十弐
春がもう間近になってきた。時折吹く柔らかい西風が馬の足を押し進める。樹々には新芽が吹き始め、草々には緑色が目立つようになった。武雲たちは、鹿渡に帰ってきた。
「武雲ーっ。」
武雲と鷹勢が馬を曳いて村に一歩を踏み入れるや否や、奇志室が走って来た。櫓の上にいた物見の報せを聞きつけて、喜び勇んで走ってきたのである。奇志室はその勢いのまま武雲に飛びついた。
「武雲…生きてる…よかった…」奇志室は鼻を啜りながら、武雲をぎゅうっと抱きしめた。「ずぅっと戻ってこないから…、だから……」
あとから村人達も二人のそばにやってきた。その中に逆登実もいた。
「鷹勢…」逆登実は大きな傷跡のある鷹勢の顔を見て一瞬、息を呑んだ。「一段と強うそうになったなぁ。」
そう言って逆登実はにやっとした。鷹勢もにやりとして、逆登実が「くくくっ」と笑い出した。鷹勢がからからと笑い出し、逆登実がげらげらと笑うと、ふたりはがしっと抱き合った。
「武雲。おまえもまた随分と逞しくなったものだなあ。」
そう言って逆登実は、今度は奇志室がしがみついている武雲の両肩を、奇志室の背中ごしにばんばんと強く叩いた。武雲は痛かったけれど嬉しかった。自然と笑顔がこみ上げてきた。
「ところで武雲、」逆登実は武雲に顔を近づけ、声を小さくして言った。「やり遂げたのか?」
「いや。まだだ。」
「そうか。……もう、諦めがついたか?」
「いいや。まだだ。」武雲はにやりとして言った。
「じゃあ、どうして鹿渡に戻ってきたんだ?やり遂げるまでは戻らぬ覚悟と思っていたんだが。」
「うん…やり遂げたこともある。」
「なんだ?」
「あとで話す。」
逆登実は少し不安そうな顔をした。
(自分の出自は見いだしたってことかな?)
武雲と鷹勢はそのまま村長の元へと行った。
「村長。ひとたび、鹿渡に戻ってまいりました。」
「『ひとたび』と言うことは、まだやりおおせたわけではないということか。」
「はい。すぐにまた、鹿渡を発ちます。」
「そうか、そうか。………何か、わかったことはあるのか。」
「はい。いろいろと。」
「武雲の母や父のことは?」
「それは……何もわかりませんでした。」
「ふむ。そりゃあ残念じゃったのぉ。」
一緒にいた逆登実は、少し嬉しそうな顔をした。
「どんなことがわっかたのだ?」
「実は……、鬼へびを倒す手立てを手に入れました。」
「何と。」
村長は声が少し大きくなった。逆登実は目を大きくした。
「その手立てとは何だ。」逆登実が、大きくはないが興奮した声で訊いた。
「鬼へびを討ち倒す力を持った剣を手に入れることができました。」
「その剣はどこに?」
武雲は何も言わずに、自分の左に置いてある剣を逆登実に向けて差し出した。
「それは親父殿がおまえにやった剣じゃないか。」逆登実は良くわからないといった風で、その剣を受け取った。「これがその剣だというのか?」
そう言うや否や、逆登実は剣をさっと抜きはなった。
「あっ。」武雲が小さく声を上げた。
「うん、この剣、龍の姿が彫り込まれているんだな。」逆登実は剣を見て言った。
「あぁん。その剣には、そんな彫りこみはなかったぞ。」村長が怪訝そうに言った。
「龍が乗り移って、天威神槌と言う剣になった。」武雲は誇らしそうに言った。
「うぅん。どういうことだ?」
「村長殿に頂いた剣に龍神が乗り移って、その剣は天威神槌と言う剣になったんだ。」
逆登実は首を傾げて鷹勢を見た。
「どうやらそうらしい。」
「ふぅぅーん。でも見たところふつうの剣だが……。どんな力を秘めているのだ?」
「その剣を抜き放つといろいろと不思議なことが起きて……」そう言いながら武雲は、立ち上がって部屋の障子戸を開けた。
「あれ……」
空には何の変化もなく、澄んだ青空のままだった。
「おかしいなぁ……」
「武雲が、その剣を持ってみろ。」鷹勢が言った。
武雲は逆登実から剣を受け取った。
すると、どこからともなく空に黒雲が湧き起こり、次第に辺りを暗くした。武雲はあわてて剣を鞘に納めた。
「武雲だけが、その剣の力を引き出せるのだろう。ほかの者にとっては、その剣はふつうの剣でしかないということだ。」
「ほほぉ。」逆登実が言った。
「今のようにこの剣は雲を湧き起こし、そして雷を呼ぶ。その雷がこの剣に落ちて、そして何て言うかそのお……、それが剣から放たれて、敵を打ち倒すんだ。」
「はぁぁ、凄いな。」
「そうやって一度、山賊を討ち負かした。」
「ふぅぅーん。」逆登実は実際には見ていないので、今いちよくわからなかったが、とにかく凄いんだろうということは、武雲の話しぶりから想像がついた。
「で、その剣はどこでどうやってその天の何とかになったんだ?龍はどういうふうに剣に乗り移った?そもそもその剣のことはどうしてわかった?」
「くくくく…」武雲も鷹勢も笑った。
「もうおぉ、聞きたいことが山ほどあるんだ。あぁーぬ、教えてくれっ。」逆登実は、最後は半分怒鳴り声だった。
「うん。わかった。」武雲が笑いながら話し出した。「鷹勢の古くからの知り合いで、厳蔵宿禰という方がいるんだが、その方にお会いして…………」
「はぁあーあ、アマノイカヅチか。…一度その力をこの目で見てみたいな。」武雲の話を聞き終えて逆登実が言った。「んで、その宿禰殿のところに戻る前に、一度鹿渡に寄ったというわけか。」
「うん。鹿渡のみんなの顔が見たかったんだ。宿禰殿のところに行ったら、またその先長く、ここを留守にすることになるだろうから。」
それを聞いた逆登実は嬉しそうに笑った。
「暫くはゆっくりしていけ。武雲。」
「うん。二―三日は。」
「もっとゆっくりしていけぇ。」
「ううーん。宿禰殿にも早く会いたいんだ。会っていろいろと話がしたい。訊きたいことが山ほどある。」
「俺と同じか。」
「うん。」
「とにかくだ、ここにいる間は鬼へびのことは忘れろ。」
「わかった。」
その晩は宴であった。村の広場に火を焚いて、村中の人が集まった。みんな、武雲と鷹勢の帰りを喜んでくれた。こういう時の手配には、逆登実に抜かりはない。酒も食べ物もたっぷりと出てきた。武雲は勢いよく燃え上がる炎から立ち上がり夜空に消えていく煙を見上げながら、村を発ってからのことを思い返した。武雲の隣には奇志室が座り、以前と同じように若者達が武雲の周りに集まってきている。鷹勢は逆登実と杯を交えて酒を酌み交わしている。ここには、安らぎがあった。
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