための剣じゃ。魔を滅ぼし、民を安んじて天下を治めるために用いられる剣じゃよ。この剣のことを代々伝えてきた儂ら厳蔵の一族も、大王の
「そうだったんですか。」武雲は驚いた。
「うむ。……儂らは大王の側の一族じゃ。大王の世を守ろうとする儂らのような者たちに相たいする者たちがな、おるのじゃろう。天威神槌を誰ぞが手にした。剣の使い人が現れた。その者たちはそれをすでに知っておるのではないかとな、儂は思っておる。」
「どうやってそれを知り得るのでしょう?」
「わからん。わからんがな、例えばじゃ、お前たちが遭遇した女宮司の死が、それを知らしめたのやも知れぬ。大社の側近くに蜘蛛の巣を張り巡らし、それにかかった虫の命を奪うことを使命としていた者が不慮の死を遂げたとなれば、何がおきたのかはおのずと想像がつくというものじゃ。それにな、女宮司が西の大社の側近くに異界の罠を張っていたと言うことは、その一族は、魔の側にある者どもは、天威神槌が西の大社に存するということを知っていたということじゃ。西の大社の周りには十分すぎるほど気を配っていたことじゃろうて。儂らには想像もつかないような、何か大きな力よって知り得たのかも知れぬな。」
「ふぅぅーむ………」
「じゃからな、武雲、そして鷹勢。心して行け。この先、思いもよらぬことがおきるかも知れぬぞ。」
「はい。わかりました。有り難うございます。」
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